2-3. グラス家の使用人たちは今日も騒がしい
翌日、ソナタ様を学園へ送り出すと侍女としての仕事を再開した。
夕方にはソナタ様のご友人が屋敷へ遊びにいらっしゃるそうだ。その準備も必要だから今日は忙しい。
「ハンク。夕方に来客があるから軽食の準備をお願いしますね」
顔を出した調理場では強面の男性が腕を組みながら唸っていた。話しかけたが全く聞いていない。少し語気を強めて言葉を続けた。
「ハンク! ちゃんと私の話を聞いてましたか?」
「ん。ああ、ヒカリか。献立を考え中だから今は邪魔しないでくれよ」
「邪魔って……仕事の話です。来客があるので軽食を準備しておいてください! お願いしますよ?」
ハンクを睨みつけながら念を押す。思わずため息が溢れた。
顔は怖いが話すと陽気な性格の彼は、グラス家の料理長として調理場を仕切っている。まだ三十歳と若いのだが経験は豊富だ。以前は貴族の屋敷で奉公していたそうでお貴族様向けの料理も卒なくこなす。三年前にソナタ様と一緒に見つけ出した貴重な人材なのである。
「はいはい。軽食ね、任された。じゃあ洗い物はヒカリがよろしくな!」
ハンクの右手の指す先に視線を向けると、洗い場には使用済みの食器がいくつも積み上げられている。嗚呼、仕事を押し付けられてしまった。
このお屋敷には使用人が本当に少ない。調理専任のハンクを除けば四人だけだ。そして旦那様の執事であるリュート、侍女長のチェローナの業務は旦那様のサポート中心になるためお屋敷に関する仕事をすることは少ない。必然的に侍女のリラと私の二人で何とかしなければならないのだ。手が空いていれば何でもやる。グラス家のルールであり、そうでもしないとお屋敷は回らない。
「ハンク。今日はお手伝いの方は来ていないのですか?」
そういえばと思い、彼に尋ねてみる。調理場には笑顔の似合う女性が手伝いに来てくれていたはずだ。今日は姿が見えない。
グラス家と街は良好な関係を築いており、お屋敷の内情を知った住人たちが手伝いに来てくれるのだ。一応の給金は渡しているがお小遣い程度の金額であるから、完全に彼らの善意での申し出となっている。恥ずかしながら住人たちの厚意に頼りっぱなしだ。
「ん。彼女なら結婚するそうだよ。だから、しばらくは来れないと言ってたかな」
「あら、それは残念。あの子は働き者だったのにねぇ」
私たちの会話に割り込む女性の声がした。更に「これもよろしく」という言葉と共に脇から腕が伸びてきて、汚れた食器が積まれていく。手元から顔を上げるとリラが立っていた。また仕事を押し付けられたようだ。
「リラ。少しは手伝ってください!」
「それは無理。あたしはこれから奥様の用事で街に行かなきゃならないんだから。アンタの方が暇でしょ?」
「私だってやらなきゃいけないことが——」
「それより、ハンク。人手が減って調理場は回るのかい?」
リラに抗議するが躱わされてしまった。要領の良さは彼女の方が一枚上手だ。
「うーん。ちょっと厳しいな。屋敷の方で何とかならないか?」
「チェローナに相談してみるけど……まあ無理だろうね。ハンクの給金を減らしてその分で人を雇うかい?」
「勘弁してくれよ、リラ。妻に怒られちまう」
「冗談だって。後で街へ行くから手伝いの募集をかけておくよ」
頭を抱えたハンクはリラの一言でホッと息を撫で下ろした様子だ。
新婚の彼は年下の奥さんが怖いらしい。尻に敷かれている様をよくリラに揶揄われている。それでも毎日幸せそうなのだから結婚とは良いものなのだろうか。
「ハンク。結婚ってそんなに良いものなのですか? あ、ほら……怖い奥さんと一緒で……その、どうなのかなーっと思って」
ふと思った疑問をぶつけてみた。
平民にとっての結婚は家同士の繋がりを強くするものである。日々の暮らしを良くするために異なる家同士で力を合わせて共存共栄を目指す、そのための結婚だ。故に、相手は自由に選ぶことが出来ず親同士で決める場合が多い。それで幸せになれるのだろうか。
