少女、自分がちょっと何をしているのか分からなくなる
日が傾き空が茜色に染まる頃、セラスはようやく足を止めた。
領主屋敷より出てから延々と魔力を探り、ラギドと話しながら歩き続けていた。
ラギドの『そろそろ日が暮れますね』の一言でようやく時間の経過に気付いたのだった。
「もうこんな時間か」
セラスは朱に染まる空を見上げ、呟いた。
ラギドが言わなければ朝まででも続けていたかもしれない。セラスは自嘲気味に苦笑いを浮かべた。
セラスは後ろを振り返った。
今日はお休みを貰っている。仕事も用も特にはないのだが、行き先を告げずに出てきた手前、余り遅くなるのはよろしくない。
今日の所はこの辺にして、屋敷に戻ろうか。
と、歩きはじめた所で気付いた。自分が何処にいるのかさっぱり分からない事に。
だが別に迷子という訳でもない。
戻るだけなら自分が歩いて来た魔力の痕跡を辿ればいいだけなのである。
たとえ辿れなかったとしても、ラギドを使えば領主屋敷がどの方向にあるのか、どの位の距離があるのかまで簡単に分かる。
なんとなく、来た道をそのまま戻るのも面白くないと思ったセラスはどうせならばと、ラギドに最短距離を導き出して貰い、その道を歩こうかと考えた。
『ラギド、アルフレッドの家の方向と距離を教えてくれ』
セラスの頭がラギドに動かされ、やや右を向かせられた。
『此方の方向に約五千ティリです』
一ティリはティリアの身長を参考にした長さの単位である。
『ありがとうラギド。とすると、ここは東区かな?結構歩いて来てしまったな』
『御意』
『ではラギド、通って来なかった道で日が落ちるまでに家に戻れ・・・』
セラスはラギドに話し掛けている最中、目の前を駆けて行った少年に釘付けになった。
「ラギド!あの少年だ!」
セラスは思わず声に出して言った。
『十二リアです』
淡々としたラギドの声が返って来た。
木剣を手に持ち走って行った赤髪の少年。身長はセラスよりやや低い百五十センチ位、年の頃は十二、三程であろうか、通常であれば十六、七リア。先の少年の体格と魔力量ならば、十五リアはなければならないのに重さが三リアも少ない。
セラスは少年を気付かれぬ様、見失わぬ様、距離を保ち後を尾行した。
セラスは少年の背中から魔力を注意深く見つめる。少年の下腹部の辺りに良く練られた魔力の塊ある。その塊が異様に希薄だった。
この世界に存在するもの全てが持っている魔力。
全ての人が意識、無意識に関わらず行なっている、その魔力の運用法は、人によってもそれぞれ異なる。
サーガの様にごく普通に体内を循環している魔力を、必要に応じて動かし身体を強化する法。
セラスの様に練りながら体内を循環させる法。
ギュクレイの様に部位ごとに練り上げ強化する法。
そして、少年の様に身体の一部分に魔力を練り上げて溜め込み、必要に応じて引き出し身体を強化する法。
どの運用法も一長一短があり、どれが一番優れているという事はない。
そして、別段少年の魔力の運用法が珍しいという訳でもない。セラスは同じ運用法をしている人を、何人か見かけていた。
少年の魔力そのものが異質なのであった。
『練れば練るほどに重さを失っている様に見えるな、どういう仕組みだ?しかし、どこかで見かけたことがある様な質の魔力だが・・・ラギド、フェル、なんか覚えとかないか?』
『うーん、よく分からないけど、なんか私ら風の魔力に似てるね』
『そうですね、山中の空気に似たものを感じます。濃密にして重厚、霞の様ですね』
『霞か、なるほど・・・思い出した』
セラスは唐突に顔をしかめ頭を抑えた。
『どうかされましたか?』
ラギドの心配する声が聞こえた。
『大丈夫だ、問題ない。古い知識を引っ張り出したらしい・・・。書物の名前までは出て来なかったが、仙人になる為の法を思い出した』
『仙人ですか?』
『そう、仙人になる為の修行法の一つに、霊山に入り外気を取り込み自身の内気と同化させ仙丹を練るというものがある。
