少女、旅立ちを決意する
「遅い」
落ち着かない様子にバルガは呟いた。
日が昇り朝の日差しも強くなる頃、鍛冶場では全ての支度が整い、後は炉に火を入れるだけの状態で止まっていた。
落ち着かない様子なのはバルガだけではない。
若衆はもちろん、古参の職人達も一様にそわそわとしている。
その様子を一人、カイだけが笑みを浮かべて眺めていた。
「親父、今日は来ないんじゃないか?」
「お嬢は来る、来ねぇなら必ず一言あるハズだ」
バルガはカイの言葉に確信を持って答える。
「けどなぁ親父」
「なんだ?」
「あの作業着さ」
「あん?」
「姐さんは喜んでたけど、寸法とか全然合ってないよな?」
「・・・そうなのか?」
「母さんもアレ着て仕事してたけどさ。・・・アレ着るの母さんが地味に嫌がってたの、親父知らないだろ?」
「・・・」
「そのまま着たら不恰好になるだろうし、姐さんだってちょっと変わってるけど、年頃の女性だよ?
自分で仕立て直すにしても時間かかりそうじゃない?仕立て直しに朝まで掛かって疲れて寝てしまったとか・・・あるかもよ?」
逆にぶかぶかになっている作業着のままに着て来たらどうなっていただろうか。
そんなセラスを想像して、かわいいと思うのか居た堪れないと思うのか、どちらにしても面白そうだと思うカイであった。
「そう・・・だったのか」
バルガはなんとも言えない難しい顔になった。
(恋する乙女みたいだな・・・、いや、おっさんだし例えるなら女神に恋した少年って感じかなぁ)
カイは父を見て、ぼんやりそんな事を思った。
カイはバルガや若衆たちと違い、セラスを女神とは思っていない。
綺麗で、かわいくて、ちょっと抜けてて、精霊に愛されてて、なんでも出来てしまうちょっと変わっている鉄が好きな愛すべきお嬢さん。
位に思っている。
カイもセラスの事は敬愛しているが、それは競争相手としてであった。
一度も鍛鉄をした事のない相手に競争もなにもないのたが、カイはどうしても自分の作った剣でセラスを唸らせ、感心させたかった。
まだたった数日の付き合いなのだが、セラスに認めてもらって初めて、父を越えられる。
そんな気がしていた。
「で、親父どうするよ」
「なにがだ?」
「やるか、やめるか」
とても真面目な顔を作ってカイは問う。
その問いにバルガは鼻で笑って見せた。
「馬鹿言ってんじゃねぇ、お嬢が来れねぇってだけで休んでちゃあ、それこそお嬢に笑われらぁ」
バルガはキースの方を向き、口を開きかけた時、カタリと音がした。
バルガが音のした方を向くと、ゆっくりと戸が開くのが見えた。
こんな時間に人が来るというのは珍しい。
セラスが来たのかと期待していると、確かにセラスが姿を現した。
着ている服は見たこともない形の物だったが、生地の色は昨日渡したものと同じであるとバルガは見てとった。
カイの言った通り、仕立て直しに手間を取らせてしまっただろうかと、少し済まなく思いながらバルガは戸口に向けて歩いた。
「お嬢、遅かったんで心配・・・お嬢、どうしました?」
いつまでも外に立ち、中に入ろうとしないセラスに、バルガはその異常さに気付いた。
「親父さんすまない、私は血に穢れてしまった。鉄は・・・打てない」
真っ青な顔をして、今にも泣きそうな絞り出すような声だった。
バルガは頭の中が真っ白になった。
鍛治の神が嫌う血の穢れや女人禁制とは、月の血や産の血の事を言う。
鍛治の神は女神であるから、年頃の女性が出入りするとを不興をこうむる。
という話もあるが、そもそもバルガは信奉していないので詳しくは知らない。
バルガは不穏な思考に入り込む前に、セラスの作業着に付いている点々とした赤黒い汚れに気付く事が出来た。
よく見ると口元にも血が垂れ、固まった痕が残っていた。
「すまないが、鉄を打つのは日を改めさせて欲しい」
