先輩、その能力は駄目です
「先輩、昨日の書類貰えますか?」
俺が聞くと、先輩は何かを企んでいるような顔を隠そうともせずにこっちに向けた。あまり良い予感がしない。
「ナルミ君……私がそんな物質次元転移能力を持ってるわけないじゃない。いくら頼もしくて仕事ができる美人の私でも無理……」
頼もしくて仕事ができるかは置いておくとして、そう言って大げさに目を伏せたその横顔は美人……というか可愛いとは思う。
「変なこと言って誤魔化そうとしないでください。今日提出だって昨日言ったじゃないですか」
「わかってるわよ。はい」
机から取り出した書類は既に出来上がっていた。なんだよ、あるじゃないか。
「今のくだり、要りました?」
「だってこれは今日作った今日の書類だもーん。ナルミ君は昨日の書類って言ったしー」
子供か、と少しイラッとする。小さめの眼鏡が似合って知的に見えるのも増して腹が立つ。
「はいはい、それじゃこれ貰っていきますね」
書類に手を伸ばすと、ひょいっと先輩がそれを持ち上げる。ふふふと笑う顔が見上げてくる。
「いや、君にこれは渡せないなー、欲しければ私を倒してからだ!」
「馬鹿なんですか」
「暇なんですー」
「仕事してください、先輩」
「嫌ですー」
上司が聞いたら説教ものだ。
ミハル先輩はこんなやり取りからするとしょうもない人のように思われるかもしれないが、(実際しょうもない性格だが)それなりに後輩からは慕われている。俺も……まぁ嫌いじゃない。
「そんな君にプレゼントだ。ぬーっ!」
先輩が手を前にして気合を入れる。
「……何してるんですか?」
「昨日の書類を出してみせるよ! 今の私ならできる!」
はいはい、と醒めた目で見た俺を一切気にせず、手に力をこめる先輩。頑張れ、頑張ってどうにか仕事してくれ。
──と、いきなりその手の先にぽすっと何かが現れた。
「えっ」
「おっ」
俺と先輩の目が合う。先輩もまさか何か出るとは思ってなかったはずだ。目を丸くしている。
「なんですか、これ」
「わかんない。……紙?」
おそるおそる摘まんだ紙には見覚えがあった。間違いない。俺が昨日先輩に頼んだ書類だ。
先輩が持っている記入を終えたそれじゃない。俺が渡した未完成の物だ。
先輩がにやっと笑う。
「頼もしくて仕事もできて超絶美人なうえに物質次元転移能力も手に入れてしまったか……」
ドヤ顔のサンプルが欲しいと言われたら、俺はこの先輩の顔を写真に撮ってすぐ持っていくだろう。しかし……。
「先輩……これ結構やばいんじゃないですか」
「もう激ヤバだよ、ナルミ君」長い髪をかきあげる。
「いえ、真面目に」
過去の物を出すなんて、場合によっちゃ世界の法則を捻じ曲げて壊滅する映画もあるような現象だ。先輩が世界を左右する存在に……。
しかし俺の心配をよそに、目の前のその人は全く危険など頭に無いようだった。
「もしかして昨日食べたプリンも出せるかも……! ぬーっうーっ!」
「やめなさい」
プリンで世界が破滅したらたまらない。
「とりあえず、むやみにその力使わないでください」
はい、と先輩が少し不貞腐れて返事をする。
「あーぁ。せっかく面白いことになると思ったのにー」椅子にどかっと腰を下ろしてぐるぐる回りだす。
「とりあえず、さっきの書類くださいよ」
「はいはい。ほんとナルミ君は仕事熱心だねー。明日の仕事も出してあげよっか?」
何を言ってるんだかこの人は……と呆れた俺の前に、また〈ぽすっ〉と音がした。
ぽすっ……ぽすっぽすっ。
「先輩! 使っちゃ駄目って言ったじゃないですか! しかもこんなに!」
「私だって使おうなんて思ってないし! なんなのこれ、止まんないよー!」
