少女、尋問される
領主屋敷にある地下牢。
牢屋といっても領主屋敷にある牢屋は使われる頻度がとても少なく、数も四室しか設えられていない。
石組みの壁に三方を囲まれ、正面に鉄格子のはめ込んだけの部屋に申し訳程度のベッドが置かれている。牢屋はみな清潔に保たれており、ベッドも毛布も真新しく清潔な物が置かれていた。
心地よくひんやりとした空気を押しのけるように、コツコツと音を立てて階段を降りてくる者が数名。
魔導士アリオトと従者ウィリアムを連れた辺境伯アルフレッドである。
階段を降りた先には守衛室がある。足音に気付いた守衛が頭を下げ、主の到着を待っていた。
「様子はどうだ?」
アルフレッドの問いに、守衛はやや困ったような表情を浮かべた。
「あの、なんと言いますか・・・、余りに静かだったので様子を見に行ったのですが・・・」
「なんだ?なにかしていたのか?」
「いえ、本人は寝ているみたいなのですが・・・」
「寝てる?」
牢屋に入れられすぐに寝られるというのは剛胆だな。と思うアルフレッドではあるが、別段おかしいという訳でもない。山の中を彷徨い降りて来たと言うのだから疲れていても無理からぬ話である。
「見ていただけたら分かると思います。来てください」
そういうと守衛は牢屋への格子戸を開け、アルフレッドたちを中へと案内した。
「ご覧ください」
守衛の促した先にはベッドも毛布もそのままに石の床の上に横になり丸まっているセラスの姿があった。
すぅすぅと寝息を立て、身体には黒い布が巻きついている。
アルフレッドはその黒い布が、自分の渡したマントであると思い出していたが、その寝姿に特別に違和感は覚えなかった。
(ベッドで寝ればいいのに・・・寝難くないのか・・・)
そこまで考えて、ふと気付いた。
「歪んで・・・る?」
肩の部分の石が落ち窪み、頭の部分が盛り上がっていた。少女が寝やすい様に石が自ら変形している様に見えた。
「これは・・・精霊に守られておりますね」
「精霊?」
「はい、彼女を覆う精霊の光が見えます。彼女は精霊使いなのですかな?」
「いや、本人が言うには精霊に好かれやすいだけで、精霊使いではないそうだ」
ウィリアムはアルフレッドとアリオトの会話を聞きながら、それと知られぬ様にアリオトを観察していた。
事実のみを淡々と語っている風ではあるが、どこか言い知れぬ雰囲気を纏っている。そのアリオトの眼の奥に感情の揺らぎを感じていた。
(・・・興味?嫉妬?羨望?あまりいい感情ではない気がするな)
ウィリアムは一応の警戒心だけ残し、視線をセラスに戻した。一見、ただ寝ているだけに見えるが、確かに彼女を覆う魔力を感じる。
ウィリアムは自分の体内を流れる魔力を操作し、眼の奥に集中させた。眼を細め集中した先にウィリアムはセラスを覆う紫の光を見た。
「どうだ、ウィルは何か見えたか?」
「はい、紫の光が見えました」
目頭を揉みながらウィリアムは答えた。
慣れない魔力の使い方をした為か頭の奥に鈍痛を感じていた。
「これはこれは、ウィリアム殿は魔導士の才能もおありのようですな」
ウィリアムに視線を向けて、フフフと笑いかけるアリオトだが、ウィリアムにはとても好意を向けている顔には見えなかった。
(むしろ敵意とか害意の様なものを感じるんだが・・・、いやしかし敵意を向けられる理由がない)
どう返答したものか、と一瞬迷っていた所に別の声が割って入ってきた。
「うるさい」
いつの間にか上体を起こし、眼をこすりながら気だるげにしているセラスだった。
「雑談したいなら他所でやれ」
寝ている形に変形した石床も平坦な形に戻っている。
「あぁすまない、起こしてしまったようだな」
石の床が変形していた事を聞いた方がいいのか少し考えたが、いつも間にやら元に戻っている床を見て、アルフレッドはその話題に触れるのを諦めた。
「では、寝起きの所で申し訳ないが、いくつか君の処遇について話しをしたい」
「いいよ」
セラスはアルフレッドの周りを見回し、アリオトを見て少し目を止めたが、特に気にする様子もなく首を回し、座ったまま伸びをした。
羽織られているマントがずり落ち裸体が露わになるが
、特に気にするでもなく面倒くさそうにマントを羽織り直した。
アルフレッドは、着替えや風呂などを仕えの者にさせる貴族の娘などは羞恥心が薄いと聞いているが、この目の前にいる少女の羞恥心の無さは度を越していると思った。
自分の裸になんの執着も見ていないのか、はたまた目の前の異性に意識するだけの価値を見出していないのか、もしくはその両方か。
少なくともマントを羽織り直したのは羞恥からではなく、前にウィルが困るから、とのお願いを覚えていただけの事だろう。
(まずは常識を教えないと駄目だろうなぁ)
アルフレッドはぼんやりと考えていた。
「それでだ。話しを詰める前に君には魔法を受けてもらいたい」
「魔法?」
セラスは首を動かしアルフレッドの後ろに立っているアリオトに眼を向けた。
「そう魔法だ。虚偽を確かめる為の魔法だ」
「いいよ」
逡巡する間もない即答。アルフレッドはあまりの迷いのなさに一瞬訝しんだが、アリオトが魔導士であると見て予想していただけではないかと思い直した。
セラスは変わらず気怠げにしているだけだった。アルフレッドはアリオトに手で小さく合図すると、「やってくれ」と、短く言った。
アリオトは「はい」と答えると、小さな杖を取り出し自分の眼前に構えてブツブツと小さな声で何やら唱えはじめた。
セラスはぼんやりと呪文を唱える老人を見ている。
老人の身体の内を流れている魔力が身体から螺旋を描いて腕へ、腕から手へと流れ、手に持った小さな杖へと集まり、杖の先で淡い光の塊になった。
セラスはその全てを見て、眼を細めた。
(手際が悪くないか・・・?)
