少女、暇だったので歌う
アルフレッドは執務室から朱に染まりつつある空を眺めて一つ息を落とした。また1日が終わろうとしている。
思わぬ事態が起こってしまったが、煮詰まっている日程が崩れるほどではなかった。だが、皺寄せはくる。
ちらりと机の上に山積みにされた書類に目をやる。
夜が明けたら鉱山都市への視察に行かなければいけない。今日の内にやっておかなければいけない仕事はまだまだ溜まっているが、寝る暇もないという程でもない。
問題を先送りにせずに視察に行けるだけ良しとするしかない。
そう思ってアルフレッドは後ろを振り返った。
振り返った先にウィリアムとアリオトが立っている。
「すまないな、明日の予定を思い出していたよ」
アルフレッドはアリオトにソファーを促しながら座った。
「いえ、お忙しい事は重々承知しております。ご自愛くださいませ」
アルフレッドはアリオトが腰掛けるのを確認してから口を開いた。
「して、どうだった?」
アリオトは少し困った様な表情を浮かべてから、少し間を置いて、口を開いた。
「結論から言いますと、疑わしいと思える部分はありませんでしたね」
正直な感想であった。
細かな所を見れば疑問に思うところばかりなのだが、それに対して本人が一番疑問に思っているのだから仕方がない。
大量の愚痴や悪戯も思考に乗せて送られてきてはいたが、魔法によって寄せられてきた感情は非常に好意的であり、意図して隠そうとしている所など何一つとして見受けられなかった。
「ふむ・・・では、なにか気付いた点はないか」
「と、いいますと?」
「彼女の正体を類推するに足る何か・・・」
「さっぱりです」
「さっぱりか」
「はい、邪推するならいくらでも、ですが類推となると全く」
「そうか、ありがとう」
そう言うとアルフレッドは立ち上がった。
「いえ、お力になれず申し訳ありません」
アリオトも立ち上がり、アルフレッドに軽く頭を下げた。
「とんでもない、記憶がないという事が事実と分かっただけでも収穫です」
「そう言っていただけたなら幸いでございます」
「手間を取らせたな、何か入り用な物はないか?」
「いえ、私もアルフレッド様にはお世話になっている身でございます。この老骨でよければいつでもお使い下さい」
「わかった、ありがとう」
「いえいえ」
そう言うとアリオトは戸口まで歩き、ドアノブに手をかけて、ふと立ち止まった。
「ちなみに・・・彼女の処遇はいかがなさるのでしょう?」
「しばらくはここで面倒を見るつもりだが・・・どうかしたか?」
「いえ、良きご配慮と存じます」
アリオトはアルフレッドに一礼すると執務室を出て行った。
ウィリアムはアリオトが出て行った扉を見つめて、一つ深い息を落とした。
「どうした?緊張でもしたのか?」
ウィリアムの様子にアルフレッドは笑みを浮かべた。
「はい、なんというか胡散臭い人ですね。
なにを企んでいるのか・・・」
「人相は悪いが、悪い御仁ではないよウィル」
アルフレッドはふふっと笑うとそう言った。ウィリアムはそのアルフレッドの様子にやや憮然としている。
「まぁ、それはともかくだ。罪の無いの少女をいつまでも閉じ込めて置けないだろう」
「はい」
「とりあえず、彼女の身は侍女長に預けよう。身の回りの世話と、礼儀作法を教えられる様なら教えるように言っておいてくれ」
「はい、では客人という扱いになるのでしょうか?」
「そうだな・・・、しばらくはそれでいいだろう。それでだ、ウィル」
「はい」
「君をしばらくの間、従者の任から解くことにする」
「それは監視しろ。という意味でしょうか」
「うんまぁ、そういう意味もなくはないが・・・.単純に側に付いていれば色々と融通を利かせるのにも便利だろう。色々と振り回される事になるかも知れないが、出来る分でかまわないから」
「わかりました」
「私は明日から鉱山都市の視察に行かねばならないからね。よろしく頼むよ」
「はい」
ウィリアムは戸の脇に立ち一礼すると、
「では失礼します」
と執務室を出て行った。
「さて・・・」
アルフレッドは机の上の書類を一瞥する。
(このくらいならまだなんとか出来るが・・・、帰ってきたらさらにうず高く積まれている。とかなってなければいいなぁ・・・)
一週間の予定だが、何事も予定通り進む訳はない。せめて予定通りに帰れるように願いながら、アルフレッドは仕事に戻った。
ウィリアムはセラスを迎える為、再び地下牢へと足を進めていた。だが、その足取りは重い。
ウィリアムの中でセラスとどう接したらいいのかまだ決めかねていた。
