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優しい愚者〜身分違いの恋は許されますか?〜  作者: なか
第2章. ラメンタービレ(哀れに)
15/22

2-6. 晴れのち雨(2)

「ヒカリ。この一覧にある物を街まで注文してきてちょうだい」

「分かりました、チェローナ。四日後にお屋敷へ運んでもらう様に調整しますね」


 チェローナから一枚の紙を受け取る。

 彼女は踵を返すと早足で屋敷の奥へ戻っていった。分かってはいたけど忙しそうだ。


 旦那様たちが出発してから二日が経ち、お屋敷は今日も静かな朝を迎えた。

 ふと手元の紙に視線を落とす。


 この一覧に書かれている品々は、長旅から戻られた旦那様たちを出迎えるために必要なものだ。

 長旅の終わりには、こうして旦那様たちを慰労するささやかな宴を開く事が恒例行事となっている。お屋敷の使用人が手薄な上にお仕事も増えるのだから忙しいわけだ。


 ◇


「ヒカリ!」


 お屋敷を出て門の方へ向かう途中に背後から声がする。

 くるりとお屋敷の方向へ振り返った。


「どこかへ出掛けるのかい?」


 声の主はソナタ様だった。彼は私室の窓枠から乗り出す様な姿勢でこちらを見ている。


「ええ。チェローナにお願いされて街まで買い出しに行くつもりです」


 そう答えると、改めてソナタ様の様子を窺う。

 今日は貴族学園がお休みのため、彼は朝から私室に篭っていた。恐らくは勉学に励んでいたのだろう。


 最近はいつもそうだ。特に出掛ける事もなく私室で難しそうな本と向き合ってばかり。息が詰まってしまわないのだろうか。


「ソナタ様もたまには出歩いた方がいいと思いますよ? 部屋に篭ってばかりでは不健康です」

「好きで篭っているわけじゃないんだけどなあ……」

「それなら尚更です。適度に休憩を挟むべきだと思います」

「休憩ねぇ…………あ、そうだ!」


 ソナタ様の表情がパッと明るくなった。何かを思い付いた様子だ。


「それならヒカリの買い出しに付き合うよ。外に出ろというなら文句はないだろ?」

「え? 街に行かれるのですか?馬車がないので歩くことになってしまうのですが……」


 お屋敷に馬車は一台しかない。それも外遊のために旦那様たちが使用中だ。だからソナタ様には歩いてもらうことになる。


「ん。そうだね、健康のために歩くのもいいんじゃないかな」


 思いの外、乗り気な様子である。安全面からあまり褒められた行為ではないが、強く反対するものでもないと思う。


 というのもこの辺りは長閑で治安がとても良い。また、グラス家に対する街の住人の心象も非常に良く、犯罪に巻き込まれる可能性は限りなく低いだろう。それにヴィオローネ様からも外へ連れ出すように頼まれていた。今回限りならば問題はないと思う。


「ヒカリ。出掛ける支度をするからそこで待ってて」


 しばらく待つと服装を変えたソナタ様がお屋敷から出てきた。普段の煌びやかな刺繍が施されたものではなく、私たちが身に纏うような質素な服だ。街に行くための変装なのだろう。

 しかし、白い肌に所作の美しい動作。道ですれ違えば振り返ってしまうような整った容姿は隠しきれていない。どうみてもお貴族様のお忍びにしか見えない。実際そうなのだけれども。街の住人たちが空気を読んで気づかぬふりをしてくれることに期待しよう。


 ◇


 お屋敷から出て街までの道を歩く。周囲には田園風景が広がっていた。もっとも、収穫は既に終わっており、何も植えられていない畑が広がるばかりだが。


「ソナタ様、ちょっと遅かったですね。もう少し早ければ、一面に金色の絨毯を見ることが出来ましたよ」

「小麦の収穫は終わってしまったんだっけ? 実り豊かな畑を脇目に歩くのは気持ちが良かったかもな」

「ええ、それは素晴らしい体験でしたよ。来年もこうして歩けるといいですね」


 淡い陽の光を浴びながら歩くのは気持ちが良い。空気が澄んでいて呼吸をする度に心まで清らかになる気がする。

 両手を大きく広げて何度も深呼吸してみる。ふと隣を見るとソナタ様と視線がぶつかった。


「ふふ。深呼吸したい気持ちはよく分かるよ。でもなんというか……仕草が間抜けだな」

「人を見て笑わないでくださいよ。ほら、ソナタ様もやってください。絶対に心地良くなれますから!」

「え、嫌だよ。子供っぽくて恥ずかしいじゃないか」

「うぅ……酷いです。私は子供じゃありません」


 そう口を尖らせて抗議するとソナタ様は声を上げて笑う。最近よく見せる作った笑顔ではなく、心から楽しそうな表情だ。そんな様子を見て私も破顔してしまう。心の奥が何だか温かくなった。