良く言えばゆっくりと淀みなく着実に、悪く言えばのろのろと無駄に丁寧に。
セラスは老人の魔力の流れをさらに眼を細め、一切の見逃しも許さぬよう注視した。淀みなく流れているかに見える魔力の流れが、ある一部分でわずかに逆巻いているのを見つけた。
(この人は病んでいるのか)
老人の顔を見るとうっすらと汗が滲んでいるのが見えた。
(痛みを伴っているな、その状態で魔法を行使するのは辛かろうに)
杖の先に貯められた光の塊から一筋の光の帯が飛び出し、風になびいく様にたゆたいながらセラスへと伸びていく。
セラスは発現している魔法を見ながら、目の前の老人に畏敬の念を抱いた。
病に苦しみながらも一切の淀みを感じさせず、かつ不得手と思われる魔法を、その魔法には合わない媒体を持って発動させている。
セラスはその技量に素直に感動した。
(感情の流れと思考の表層部分を読み解く術だな)
セラスはその魔法をそのまま受け入れた。
「成功しました」
アリオトの乾いた声が静かに響いた。
「よし、では質問をはじめよう」
アルフレッドはセラスの動きに全神経を払い質問をはじめた。
アリオトは魔法に集中している。
ウィリアムは魔法を掛けても良いかという質問から、ずっとセラスを注視していた。
少しでも感情の表れを見逃さぬよう、顔だけではなく、体勢や細かな指の動きまで余す事なく窺っていた。
目に止まった行動は一つだけ、アリオトの詠唱がはじまってから、アリオトを見る目が少し険しくなった様に見えた事。
ウィリアムは視線をアリオトに向けた。苦々しい視線をセラスに向けている様に見える。
そこまで考えて、ウィリアムは小さく苦笑いをした。
(俺はどうにもこの老人を好きになれない様だ)
どうにも偏見で評している気がしていた。
術を行使しているアリオトはセラスに恐怖を感じていた。
見通しているはずなのに底が見えない魔力。小娘にしか見えないのに巨木を思わせる存在感。そして全てを見透かしているかのような黒い瞳。存在のその全てがあべこべで異質。
魔法で繋がった事により、その異質さはより顕著になった。
《怠い眠い面倒、もっと感情込めてしゃべれ、能面みたいな顔でこっち見んな、ウィリアムとかいうヤツをもう少し見習え、爺さん見て苦笑いしてんぞ、そこの槍持ったヤツとかオドオドしっぱなしでむしろ可哀想だぞ、同じ事何回も聞くんじゃねぇ、毛ぇ毟って口ん中突っ込むぞ、爺さん大丈夫か辛そうだぞ、しかし神経質なハゲだな、そんなトコまで気にしてたらハゲるぞ絶対・・・・》
一切の淀みない思考。
普通であれば、頭の中を覗かれると知れば思考は乱れる。下手な事を考えないように、また思い出さないように。
(いかな魔法を使ったのか完全に知られている。だが、一体どうやって・・・)
罵詈雑言に気遣いを混ぜるなど、思考制御が完璧な証である。それ以上に自分の腹筋が崩壊しない様、耐える方が大変だった。
(どうしたら、その歳でそこまでの精神力が・・・いや、見た目通りの年齢ではないのか。だとすれば転生か・・・封印か呪い・・・)
《もうこのバカハゲ話が長いよ、もういいじゃんそんなトコから記憶の有る無しなんて分かるわけないじゃん、ハゲなの?ハゲなの?》
少女の視線が僅かに動いた。アルフレッドの顔に向けられていた視線が僅かに上がり、そしてゆっくりと戻った。
アリオトは思わず釣られて視線を動かした。少女からの視線、そのわずか上。それはアリオトの目の前、そこにアルフレッドの後頭部があった。
(ダメだ見てはいけない)
思わず視線がつむじに移る。
少し薄かった。
その瞬間、アリオトの身体が大きく揺らいだ。
一歩二歩と身体を丸めて後退る。
「どうした!大丈夫か!」
驚いたアルフレッドがアリオトに駆け寄った。
アリオトは苦しげに咳き込みながら、「大丈夫です」と繰り返している。
アリオトはアルフレッドを視界に入れない様に注意しながら、そっと少女の顔を覗き見た。
最初に浮かべていた表情と全く同じ、気怠げな顔。
アリオトの様子に動揺するでもなく、気遣うでもなく、ただぼんやりと眺めている。
アリオトはたった一つだけだが変化を見つけた。
ほんの少しだけ左の口角が上がっている。確認できるか否かギリギリのほんのわずか、今のアリオトからなんとか見える角度だった。
(確信犯か)
アリオトは痛む脇腹を抑えて、荒れた呼吸をなんとか整える。
魔法はすでに切れていた。
「申し訳ありません。これが限界の様です」
正直な心情の吐露だった。嘘偽りはない。
アリオトは再びセラスを見た。わずか上がっていた口角はすでに元に戻っている。
それを確認したアリオトに去来する感情は、怒りでも、また哀しみでもない。
(すいません、もう勘弁して下さい)
どうしようもない、だが不思議と心地よい敗北感だけがそこに残っていた。