少女、目撃される
男は机の上に並べられた書類に目を通し、深く息を漏らしていた。ゆっくりと目頭を揉む姿には疲労は濃く滲んでいた。
男の名はアルフレッド・イル・オーランド。
大陸中央に付近に位置する大国、フローガル王国の南部国境付近を領地とする辺境伯である。
アルフレッドは辺境伯の地位を父から譲り受けてまだ四年。
病弱であったアルフレッドの父は、いつ自分が死んでもいいようにと、自分の知識はもちろん、家臣、人脈なども余すことなく伝え、万全を期して地位を譲り、この世を去った。
アルフレッドもまた名領主と謳われた父を越えられるよう努力し、また期待に応えてきた。
父にして、「間に合った」と言わしめたが、二十三にして国境の防備と、広大な領地を持つ辺境伯の地位に就くことへの風当たりは非常に強かった。
辺境伯の地位に就いて四年、父の死より二年。ようやく混乱も収まり、これからという時に問題の報告書は上がってきた。
帝国より攻め入ってくる兆しあり。
今年に入ってから現皇帝の体調が思わしくない、そして世継ぎ争いが激化しつつある。
との情報は掴んでいた。
旧アルメリア王国がアルメリア神聖帝国と名を変えて三十四年。次々と周辺国を併呑し、大陸随一の大帝国へと成り上がった。
だが一代にて強国へと成り上がった国は脆い。
アルメリア神聖帝国は今、繁栄か衰退かの転換期入っていると言えた。
次の皇帝候補は四人。
帝位継承権第一位、帝国軍第一軍の指揮権を持ち、帝国北部の攻略と平定に貢献したといわれるオルブランド。三十六歳。別名「破軍将軍」
帝位継承権第二位、急拡大した帝国の行政を一手に引き受け、帝国を大国へと纏める上げるのに一役買ったといわれる行政長官アルブノート、三十二歳。別名「首切りアルブ」
帝位継承権第三位、気質の荒い第二軍を纏め上げ、知略と策略を持って〝不落要塞〝と呼ばれた堅城、フォルターン要塞を無血開城させたといわれるクェンリュート。二十四歳。
帝位継承権は持たないが、独自に魔導部隊を組織し魔導大隊へと作り上げ、帝国軍第三軍にまで押し上げ、帝国南部平定と版図拡大に多大な戦功を上げたと言われるリュンティアット。二十七歳。別名「鮮血皇女」
このままの流れに添えば次皇帝は継承権第一位であるオルブランドであろう。実際、早期より前線で活躍し武功も多く、北部に強い基盤を持つオルブランドを押す貴族は多い。だが、一番敵が多いのもまたオルブランドである。
粗野にして横暴、征服した地域においてオルブランドが行った振る舞いや、反乱を企てたとされる者への苛烈な処分等、民衆はもとより従っている兵からすらも評判はとても悪い。
オルブランドが帝位を継いだら大規模な反乱が起こる。
とまで噂されていた。
ならば、継承権第二位であるアルブノートはどうか。
中央政権に深く入り込み、宮中伯や周辺貴族を取り込んでいるアルブノートは政治に関して言えば盤石であった。
だが「首切り」と呼ばれるようにその政策は苛烈な部分を多く含んだ。その一つがアルブノートがよく行った公開処刑である。
ギロチンと呼ばれる首を一瞬にして切り落とす処刑道具を用い、一切の痛みもなく一瞬にして死ねる近代的処刑法と喧伝し、多く用いた。
一時は公開処刑を代表する方法と受け入れたが、そう長くは続かなかった。
一人の犯罪者が友人にこう言ったのが発端といわれている。
「ギロチンは痛みもなく一瞬で死ねるというが、そんなことあるはずがない。ギロチンが落ちる時、まばたきをし続けてやる。首が落ちてからもまばたきをしていたら、まだ意識がある証拠になる。いつまでまばたきをしているか数えてくれ」
と、
かの犯罪者は首が落ちたのち13回まばたきをして動かなくなったという。
この噂によりギロチンは画期的処刑法から一転、残虐な処刑法として名を残した。
それと同時にアルブノートの名も貶める事となった。
そして問題が継承権第三位にあるクェンリュートである。
まだ年若く武功も少ない彼を押す貴族は多くない。
だが、血生臭い話がなく、鮮烈な武功の多さから民衆の人気は高い。
そして一番の問題がその容姿にあった。
また少し幼さを残す金髪碧眼の美青年であり、その鍛え上げられた肉体は美しい。
と、噂されているが問題はそこではない。
第三子クェンリュートは父である現皇帝グラールヴントの若い頃に瓜二つであった。
非常に高い統率力を持ち先代の残した強兵を用い、瞬く間に周辺国家を飲み込み、平定した「征服王」にして「帝王」と呼ばれるグラールヴント。
