2-4. グラス家の客人も騒がしい
ソナタ様の私室を整え終える頃には陽が傾き始めていた。
大変だ、そろそろ客人と共に彼が帰ってくる時間になる。慌てて玄関へ向かった。
「お帰りなさいませ。ソナタ様」
玄関の扉を開けてソナタ様を出迎える。疲れた表情の彼の後ろには長身の男性が立っていた。明るい金髪に碧い瞳。整った顔には女性たちを魅了するであろう甘い笑顔を貼り付けている。黒髪で客人に劣らず整った顔立ちのソナタ様と並んだ様子は、とても華があるように感じた。
「ご無沙汰しております、アレグロ様」
「やあ、ヒカリちゃん。前に会った時よりも綺麗になったね」
客人の腕がこちらに伸びてくる気配を感じて一歩後ろへ下がった。
アレグロ様はカランド公爵の嫡男だそうだ。グラス家よりも遥かに格上の大貴族と聞いている。そして無類の女好きで女性関係にだらしない方でもある。彼には無闇に近づくなと厳命されており、私が警戒しなければならない相手だ。
「ふふ。そんなに怖がっちゃって。ヒカリちゃんは今日も可愛いな」
気付いたら右肩を掴まれ、抱き寄せられていた。アレグロ様の顔が近い。彼の右手が私の右頬に添えられる。彼の親指が唇に触れる感触がした。
「あの……お戯れは……お部屋に案内しなければなりませんので」
「うーん、このまま連れて帰っちゃおうかな。どうだい? あんなつまらない男の侍女なんか辞めてうちに来ない?」
「ですから……今の生活に満足しておりますので。……そろそろお部屋に」
アレグロ様の顔が少しずつこちらに近づいてくる。ただ、彼の目は笑っている。本気ではなく揶揄って楽しんでいるのだろう。
「本当に? 給金のことなら、ここの倍は出してもいいよ?」
「えっと、その……私は——」
「ヒカリ! 早く部屋へ案内してくれ」
凍えるほど冷たい声がした。声の主に視線を向けると顰めっ面でこちらを睨んでいる。ソナタ様の目が怖い。機嫌が急降下しているご様子だ。
すぐにアレグロ様の手から逃れると、取り繕って口を開く。
「大変失礼いたしました。お部屋にご案内させていただきます」
◇
二人を部屋へ案内すると手早くお茶の準備を整える。
「アレグロ様。こちらは『トゥンカル』になります」
お茶の説明を伝えながらカップを二人の前に置く。
今日のお茶はソナタ様お気に入りの物を選んでいる。私が淹れ慣れており、グラス男爵領の特産品だからだ。最近お気に入りに追加した『ツィンク』よりも適しているだろう。
「それでは、ごゆっくり寛ぎください」
「ヒカリちゃん。こっちに近づいてきてくれないんだね。残念だ」
軽く会釈するとソナタ様の後ろに下がった。
先程は油断したが、もうアレグロ様に近づくつもりはない。私の主が今も冷気を放ち続けているのだから。また怒られてしまう。
「アレグロ。それで用件はなんだ?」
「ソナタ。お前はアイスブレイクというものを知らんのか?」
「今のがアイスブレイク? どうでもいいけど、これ以上勝手にヒカリへ近づくな。彼女が穢れるから」
「はいはい。お前のお気に入りには手を出さないよ」
そんなやり取りをしながら二人はカップを口元へ運ぶ。
「近々、王族たちが騒がしくなる。王の後継者争いが本格化するらしい」
アレグロ様の話を聞きながら、主に教わった知識を呼び起こす。
この王国には現在二人の王子がおり、現王は跡継ぎを定めていない。二人を競わせて優れた者を次期王に据える考えのようだ。そのため次期王の椅子を巡って、周囲の貴族たちを巻き込んだ後継者争いが繰り広げられているそうだ。
現在優勢なのは第一王子で、カランド公爵を筆頭に幾つかの貴族たちが後ろ盾になっている。
劣勢の第二王子を支えるのはフォルテ伯爵。ただ、フォルテ伯爵は豊富な財力を駆使して後援する派閥を拡大させており、現在の優劣が保たれる保証はないとのこと。
