少女、何か嫌な予感がしてくしゃみをする
朝もまだ開けたばかりの早い時間、要塞都市セイリオスへ向けて駆ける馬車があった。
四頭立ての豪奢な馬車が百の騎兵に囲まれて、街道を足早に駆けていた。
グルトレラ公爵の乗る馬車である。
整備されている街道とはいえ、貴族の乗る馬車が速度を出して走るというのはあまり見かけるものではない。
朝、人もまばらな街道を疾駆する馬車と騎兵の姿は見る者に無用の不安感を与えていた。
その馬車の一団にセイリオス方面から騎馬が一騎駆けて来た。
馬車の一団は、その騎馬を見とめると速度を落とし停車した。
駆け寄る騎馬はそのまま馬車の一団の中に入って行き、馬車の横で急制動を掛け、馬から降りた。
腰に剣を携えた女性であった。
短く揃えられた赤い髪と、切れ長の瞳が印象的な面立ちをしている。
それ以上に目につくのがその肢体であった。
大きく張り出した胸と対照的に細く縊れた腰が、簡素な厚手のシャツとズボンに身を包んでいているにも関わらず、蠱惑的な魅力が溢れ出していた。
名をロイネ・クルーム
グルトレラ公爵麾下、第五独立部隊隊長であり、第一大隊隊長の娘でもある、生粋の騎士であった。
「ロイネ・クルームただいま到着致しました」
ロイネは右手を左胸に当て、馬車に向かって敬礼すると大きな声で言った。
「待っていた、入りなさい」
馬車の戸が開き、柔和な顔をした若い男がロイネに声を掛けた。
今回の警護を預かっている第三大隊隊長のニルス・フォードである。
「失礼します」
ロイネは促されるまま、馬車に乗り込んた。それを待っていたかの様に、程なく馬車とその一団は歩き出した。
今度は急ぐ事のない、貴族の一団らしいゆっくりとした歩みだった。
馬車の中に入ったロイネは、向かい合わせになっている席の間に立ち、ニルスの隣に座る初老の男性に敬礼した。
「遅くなって申し訳ありません」
「無理を言うたのは儂だ、畏るでない。まぁ、座りなさい」
「はっ」
ロイネは返事を返すと初老の男性、グルトレラ公爵の前に座った。
白を基調としたゆったりとしたローブを身に付けているグルトレラ公爵。
馬車の豪奢さからは、その持ち主とは思えない程、質素な服装だった。
グルトレラはロイネの態度に笑いを零すと白髪頭を撫でた。
「ロイネは相変わらず固いのぅ、部下のおらん時くらいは昔の様に話してもよいのだぞ」
「グルトレラ様、私も今は立場のある身でございます、ご容赦ください」
「ふむぅ、まぁよい。アンセルムの娘は儂の娘も同じ、何か困った事があったらいつでも相談するがよいぞ」
「はっ、ありがとうございます」
「それでは、報告を聞こうか」
グルトレラの顔が好々爺の顔から厳しい領主の顔へと変わった。
「はっ、先日に報告した女神の噂ですが、これはやはりオーランド卿に客人として招かれているセラスという少女の事で間違いないようです」
ロイネは真面目な顔で報告しながら、心の中で我ながら馬鹿な報告をしていると嘆息していた。
「やはりそうか・・・我が娘、リステリアというものがありながら辺境伯殿は・・・。そのセラスという素性の知れぬ女に余程入れ込んでおると見える。その女神の噂は正妻として娶る為の工作と見て間違いないであろうな」
「残念ながら、オーランド卿の工作の痕跡は認められませんでした」
「ほぅ、工作員の使い方がまた上手くなったと見えるな」
ロイネは噂の出所と少女本人の行動を照らし合わせた結果、裏工作の可能性は限りなく低いと見ていた。
なによりも辺境伯が少女に入れ込んでいるという情報がそもそもないのである。
