からくりの煩悶
からくりの煩悶
敬愛する主は、私が礼を言い終える前に意識を絶ってしまったようだ。
なんという寝付きの良さ。尊敬に値する。
そして私は主の温情により賜った本に目を向けた。
そして気付く。
字が読めない。
私の体内には時計が内蔵されているが、約800年の時を刻んでから動きを止めている。
私の体が『創世暦501年に製作されたものである』という知識はあるのだが、それも記憶されてはいるものの信憑性に欠けるのだ。
主が目を覚ました時に聞いてみようか?
今は創世歴幾つでしょうか…と。
文字の集合に法則を見いだす為に、少ない図説を言語と結びつける。
そろそろ主も起きる頃か。
とは言ったものの、人は寸分の狂いも無く睡眠時間を調整出来るものではない。
そう思って寝床の方を見やる。
五分経っても目覚めなかったら声を掛けさせていただこうと決意した。
しかし、主は宣言通り目を覚ます。
体内時計が絡繰並だ。
「そういえばドラギ。十時から暫く此処を空けると思うが、部屋からは出るなよ。
それと、誰かが来たら布団の中にでも潜ってろ」
「畏まりました」
ヘーゼルの美しい目が、此方を向いた。
私は受け応えつつ、若干のもどかしさを感じた。
元より、製作者からも外出を禁止されてきた。
私の体に込められた技術や機密性は、人に知れては不味い。
況してや、人に接したとて…攫われたり改造されたり、売りに出されたりすれば?
それは製作者、そして主にしても迷惑に違いない。
私も人目につかない工夫の仕方を心得てはいるのだが…
主からすれば、この待機の命令は単に私を気遣っての事だろうが。
現にラギアとかいう男にボコボコにされてしまったからな。主の気遣いに感謝しなければ。
「飯行ってくる」
そして、床に散らばった目的を踏みつけながら、主は部屋から出て行く。
木材の軋む音がしなかった。不思議だ。
そういえば、と。
私は床に散らばった扉の残骸を見やる。
あのままだと邪魔でしょうしね、片付けておこうか。
私は洗練された動きで起立し、【念動力】を優雅な動作で操って木片や大鋸屑を掻き集める。
私は幾つかの能力を持っているが、どれも微弱な力だ。数粁程度の力しか生み出す事は出来ない。
しかし、今回の用途ではそれで十分だ。
おや、部屋の向こうに大きめの木片が。
【念動力】の権能を実行するには少し遠いな。
周囲にヒトの気配が無いことを確認して…と
部屋から出た瞬間、私の体は宙に浮く。
そして背中を強かに打って着地し、床を滑りながら回転して壁に衝突した。
何が起こった?
足に大きな衝撃を受けて吹き飛ばされたようだが…
「ぐぅ」
「痛…何だコイツ?」
銀髪の青年が如何にも不機嫌な顔をして、金色の眼で此方を覗きこんでいた。
ヒト、だと?
おかしい。先ほどまで全く何も感じられなかった。
「…バラしていいかな?」
青年は胡乱に私の腕を掴んで持ち上げた。
よくない!よくない!
何だこの男は。
不味いな。何をされるのか分からないが、体が動かない。
仕方がないが、ここは私の十八番で凌がせてもらう!
そして私は、その場から主の部屋に転がり込み、部屋の布団の中で丸くなった。
「…」
レガットは、先までの手の感触が無くなったことに気がつく。
即座に周囲を見渡してみるが、まあ見当たらず。
蹴飛ばした後、あの人形は自力で動いていたような…いや、寝起きだし見間違いかもなあ。
幻術に対する耐性は有るし、大体そんなもの俺が気付かん訳もない。
そうならやはり、寝惚ていたか。
彼は深く考えるという行為が嫌いだった。
レガットは部屋に戻り、瞑想の姿勢を組んで目を瞑る。
一度大きく息を吸って言葉を吐き出した。
「寝惚ける筈がねえ…」
レガットのように十年単位で修練を重ねた戦士の感覚は、懈怠な生活をしようともそう変わらない。
多少の眠気はあれど、彼は自身の部屋の外では常に神経は尖らせている。
そもそも彼は夜目が効くのだ。
暗闇であろうと足元に落ちている人形に躓く事など。
ただの人形を“見”失ってしまった事など。
それは、無いようで存在するレガットの探究心を刺激した。
「少し行方ちょろまかしただけか」
そらそうだ。先程まで存在していたものが、なんの前兆もなく消滅するだなんて、俺にとってはわ物語の中だけの話だ。
レガットは可笑しそうに笑う。
閉じた目を開き、ソレの逃げ込んだ部屋へと向かった。
舐められたモンだ。
「ここは扉が無い部屋だったか?」
近くの壁や床材に擦れた痕が残っている。
部屋の中には扉の残害と思しき木材が積まれていた。昨日のゴタゴタの影響か。
記憶は曖昧だが、扉の一つ二つは壊していても不思議でない。
部屋を軽く見渡すと床にガラス棒やら金属質の容器、薬草などが転がっている。
この部屋の主は薬師か何かか。
寝床に乱雑に丸められた掛け布団を引っ掴む。
無駄に重いな。
レガットは確信して床に布団を何回か叩きつけた。
布団から転げ落ちた人形が、此方を見て悲鳴を上げた。
こういうモンには詳しくないが、多分魔道具だな。しかし初めて見るタイプだな。
「貴様‼︎不法侵入だぞ‼︎」
人形が焦燥しながら騒ぎ立てる。
「最近の魔道具って会話も出来るんだ。面白れぇな。お前の持ち主って誰?」
「そう軽く口を開くか」
つっても、主導権は此方の手にある。
それに、コレから直接訊けなくとも、部屋の主は戻るだろう。朝だし下で食事でもしてるか?
一旦直接出向いてやるのも…
と、そこでやっと背後の気配に気が付く。
また俺の【気配察知】を掻い潜りやがって。知り合いでもんな事する奴は2人しか居ねえってのに。
この人形も使役主もどうなってんだか。
「主よ…!申し訳ございません」
俺は、振り返り、ソイツの姿を目に収める。
…
その異質なスモーキーイエローの髪は嫌でも記憶に残る。
あのクソガキのツレか。
「…如何様で?」