「他の公爵家の動向は? 中立を崩すとは思えないのだが」
「ああ。ソナタの言う通り、そこは中立のままだから問題ない。問題なのはフォルテの連中だ。予想以上に第二王子派閥が大きくなってきている」
「なるほど。そろそろ相手の派閥を切り崩しにかかる時期になったというわけか。予想より確かに早いペースだな」
「その通り。だからお前の力が必要だ。グラス男爵には旗色を示してもらいたい」
そう言うとアレグロ様は身体を前に傾けた。玄関前でのやり取りで見せた軽薄な笑みではなく、真剣な表情を浮かべている。
「……それは父上が判断することだ。現在のグラス男爵は僕の父上だよ」
「ああ、『優しい愚者』か。アレは駄目だ、使い物にならん。そんな者よりお前の力が欲しい」
「随分と過大評価すぎないか? 僕は唯の学生だよ」
「学生ねぇ。うちの代官を手玉に取ってしまえる人物を唯の学生とは言わないさ」
アレグロ様は昂揚した様子でソナタ様の活躍を語る。
グラス男爵領とカランド公爵領には『黒水』という天然資源の埋蔵が見つかっている。未来を担う資源だが様々な課題があり有効活用できていなかった。そこで両家では協力関係を築いて課題を克服し、二年後には事業化が開始されるところまで話が進んでいる。
計画を主導する中心人物はソナタ様だ。数々の実績を積み上げ、公爵家の代官たちを黙らせたそうだ。その手腕を公爵家の者たちは高く評価しているのだという。
「別にソナタに特別な役割を押し付けるわけじゃない。今まで通りに第一王子派として力を貸してくれれば問題ない」
「個人的に力を貸すのは構わない。今までもアレグロのために動いていたわけだし。だがグラス男爵としては別だ。当家には力がない。少しでも息を吹けば木端貴族なんて簡単に消し飛んでしまう。だから中立を保ち、最後に勝ち馬に乗らなくてはならない。それが弱者のやり方だ。分かるだろ?」
「ソナタ。その気になれば父が直接グラス男爵に会いに行くこともできる。その意味は分かるだろ?」
「……踏み絵を踏ませて従わなければ当家ごと潰すってことか。はぁ、これだから大貴族様は嫌なんだよ」
そう答えるソナタ様は手元のお茶を口に運んだ。置かれたカップの中身が空になっていたのでお替りを注ぐ。
「分かったよ、父上を説得してみる。あまり期待はしないでくれ」
「流石、俺の見込んだ親友だ。賢明な判断だと思うぞ。お前を第二王子派に奪われるわけにはいかないからな」
話の切れ目を感じ、二人にお茶請けの交換を勧める。両方から了解の意を得られたので、準備のためにスッと体を動かす。
使用人がこうして動くことで場の空気が変わり、話題変更の切っ掛けになるから助かるのだそうだ。以前、ソナタ様がそう言って褒めてくれた。
「しかし残念だったな、ソナタ。学園でも屈指の美女と評されるアマービレ・フォルテは第二王子の派閥に入った。政敵だから結婚は無理だぞ」
「お前が勝手に勧めてきただけの話だろ。僕が望んだわけじゃない。そもそも、こうなることが分かっていて何故勧めた?」
「学園での俺たちの協力関係は秘匿すべきものだ。あの時の会話も周囲の数名が盗み聞きしていたさ。虚偽を混ぜるのが賢明だとは思わないか?」
「……頼りになる友人だな、お前は」
「そんな親友から朗報だ。ソナタに縁談の話を持ってきた。全員が第一王子派のご令嬢だよ。この中から婚約者候補を選んでくれ」
「僕を婚姻で縛り付けて逃げられないようにするわけだ。本当に、素晴らしい友情だ」
呆れた声色を出すソナタ様は左手を顔の高さに上げた。
退室しろという合図だ。ここから先の話を私には聞かせたくないらしい。
「ソナタ様。これで失礼させていただきますが、何かございましたらお呼びください」
「あれ。ヒカリちゃん、どっか行っちゃうの? せっかくだから、もう少し話をしようよ」