「グルトレラ様、オーランド伯がその少女に入れ込んでいる。と取れる情報がありませんが・・・」
「まだまだ甘いなロイネ。アルフレッドは人を欺くに長けた男よ、見える情報のみにて判断してはいかんぞ」
ロイネは泣きたくなった。
レグロ・エルメスト・フローガル・グルトレラ公爵は質実剛健で知られている、今を生きる賢人である。
特に時勢を読む事に長け、自身にとっての最良ではなく、フローガル王国とっての最良を模索し実行してきた忠の人でもある。
ロイネもまたそんなグルトレラ公爵を敬愛し忠誠を誓う一人である。
だが、そんなグルトレラに一つ重大な欠点があった。
時期公爵である息子のフレデリクに対しては厳しくも優しい良き父であり領主なのだが、末の娘であるリステリアが絡むと途端に馬鹿になるのである。
グルトレラの妻は病弱で、リステリアを産むと程なく亡くなってしまっていた。
そのせいか、グルトレラはリステリアを溺愛している節が多々見受けられていた。
ロイネは父親同士の親交と、歳が近いという事もあり、リステリアとは小さい頃から会う機会が多かった。
ロイネが騎士となってからは邸宅の守備に付く事も多く、リステリアの警護に付く事もあり、今も親交がある。
ゆえに、ロイネはリステリアと辺境伯との間に何があり、破綻になったのか知る数少ない人物の一人になってしまっていた。
そしてもう二度とローランド卿がリステリアに好意を抱くことはない事も確信していた。
ロイネは溜息を零したいのを必死に抑え、「はい」と小さく答えた。
「それともう一つ、新しい情報があります」
「なんだ?」
「オーランド伯の邸宅に新たな客人が招かれたそうです」
「ほう?」
「詳しい情報はまだ上がってきておりませんが、身長150㎝ほどの可愛らしい女の子だそうで名前はサーガ、セラスという少女に関係する何者かだそうです」
グルトレラの表情が険しくなった。
「それは・・・娘の事を差し置いても捨て置けんキナ臭さがしてきたな」
(・・・そうなっちゃうよねぇ)
確かに記憶を失くしたという氏素性の知れない少女に、それに関わりのある何者かが新たに増えた。という事態だけ見れば疑わしさが倍増するのは仕方がない。
しかも、その何者かが美少女であるとなればなおさらだろう。
だが、客人以上の事実関係が存在しない以上、本来ならばなんの問題視もされない事態なのである。例え事実関係があったとしても、他人の恋路に口を挟むなどそもそも無粋な話である。
どうにかグルトレラ公爵の暴走を止めたいロイネだったが、痛感するのは自分の力不足ばかりであった。
そして情報が上がってきている以上、報告しない訳にはいかない。それが混沌を生み出すと分かっていてもである。
ロイネは、この先の要塞都市セイリオスにおける警護任務を考えて暗鬱とした気分になった。
ロイネの報告が進む中、馬車は何事もなくセイリオスへと入り、真っ直ぐに辺境伯邸へと向かった。
まだ日が昇りきらぬ頃、グルトレラ公爵を乗せた馬車は辺境伯邸宅に到着した。
玄関前に止められた馬車より、ますロイネが先に降りた。
玄関先では辺境伯オーランド卿の他、侍女二名に執事一名、従者一名が待ち受けていた。
グルトレラに帯同し、何度目かの訪問になるロイネは出迎えの中に顔の知らない者を見つけた。
横にならぶ侍女よりも頭一つ小さい小柄な身体、緑色の髪、下腹部で手を合わせピンと背を伸ばした姿には一部の隙間もなかった。
ロイネはその小さな侍女に言い知れぬ何かを感じた。
そしてすぐさま報告にあった女性を思い出した。
サーガ・フォーリーン。セラスに敬服しているという謎の少女、高位の貴族の出である可能性が高い。と報告にあったが、ロイネはそれだけではない何かを感じた。