自分よりは年下であろう少女。この辺りでは珍しい黒髪黒目のほっそりとした美少女で、裸も見ている。本人に全く気にした所もないのがまた、判断を迷わせた。
幼い頃より武芸の習熟に熱中するあまり、女性と接する事の少なかったウィリアムは、女性に対して微妙な苦手意識を持っていた。
ウィリアムはいつの間にやら辿り着いていた地下への扉を前に、まだ侍女長へ話を通していない事を思い出した。
セラスは裸にマント一枚羽織っているだけの状態だ。侍女長と共に迎えに行き、そのまま引き渡してしまえば無駄に連れ回さずに済む。
なにより裸に気を付けなくてもいい。
そう思い、踵を返したその時、地下よりバタバタとした物音を聞いた。
ウィリアムは魔法剣の柄に手をかけ、素早く地下への扉から間合いを取った。瞬時に物音が足音である事、そしてかなり焦っていると読み取り、警戒を深めた。
扉か開く。
先ほども地下で会った衛兵が飛び出してきた。衛兵はすぐにウィリアムに目を留めた。
「ウ、ウィリアム様!」
ウィリアムは思わず苦笑いをこぼした。
「様は止めてくれ・・・、それでなにがあった?」
ウィリアムは衛兵に焦りは見て取ったが、恐怖のような逼迫した感じを受けなかった。驚かされたかされたのだろう、と警戒を緩めた。
「あ、いや、すみません。でも、ですが・・・」
ウィリアムは衛兵の背中を軽く叩いた。
「まぁ、落ち着け」
辺境伯であるアルフレッドの従者とただの衛兵では立場上の差というものは生じる。
だが、立ち位置が違うというだけで、お互いに命令権は持っていないのだから、様とまで言われるのには抵抗があった。
衛兵からすれば辺境伯の従者というだけで十分なのだが、その上にウィリアムは魔法剣士である。立場以上に強さに対する敬意も含まれているのだから「さん」と呼ぶにも抵抗がある。
衛兵はどう言うべきかと悩んだが、すぐにどうしようもない事に気付き、口を開いた。
「そ、そこから覗いていただければ・・・その、わかるでしょうか?」
衛兵は地下への扉のその先を指し示した。
ウィリアムは不思議な言い回しに眉根を寄せたが、見てみなければ何も言えない。危険はなさそうであると確認すると扉の先を覗き込み、目を見開いた。
地下へと伸びている石造りの階段はほんのりと紫に発光していた。
地下は先ほどまではなかった筈の魔力に満ち溢れ、精霊が活性化されているようだった。
ウィリアムは驚きから我に返って、ようやく奥から音が響いている事に気が付いた。
「これは・・・歌?」
「はい、辺境伯様が出て行かれましてから、なにを思ったのか急に歌いはじめまして・・・。最初は陽気ないい歌だなぁ、位しか思ってなかったのですが、なにかこう・・・、ポカポカと温かくなったなぁと思ったら光りだしまして・・・」
とりあえず報告にと上がってきたのだという。ウィリアムは衛兵に頷いた。
「わかった。俺が見てこよう」
「報告はどうしましょうか」
衛兵は牢の鍵をウィリアムに渡しながら聞いた。
「いや、いい。ここで待機していてくれ」
ウィリアムはそう言うと鍵束を受け取り、一歩一歩確かめるように地下への階段を降りた。降りる程に精霊の光が強くなっている気がしていた。
下まで降り、よりはっきりと歌が聞こえる。
小さな声で静かに歌っているがその声はくっきりと頭に響いた。心地よい声音だった。
(歌に魔力を乗せているのか・・・)
おいらは陽気な山の石工
今日も今日もと石を切る
楔を打てよ 火を焚けよ
山を切り出しそら打てよ
(石切りの歌?はじめて聞く歌だが・・・)
ウィリアムの歩く石床がざわざわと動いているかに感じていた。一歩一歩、気を付けるように静かにゆっくりと歩く。
何を気にしたら良いのか、本人にも分かっていない。
ただ、なにか踏んではいけなない物がそこかしこにあるような、そんな気がしていた。
ようやくセラスのいる牢の前に辿り着いた。ウィリアムは恐る恐る牢を覗き込んだ。牢の中には楽しそうに肩を揺らし歌うセラスの姿があった。
両手を左右に広げ、手の平を上に向けている。
その右手の上には緑の光が、左手の上には紫の光が楽しげに揺らいでいる。特に強く光る二つの他にもセラスを囲うように無数の紫の光が漂っていた。
ウィリアムは頼りなげに掛かっているマントから見えそうで見えないセラスの裸身を気にしながらも、不思議な光景に見入っていた。
物音一つでも立ててしまったなら一瞬で崩壊してしまいそうな幻想の世界だった。
この世界を壊してはいけない、そしていつまでもこの不思議な世界を見ていたい。
