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残滓  作者: ムツキ
9/10

葬式

 天国なんてものはあってほしくない。沙織はきっと、僕にあわせる顔がないだろうし、僕だって沙織に会って何を言えばいいのか分からない。


 冷静に考えてみたら、天国なんてヘンだ。死んだ人みんなが同じ場所で会うのだとしたら、絶対に喧嘩になるし、最悪殺し合いが勃発する。人間は本質的にそういう生き物だし、もし人間からそういう愚かな部分が全部消え去って穏やかな気持ちで永遠の時を暮らすのだとしても、それはそれで退屈過ぎて、喧嘩でもしたくなってしまいそうだ。




 だからお通夜の時、香織の母親が僕に「きっといつか、あの子と天国で会えると思うんです」と言った時には、心底うんざりした。香織が聞いても、きっとうんざりするはずだ。


 香織の死をきっかけに離婚して、すぐに再婚して新しい子供を産んだこの人には、僕の気持ちは分からないだろうし、沙織の気持ちもわからない。まぁでも、済んだことだ。


 佐々木さんを見て、ちょっと顔をしかめたのだって、僕は気にしない。自分の繊細さとうまく付き合うコツをつかんだのだ。


 たとえ嫌なことに気づいても、それをすぐに忘れてしまうコツ。それは、ちゃんと考えることだ。何が終わって、何が始まるのかを見据えることだ。そして、今ここで、僕が何をすべきか、ちゃんと答えを出すことだ。


「香織。さようなら」


 あのころとは、ずいぶん違う顔つきになってしまった。死に顔は安らかだったけれど、本当に、香織の影のようなものしか感じない顔だ。本当にこれは、残滓だったのだと思う。そして最後の一滴は、ゆっくりと、どろっと、僕の心の中に落ちて、溶けていった。


 確かに、香織の気持ちが今ではよくわかる。香織は、僕にも苦しんでほしかった。


 そして、僕をちゃんと苦しめ終えた。


「ありがとう香織。さようなら」


 それでも、香織は僕を愛していたと思う。僕も、香織を愛していたと思う。時間はもう戻ってこないし、戻ってくるべきでもない。こうなるしかなかったし、こうなるべきだったのだ。


 これは、僕らの望んだ別れだった。僕らは、結ばれるべきではなかった。


「佐伯さん」


 泣きじゃくる僕を、佐々木さんは傍で支えてくれる。おかしな話だ。香織、これでよかったのかな? よかったんだよね。


 返事は帰ってくるはずもない。分かってる。何度呼びかけても、返事がないことくらいわかってる。残滓すら、もういないのだから。




 昔読んだ小説に、火葬の煙が云々と書かれていたけれど、実際はただ小さな部屋に死体がひとつ運ばれて、骨になって帰ってくるだけだ。煙が出てくる場所なんてないし、やっぱり人間の体は肉で、死んだらもうそれでしまいなんだと分かった。


 香織の骨には興味がなかった。僕にとっての香織は香織の身体じゃなくて、香織の心だった。そして心は、あの時もうすでにほとんど消えてしまっていたのだから、今更悲しむことだってない。


 ただ僕が泣いているのは、思い出に浸っているからだ。香織の人生が、あまりにも悲しいものだったからだ。香織が死んでしまったことが悲しいんじゃない。


 ここで僕の胸につまったすべての悲しみを吐き出してしまいたかっただけなのだ。





 うんざりするような現実は、やっぱり時々僕を苦しめる。父親が「復学するつもりはないのか?」と聞いてきたのだ。


「幼馴染が死んで精神的に参っていた、というのは大学を衝動的にやめてしまった理由としては十分だ」と力説された。大学関係者に話を聞きに行って、そういうことなら復学は十分可能だろうとのお墨付きもあるらしい。「学費の心配だってしなくていい」と言わなくてもわかることまで教えてくれた。


 僕は、くだらないと思った。少し元気になったら、すぐこうだ。力になりたいのも分かるし、感謝されたいのも分かる。親心というのが複雑なのも分かるし、彼らだって彼らなりに色々考えてるのも分かる。でも肝心なことは、なにひとつわかっちゃいない。


 僕は大学の勉強がつまらなかったし、そこに通っている連中のことも嫌いだった。勉強がどれだけできても、人の心について全然真剣じゃないし、鈍感だし、無責任だし、うるさい。あんな連中を優先したがばっかりに香織を余計苦しめてしまったのだという事実もある。


「大学に戻るつもりはないよ。言っちゃなんだけど、仕事がなくたって人は生きていけるし、お金の心配だって、何の問題もない。高い年収と難しい仕事を手に入れるために嫌いなやつに頭を下げるのは、しないよ」


 はっきりとそう告げると、父はすぐに引き下がった。


「気が変わったら、気を遣わずにすぐに言うんだぞ。お前は優秀なんだから、アルバイトなんかして貧乏暮らしするのは勿体ない。いつか子供が欲しくなる時が来るだろうし、そのときにはいくらあっても足りない」


「足りないのはお金じゃないでしょ」


 僕は笑った。


「それに、孫の教育費を出し惜しみするような人じゃないでしょ、父さん」


「まぁ、そうだが……」


 もういいんだ。現実の話は。考えようが考えまいが、雑に回っていくし、悩みさえしなければ何とかなる。大事なのは、思ったことを大切にすること。感じたことを、無視しないこと。


「でも、ありがとう。そんなに心配しなくていいよ。僕はこれでも結構幸せなんだ」


 好きな人もいて、仕事もある。香織はもういないけれど、香織がいなくたって僕は生きていける。それは確かに、本当のことだったのだ。嘘ではなかったのだ。


 時間が経てば分かることもある。信じようが疑おうが、勝手に明らかになることだってある。



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