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マフラー1  nock nock nock

 機械的な技術が進んだ現代。

 高度経済成長期の時代よりも、人々の生活は様々な面で楽になっていっていた。特に二足歩行型ロボットの開発は著しく、最新のものは喜怒哀楽を超える感情まで有していた。そのロボットは皮膚、肉、爪、髪や全身を駆け巡る血、そして五感までもが人間と似通ったもので出来ており、笑い、涙する様子や話し言葉は1人の人そのものだった。もちろんオーダーメードで感情部を取り外し、只の道具としての利用もできる。

 だが貧富の差が激しい方ではない日本でも、そのロボットを所有して家で使用できるのは一部の資産家だけであった。











 赤に白のラインの入ったリボンを無造作に巻き付けられた漆黒のシルクハット。それを目深に被っているのは長身の男で、瞳は明るいブロンドで隠れている。肩より少し短いくらいで今は濡れているが、硬く真っ直ぐなその髪は緩やかな風に自然になびいた。

 指先を見れば、嵌められているのは水浸しの真っ白な手袋。濡れている感触が気持ち悪いのか、一度絞ってまた嵌め直す。

 赤みがかった洋式の正装服に身を包んだ男が立っているのは、鋭く海を照らす灯台の上。塩のきつい匂いがする。

 既に水溜りとなっている足元を気にせず、月夜を仰ぎながら、だがその美しさを楽しむ為じゃなくじっと耳を澄ます。動物が活動する音も灯台の上までは聞こえない為、そこは静寂に包まれていた。

 だがその男に聴こえているのは、この国に住む者全員からの救難信号だった。まるで悲鳴のような叫び声、何かに囚われたような悲痛な泣き声、助けてもらう宛てもなく続く沈黙。心の病んだこの国で、その救難信号は絶える事を知らない。

「…多いな。どこから行けば良いんだ」

 酷く掠れた声。それを溢すと同時に、男は小さな救難信号を聴き取った。それは男の耳にも聴こえるかどうかの微かな音量で、だが強く興味のそそられる声。


――…助ケテ……誰デモ良イカラ…傍ニ、居テ…――


 男はその声を確認すると、口角を吊り上げて表情を笑みの形に顔を歪ませた。

「こいつだ」






「…はぁ……」

 平日の午後、月が高く昇る時間。

 新雪が路面に積もるこの季節、月の光に当てられた雪は自身を主張するかのようにただ妖しげな光を照り返していた。

 窓の外にそんな美麗な景色が広がっているとも知らず、佐々木 仁(ささき じん)は高校から帰ると部屋着に着替えてベッドに倒れ込み、明かりの灯る電灯へとため息を吐いた。

 仁は今年高校3年にもなって希望する大学や将来の夢も決まっておらず、1つの目標に向かって過ごす筈の高校生活も影で囁かれる陰湿な言葉のせいで少しも楽しむ事は出来ていない。

 別に今更、あんな冷たい学校で親しい友達を作ろうとは思ってはいない。でも、寂しいのは事実。それでもどうする事も出来なくて、独りでいる時間に慣れていく。

 短く切り揃えられた飴色の髪をベッドに散らしたまま仁はもう一度ため息を漏らすと、光のない瞳で無表情に呟いた。

「最低、だな…俺は……」

「なんだ、お前本当にそう思っているのか」

 突然、静かだった部屋に仁以外の男の声が響いた。驚きに上半身を起こして目を見開くが、部屋には誰もいない。だがその声は妙に頭に残る響く声で、空耳ではない事を確信させた。