ロイネが女性の身でありながら若くして諜報を担う部隊長を務めているのには、それ相応の実行を持っているからに他ならない。
グルトレラ公爵麾下においても十指に入る剣技を持ち、指揮能力、統率力にも長けている。そして他者にはない特殊能力を保有していた。
ロイネはサーガの姿を目に焼き付け、次に降りるニルスとグルトレラ公爵を迎える姿勢を保ちながら、少し目を閉じた。
そして、驚愕と共に目を開いた。
ロイネの特殊能力とは限定条件付の仮想戦闘というものである。
目に焼き付けた人物と瞼を閉じている間だけ、仮想戦闘を繰り返せるのである。
負担が大きい為、頻繁に使える能力ではないが相手に気付かれずに戦闘能力を測れるというのは非常に強く優位に立つことができる。
仮想サーガと行った疑似戦闘の回数は五回、武器を持たない相手では、正しい戦闘能力は測れないかも知れない。と思った上での計測だったが、結果は惨憺たるものだった。
一度目は、殺気を出した瞬間、持っていなかったはずの剣に斬り殺された。
二度目は、剣を抜いた瞬間、斬り殺された。
三度目は、十分に間合いを取ってから、剣を抜いた瞬間、投擲された槍に刺し貫かれた。
四度目は、背後から剣を抜く素ぶりをした瞬間、割られた。
五度目は、どこから武器を取り出しているのか、それだけでも確認しようとして、手に触れようとした瞬間、赤い光に囲まれて死んだ。
ほんの数秒の間に五度瞬殺された衝撃は、ロイネの心に多大なる損傷を与えた。
目が眩み、膝が震え、心臓が破裂しそうな程暴れる。その全てを平静を装い、歯を食いしばり耐えた。
(正真正銘、掛け値無しの化物。なぜこんな奴が侍女なんかをしているの・・・理解出来ない。なぜオーランド卿はここにこいつを・・・。
いや、待って。こいつがここに身を寄せているのはセラスという少女がいる為。この化物が敬服する少女・・・本当に女神だとでもいうの‼︎)
ロイネの目の前ではグルトレラ公爵とオーランド卿がにこやかな刺々しい挨拶を交わしているが、全く見えていなかった。
(確かめなければならない。毒婦か女神か・・・はたまた別の何かか、見極めの次第によっては命を懸けてグルトレラ様の暴走を止めなければならない)
今にも倒れそうになる身体に喝を入れ、覚悟を決めた。
だが、ロイネはまだ気付いていない。
その様子をジッと目を細めて、サーガが見つめていた事に。
「へくちっ」
鍛冶場にて吹子を押し、鉄塊を焼いているセラスがくしゃみをした。
セラスは何かに驚き、一瞬動きを止めてしまった。
すぐさま炉に視線を戻し吹子を押しはじめたが、それを見ていたバルガとカイは目を見合わせた。
「どうしやしたお嬢、何か変わった事でもありやしたか?」
「あぁ、すまない。なんでも、ないんだが・・・」
「だが・・・どうしました?」
「なんかこう、嫌な噂をされた気がする」
「噂?」
「いや、多分気のせいだ。何でもない」
セラスはそう言い吹子を押し続けた。
炭が煌々と焼け、火の粉が踊る。熱風が顔を撫でる中、セラスは赤々と焼け溶ける鉄塊を見つめる。
その姿を向こう槌を持つカイとバルガが、その後ろからギュクレイ、バジウッドと傭兵達、キース達鍛冶場衆が見ている。
「そろそろだ・・・親父さん、カイ、いいかい?」
「いつでも」
「きてくだせぃ」
セラスは炉を見つめたまま、微笑んだ。
「よし」
セラスは優しく炉の中の鉄塊を引き抜き、金床の上に乗せると右手の槌を振り下ろした。
コォーン
鍛冶場の中に鍛鉄の音が響いた。