「ああ、そうだよ。ヒカリは子供じゃないさ。それより絶賛する金の絨毯とやらを見てみたかったな」

「あー、そうやって誤魔化すのですか……」


 軽く睨んで見せるがソナタ様はどこ吹く風と聞き流す。揶揄われているのは腑に落ちないものの、ご機嫌な様子だからまあいいかな。


「でも、そうですね。ソナタ様も来年こそは収穫前の小麦畑を見れるといいですね!」

「来年は……いや、そうだね。またこうして一緒に歩けるといいな」


 何かを言いかけたソナタ様は、そのまま誤魔化すように道の先に視線を向けた。言葉の先に何を隠してしまったのか、今の私に知る術はなかった。


 ◇


「ソナタ様。街が見えてきましたよ」


 目の前には街の入り口になる大きな門が見えてきた。街は石の壁で囲われており、門をくぐると石畳の道が続く。その先にはあるのは小さな古い井戸だ。その井戸を中心として木造の民家や商店が並ぶように存在している。

 街の住人は百名程度だろうか。王都のような大都市に比べれば遥かに規模は小さいものの、グラス男爵領内ではもっとも栄えている街である。


「あら、ヒカリちゃんじゃない! 今日はどうしたのさ?」


 石畳の道を歩き、服屋の横を通りかかる。すると店主のおばちゃんに声をかけられた。


「こんにちわ、お元気そうですね。私はいつものお遣いですよ」

「ああ、領主様のお遣いか。何が必要なんだい?」

「これなんですが——」


 そう答えてチェローナから預かった覚え書きを取り出す。それを見た服屋の店主は「任せな!」と胸を叩くと、両手を大きく振って声を張り上げた。


「おーい! 領主様からの注文だよ。アンタたちも手伝っておくれ!」


 その掛け声に商店の店主たちがわらわらと集まってきた。


「いいんですか? その、お任せしてしまって……」

「領主様には大変良くして貰ってるからね。この程度、お安い御用さ」


 服屋のおばさんも含めて、集まってきた店主たちは好意的な笑顔で頷いている。お任せしても良いらしい。私との会話を区切ると、彼らは覚え書きを眺めながら段取りを話し合い始めた。


「なんというか……随分と協力的なんだな。これもヒカリの人徳のお蔭かな?」

「違いますよ、ソナタ様。街の住人たちは皆、領主様に感謝しているからです。だから協力してくれるのですよ!」


 ソナタ様と話しながら思う。

 他領では重い税を課せられていると聞く。その点、グラス男爵領では周囲に比べて税の負担が少なく、住民たちは暮らしやすい日々を送ることが出来ている。皆、そのことを十分に理解しているのだ。だから、領主である旦那様に感謝しているし、グラス家にも好意的なのである。私の力ではない。

 それに今日は隣にソナタ様も立っている。チラチラとこちらを気にする視線から私のお供の正体に感づいているのだと思う。お忍びだと察した上で気付かないフリをしてくれているのだから住人たちは本当に良い人ばかりだ。