机の上にどんどん溜まる紙紙紙……。結局最初の書類の数倍の量が出てきた。
恐る恐る中身を確認する。
「違う部署の仕事っぽいですが、それほど難しいものでもないです。しかしこの量……」
うんざりするような山だ。
「日付は……明日だね。それにこれ……」
上の指示書には俺と先輩の名前があった。顔を上げると吐きそうな顔の先輩と目が合った。俺も同じような顔をしていただろう。まさかと思ったが、やはりこれは明日の仕事だ。
この量ならば明日残業やっても終わるかわからない。
ため息を通り越して内臓まで出てきそうだ。一体明日の俺に何があったんだ。
肩を落とした俺の背中をとんとん、と誰かがつつく。誰かといっても1人しかいないわけだが。
先輩がうって変わって妙に元気になっていた。
「ナルミ君。考えようによっては私達はツイてるぞ!」
「どこがですか」
「だって、これ明日の仕事じゃん。ということはかなり時間あるわけです」
「そう……ですね」
「今日のうち終わらせてしまえば、明日これを指示にきた課長の評価爆上げってやつ! 出世! ボーナス! やるよ!」
前向きすぎる。前向き過ぎるけど、それは頼れる先輩だった。
何か問題があった時に、場を明るくするのはいつもミハル先輩だ。
「わかりました。やりましょう!」
問題を起こした原因もミハル先輩が多いのは、とりあえずそれも今は置いておこう。
結局日付が変わる時間まで2人で残業をして、ようやく書類の山を片付けることができた。
次の日会社に行くと、先輩は珍しくもう来ていた。
「課長にドヤ顔できるから、ちょっと早く来てみた!」嬉しそうだ。
毎日できればこのくらいで来てほしいものだ。
そして、暫くすると俺たちに向かって難しい顔をした課長が近づいてきた。
「君たち! ちょっといいかね!」
先輩が自分の前に拡げた書類を得意げに指さす。
「課長! これが今日の書類です! できてます!」
課長がそれに目をやってから、俺たちに向き直る。
「今日の書類じゃない、昨日の書類はどうなったんだ!」
昨日の書類……。あ……、と先輩と目線が合う。
「先輩がすぐ渡さないから……」
「ナルミ君も忘れてたじゃん……」
課長がわなわな震えている。
「どうでもいいが、あれが無いと進めないのあるんだぞ!他の部署に謝ってこい! 場合によっちゃ遅れた仕事手伝って終わるまで戻ってくるな!」
「「はい!!」」
2人で急いでオフィスを駆けだす。
あーぁ、と早足で歩きながらため息が出た。
横からもあーぁと大きくため息が聞こえる。
「これもう出世どころかボーナスカットじゃない……」
「なんとか先に色々やっておいたのが救いですね……」
やはり未来や過去の物を手に入れるなんて良いことなんてなかったんだ、と思い返す。結局俺らは現在をこなすだけで精一杯だ。怒られただけで済んだならよかったのかもしれない。
俺が反省している間に、先輩はすぐに気持ちが切り替わったようだ。
「たぶん今日の仕事は早く終わるし、昨日残業した分、どっかご飯でも行こうよ」
俺の落ち込んだ気分なんて構わず、ウキウキしながら俺に言う。
「いいですよ。ちゃんと終わればですけど」
「よし! ナルミ君の奢りだ!」
「何言ってるんですか! 先輩でしょ!」
「えー。まぁそれじゃ今夜のメニューでも出してみようか。ぬーっ……!」
「やめてください!」慌てて先輩を掴んで止めようとしたら、勢いあまって抱きつくような形になる。
ふわっと良い香りがした。下から先輩がニヤリと笑う。
「それじゃ、今日は君に決めてもらおうかな」
スキップしながら俺の先に行く。
まぁ……メニューの話だろう。しかし、何も良いことないわけでもないな。と少し思った。