青い顔のまま精一杯の笑顔でそう言い頭を下げると、セラスは背を向けてヨロヨロと歩き出した。
「ちょ、ちょっと待ってくださいお嬢!」
我に返ったバルガがセラスに駆け寄った。とてもではないが、そのままの状態で帰す訳にはいかなかった。
「だが、私は・・・」
セラスはチラリと炉の方を見やり、口をぎゅっと結んだ。
「お嬢、隣にうちらが使ってる休憩室があります。汚い所ですがそこには鉄はありませんし、鍛冶場とは別になってます。そこで一回休みましょう」
「・・・わかった」
セラスはバルガの手に引かれるがままに休憩室へと入り、椅子へと座らせられた。
バルガは後ろを見やり、ぞろぞろと後を付いて来る若衆と職人達の中からキースの顔を見つけた。
「カイ、茶出せ。キース、片付けと火の始末を頼む」
「は⁉︎・・・はいス」
キースはバルガに睨まれ渋々承知した。
バルガはキースが行った事を確認すると、セラスとは向かいの椅子に腰掛けた。
「お嬢、その作業着すいませんでした。寸法とか全然気付いてなくて・・・、その、手直し大変だったでしょう?」
何があった、と聞きたいバルガだったが、なんとなく気不味く、どうにか気を回してやれないかと考え・・・、気付いたら謝っていた。
「あぁ、これか。私は前のままでも良かったんだが、うちのティリアが、それじゃどうしても駄目と言ってな・・・。まぁ、裁縫も中々な楽しかったよ」
まだ顔は青いが笑みが少しだけ自然な感じになり、バルガはホッとした。
「しかし、お嬢、似合ってますね。見た事のない変わった形ですが、中々に合理的ですし・・・お嬢が考えたんですか?」
「ティリアだ。・・・そうか、似合ってるか良かった」
バルガはセラスの安堵の仕方に違和感を感じた。
誰かに似合わないと言われたのだろうかと、だが、態々そんな事を言う人がいるだろうかと考え、赤黒い汚れに思考を止めた。
「茶です。あったかいのを飲むと落ち着きますよ」
カイがさりげなくセラスの前に湯呑みを置いた。
「ありがとう」
セラスは湯呑みを両手で持つと、一口ずずっと飲んだ。
「はぁ、美味しいな」
ほんの少しの間、コトリと湯呑みが置かれたほんの僅かな時間、空気が凍りついた。
誰も動けず、息すらも止めて、ピンと空気が張り詰めた。
今、何かが起きた。バルガとカイは顔を見合せ、お互いに首を振った。
ほんの少し落着きを取り戻したセラスが、大男の暴言を思い出し、漏れ出した殺気だったのだが、それと知らない鍛冶場衆たちはそれが何なのか気付かなかった。
一人、空気を凍らしめた本人のみが自分の所業に身を小さくした。
「朝、支度に少し手間取ってな、いつもより遅くに出たんだ・・・」
セラスは決心したように、ポツリポツリと話し始めた。
「屋敷を出た所で雨で道が濡れている事に気付いて、いつも使う道とは変えて商業区を通る道を通る事にしたんだが・・・そこで酔っ払いに絡まれてな」
その場にいる各々がセラスが歩いたであろう道を想像し、絡みそうな輩の多い酒場を予想していた。
「私も、浮かれていたんだろう。それに絡まれた事もなかったから、対処に困ってしまってな」
セラスか普段に着て歩いている服は侍女服である。
セイリオスの中で侍女を雇っている屋敷は少なくないが、この周辺に至っては領主屋敷しかない。
領主に仕えている者に往々と手を出す輩は流石に少ない。
普段セラスが絡まれない理由はここにあったのだが、セラスはその事を知らなかった。
「鍛冶場を手伝う約束がある、と言ったら怒り出してしまって・・・な。その巫山戯た服はなんだ、女を入れる鍛冶場はクソだ、どうせロクな物も作れねぇんだろう、と。
終いにはその鍛冶場がクソだと認めたら・・・とか言い出したんで、ついカッとなって頭を掴んでしまった。訂正しろと言ったんだが、殴られて・・・」
ガタリ、と音を立ててバルガとカイが勢いよく立ち上がった。