その前身になる修行法に軽身功というものがあるんだが・・・なるほど、そうか、彼は天然道士というやつなんだろうな』
セラスがそう言った所で、少年は塀に囲まれた区画の中へと入って行った。
セラスはキョロキョロと周囲を見渡し、隠れて覗ける場所がないかと探す。だが、通りに面した入り口付近にそんな所はない。
気配を消すという事が非常に苦手なセラスは急いで塀の裏手へと回り込み、どうにか覗き込めないか考えを巡らせた。
『ラギド!フェル!』
『御意』
『はーい』
ラギドを右手に掴み、塀の上から覗き込むための土台を作り、土台に気配遮断の魔法陣を刻み込む、次にフェルを左手に掴み、周囲に見え難くなる空気の幕を作った。
『よし、これでいけるかな』
『問題ありません、万全です』
『いや、確かに見え難いんだけど、なんか凄い違和感のある不思議空間になってない?』
『バレなきゃ大丈夫』
『御意』
『まぁ・・・いい・・・か?』
セラスは塀に手を掛け、中を覗き込んだ。塀の中では、先程の少年と傭兵と思しき三人の男が居た。
少年は持って来た木剣を両手に持って構え、三人の内の一人、真ん中の男に木剣を向けていた。
「今日こそ親父の剣を返して貰うぞ!」
木剣を向けられた男は剣を鞘の付いたまま腰から外した。
「諦めな坊主、お前さんじゃ扱いきれねぇよ」
どこか苦々しい表情で男は、鞘に収まったままの剣を少年に向けた。
「うるさい!」
少年は男へと真正面から踏み込み、怒気を孕んだ木剣を振り下ろした。
『あぁ、駄目だ』
セラスは呟く。怒りからか練り上げた魔力が体重を奪い、身体が浮き上がってしまっている。
身体が軽いならば、軽いなりの戦い方がある。それを無視して普通に振るったのでは・・・。
振り下ろされた木剣は男の剣に弾かれ、少年はいとも簡単に体勢を崩した。
男はよろめく少年を追い、腹部に蹴りを入れた。
まともに受けた少年は弾かれる様に吹き飛び転げた。
さほど強く蹴った様にも見えないが、吹き飛んだ様が少し異様だった。
少年はすぐさま立ち上がり、再び男へと突っ込む。
今度は下から斜めに掬い上げる様な逆袈裟斬り、速度はあるが真正面から真正直に振り込まれる木剣を男は弾き、体勢を崩した少年を再び蹴り飛ばした。
『おかしい・・・ラギド、今あの子の体重は幾つある?』
『五リア・・・今四リアになりました』
『そりゃ蹴っただけで吹っ飛びもするが・・・、もしかしてこのやり取り、もう何回も繰り返しているのか?腹に受けた蹴りの衝撃だけ受け流して、掛かる圧力だけで吹っ飛んでるな。器用な真似をする』
少年は幾度弾かれ、蹴飛ばされても直ぐに立ち上がり再び特攻を仕掛ける。
おそらく、粘り続けた事により自然に覚えた防御法なのだろう。
男も延々と弾き蹴り飛ばす作業を繰り返す。
次第に少年の息が上がっていき、少年の突進が五十を超えた所で立ち上がれなくなった。
「諦めろ、お前のその病気じゃ傭兵にゃなれねぇ。身が軽くて丈夫なのはいいが、剣撃が軽すぎんのは致命的だ。お前にゃもっと身に合った仕事がある。もう諦めろ」
男はそう言うと二人の仲間を連れ去って行った。
一人残った少年はその場に蹲ったままだった。
セラスの耳に嗚咽が聞こえてくる。
「ちくしょう・・・ちくしょう・・・」
セラスは少年の姿を黙って見ていた。
病気ではない少年の特性をセラスならば正しく教える事が出来る。
ただ、本当にそれをしていいのか、判断には迷った。
あの傭兵の男は、明らかに少年の為を思い蹴飛ばしていた。
傭兵とは命を天秤に乗せる仕事だ。簡単に勧められる職業ではない。
(ここで折れるのなら、このままそっとしておいた方がいいだろう)
そう思った。
多少時間は掛かるが、解決策は見えた。軽身功を身に付けるまでは身体に軽量の魔法式を書き込んで代用しよう。
そう考えて立ち去ろうとした。
気が付くと、嗚咽は聞こえなくなっていた。
