少女、旅に出損ねる
セラスは精霊の消えた虚空を睨み続けていた。
戦場の精霊はその名の通り、戦いが過熱した時に顕れる精霊といわれている。
ただ戦いとはそのまま戦争、という訳ではない。
口論や喧嘩、試合など争い競い合いに関係なく、そこに闘争心があれば、それは戦いであり戦場なのである。
規模の小さな諍いに戦場の精霊が顕れる事はほぼないが、過去には、ある村で行われていた喧嘩祭りに顕れ、死者が出るほどに過熱してしまったという事例もあった。
(精霊が居座りたくなる何かがあるのかもしれない・・・、一度調べた方がいいかもしれないな。戦争の兆しがなければいいが・・・)
「お嬢」
セラスが考えに耽る中、後ろから声掛けられた。
振り返ると、そこには布切れを手に握りしめたバルガがいた。
「せめて、手当てだけでも」
セラス、和かな笑顔を浮かべた。
「頼むよ」
バルガに左手を差し出した。
「これは・・・」
バルガは左手の傷を見た。
血が止まり、傷から肉が見えていた。
「魔力を操作して血止めをしてる。骨も腱も傷つけてないから、すぐに治るだろう」
「それは、よかった」
バルガは、セラスの手に手拭いを巻いて縛った。
それを見ていたギュクレイは汗が止まらなかった。
大精霊まで呼び出され、収まる所に落ち着いたと言える騒動だが、まだ終わりではない。
幕引きが残っている。
その仕事が出来るのはこの場にはギュクレイしかいない。
(どうすればいい、少女から声を掛けるべきか、というか、声を掛けれるのか?バジウッドを叩き起こして謝らせるところからはじめた方がいいだろうか)
ギュクレイは横たわったまま静かな寝息を立てているバジウッドが憎らしくなった。
ギュクレイは大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出した。
そして先程、なんの気負いもなく受け答え出来た事を思い出す。
何故だろうか。
そんな事を考えながら、自分が一番自然体でいる時はと考え、思い出した。
(戦場・・・、そうか、ここは彼女にとって戦場なのだな)
ギュクレイにとって戦場とは全ての感情を乗り越えた先にあった。
不安も恐怖も高揚も希望も全てを綯い交ぜにして、その上で俯瞰して冷静に見定めなければならない。
戦場では自分を見失った者から死ぬのだから。
ギュクレイはセラスからの雰囲気に戦場の匂いを感じとった瞬間、ストン、と腑に落ちるものがあった。
(で、あるならば俺にとってもまた戦場だ。正に、今この場は、女神に去られるか、微笑んで貰えるかの分水嶺。戦場の幕引きならば・・・出来る)
自分にそう言い聞かせた。
ギュクレイはセラスの「素性」と「身の上」という言葉を頭の中で反芻した。
(おそらく彼女は、この騒動を収めると同時に、この都市を去るつもりなのではないか。もし、そういう気があるのならば、絶対に阻止しなくてはならない)
ここにいる何十人かはセラスの事を女神か天使に見えている事だろう。
そして、このまま去られては鍛冶屋とは、永遠に埋められない溝が出来上がる事になる。
女神にそっぽを向かれた傭兵団に栄光はなく、鍛冶屋に嫌われた傭兵に未来はないのである。
(女神、と呼ばれている事も本人の本意ではなさそうだな・・・。そして、鍛冶屋の親父と懇意にしている。服は・・・少々変わっているが作業着の一種と見ていいだろう。それに誇りを重んじている、となれば・・・)
作戦が決まった。
ギュクレイはセラスへと歩き近付き、片膝を突いた。
「セラス殿、我が部隊の者の非礼にも関わらず、助命していただいた事、感謝する。それと同時に、部下の非礼を詫びたい。申し訳なかった」
ギュクレイは片膝を突いたまま、頭を下げた。
「いいさ、私もやり過ぎた事に変わりはないからな」
ギュクレイは顔を上げて、セラスを見た。
「謝罪を受け入れて頂き、感謝する。とはいえ、剣を持ち生業とする者が、身体の一部とも言うべき剣を蔑ろにするなどあってはならない」
「うん?」
「そこで、罪を滅ぼす意味も兼ねて鍛治職人達の下働きに出そうかと考えている。もし、良かったらで構わないのだが、セラス殿、仲介を頼まれてはいただけないだろうか?」
(噛まずに!言えた‼︎)
ギュクレイは緊張の余り、吐きそうになっていた。
対するセラスは眉根を寄せ、渋い顔をしている。
「仲介か・・・そうだな」
この後、この都市より去るつもりであるセラスは揺れていた。
また鍛冶場に入れば決心が鈍る。
出来ればこのまま去りたい。だが、責任の一端を持つセラスとしては、後を濁して行く様な真似もしたくなかった。
「それともう一つ、剣を一本、打って欲しいのです」
「剣を?」
ギュクレイはセラスが揺らいでいるのを敏感に察知した。
「はい、戦場の精霊に礼を込めて捧げる剣を。費用は俺が持ちましょう。材料は鍛冶屋に揃えてもらい、そして、剣を・・・セラス殿、貴方に打って欲しいのです」
「私に⁉︎」
