1話 邂逅
-なぜ、もっと早く、あいつを、あいつらを殺せなかったのだろう。-
新潟県 某所 山奥 2025年5月8日
AM7:00
尾田景光、農業大学卒業後、実家の家業を継ぎ2年が経つ。大学在学中はアメフト部のクォーターバックとして全国大会に出場するが、卒業間際に交通事故により、思うように走ることができなくなったため、日本代表チーム育成施設からのオファーを辞退する。
「母さん、おはよう。」
「おはよう、かげ。」
台所では、母親が朝食を作っていた。味噌汁の香りで、多少は目が覚める。
「父さんは、もう畑?」
「ああ、トラクターで山に出たわね。いつものことだけど、朝ぐらいみんなで食べればいいのに。さあ、しっかり食べてね。」
「いつまでも子供扱いしないでくれよ。怪我のことも心配しすぎるな。」
両親は景光の怪我をいつも気遣ってくれるが、景光はそれを近頃鬱陶しく感じていた。
普段の仕事にも慣れ、少しは孝行できていると思っていた。
「じゃあ、俺も行ってくる。昼には父さん連れて戻るから。」
「あいよ。」
AM9:00
父は、とても頑固で無口な性格だが、家族思いの人だ。景光が怪我をして入院した時も、
実家ならゆっくり静養できると言葉をかけてくれた。
「父さん、トラクターで畑慣らしたよ。」
「おう。今肥し準備する。」
5月の晴れた空の下。いつもの何者にも縛られない感覚。それが景光は好ましかった。
ふと、畑の傍にある、杉林を見る。
「ん?・・・なんだ?」
林の中で何か倒れている。生き物なのか、ただの木なのか、暗がりであまりよく見えない。
(まだ準備してるし、少し見に行くか。)
幼い頃から自然で育ち、山や林の散策が好きだった。熊や野生動物と出会ったときの対策も、よく父親から学んだものだが、これまで一度も出会ったことはない。
杉林に足を踏み入れる。その瞬間。感じた。
今、何かがこっちを見ている。その視線は、明らかに、殺意と獲物を狙うものだった。
(嘘だろ・・・体が、動かない)
それは、あの事故当時、トラックと衝突する瞬間と酷似していた。必死に逃げようと思っても、微塵も手足を動かすことができず、汗が噴き出る。
目は動く。その視線はどこから感じるのか、倒れているものは何なのか、死に物狂いで、見る。
見る。
暗がりに目を凝らす。倒れているそれは、全長が自分の背丈ほどの鹿。だが、腹部が無い。何かに食われたようなそれは、泡を吹いて痙攣を起こしていた。
一体ここまでのことをするのは何か。熊か?野犬か?とにかくそれを捕食していたであろう生き物にこっちを見られている。
(落ち着け。こうゆう時は、ゆっくり後ろに下がるしかない。背中を見せたらアウトだ。)
身に駆け巡る痺れた感覚。早くなる鼓動を無理やり抑え、呼吸を整えながらも、足を下げる。
ガサァ。
倒れている鹿の右奥にある茂みから、現れた。現れてしまった。
景光はそれと、視線を合わせてしまう。体の芯から感じる。
恐怖と未知と絶望を。
「ゴ、ブリ・・・」
言いかけたそれは、RPGの世界にしか存在しないもののはず。
だかその見た目はまさしくゴブリンだった。
緑色に、背丈は小学生程の身長120~140cm。裸で細い手足に、盛り出た腹、そして、
鬼のような顔と、突き出た汚らしい、鋭い歯。
しかし、ゲームでは感じることのないその視線は、笑いながらも、自分を殺す。そう訴えている。
(なんだこれ。なんなんだ。どうして・・・)
突然の出来事で気が狂い始める。
あり得ない状況にこれからすべき対策は頭から消え去り、真っ白だった。
「ア、アア、ギギギ・・・」
そう呻きながら、一歩、一歩近づいてくる。はっと我に返りながらも、敵であろうそれとの距離を測る。おそらく10m。
(逃げなきゃ。殺される!)
視線の正体が分かったことで体が動く。だが、それが仇となった。
勢いで後ろを見て走り出してしまった。その瞬間ガッと背中が重くなり、ふらつき、うつ伏せで倒れる。
終わった。そう過った時、
「離れろ!」
父がスコップで思い切り背中を横なぎに殴る。
ゴブリンはそれを躱し、跳躍し、2人から距離を取り畑に出た。
「お、おいかげ、ありゃなんだ?人じゃねぇな。」
「ああ・・・俺が正しければ、ゴブリン、だ。」
「そんなもん、この世にいるわけないだろ!」
「でも、あの見た目はそのまんまだ!とにかく、あいつから逃げないと・・・」
そう話すうち、つい目を父に合わせた。その瞬間をゴブリンは見逃さない。
瞬時に加速し、父に正面から飛び乗る。重さで父は、倒れ、そして、食われた。
ゴブリンは喉元に噛み付き、強靭な顎で首の肉を引き千切った。
「ヴアアアアアア!!!!」
断末魔が響き渡る。恐ろしい光景を目の当たりにしながら、即座に落としたスコップでゴブリンを、
叩く。
「く、そ、がぁ!」
ゴブリンの脳天に真横から刺さるように振るう。父に再度噛み付いたため、反応が遅れた。
「ギャヤアアア!・・・」
鍛えていた腕力は学生時代に劣らず、一般男性を遥かに上回る力で吹き飛ばされ、ゴブリンはその場でうずくまった。
「と、父さん・・・大丈夫だ。俺が分かるか?」
「ああ・・・あいつ、を、こ、ころ、せ。村に、他の人、が・・・」
父を座り抱き、服を千切って止血する。だが、溢れる血が止まらない。それと同時に景光に、強い怒りが芽生えた。
「それより、血が・・・」
「か、げ・・・かっ・・・げ。」
父は、ゆっくり涙ながらに目を閉じ、体温が急激に下がった。
震えも、鼓動も感じることができなくなった。
落胆と絶望と悲しみが溢れる。そして、そこに転がっているあいつを殺したくて、殺したくて堪らない。
肩を落としながら、立ち上がる。スコップを持ち、のた打ち回るゴブリンの背中を足で押し潰す。
「ギッガガガ!」
全身の力を、押さえつける足と、両腕に。スコップを両手で握りしめて。振り下ろす。
「死ね。」
叫び声も無くゴブリンの首は体と別たれた。首から流れるその血は、どろどろと、ドス黒く流れた。
意識がふわふわする。その中で、横たわる父を見た。自我を取り戻した景光は、父を背負い、軽トラックに乗せ、震える手でハンドルを握る。
「ハア、ハア、急いで病院に行かないと・・・!」
AM10:00
軽トラックを飛ばし、山を下りると、景光は目に映るものに絶句し、涙を流した。
家も、森も村全域が焼け、聞こえる叫びと、蠢くそれらが、笑うのを見た。