少女、精霊に請われて歌う
「ねぇねぇかあ様見て見て、なにか美味しそうな物がありますよ!」
肉を焼いている屋台を指差し、長い金の髪を揺らして歩く可愛い幼女が、傍にいる侍女服の少女を引っ張っている。
「こらダメだよティリア、お金がないんだから寄らないの」
「えー」
ティリアと呼んだ金髪の幼女を優しい目で嗜める、かあ様と呼ばれている黒髪黒目の少女。
嗜められたティリアは屋台に興味を失ったのか、すぐさま違う屋台や露店に目をやる。
「あ!あれ綺麗!かあ様あれなあに?」
「これは髪飾りだよ」
ティリアに手を引かれ店先まで来たセラスは、露店の品々に目をやる。
そっと手を伸ばし翠の石で彩られた髪留めを一つ手に取ると、ティリアの髪に触れ当ててみた。
「ティリアの髪は綺麗だからなんでも似合いそうだね」
「えー?かあ様の黒い髪の方がずっと綺麗だよぉ」
セラスは優しく微笑みながらティリアの頭をそっと撫でると、手に取っていた髪留めを元の場所に戻し「ありがとう」と露店の人に頭を下げた。
「ティリア、かあ様に綺麗な髪飾り買ってあげたい!」
「ふふ、ありがとう。ティリアが大きくなったら買ってもらおうかな」
優しく笑い合いながら二人はまた、歩き始める。そんな二人を眺める周囲の視線は複雑な様相を呈していた。
ある者は、ただその微笑ましさに優しい笑みを送り。
ある者は、その「かあ様」という言葉の奥底に隠されているだろう痛ましさを想像して涙を流し。
ある者は、なにかしてやれる事はないかと手を差し伸べる隙を伺い。
ある者は、どうにかお近付きになれないものかと様子を探っている。
それぞれに二人を眺める周囲の視線は複雑だが、一様に好意的である。
そして、二人の近くに立つ如何にも剣士風な男には、また一様に敵意悪意嫉妬が集められていた。
嫌悪の視線を一身に浴びる男、ウィリアムは嘆息を漏らす。
「セラス、ティリア、少し落ち着こうな。なにか欲しい物があるなら買ってあげられるから」
どうにか視線から逃れたいウィリアムは必死だ。
「私は別に食べなくても平気だし、特に欲しい物もないから大丈夫だよ?」
光の精霊であるティリアに本来食料などは必要く、そして精霊化に物質は巻き込めないのでやはり必要ない。
「私もお昼を食べたばかりだし、それに何かを飾れる様な身分でもないからな。私も大丈夫だよ」
キッパリと断ると二人はまた別な真新しい物を見つけて騒ぎながら歩いていく。
残されたウィリアムにはさらなる邪推と嫉妬によって、さらに増えた殺気が周囲から降り注いでいた。
(せめて・・・せめて何か食べてくれるなりしてくれれば・・・)
泣きそうになりながら二人の後を追うウィリアム。セラスとティリアの二人は、別にウィリアムを困らせようとしている訳ではない。
ウィリアムに悪意が向いてるのは知ってはいるが、それが何故なのか理解できていないだけであり、セラスはほぼ初めてと言っていい人混みや町並みに浮かれ、ティリアはその浮かれているセラスに浮かれているだけなのである。
なぜウィリアムが焦燥し色々と勧めてくるのか、気づかないほどに。二人に悪意がないだけにウィリアムは嗜める事も出来ず、只々曳き廻されていた。
「あ!かあ様アレ可愛い!」
「ティリアはああいうのが好きなのか?」
「ティリアはかあ様が一番好き!」
「ふふ、ありがとう」
(かあ様でなければまだ誤魔化せるだろうか・・・
いや、セラスにお金を受け取ってもらう方が先か)
セラスにお金を渡そうとしても、寝床とご飯の礼に仕事させてもらっているだけ、なので給金など貰えない、と突っ撥ねられてしまうのである。
ウィリアムはいかに現状を打開するか悩みながら、何故こんなことになったか、と考えずにはいられなかった。
朝、ウィリアムがセラスを見かけた時にはすでに様子が怪しかった。
侍女としての仕事を午前中に終わらせ、午後から出かけようと思う。
と告げに来た時、すでに浮かれているかに見えていた。
その時点からウィリアムは嫌な予感がしていた。
そして、昼食後。
屋敷を出るなり、
「かあ様ー」
ティリアが現れた時、ウィリアムの中で予感は確信へと変わったのだった。
(屋敷に戻ったら、とりあえず話し合いをしなければ・・・)
とはいえ、どう説得したものか皆目見当がつかない。
だが、それをしなければ今後、自分が出歩ける場所はどんどん減っていく可能性が高い。
実際、今来た道はもう二度と歩けない、歩きたくない気分だった。
ふと現実に帰って来たウィリアムは喧騒から離れている事に気付いた。
(よかった、出店通りから離れたのか)
出店通りは商業区内にある行商人や屋台での商いをする者に解放された区画である。
異国の珍しい物品や真新しい屋台が出ることもあり人混みは比較的激しい。
(途中で折れて来たのか、とするとこっちは工業区かな?)