「そうか。これも父上の統治の結果なのか」

「ソナタ様のお蔭でもあると思いますよ。だから、あまり無理はしないでくださいね。体調を崩されたら皆が心配してしまいますから」

「……善処するよ」

「努力してください!」

「ヒカリちゃん! ちょっといいかい?」


 雑談をしていると背後から呼ぶ声が聞こえる。

 振り返ると服屋の店主が手を振っていた。他の店主たちは既に店へ戻ったのか、周囲には見当たらない。


「すみません、任せきりになってしまって……。何かありましたか?」

「四日後にお屋敷へ届ければいいんだったね? 全ての手配が終わったよ。あとはこれにサインしてちょうだい」


 渡されたのは店主たちが纏めた注文票だ。一枚ずつ内容を確認しながらサインした後、服屋の店主に手渡した。これで任務は完遂したはず。

 注文票に視線を落としていた店主のおばさんは、確認が終わったのか顔を上げる。その顔には商売人の仮面を被っていた。なんだか嫌な予感がする。


「ところで、ヒカリちゃん。せっかくだし服でも見ていかないかい? どうせアンタ、碌な服を持っていないんだろ」

「うぅ……。困ってないので大丈夫です」


 普段の私は支給されたエプロンドレスを身に纏っている。それ以外の服は持っていない。

 住み込みで働く私には休日などないし、私服で何処かへ行く予定もない。だから服など買う必要はないと思っている。実際、持っていなくても困ったことはなかった。


「年頃の娘が何を言ってるのさ。じゃあ、装飾品ならどうだい?」

「装飾品!? 似合わないから私には必要ないですって!」

「少しくらい着飾らなくちゃ男も寄ってこないよ。ほら、連れの坊ちゃんも何か言っておくれ」


 そう言って店主のおばさんはソナタ様に話を振る。頷き合う二人は悪戯を思い付いた子供のような笑顔を浮かべていた。ますます嫌な予感がする。


「店主! 品を見せてくれないか? 似合うかどうかは現物を見ないと分からないからね」

「ソナタ様……」

「ヒカリ、諦めるんだな。多分、この店主は逃してくれないと思うよ」


 そう笑う二人に連れられて服屋へ入った。装飾品は店の奥にあるらしい。


「平民のあたし達が身に付けるものだからね。安物ではあるけど、悪くはない品のはずだよ」


 店の奥から戻ってきたおばさんは、そう言いながら目の前に首飾りを並べ始めた。それらの品々を眺めてみる。


 お貴族様の装飾品を見慣れた私には、確かに安っぽく見える首飾りだった。

 薄く小さな鉄板の隅に穴が空いており、麻のような紐で括られていた。鉄板の中心には綺麗な石が埋め込んであり余白には特徴的な模様が彫り込まれている。絢爛豪華な首飾りでは気後れしてしまうので、むしろこの位の質素な物の方が気軽に身に付けることが出来て良いのかもしれない。


「ほら、ヒカリちゃん。どれにするんだい? 選ばないんだったらあたしが勝手に選ぶよ」

「ま、待ってください。今、選びますから……」


 そう答えて真剣に品定めしてみる。


 ふと端に置かれた首飾りに目が止まった。黒い石の埋め込まれたものだ。色素の薄く僅かに透き通って見えるその石は、何故かソナタ様を連想させる。髪色が似ているせいかもしれない。これを身に付けていれば今よりも彼を近くに感じられるのだろうか。

 良くない思考に気づいて慌てて隣の首飾りに視線を移した。何を考えているのだ私は。加速した鼓動を必死に抑える。


「悪くないんじゃないか? 気に入ったならこれにしようか」


 隣から聞こえた声に意識を戻す。

 顔を向けるとソナタ様の手には首飾りが握られていた。先ほど目についた黒い石のものだ。視線の先に気づかれていたらしい。また心臓が動きを速める。


「それはちょっと……」

「うーん、確かに少し地味に見えるかもね。ただ、ヒカリの銀髪と合わせるならこれが一番似合うと思うよ。店主、お代を」

「待ってください。支払いなら私が——」

「僕も首飾りを買おうと思っていたんだ。一つ増えた位、大したことは無いさ」


 いつの間にか、ソナタ様の手には別の首飾りが握られている。輝く石の色は私の髪色と同じ銀色だった。その光に一つのおとぎ話を思い出す。想い合う二人が自身を連想させる色合いの石を贈り合う話である。そうして恋人たちはお互いの絆を深める、そんな内容を子供の頃に聞いたことがあった。


 良からぬ想いが再び顔を覗かせようとしている。その気持ちを必死に蓋をして胸の奥底へ閉じ込めた。顔が少し熱を持っているように感じる。今日の私は何か変だ。


「毎度ありがとうね。次に来た時は安くしておくから、また遊びにいらっしゃい」

「ああ。いい買い物だったよ。ヒカリ、呆けてないでそろそろ帰るぞ」


 ◇


 用事を終えた私たちは屋敷への帰路を急ぐ。

 空は厚い雲で覆われており、風も少し強くなってきた。この後、天気が崩れてしまうかもしれない。肌を撫でる空気の冷たさが夕暮れに近いことを教えてくれた。


「申し訳ございません。侍女の身でありながら、このような物をいただいてしまって」

「ヒカリは何回謝るんだよ。僕としては謝罪より感謝の言葉が欲しいんだけどな」


 私の首元には黒い石の首飾りが鈍く光っている。結局、ソナタ様から贈り物として頂いてしまった。胸の中では照れ臭さと後ろめたい想いが混じり合っており、今の気持ちを上手く言葉にできない。