「唐突だな、ヒカリは。でもそうだなぁー、色々と不満がないわけじゃないが結婚する前に想像していたよりは悪くないと思うぞ。何だかんだ言っても、うちの妻は可愛くていい女だからな」
そこからは愚痴混じりの惚気話が始まった。本当に話が長い。でも、ハンクが如何に奥さんを愛しているのかは伝わった。普段文句を言いながらも彼はベタ惚れのようだ。
しかし、ハンクの惚気話は長い。まだ喋り続けているけど、そろそろ胸焼けがしてきた。話を逸らすつもりでリラにも振ってみる。
「チェローナたちはどうなのでしょうね。あまり夫婦には見えないのですが」
執事のリュートと侍女長のチェローナは夫婦だ。ただ、あの老夫婦が仲良く私語を交わしている様子を見た事がない。どちらも主人を第一に行動しているので二人の時間すらあまり取れてはいないのだろう。第三者からみると夫婦らしくは見えない。
「あの二人の人生はグラス家を中心に動いているからね。二人で協力しながら忠義の対象を支える。そういう夫婦の形もあるんじゃない?」
「そういうものなのでしょうか」
「俺には理解できない生き方だけどな」
結婚、そして夫婦。その形には色々とあるようだ。
気になっているもう一人についても尋ねてみた。
「ところで、リラは結婚しないんですか? 確か、婚約者がいましたよね?」
少し考える素振りを見せたリラは真面目な表情を浮かべて口を開く。
「相手に待ってもらってるのさ」
「でも、婚約してからもう五年ですよね? 大丈夫なのですか?」
「大丈夫じゃないね。先方からは何度も急かされているよ。あー、もう言っちゃおうか。ヒカリ、一年以内にあたしは屋敷を辞めるから準備しておきなさい」
あまりの衝撃に言葉が出なかった。呼吸することすら忘れていたかもしれない。息苦しさを感じて慌てて息を吸う。
「なんて顔をしてるんだい。結婚したら仕事を辞める。ヒカリだって想定していたことだろ?」
「それは……そうですが。でも、一年だなんて急には……」
「旦那様からの勧めなんだよ。これ以上、相手を待たせては申し訳ないから結婚しろと。屋敷の人手は何とかするからって」
「何とかって……何とかなるのでしょうか?」
六十歳を過ぎたチェローナたちはいつ引退してもおかしくはない。その上、リラは屋敷から去ってしまう。残るのは私だけ。どうしても不安は募る。
「そんなことより、あたしはアンタの方が心配だよ。誰か結婚相手になりそうな良い人はいるかい?」
「私は——」
私は孤児の親なしだ。後ろ盾になる家はなく、育った孤児院ももうすぐなくなってしまう。そんな女を嫁に欲しがる変わり者はいない。仮にいたとすれば、結婚後に待っているのは妻どころか人として扱われない悲惨な夫婦生活だけだ。
「リラ。結婚は諦めていますよ。私は孤児ですから」
「旦那様に相談してみたらどうなんだい? アンタは若くて働き者だし性格も良い。きっと、いい縁が見つかると思うよ」
「そうだよ、ヒカリ。俺も誰かいないか知り合いに当たってみるよ。で、ヒカリはどういう人が好みなんだ?」
私の零した弱音に二人は優しく寄り添ってくれる。それが嬉しくて心が温かくなる。ずっと皆とこの屋敷に居たいな。温かく柔らかな日々を失いたくないな。そう思ってしまう。
「男性の好みですか。優しくて一緒にいて安心できる人がいいですね」
「うーん。抽象的すぎるな。具体的に何かないの? ほら、この人がいいとか」
「そうですね。…………ソナタ様。あ、いえ。違うのです。侍女として弁えているつもりです。そういう意味ではなく、ソナタ様のような男性がいたらなぁ、と」
貴族と平民が結ばれることはない。そんなことは分かっている。身分差の恋に憧れて身を焦がすつもりもない。だからソナタ様に恋心を抱くなんて愚かなことはしないつもりだ。そんな想いを持ち続けても辛いだけ。
「二人とも! 私の事など、どうでも良いのです。そろそろ仕事に戻りましょう。人手は足りないのですから」
渋顔の二人の尻を叩いて話を強制的に終わらせた。洗い物を再開しながらふと思う。
結婚。
それを私は諦めかけていた。手の届かない幸せだと思っていた。私のような者でもそれを望んで良いのだろうか。