十万都市であるセイリオスは広い、ここに住んでいるとはいえ、まだ一年程にしかならないウィリアムには細かな区分けなどは分からなかった。
「空気が変わったな」
ポツリとセラスがつぶやく様に言った。深呼吸するように大きく息を吸い込み、そろそろとゆっくり吐きだした。
「炭と鉄の焼けるいい匂いだ」
「煤っぽい気はするが・・・」
焼けると言えばそんな気はするが、いい匂いかと言われるとウィリアムには判断しかねた。
セラスはティリアの手を引きウィリアムを気にせず歩き続ける。
「槌の音が聞こえるなぁ、いい音だ」
歩を進めるほどにカーンカーンという金属を叩く音が強く聞こえてくる。
「この辺は工業区でも鍛冶屋の多い区画だったろうなぁ」
目を細め気持ち良さげに歩くセラスに対し、ウィリアムは忙しなく周囲を見回しながら所在無げに歩く。
ウィリアムはぼんやりと周囲を見渡しながらセラスの後ろをついて行く。
そして気付いた。
出店通りを歩いていた時は、ティリアに手を引かれて興味を惹かれたもの全てを見て回っていたが、工業区に入ってからは、キョロキョロと周囲を見渡したり、耳を澄ませている様子が多くなっていた。
なにか探し物でもしている様だった。
ウィリアムはセラスに尋ねようかと口を開きかけた時、セラスが立ち止まった。
カーンカーンと鉄を叩く音が一際大きく鳴り響く鍛冶場の前で、セラスは足元をジッと見つめ、しゃがみ込んだ。
ウィリアムがセラスの様子を注視している中、セラスは何かのカケラを拾い上げた。
「君が・・・呼んでいたのか」
大事そうに手の平の上に乗せたカケラにそう呟いた。
ウィリアムは、何が?と口から出そうになる言葉を抑え、目に魔力を集め、セラスの手の平にあるカケラを見つめた。
(ぼんやりと灰色に光るカケラ、いや、光っているのはカケラではなく、精霊か・・・)
弱々しく、今にも消え入りそうな光だった。
その明滅する姿は何かを訴えかけているかの様だったが、ウィリアムにはそれが何なのかわからなかった。
「わかった。私に出来うる事はしよう」
セラスが頷きそう告げると、灰色の光は最後に優しい光で輝き、弾ける様に消えた。
セラスの手にカケラだけか残されていた。
「今のぁ!」
セラスに近づこうとしたウィリアムは腰から強く後ろに引っ張られた。
「今のかあ様に近づくな」
ウィリアムの剣帯を掴み、横に立つティリアが居た。
ただ横に立ち、剣帯に手を掛けているだけにしか見えない姿であったが、ウィリアムは一歩たりと前に進めなかった。
「今のは、なんだったんだ?」
ウィリアムは小さな声でティリアに尋ねる。
「やっぱり見えなかったんだな、いや、うっすらは見えてはいても聞こえないか」
断定した言い方だった。
「なんで分かったのかって顔してるけど、私ら精霊は言わば魔力の塊、結晶みたいなものだからね。魔力に関して敏感だし、鋭敏だ。人って奴は魔力を通して精霊を見た気になっちゃいるけど、そんなの上っ面だけが見えてるだけ。
目で物を見る様に耳で音を聞く様に、魔力で魔力を感じ取れる様にならなきゃ、姿も見えないし声も聞こえないよ。あんた、かあ様から魔力操作を教えてもらってた癖に全然ダメだね」
「じゃ、セラスがよく見えているのって・・・」
「自然にあるがままに、その本質そのものを見ているからでしょうね。見ようとして見えるものではないんだけど・・・。あぁ・・・かあ様の魔力って、本当に綺麗だわ・・・」
ウィリアムは視線をセラスに戻した。
セラスは両手を合わせ、目を瞑り、静かに立っていた。
その姿からは魔力を感じない。
ウィリアムは先ほどティリアに言われた言葉を思い出す。