「ヒカリ。彼の見送りも不要だから好きに過ごしていいよ」
「はい。承知しました」
アレグロ様へは笑顔で拒否の意を返すと、そのまま部屋を後にした。
婚約者。その言葉に胸の奥がざわつく。
私と歳が同じソナタ様にはこれまで浮いたお話がなかった。婚約者がいてもおかしくはない年頃だし、縁談が舞い込んでくるのは喜ばしいはずだ。それでも素直に祝福できない自分に困惑してしまう。
◇
夕日の差し込む花壇の前で佇んでいた。
目の前の花壇には土のみで花は植えられていない。
「やっぱりここに居た! 探したよ、ヒカリ」
背後から芝を踏み締める音がする。振り返るとソナタ様が立っていた。
「秋が終わりに近づき、もうすぐ冬だ。花が咲く時期でもないのに何をしていたんだい?」
「ええ。冬に咲く花を植えようかと悩んでおりました。花壇が物悲しく感じたもので」
「知らなかった。そんな花があるんだね」
「『ムーン』という植物をご存知ですか? 月の花とも呼ばれているのですが、銀色の小さな花弁がとても綺麗なのですよ」
ソナタ様は私の話に耳を傾けながら、花壇を眺めている。その横顔には疲労の色が見えた。少し話題を変えた方が良いかもしれない。
「アレグロ様はお帰りになられたのですか?」
「ああ、さっき帰ったよ」
「本当にお見送りしなくてよかったのでしょうか。気分を害していなければよいのですが」
「それは問題ない。それより、あいつには不用意に近づかない方が良い。今日も色々とちょっかいをかけられていただろ? あいつは女性の心を容易く奪い、弄ぶ男だ。油断しているとヒカリも心を奪われるぞ」
ソナタ様に顔を向けると、彼もこちらを見つめていた。不機嫌で若干怒っているようにも見える。アレグロ様との戯れが良くなかったのだろうか。ただ、アレは不可抗力なのだけれど。
「ソナタ様。私は侍女として弁えているつもりです。お貴族様に対して好意を向けることはございませんよ」
「ああ、それは分かってる。しっかり者のヒカリの事は信頼しているが、それでも心配はするさ」
彼の懸念を否定したはずだったが、不機嫌な様子は変わらない。この表情は怒りではなく不安から来ているのだとようやく気が付いた。彼は何に不安を感じているのだろうか。
「安心してください、ソナタ様。私は女性関係にダラシのない人が嫌いですから。好きになるなら誠実で優しい男性が良いです」
そう答えるとソナタ様に向けて笑って見せた。これで多少は不安も拭えるだろう。
そう思ったのだが、彼は何やら考え込んでしまっている。今日の彼は何かがおかしい。いつもと様子が違うように感じる。どうしてしまったのだろう。
しばらく待ってみるがソナタ様からの反応はない。話題を逸らすために彼に話を振ってみた。
「ところで、ソナタ様はご結婚されるのですか? 縁談の話題が出ていたようですが」
「ああ。結婚……しなくてはならないんだろうな」
「あまり気が進まないのですね?」
「そういう訳では……いや、本心はそうなんだろうね」
貴族の結婚も家同士の繋がりのために行われるものだと聞く。選べる相手の自由度は、平民よりも貴族の方が厳しいのかもしれない。
彼は望まぬ相手との結婚にも、笑顔を作って了承しなければならない立場なのだろう。
「ソナタ様にはしっかり者の奥様がお似合いだと思いますよ?」
「急にどうした?」
「いいえ、そう思っただけです。普段のソナタ様は頑張りすぎなのですよ。だから、婚約者様はソナタ様を支えてくださる優しい女性だと良いですね」
いつの間にか陽が沈み、辺りは暗くなり始めていた。肌を撫でる風が少し冷たい。
「ソナタ様。寒くなってまいりました。そろそろお屋敷に戻りましょう」
ずっと変わらないと思っていた日常が少しずつ変化し始めている。そんな予感を風に感じた。