「はい、これをもってこの一連の騒動を無かった事・・・にするのではなく、我ら傭兵と鍛冶屋の方々を結び付けた奇縁であった。としませんか?」
ギュクレイは途中から自分が何を言っているのか解らなくなっていた。
考えていた作戦は罪滅ぼしまでであり、そこから先はもう一つ、押しの一手が必要と感じてからの思い付きだった。
ギュクレイは言ってしまってから、自分が結構な博打を打っているのではないかと、背筋が寒くなった。
「無かった事ではなく、奇縁・・・か。
あんた・・・いや、ギュクレイさん良い事言うな」
険しかったセラスの顔が綻んだ。
ギュクレイは心の底から安堵した。
セラスは振り返りバルガ達、鍛冶場衆を見た。
「それでいいかな?」
セラスの言葉にバルガは少し困った表情を作って見せた。
「お嬢を殴った奴には一発入れたかったんですが・・・、お嬢には敵いませんね」
バルガとしては納得しかねる部分もあったのだが、当の本人が笑顔を取り戻してくれたのだから、手打ちとしては申し分ない。
そう思う事にした。
ギュクレイはバルガへと歩み寄った。
「それでは近いうちに、そこの馬鹿共の雁首を揃えて伺わせて頂きます」
ギュクレイはバルガに向けて頭を下げた。
「そうか、わかった。ならそいつらへの説教はその時まで取っておく事にするぜ」
「煮るなり焼くなりご随意に」
そう言うと二人は笑いあった。
ギュクレイは事の成った安堵から、バルガは恨みを晴らす機会への楽しみからだった。
円満解決、そんな雰囲気を少し離れたところから見る一団があった。
騒ぎを聞きつけ駆けつけたアルフレッドとウィリアム。そして二人が引き連れた三十人の衛兵達だった。
「丸く収まった様で良かったですね」
胸を撫で下ろし、ウィリアムが呟いた。
「あぁ・・・そうだな」
それに対し、アルフレッドの顔は暗い。
アルフレッドの中でセラスに対する疑念は、完全に晴れている訳ではない。
とはいえ、疑わしいというだけでいつまでも拘束しておく訳にもいかず、様子見の意味も含めて外出を許した。
当初、鍛冶屋に入り浸る様子から生業として性に合っているものでも見つけたのかな?くらいに思っていたアルフレッドだったが、入ってくる情報は目を疑うものばかりであった。
いつの間にやら女神と敬われ、剣工達を従え、今度は傭兵団が膝を突き頭を垂れている。
確かに大精霊を目の前に呼び出されたのならそう成ろうというものかもしれない。
アルフレッドはセラスという女の危険性をまじまじと見せつけられた気分だった。
(このまま放置しておけば他の傭兵団も・・・いや、傭兵団のみならず、衛兵や市民にまで波及し、都市内部に別勢力を抱える羽目になるかも知れない)
そう考えて背中に冷たいものが走るのを感じた。
ふと、アルフレッドは侍女長であるフィーネの言葉を思い出した。
「間違いでもなんでも、抱いてしまわれましたらよかったでしょうに・・・」
セラスを自分のものにしていたなら・・・。
そう考えて、アルフレッドは首を振った。
(アレは内に入れて飼い慣らせる女ではない)
間近に置き格の違いをまざまざと見せつけられたなら、より強い苦悩に襲われる予感があった。
(あの女は俺の欲しいものをみんな持っているな・・・)
知識もそうだ、力もそうだ、そしてなによりも人を惹きつける魅力が羨ましかった。
「あの寡黙な男がよく喋るものだな」
つい、口から出た。
「あぁ、そういえばそうですね」
アルフレッドは暁の楔戦士団との契約の際に、団長であるギュクレイと、副団長であるデュフェルと顔を合わせている。
その時、ギュクレイはジッとアルフレッドを見たまま微動だにせず、詳細な話は専ら副団長とばかりであった。
アルフレッドが聞いたギュクレイの声は、最後に放った「承知した」の一言だけだった。
その席にはウィリアムも同席していたので、その様子は覚えている。
「確かにジッと動かず、構えもせずに座っている姿は生半なものではありませんでしたが・・・、そういえば、副団長の姿が見えませんね」
アルフレッドはウィリアムを見た。
アルフレッドとウィリアムでは同じ人物を同じ場で見ても大分印象が違うと思い知った。
「お前はあの男をどう見る?」
「そう・・・ですね。寡黙には違いないですが、それは言う必要がないからではないでしょうか。あの人の場合は、ただそこに居るだけで場が引き締まりますからね。まぁ、何を考えているかまでは分かりかねますが、洞察力の鋭い思慮深い方だと思いましたよ」
「そうか」
アルフレッドはギュクレイの方を見つめた。
ギュクレイは鍛冶屋の棟梁らしき男の手を握り、何か談笑している様だった。
傭兵団と鍛冶屋が親睦を深めているというのは良い事だが、その輪の中に自分が入っていない、入れない事を痛感していた。
「帰るぞ」
アルフレッドはそれだけ言うと後ろを向いて歩き出した。
「はい」
ウィリアムはアルフレッドの様子がおかしい事に気付きながらも、疲れているんだろう、くらいに思い、その後をついて行った。