魔力をもって魔力を感じる。あるがままに本質を見る。魔力の操作を教えてもらってた癖に・・・。
確かに目に魔力を込めたなら物はよく見える。
それだけでは駄目なのだろう。
ならば、
(そうだ、教えて貰っているんだ)
ウィリアムはセラスに教えて貰っていた魔力練転を思い出す。今でも練習を欠かしていない、一歩間違えると身体をも破壊してしまう危険な技。
(魔力を通して魔力を感じる・・・)
ウィリアムは魔力を少しづつ練り上げ目の奥から眼球へとゆっくり回す。
(込めるだけでは駄目だ、目の玉そのものを魔力となる様に・・・)
目の奥から焼け付く様な痛みを感じる。
それを我慢するのではなく、魔力の通り道を作る感覚でゆっくり循環させる。
少し、痛みが和らいだ所で魔力が目に満ちたと感じ、ゆっくりと目を開けた。
「うぐぅっ」
あまりの光の強さに思わず目を閉じた。目に満ちていた魔力が霧散していく。
「馬鹿だね、あんたが見たのは精霊の世界だよ。魔力を込め過ぎなんだよ、人の目で精霊界なんか直視したら潰れるよ」
ウィリアムはそう言えばと思った。ティリアが言ったのは魔力の操作であって、魔力練転ではなかった。
一瞬ではあったがウィリアムは見えた光の世界を忘れられなかった。
風も土も水も・・・全てが光に満ち蠢いている世界。
(精霊とはこれ程までに満ちているものだったのか)
今迄感じていた精霊など極一部に過ぎなかったのだと実感していた。
ウィリアムはゆっくり目を開く。光を感じ、次いで景気が見えた。
(よかった、目は潰れてな・・・い⁉︎)
ウィリアムの目にはまだ精霊たちが見えていた。眼球に満ちていた魔力の残滓がウィリアムに淡くきらめく精霊の光を見せていた。
だが、ウィリアムが驚いたのは精霊達の姿にではない。ウィリアムの真ん前、手を合わせ魔力を練っているその人。
「なんて量だ・・・」
セラスからは魔力を感じなかった。
今も感じてはいない。
だが、目に残る魔力の残滓がセラスの内に巡る魔力を見せていた。
それは光の奔流だった。
セラスは言った。
魔力を糸の様に紡ぎ流す、それが出来たなら糸をより合わせ紐に、それが出来たなら紐を練りより強い糸に・・・。
どれほどの量の魔力が紡がれたのか、ウィリアムの目には夥しい量の魔力の紐が大河の様に流れる様が見えていた。
(外に一切の魔力が漏れてない、だからただ見ても見えないのか・・・どんな魔力制御だよ)
ティリアが嘆息しウィリアムが驚愕する中、セラスは手にカケラを持ったまま口を開いた。
エィヤァーソイヤァーア
ふいごをおしてぇ いのちをふきこめ
ひをぉおこせやぁ はがねをふきこめ
あかくいろづく はがねをみやれ
つちをもちてやぁ はがねをうてよ
エィヤァーソイヤァーサ
つちをもちてやぁ いのちをふきこめ
たたけやぁたたけ はがねをふきこめ
あかいはがねに いのちをかけよ
あかいたけりを はがねにこめよ
エィヤァーソイヤァーサ
エィヤァーソイヤァー
エィヤァーソイヤァーサ
エィヤァーソイヤァー
小さな声だが、力強い激しい歌だった。
ウィリアムはセラスの歌を見た。
歌声が波となり精霊達を打ち抜いていく様を。
(なにが起こっている⁇)
打ち抜かれた精霊達は皆元気に激しく動いているが、この歌は鍛治を題材にした歌だ。
この壁一枚隔てた向こう、槌を振るう鍛冶場では何かが起こっているに違いなかった。
鳴り響く槌の音と連動する様にセラスは歌い続ける。
永遠に続くかに見えたその光景は、槌の音が止むのと同時に終わった。
歌い続け、額に汗を滲ませているセラスは満足気に微笑んでいた。