少年はその場に胡座をかき、木剣を手になにかぶつぶつと言っている。
『フェル』
セラスはそう呼び掛けるとフェルを手に取り、少年と自分との間に空気の道を作った。
「・・・駄目だ駄目だ駄目だ、身の軽さが問題ならそれをどうにか生かす道を考えなきゃ、蹴りは受け流せる様になった。打撃なら多分同じ事が出来る。違う違う、受ける事を考えちゃ駄目だ。弾かれるなら弾かれない様に・・・受けられないように振るにはどうしたらいいんだ。受けられても身体が泳がない様にした方がいいのか・・・、しかし、身体が軽すぎて踏ん張りが効かない・・・、やはり受けられないように振るしかない。速さだもっと速く正確に・・・」
セラスは耳を澄ませ、少年の言葉をジッと聞いている。
「折れない・・・か」
幾度、挑んだのか、幾度、打ち倒されたのか。
自分の体質を病気と言われ、治す方法も見つからなかったのだろう。
それでも尚、少年は諦めない。
セラスには少年の何がそこまで掻き立てるのかわからなかった。
気が付くと、セラスは少年の目の前に立っていた。
少年は突如として現れた侍女服の少女に驚いたが、セラスは意に介さず、少年に話しかけた。
「少年、君は何故再び立ち上がり剣を取る」
「あ、あんただ」
「答えよ」
有無を言わさぬ問いかけに、少年の身体が強張った。
自分とそう変わらぬであろう歳の少女から吹き出る圧力。その強烈な威圧感に、少年は心臓を掴まれた気分になった。
カタカタと震える顎で口を開き、少年はゆっくりと息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。
震えはまだ止まっていなかったが、心は落ち着いた。
少年は目の前の少女を睨むと口を開いた。
「知らん!」
少女が目を丸くした。心なしか圧力が弱まった気がした。
「俺にだって分かんねぇんだよ!別に傭兵なりたい訳じゃねぇ!けどな、親の形見を取られて、ただ諦めろって言われたんじゃ納得出来ねぇんだよ。
親父とあの人の間で約束があったってのは知ってる。
俺が傭兵になるのを諦めたら、剣はあの人にって話があったのも知ってる。
けどよ、それで俺が諦めて形見を持ってかれるんじゃ・・・納得出来ねえんだよ!俺だってよく分かんねぇよ」
少年はいつの間にか泣いていた。
歯を噛み締め、必死に何かに堪えるように泣いていた。
少年はここまでの事を語るつもりはなかった。
ただ何故と問われ、答えなければいけないと感じただけだった。
今まで意地だけで反抗していた少年は、漠然としていた理由を言葉にした事により、自分自身でも理解していなかった本当の動機を感情に乗せて一緒に吐き出してしまっていた。
正直、セラスに少年の気持ちはよく分からない。ただ、良い親父さんだったんだろうな、と思った。
カッコ良く大きくて憧れる存在だったのだろう、と。
(男の矜持ってヤツかな?)
ぼんやりと思った。
セラスはそういう人が嫌いではなかった。愚直なまでに真っ直ぐで、不器用で曲がる事が出来ない。
セラスは知らず知らずの内に微笑んでいた。
「何が可笑しい!」
セラスは口元に手を当て、自分が微笑んでいた事に気が付いた。
「すまんな、笑った訳ではないんだが・・・、そうだな、詫びという訳ではないが、君の身体に重さを取り戻させてあげよう」
「!」
自分の病気について言った覚えはない。少女の異様なまでの存在感が、言葉に説得力を持たせていた。
だが、今までずっと原因不明と言われ、不治と言われ続けてきた病気がそう簡単に治るとも思えなかった。
「俺の病気が・・・そう簡単に治る訳がない」
少年は絞り出すようにそう言った。
「それは病気ではないよ。ただの体質だ。きみは何処の生まれだ?」
「病気じゃない・・・?俺は・・・両親共に傭兵だったらしいからどこでっていうのはよくわかんねぇんだ。けど、鉱山の開拓地だって聞いた覚えがある」
「なるほど、そうか」
セラスは手を少年に向けた。
「手を出して」
