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ドクトル

作者: 青山らんまる

オリンピックをテレビで見ていて、選手たちの活躍は素晴らしかったんですが、

開会式、会場、表彰式で言い知れぬ寂しさを感じてしまい、その反動がこの小説

の形になってしまったんだと思います。興味あったら読んでみてください。


サッカー、ウイルスに関しての知識はど素人のまま書いてしまいました。

おかしなとこあったら、ごめんなさい。

●プロローグ


「1、000億ドル・・・」


自宅リビングのソファーでラップトップの画面に表示された金額を見てつぶやいた。

自身が開設したクラウドファンディングに寄せられた資金の総額である。

クラウドファンディングで調達された資金としておそらくは世界記録であり、二度と更新されることは

ないであろうその金額に込められた意味合いをあらためて噛みしめていた。

そのきっかけはウィルスの感染拡大により彼の母国で開催されるオリンピックの延期が決まった

時期に遡る。


彼の職業はプロのサッカープレーヤー、ドイツのブンデスリーガで活躍していた。

チームのメンバーやサポーターからは『ドクトル』の愛称で親しまれている。

その由来は、実際に彼がスポーツドクターとしての資格を持っている事にもあるが

練習の過程でチームの弱点を修復し、強味を試合で生かすチームマネジメント力と

個々の試合で流れに応じミッドフィルダーとして試合の流れを修正(治療)する

ゲームマネジメント能力の高さからそう呼ばれている。

このマネジメント力の高さがこの後の彼の活躍に役立っていくことになる。


●調達する

母国開催のオリンピックの1年延期が決まった時、”ドクトル”はこう感じた。


「1年で開催できるようになるのだろうか?」


この時点での各国政府の動きや首脳の発言を耳にする中で、感染症は専門外であるものの

一医療従事者として開催に至るには悲観的にならざるを得なかった。

そして、職業柄(医師として)各国の様々な競技のアスリートとの交友もあったが、

一アスリートとして開催がされなくなる事での出場を目指すアスリート達の喪失感は

想像を絶するという思いがあった。

この思いから、”ドクトル”はクラウドファンディングを立ち上げたのである。

この時点での目的は「オリンピック参加全選手へのワクチン接種」であったが、

彼の中では最終目的はそこにとどまってはいなかった。


クラウドファンディングを立ち上げて間もなく、”ドクトル”はドイツ・ミュンヘン郊外の初老の

老人を訪ねていた。

ブェルナー・クライン、世界的な感染症の権威である。

ドイツ国内のメディアにはすでに一専門家として連日登場し、適切な意見で国民の支持も高い人物だった。

サッカー好きのブェルナーは”ドクトル”のチームの一サポーターでもあった。

そのチームの中心選手である”ドクトル”から訪問の連絡を受けたブェルナーはサッカー少年の様に

興奮していた。



”ドクトル”との話が終わった後もブェルナーの興奮は冷めやらなかった。

別の興奮が彼の中で沸き立っていた。

”ドクトル”はブェルナーからこのウィルスの性質を聞き出した。

DNAが不安定で感染を繰り返すことで変異しやすいこと。

ワクチン開発をもたつくと変異したウィルスには効果がなくなっている可能性もある事。

これを聞いて”ドクトル”はこの場で決断し、ブェルナーに言った。


「オリンピック開催までに、全世界の人々にワクチンを提供しパンデミックを終息させる。

力を貸してほしい。」


無謀としか言えない依頼である。しかしブェルナーは「この男とならできるかもしれない」と

感じ新たな興奮を覚えていたのである。

ブェルナーは最後に言った。


「引き受けるのに一つだけ条件がある」


わきにあったサッカーボールとサインペンを”ドクトル”に差し出し、


「これにサインしてくれ」



自身のSNSでの呼びかけや拡散もあり、クラウドファンディングに寄せられた

資金は、オリンピック参加全選手へのワクチン供給に必要な額はとうにクリアしていた。

”ドクトル”は新たな目的を追加提示していた。

”ドクトル”自身が開設した、VFA(Vaccine For Athlete)と銘打ったホームページ

のタイトルはサブタイトル(Vaccine For All over the world)が追加された。

『オリンピックを通常開催する。そのためにワクチンを開発し、造り、全世界に供給する』

この目的に初めはだれもが半信半疑であったが、ブェルナーが協力者となった事と、以降に

”ドクトル”がとった行動に世界が呼応しファンドの金額は増大していった。


ブェルナーは世間に「今のままでは元の生活に戻るには、2022年以降までかかる。