「気が付いたら投げ飛ばしていた」
二人は立ち上がった勢いのまま、口を開きかけて固まった。
「後ろを見たら、一緒に飲んで居たらしい傭兵風の男らが剣を抜いてて・・・」
バルガとカイの顔が険しさを帯びた。
「気付いたら、そいつらもぶっ飛ばしてた」
バルガとカイは椅子を元に戻し、静かに座り直した。
激昂しかけた二人だったが、ぶっ飛ばされた傭兵を想像してやや溜飲は下がったが、まだ怒りは治まっていない。
「そいつらは傭兵だったんですか?」
バルガは平静を装い、話し掛けた。
「暁の戦士団・・・、いや暁の楔戦士団のバジウッド
、とか言ってたな」
「バジウッドさんがどうかしたスか?」
開いたままになっていた戸口からキースが顔を出して来た。
「お前、知ってんのか?」
一瞬、ぎょっとしたバルガだったが、登場としては最高の瞬間だったと考え直した。
「知ってるも何もここに何回か来た事もあるスよ」
「どんな奴だ?」
「どんなって・・・デカくて・・・顔に傷があって・・・声もデカくて怖い感じの人スけど、話すといい人っしたスよ」
「傭兵とか大体皆そんなもんだろ、もっと他に何かねぇか」
「そうスねぇ・・・、あー赤茶けたコイン持ってたスね、鎖に繋がったヤツ。隊長格しか持ってないって言ってたスね」
「お嬢」
バルガはセラスを見た。
「持ってたな赤茶けて鎖に繋がったコイン。盾を背にしてに三本の交差した楔が描いてあった」
「あー描いてたス・・・ね?あれ姐さんなんでそれ知ってるんでス?」
「キース」
キースの言葉の終わりに、バルガが穏やかな声で呼んだ。
「はい」
「お嬢がお疲れだ。送って差し上げなさい」
「は、はい?」
「お嬢お疲れの所、ありがとうございやした。
今日の所はゆっくりと休んで下さい。鉄は逃げやしませんから」
バルガは立ち上がり、深々と頭を下げた。
「そう、だな。ありがとう親父さん」
セラスはゆっくりと立ち上がり、ややふらふらしながら休憩室を出て行った。
「あ、送って行きまス」
ぼんやりと眺めていたキースが我に返り、セラスの後を追って行った。
カタン
と戸が閉まる音と共に静寂が下りた。
それから数分、誰もなんの音も立てず、身じろぎ一つしなかった。
異様な緊迫した沈黙、それを破ったのはバルガだった。
「今日はもう終いだな。カイ、戸締まりやっとけ」
「待て親父」
カイは近くにあった椅子を蹴り、バルガの向かおうとしていた戸口に飛ばした。
カイの知る限り、バルガが戸締まりを誰かに任せた事は一度もない。
そしてバルガの知る限り、カイが物を雑に扱っている所も見た事がなかった。
少し驚いたバルガはカイを見た。
「なんだ?」
「どこ行く気だよ」
バルガはカイをじっと見たまま答えなかった。
「親父よぅ、臓腑が煮えくり返ってんのはよくわかるけどさ、ちょっと待とうか」
「何をだ?」
バルガが目を剥き怒りを露わにした。
カイが今までに見たことのない、剥き出しの怒りだった。
「親父、抜け駆けはよくないだろう」
カイはバルガの目を見返して言った。
「カイ・・・いや、お前は駄目だ。俺はどうせ老い先短ぇクソジジイよ、責任は俺一人が取りゃあいい、それ」
ダァン
カイがテーブルに拳を打ち下ろしていた。
「鍛冶屋がコケにされた、俺ら剣工が傭兵に、だよ。なぁ、親父よぉ、俺はさ、爺さんを知らないけどさ、親父がどんだけ爺さんを追って、爺さんの剣を見て、努力して、考えて、悩んで、叩いて・・・、悩んで、苦しんで、また叩いて、叩いて・・・叩いて・・・」
カイの目から大粒の涙が溢れていた。
「俺はずっと親父すげぇ親父はホントすげぇって思って、俺はずっと親父の背中を追ってたんだよ。だからさ、親父が本当に打ちたかった剣が打てた時は本当に嬉しかったんだ。
それが姐さんのおかげだってわかった時は本当に感謝した。