「なにすんだ?ってか、なるほどってなんだよ」
「君の体質もあるんだろうが、君の身体は半分仙人化している」
「仙人⁉︎」
仙人という言葉は知っていたが、それがどういったものなのかまでは知らない少年は不安に駆られた。
「そう仙人。本来であるならば山に籠り、才能ある者が何年も修行してようやく身に付ける技を君は、幸か不幸か生まれながらに身に付けてしまった。知ってるか?普通の人は幾ら加減されてるとはいえ、あんなに蹴られたら、身体が先に参るものなんだよ」
恐る恐る差し出された少年の手をセラスは握った。
「君に私の魔力を注ぐ、自分の魔力の中に私の魔力が割り込んで行くのが分かる筈だ。私の魔力を感じとり覚えなさい」
セラスはゆっくりと魔力を注ぎ、溢れ出した魔力を回収する。
「わっ熱っ!重っ⁉︎」
重ねた手が熱くなり魔力が流れ込むのを感じる。それと同時にあり得ない程に重くなった。
「私の魔力は通常より重いから直ぐに分かるだろう」
「お、重・・・いぃ」
少年はセラスの手を離さぬ様に強く握る。
離してしまえば、身体が押し潰されてしまいそうだった。
少年の身体を駆け巡るセラスの魔力が、少年の身体に重さを与えて行った。
『ラギド、彼の重さは幾つになった?』
『百二十八リアです』
想像以上に重くなっていた。
(やはり、そもそもが周囲の魔力の影響を受けやすい体質なんだな)
少年の魔力が貪欲にセラスの魔力を喰らい、自分のものへと昇華させていっていた。
少年は急激に重くなった身体に、膝を突き、手を突いて必死に耐えていた。
「自分の魔力を思い出せ、耐えるんじゃなく操るんだ」
「う、うぉぉぉ!」
少年の身体が急激に軽くなった。
『い、一リアを切りました』
ラギドの動揺が聞こえてくる。
「感覚を掴め、丁度いい所を探して固定しろ」
セラスはそう言いながらも、ラギドと同様に驚いていた。
(もうコツを掴んだか、こいつはウィリアムより素質があるな)
セラスはウィリアムに魔力練転を教えた時の事を思い出していた。
「おぉぉ、すげぇ・・・力を込めれば込めるほど、力が抜ける様だったのが、なんかすげぇ力が湧いて来る」
「一応言っておくが、それだけじゃあの男には勝てんぞ」
「・・・俺もそう思う、けど前に進んだ」
少年はセラスをジッと見た。
「あんた何者だ?」
セラスは少年を見返したまま答えない。
どう答えたらいいか分からず悩んでしまっていた。
「あんたが誰か知らねぇが感謝する。見ず知らずの俺に手を差し伸べてくれたんだ、すげぇ感謝してる。正直、俺にゃ返せるものなんてなんもねぇし、あんたが何者だって別に構わねぇし気にだってしねぇ。・・・ただ、なんで俺に手を出す気になったのか・・・それだけ教えてくれねぇか」
「理由なんかないよ。強いて言えば気紛れだな」
「そうか・・・わかった」
少年はセラスに向け、深々と頭を下げた。
「ありがとう、恩に着る。なんか困った事があったらなんでも言ってくれ、必ず力になる」
深々と頭を下げてそう言った。
「ふんっ」
「ごほぉっ」
セラスは頭を上げようとした少年の腹部に掌底を叩き込んだ。
思っても見なかった奇襲に、少年はもんどり打って転げた。
「な、なにを⁉︎」
「この馬鹿たれ、何を終わったつもりになってやがる。手を出した以上、最低限の面倒は見る」
セラスはニヤリと笑った。
「最低限だ、それだけ教えたら後は自分でなんとかしろ」
「さ、最低限?」
「魔力の鍛錬法と身体の使い方だ。木剣の振り方なんて無様過ぎて見てられん。どうせお前なら直ぐに覚える。ただ・・・」
「ただ・・・なんだ」
「私も余り時間がない。少し厳しく教えるから、そのつもりで死ぬ気で覚えろ」
とてもいい笑顔でセラスは少年を見た。
少年はその笑顔に背筋が凍ったが、
「上等だ!死ぬ気で覚えてやる‼︎」
心を奮い立たせ、あらん限りの気力を持ってセラスに答えた。
少年もまたいい笑顔をセラスに返していた。