その間に何人の尊い命が失われるだろうか。2021年の夏までに短縮できたらどれだけの

命が救われ、そしてどれだけのメリットが皆さんに及ぶであろうか?そのメリットの半分、

いや1/4でもVFAへ先行投資し、貴重な命を救う手助けをして欲しい」と呼びかけた。


これによりアスリートにとどまらず、パンデミックにより深刻な被害を受けていた飲食業、

旅行業者など様々な業種、そして個人がVFAに呼応していった。


●募る

”ドクトル”がまず行った行動、それはワクチン研究施設の買収である。

そしてそこに各製薬会社にパイプを持つブェルナーを通じ研究者が集められた。

悪く言えば”引き抜き”であるが、様々な製薬会社から研究員が一堂に会し開発を

行うこのプロジェクトは製薬会社側にとっても大きなメリットとなり、各製薬会社も積極的に

優秀な研究員を提供するに至っていた。ブェルナーによる製薬会社との交渉が功を奏していた。


ワクチンの開発には十分な治験が必要になるが、この為のボランティアもVFAで募集された。

何万人という治験ボランティア希望者があっという間に世界中から声が上がる。

金銭的にVFAに参加できずとも治験ボランティアであればという者も多かった。

治験を実施するためにスタッフ(彼らもVFAの募集に呼応したメンバー)を各国へ派遣する為

航空機のチャーターも行った。パンデミックの影響で航空機は有り余っており、チャーターは

容易な事だった。航空会社もこれによりVFAの本気度と実現性に期待を持つに至り、ファンドに

大口投資をするようになっていった。


いまや”VFA”はプロジェクトそのものを意味すると同時にその為に活動するメンバーと組織の

呼称となっていた。ワクチン開発のための研究者のみならずその後のワクチン製造、全世界への

供給に携わるメンバーすべてが”VFA”の一員となっていった。

リン・ホンファもその中の一人だった。彼女はこのウィルスによる犠牲者が最初に確認された国の

出身だった。彼女はそのことに国際社会に対しなぜか負い目を感じていた。VFAの目的とその

プロジェクト内容を知った時、医学的知識は何もなかったが、参加を申し出ずにいられなかった。

1日でも早く世界中にワクチンを供給し一人でも多くこのウイルスによる犠牲者を救いたいというのが、

彼女の行動動機となっていたのである。その熱量は他のメンバーをも圧倒するもので各国の組織や

機関との交渉に彼女の存在はかけがえないものとなっていた。


組織は多くの場合、その目的は社会的欲求に従い金銭を得る事を目的とする。だが、そこに所属する

個人は必ずしも社会的欲求を目的に組織で働いているとは限らない(個人の金銭のためであったりする)。

VFAは組織として金銭を得ることが目的にはない、社会的欲求であるウィルスへの勝利のみが

目的であり、この組織に在する個人もすべてこの同じ目的で、金銭を得ることを目的としなかった。

世界中の個人及び組織から寄せられた資金を効果的に運用し、その”資金”に込められた願いを実現する

ことがVFA組織及び個人の唯一の目的だった。組織とそれに所属するすべての個の目的が一致する

場合、その組織は最強となる。

ここに、VFAという最強の組織が立ち上がったのである。


●開発する

開発で課題になったのは、ワクチンそのものよりその製造方法だった。

いわゆるmRNAワクチンは治験の短期間化も功奏し、各国の製薬会社に先駆け開発は完了した。

そのレシピは各製薬会社へ提供され、生産が開始されVFA-Ⅰ(ワン)として主に先進国へ供給が

開始された。

しかしmRNAワクチンはマイナス70℃という低温での保存が必要であり、VFAが目的とする

”全世界への供給”に対し、途上国への供給の支障となっていたのである。

開発開始時点からこれは想定されており、mRNAワクチンとは別に開発が進められていた。

できれば常温、せめて冷蔵保存で運用できるワクチンの開発である。

一般的にこれら不活化ワクチンには鶏卵による培養が行われるが、鶏卵の利用では生産量に限界が

あるため、鶏卵を利用しない生産方法の開発が推し進められていった。

mRNAワクチン開発に投入した研究者よりも多くの研究者をこの開発に投入した甲斐もあり、

VFA-Ⅰに遅れる事間もなくして、マイナス5℃程度の冷蔵保存で常温運用可能なVFA-Ⅱを

開発完了することができ、大量生産の目途を立てることができた。


●造る

VFA-Ⅰに対しVFA-Ⅱは製造に広大なスペースを必要とした。

”ドクトル”はVFA-Ⅰの製造は既存の製薬会社の工場に頼ることとし、VFA-Ⅱの治験に入る段階で

製造工場の模索に入った。新たに工場を建設していては間に合わない事は容易に計算できた。

既存の工場を改修しワクチン工場として生産を早期に開始する必要があったのである。

白羽の矢を当てたのは、電子部品を生産していた工場だった。いわゆる半導体工場である。