「えっと、ありがとうございます。これまで誰かから装飾品をいただく機会が無くて、その……どうすれば良いのかよく分からないのです」

「そうか。贈り物は初めてだったか」


 私の答えに気を良くした様子の彼は、そっと自身の胸元に触れた。

 彼もまた首飾りを身に付けている。服屋で見つけた銀色の石の首飾りだ。


 正直な感想を言えば、ソナタ様には全く似合っていない。高貴な雰囲気を纏う彼と、質素な首飾りは不相応な組み合わせに見える。そんなものを身に付けていては悪目立ちしてしまうように感じる。どうして彼は首飾りを手に入れようと思ったのだろうか。


「ソナタ様は何故その首飾りを?」


 私の問いかけに、彼は胸元の石を静かに握りしめる。その手つきはとても丁寧で優しく、まるで大切な何かを扱うかのようだった。


「そうだな。未練……かな」

「未練ですか?」

「そう。こうやって想いを形にしておけば、自分の中から切り離すことができる。想いを断ち切って前に進める、そんな気がするのさ」

「はぁ。そういうものなのですか」


 顔を上げて前だけを見つめる彼はそう教えてくれた。

 しかし、遠回しな表現は言わんとすることを正確には捉えさせてくれない。どういう意味なのだろうか。


「何より僕に良く似合っているだろ?」


 この話はここでおしまい。そう言うかの様に首飾りを服の下に隠してしまうと、ソナタ様は口を閉じてしまった。

 貴方には似合っていませんよ。そんな軽口を叩ける雰囲気ではなく、唾と共に言葉を飲み込んだ。


 ◇


 来た道を戻れば、遠目からお屋敷の姿を確認できる距離まで帰ってきた。

 周囲はすっかり薄暗くなっている。どうやら予定よりも長く街に滞在していたらしい。羽織るものが恋しくなる、そう感じされる冷え込みに両腕を摩る。


「ソナタ様、冷えてまいりましたね。お屋敷に戻りましたらお茶にしましょうか?」

「ああ、それはいい考えだ。楽しみにしておくよ」


 グラス家の敷地に入る。お屋敷の入り口にはチェローナが待っている様子が見えた。

 彼女はこちらに気が付くとエプロンドレスの裾を掴みながら小走りで近づいてくる。その表情は鬼気迫る何かを感じさせた。


「お帰りなさいませ、ソナタ坊っちゃま」

「ああ。何かあったか? 珍しく取り乱しているようだが」


 私の目の前で二人の会話が始まった。

 少し息を切らせたチェローナの顔が真っ青に見える。唇が微かに震えており頬が強張っていた。そんな彼女の様子は初めて見る。


「ソナタ坊っちゃま。落ち着いてよく聞いてください。外遊に向かわれた旦那様の馬車が野盗に襲われて——」


 キーンっと耳鳴りがした。


 今も二人の会話は続いている。しかし内容が頭に入ってこない。断片的に『損害』や『犯人』といった単語が耳に残った。

 馬車には旦那様と奥様、リラの三人が向かっていたはずだ。皆、無事なのだろうか。怪我をしたりしていないだろうか。心配だ。


「ヒカリ、しっかりしなさい。話を聞いてましたか?」


 肩を揺すられて意識を取り戻す。チェローナに強く掴まれた肩に痛みを感じる。


「あ、いいえ。その、すみません。聞いていませんでした……」

「いいですか。これから旦那様たちを迎える準備で忙しくなるのですよ?」


 私の答えにチェローナの表情が険しくなった。

 でも良かった。出迎えの準備が必要ということは皆が戻ってくるということだ。固くなっていた身体から力が抜ける。


 帰ってきたらリラにはお土産を強請ろう。そして旅先の苦労話を聞かせてもらうのだ。

 ヴィオローネ様にはソナタ様の様子をお話ししよう。きっと楽しんでくれるはず。

 旦那様には街の様子を報告しよう。皆の感謝の気持ちを伝えれば喜んでくれるに違いない。


「分かりました。出迎えの準備が必要なのですね?」


「ええ。三人のご遺体は明日到着するそうなので、ヒカリはそのつもりで動いてちょうだい」


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