そして、その光の中に入りたい。
だが、自分は傍観者であり、他所者だ。この中には決して混ざる事が出来ない。そう思うととても悲しい気持ちになった。
ふと、我に返った。
既に歌はなく石の壁や床は、元の無機質な塊に戻っている。セラスの手にあった一際明るい緑と紫の光も見えない。
セラスは石床に座ったままマントで身体を隠し、ウィリアムを見ていた。ウィリアムはセラスの視線に気付き、どきりとした。
やはり自分の存在がさっきの幻想の終止符になったのだろうかと気になった。
「う、あ・・・」
ウィリアムの口から呻きに似た何かが溢れるが、言葉にならない。
聞きたい、あの幻想はなんだったのかと。でもどう聞いたらいいのか。
聞きたくない、自分のせいであの幻想が閉じてしまったとしたら・・・。
「どうした?」
パクパクと口を動かす挙動不審と成り下がったウィリアムにセラスは思わず声を掛けた。
「私の処遇は決まったか?」
「あ、あぁ、決まったよ」
セラスの顔に浮かぶ表情は不審でも不快でもなく、心配であった。先ほどまでの出来事など全くなかったかの様だった。
(夢を見ていた・・・?いや違う。あれは夢ではなかった。そうだ、あれは現実に起きた幻想だった)
ウィリアムは平常心を取り戻した。
手に持っていた鍵束からセラスの入っている牢と同じ番号の書かれた鍵を探し出し、牢の鍵穴へと差し入れた。
カチンと鳴り解錠された。
「セラス様はアルフレッド様の客人としてこの屋敷にて預かる事になりました。セラス様のお世話は侍女長であるフィーネ様が行います。何かが分からない事があったら彼女に聞くと良いでしょう」
「お、おう」
セラスは牢から出ながら、とりあえずな感じに返事をした。
(様?・・・世話?)
セラスとしては地下牢に入れられていた事に不満はない。むしろ、自分の様な身元不明の女に対して正しい処置と思っていた。
それがたった一度の質疑で対応がひっくり返った事に軽い疑念を抱いた。
「アルフレッド様より、侍女長の元で礼儀作法などを教わって欲しいと言付かっております。セラス様の知る礼儀作法との差異などがあればセラス様の素性にもなにか手掛かりになるやもしれません」
「ふむ」
セラスは鷹揚に頷いた。
(作法?礼儀?なにをさせる気なんだろう)
疑念はさらに深まる。
だが、それ以上にイラっとする事があった。
「私もなるべくは近くに控えておりますので、なにか入り用の際にはなんなりとおっしゃってください」
「ふむ、ではウィリアム」
「はい、なんでしょう」
「まず、様付けは止めようか」
「そういう訳には・・・」
「ここまで来る間も普通に話していただろうに、何をかしこまる必要がある」
普通に話していただろうかと、ウィリアムは少し考えたが覚えはなかった。一方的に話しかけられていたのに対し、ただ相槌を打っていただけと記憶していた。
「アルフレッド様の客人に・・・」
「では、アルフレッドに招かれた客人として命じよう。面倒な話し方をするな」
「む、ぐっ」
ウィリアムは思わず言葉に詰まった。
辺境伯であるアルフレッド様を呼び捨てに、とも思ったが、客人として招いた人物であるならば様付けの強要は無礼である。
得体の知れない女が、とも思ったが、その得体の知れない女を様と呼んでいるのは自分である。
そして、自らの主より我儘はある程度許容しろと言われている。
「セ、セラス、さん?」
「さん、か・・・」
「セラス」
「おう、なんだ」
「侍女長の所まで案内するのでついて来てください」
「・・・」
「どうしました?」
なにやら難しい顔をしているセラスにウィリアムは尋ねた。
「かしこまるなとは言ったが、急に砕けて話せというのも違うなぁ・・・とな」
「まぁ、努力はしておきます」
ウィリアムはにやりと笑うと歩き出した。セラスはウィリアムの後ろをついて歩く。
「そういえば、その侍女長とはどんな人だ?」
ウィリアムは立ち止まり振り返った。その顔にはなんとも言えない複雑な表情が浮かんでいた。
「察してください」
短くそう言った。
「承知した」
再び歩き出したウィリアムに付いて階段を上がる。
(この鈍くて直情っぽくて素直っぽい奴が苦手にする相手か・・・、なんか友達になれそうだ)
後ろを気にしながら歩いているウィリアムは、セラスが機嫌良く付いてくる姿に気付き、一抹の不安を覚えた。
そして、なぜかイラっとした。
(なんだろうなんかムカつく)
ウィリアムはよくわからない不安感と不快感に頭を捻りながら、セラスを連れて地下室を出て行った。