半導体工場は工場内全体がクリーンルームとなっており、純水を生成する設備等ワクチン製造に必要な

大がかりなインフラは既に整っていた。生産スペースも薬品工場とは比較にならないほど広大だった。

VFAはこれら半導体工場を何拠点かを買収し、改修し設備を入れ替え治験が完了する頃には

ワクチン生産をスタートした。

これら工場での24時間フル稼働での生産により、全世界に2回分の接種に必要な量の生産目途ができつつあった。

しかし”ドクトル”とブェルナーはこの知らせを受けても楽観はできなかった。

肝心なのはこれからであることが分かっていた。


●供給する

この時点になると各国政府や国際機関もVFAの活動に注視せざるを得なくなっていた。

ワクチンは確保できても接種が進まなければ意味がないものだったが、VFAは接種を行ういわゆる

”打ち手”を独自に募り育成し対象地域へ送り込もうとしていた。しかし国によってはその国が認可した

”打ち手”しか認められない法律があった。VFAの活動はこれらの法律さえも変えさせた。

VFAの”打ち手”を認可するに留まらず、VFAによる自国民の”打ち手”の養成を認めたのである。

ここに至るにはホンファの活躍が光った。

これにより”ドクトル”とブェルナーが懸念した”打ち手の不足”を解消することができた。

治験の際同様、VFAは世界中の航空会社にチャーターを依頼した。その数は治験の際の比では

なかったが、相変わらず航空機の余剰は継続しており航空会社の積極的な協力もあり手配はなんとか

行うことができた。

各生産拠点からVFA-Ⅱと”打ち手”をはじめとした接種スタッフを満載したチャーター機は

世界中に派遣されていった。


●開幕

”ドクトル”の母国でのオリンピックは予定通り1年の延期を経て開催されようとしていた。

その開会式がメインのスタジアムでとり行われていた。

趣向を凝らしたセレモニーの後、選手の入場が終わり、IOC会長と大会組織委員長に続き

”ドクトル”がフィールドに設けられた演壇に上がった。この時、思いがけない事が起こった。

フィールド上の選手全員が”ドクトル”に向かい一斉に片膝を付いたのである。

もともとは人種差別への抗議の意味を持つものだったが、ここでは相手への敬意や理解、同意といった

意味で行われた。開会式で”ドクトル”の登場を事前に知った選手たちによる、”ドクトル”への最大限の

感謝の意を込めたサプライズだったのである。

実は”ドクトル”自身、このオリンピックに選手として出場できるチャンスがあった。協会から代表入りを

打診されていたが、VFAでの活動を重視し断っていた。選手たちはこの事を知っていたのである。


”ドクトル”は演壇上のマイクの前に立ち、少し照れた表情を浮かべながら話始めた。


「世界中のトップアスリートからプロポーズされてるようだな・・・ただ、ぼくが見たかったのは

この景色じゃない」


”ドクトル”は選手全員に立ち上がり肩を組みあう様に促した。これに呼応して選手

のみならず会場のスタッフ達もスタンドを満員に埋めた観客さえも国籍・人種を問わず隣会う者同士が

肩を組み合った。

”ドクトル”は会場を見渡しながら、晴れやかな表情に変えながら続けた。


「そう、ぼくが見たかったのはこの景色なんだ・・・」


この時2つ目の思いがけない事が起きた。

3人で15分ほど用意された開会のあいさつがキャンセルとなった。

会場すべての大歓声により話ができる状態ではなくなっていたのである。

というより、言葉はそれ以上いらなかった。会場すべての者が今この状況にある奇跡に浸っていた。

見知らぬ人と肩を組み合い、大声で歓声をあげている。会場でマスクをしている者はだれもいない。

1年前には誰も考えられなかったこの状況を・・・

3人が降壇しても歓声は地鳴りの様にしばらく続いていた。


●エピローグ

オリンピックも無事に閉幕し、しばらくしたある日”ドクトル”は自宅で新聞を読みながら

くつろいでいた。

小さな記事が目にとまった。

今回のオリンピックで更新された記録数が過去のオリンピックの1大会での平均更新数の3倍以上

あったという記事だった。

”ドクトル”はつぶやいた。



             「We can make our wishes come true・・・」











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― 新着の感想 ―
[良い点] タイムリーな内容でした。 [気になる点] 用語が、沢山でした。 [一言] 話の合間の、登場人物達の会話のやり取りなどがあると、もっと楽しい小説になると思いました。
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