姐さんは・・・俺らの武骨で火傷でボコボコになって煤で汚れた手を見てさ、目ぇキラキラさせてカッコいいって言うんだよ。いい仕事をする職人の手だって言うんだよ。
みんな、親父を尊敬してて、みんな、姐さんが好きなんだよ。それがコケにされて、仕事も親父も恩人までも蔑まれて、それで黙ってられるワケがねぇだろう!」
皆泣いていた。
バルガも泣いていた。
「馬鹿野郎、明日にお嬢が来るとこがなくなっちまうじゃねぇか」
「親父、誇れねぇままじゃ姐さんに、顔なんか合わせらんねぇんだよ」
バルガは涙を拭うと、カイら鍛冶場衆を見回した。
「しょうがねぇ馬鹿ばっかりだ」
バルガの口元が緩み、大きな声でガハハハと笑い出した。
確かにそうだ。
大して儲かりもしない、怪我をする事もよくある。いつも汗だくで煤だらけだ。けど、誇れない仕事をした事なんか一度もない。
常に全力だった。
バルガはカイを見た。
いつまでも子供だと思っていたが、一端の男になってた。
バルガは仲間達を見た。
一緒に汗をかき、泣き、笑い、一緒にメシを食った家族同然だ。
皆、一様に覚悟を決めている。
そこに悲愴も悲嘆もない。
バルガは嬉しくなった。
お前は何一つ間違えていない。
そう、言われている気がした。
「野郎共!」
「「「「「おう!」」」」」
「クソ傭兵共をぶちのめしに行くぞ!」
「「「「「おぉぉぉぉぉぉぁ!」」」」」
バルガを中心に気炎が上がる。
男達は誇りを取り戻す為、動き出した。
その時、セラスとキースは帰路についている筈だった。
セラスは屋敷の方向には歩いているものの、足取りは覚束ずふらふらと小道に入っては出てくるの繰り返していた。
セラスは思う。
自分は何者であるか、と。
自分が強いという事は分かっていた。
自分が普通ではない事も承知している。
あのバジウッドと名乗った大男は強かった。
単純な剣のみで競うならば、ウィリアムより上であろうと、セラスは思った。
だが、セラスはそのバジウッドを片手のみで軽々制してしまった、
セラスは自身の身の上を考える。
生まれも育ちも名前も分からない自分。
にも関わらず、部屋を貸してもらい、食事も貰い、服も譲って貰い、楽しみまで貰った。
自分には過分である。
これは分に過ぎた代償ではないのか。
そう考えたなら、ここ数日は楽し過ぎた。
女神と呼ばれ調子に乗っていたかもしれない。
人と関わるべきではなかったのかもしれない。
ほんの数日で手に入れたものを、侮辱され蔑まれ腹が立ち、殺してしまった。
いや、まだ死んでいないだろうけど、そう長くはもたないだろう。
セラスはふと立ち止まった。
(去るべきだろう。けど、その前にしておかなければいけない事があるな)
後ろを振り返るとキースが居た。
「キース」
「なんでしょう」
「暁の楔戦士団の拠点がどこか知らないか?」
「知ってます」
「案内してくれるか?」
「・・・姐さん」
セラスは言い淀んだキースを不思議に思った。
少しおちゃらけてはいるが、真面目で素直で聞けば何でも向き合って答えてくれるいい奴。
それがキースであるとセラスは認識していた。
「なんだ?」
キースは背筋をピンと伸ばし、頭を下げた。
「俺はなんで姐さんが凹んでるのか、なにがあったのか知らないス。言いたくなければ、聞くつもりもないス。けど、一つだけ伝えておきたい話があります。
俺はもちろん親方もカイ兄さんもみんな姐さんの味方ス。いつ如何なる時であろうと、誰を敵に回したとしても姐さんの味方スから」
セラスは苦笑いした。
全てを見透かされているかのような言葉だった。
「わかった、心しておくよ」
セラスは頭を下げたまま、固まったように動かないキースの肩を叩いた。
キースが頭を上げた。
「では、案内しまス」
セラスに背を向け歩き出す。
キースが振り返り、セラスを見た時、その足取りはいつも通りのしっかりとしたものになっていた。