そのグラールヴントの面影をもったクェンリュートは古参兵なども含め、若い頃のグラールヴントを知る者の支持が非常に強い。
古くから付き従った兵や宮中の者のともなれば強い発言権を有している者も多い。
オルブランドとアルブノートが一番に危険視しているのもクェンリュートであった。
最後に「鮮血皇女」と呼ばれているリュンティアット。
彼女が皇帝の子であり、魔導大隊という力を持ちながらも継承権を持たない事には女性である以上に理由がある。
リュンティアットは妾の子であった。
後ろ盾となる貴族もなく、政治に介入する力を持っていなかった。
リュンティアットは15歳の時に軍部へと志願、当初は若く美しい姫君として扱われ、戦意向上を目的とされていたが、瞬く間に魔導部隊を造り、戦功を上げていったのである。
皇女でありながら戦場での叩き上げ、そして自らの戦功のみで成り上がった女傑。
それが鮮血皇女リュンティアットである。
リュンティアットがもしも男であれば、またクェンリュートが第一子であれば、今の帝国の杞憂は解消されていただろう。
と、言う者がいる程であった。
そして辺境伯アルフレッドの前にある報告書には、第三皇子クェンリュートが南部にて挙兵の動きあり。
と書かれていた。
「南部でクェンリュートが・・・」
フローガル王国の東には、大陸中央をやや斜めに走るオーグレフレイ山脈がある。
フローガル王国はその山脈に沿うように縦に長い形に領土を持っている。
山脈を挟む形で向こう側にある帝国とは、山脈の南端で領土が接触している。
だが、帝国南部は鮮血皇女リュンティアットが支配する領域であり、第二軍を持つクェンリュートは東部いるはずである。
東部平定はひと段落ついているとはいえ、その先に控えている大国、イースフェン王国がある。一応、帝国とは友好関係にある国ではあるが、うかつに軍を引き上げていい土地ではない。
(なんだ何を考えている・・・)
時期もまたおかしい。
現皇帝の状態が芳しくないとまことしやかに噂されている。第一子であり継承権第一位のオルブランドも第一軍の主力を率いて帝都に駐留しているという。
これは皇帝が崩御した際に混乱を最小限に抑える為、と見せかけたアルブノート封じと考えられた。
(第一に考えられるのは・・・罠か?)
オルブランドにしてもアルブノートにしても、民衆と兵に人気のあるクェンリュートは邪魔だ。無理な戦争を仕掛けさせ、混乱に乗じ暗殺。罪を全てこちらに被せ、帝位継承後に報復戦を仕掛けて勝利すれば、民衆の支持も増えるだろう。
だが、それなら南部しか接触していないフローガル王国は不向きだ。
南部を支配しているのはオルブランド、アルブノートとも仲の悪いと噂されているリュンティアット。そのリュンティアットがむざむざとクェンリュートを死地に送るとは思えない。
(第二に考えられるのは・・・クェンリュートを主体に置いたリュンティアットとの合同作戦だが・・・)
だが、魔導大隊は動いていないという。
(今、この時に戦争をするというのは帝位継承に絡む大事な一戦になる。なら必勝の策があると見るべきだろう・・・)
何をしてくるのかわからない、なんとも言えない不気味さを感じていた。
(情報が足りない、恐らくは意図的に流されたモノも混じっていると考えるなら、現状では正解にたどり着けな・・・)
思考にもひと段落しそうだったその時、
カンカンカン カンカンカン
警鐘が鳴り響いた。
(襲撃?・・・いや違う。この警鐘の鳴らし方は北門方向に魔物⁉︎)
アルフレッドは持っていた書類を、投げ出し執務室を飛び出した。
「なんでこんな忙しい時に‼︎」
屋敷の出口では執事のベントがマントを差し出している。アルフレッドはマントを受け取ると手早く羽織り、外へと出た。
「誰かいるか!」
アルフレッドの声に腰に剣を携えた一人の若者が進み出てきた。赤茶けた短い髪に茶色い瞳、青年というにはまだ少しあどけなさを残す若者の名はウィリアム。アルフレッドの従者の一人である。
「アルフレッド様」
「ウィルか、何事かわかるか?」
「いえ、まだ報告は上がってきていません」
「馬の用意は」
「ただいまさせております」
馬小屋の方を見ると鞍を付けた馬を2頭引いた使用人が見えた。
「よし・・・お前も行く気か?」
「当然です」
アルフレッドはニヤリと笑うと、用意された馬に飛び乗った。
「行くぞ」
「はい」
アルフレッドはウィリアムを従え、急ぎ北門へと向かって行った。