「誰だ!? どっかに隠れてやがんのか!?」

 この部屋は、小さなアパートの一室。仁が近所迷惑を考えずに叫ぶと、小さなノックの音が飛び込んだ。それはまるで、音のない鈴を転がしたように軽く軽快なもの。

「ここにいる。悪いが、開けてくれないか」

 だが振り返って見てみると、ノックの音がしたのはドアではなくカーテンが引かれて外が見えない窓だった。

 この部屋は3階。いくら男でも、ここまで登るのは相当骨が折れる筈。

 不審感で背中に嫌な汗が流れるが、カーテンの奥からは催促するように窓を叩く音が聞こえ、やがて意を決してカーテンを引いてみた。

 普段開けないそこから見る景色はとても美しく、一瞬の間仁はうっとりと見惚れてしまった。

 下校中には既に雪が降っているのは知っていたが、葉が落ちた裸の木にかかる雪や隣りの家の屋根に積もっていく新雪は真っ白で、痛んだ仁の心をも惹き付ける。

 だが感傷に浸っていたのは本当に一瞬だけで、すぐに、肝心の男の姿が見えない事に気付いた。

「……?」

 もう催促の音はしなかったが、仁は自然と鍵をはずして窓を開け、外を見回していた。今はあまり気にしてはいなかったが、窓を開けた事で更に視界が良くなり、景色はより鮮明に、美しく瞳の端に映っていた。

「誰か…いるのか……!?」

「あぁ、いるぞ。ちょっと待っていろ」

 男の声はそう告げると、静かに鳴り止む。

 それと同時に、突然窓枠にガッシリと手が掛けられた。

「ぅうわっ!?」

 ギリギリと窓枠を掴んでいる手には、よく見ると真白い手袋がはめられていた。やがてもう片方の手も掛けられたが、当然そちらにも同じ手袋。

 男はそのままのそりと全体像を現し、土足のまま部屋に上がり込んだ。

 そして、表情も変えずに服に付いた埃を払っている。

「誰…だよ、あんた……」

 顎が震え、奥歯がカタカタと鳴る。寒さからではない。

 突然現れたこの男に、どう対処しればいいのか分からない。

 男は訝しがる仁にようやく気付くと、胸に手を当てて一礼した。

「ああ、これは失礼。名乗るのを忘れていた。…名前はないが、トランキライザーと呼ばれている。お前の微かな救難信号を聴いて、駆け付けて来た」

 口角を吊り上げてそう告げた男は赤みがかった洋式の正装服に身を包み、瞳と明るいブロンドを隠すようにシルクハットを目深に被るという妙な出で立ちをしている。派手さに、格好自体が装飾具のようだ。

 口元以外で、表情を窺う事は出来ない。

 自らをトランキライザーと名乗る男は先程手を付いていた窓枠に座り優雅に足を組んでいたが、それとは逆に仁はベッドに放っていた鞄から携帯電話を取り出して即座に『110』の数字を押し、その表示画面を突き付けた。表情にあまり余裕がない。

「出てってくれよ、警察呼ぶぜ?」

「…穏やかじゃないな。もう少し穏便に済ますつもりはないのか?」

「ないね。あんたみたいな不審者、自室に入れておけるか」

「先程名乗っただろう、トランキライザーだと。お前を救いに来たんだよ」

「俺は別に、助けを求めた覚えはない」

「…お前の心が叫んでいるぞ、今も。フィルターにかかったようなくぐもった声で、ずっと」

「……っ!?」

 男の言葉に、仁はグッと息を呑んだ。

 普段の仁が考えている事を見透かしているのか、囁く言葉1つ1つがチクリと胸に刺さり、そして絡み付くように溶け込んでいく。一時の事ではあるが、包み込むような柔らかな声色に癒されていくのが分かった。

 助けに来たと言うのか?

 それでも人にあまり慣れていない仁にとっては、敵対するべきか安心するべきかは分からない。

 だが、どちらにしても追い出す気はなくなっていた。

「…トランキライザー、とか言ったよな……。あんた、何者だよ?」

 携帯電話を閉じずにベッドへ放り投げて尋ねると、男は卑屈な笑みを浮かべて上品に口を開いた。

「カウンセラーだよ。生涯無償で世界中を廻る…所有者不定の、怪力系ロボットだ」

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