少女、早速書庫に籠る
「はぁ・・・」
フィーネ侍女長は深い溜め息を吐いた。
「間違いでもなんでも、抱いてしまわれましたらよかったでしょうに・・・。逃した魚は大きいですよ」
随分な言い方だなと思いながらも、アルフレッドはフィーネのセラスに対する評価の高さに少々驚いた。
「随分とアレを見込んでいるのだな」
「はい、セラス様と一週間、指導という形でお付き合いさせていただきましたが・・・、生半な方ではありませんでした。かのようは女性はもう現れませんよ?」
「フィーネがそこまで言うか」
フィーネはアルフレッドの父である先代から仕えている古参の一人である。アルフレッドも物心ついた頃からの付き合いであり、フィーネという人物をよく心得ている。
「一つ話せば、一つをキチンと理解し、二つ目に繋ぎ、五つ目まで考察し、十まで推測し、それを実行します。私も何十人と指導して参りましたが、あれ程までに覚えの良い者はおりませんでした」
「ほぅ・・・」
「それと、なんと言いましょうか。目が良いんですよ」
「目?」
「はい、見ているとなく見渡しているといいますか、見られているだけで見通されているかの様な・・・。不快という事はないのですが、きっと私が見ている景色とは違う物が見えている。そんな感じがするのです」
なんとも要領を得ない話しだったが、フィーネの隣に立っているウィリアムが、なにか気付いたかの様なハッとした顔をしていた。
「ウィル、フィーネの今の話しでなにか思い当たる節はあるか?」
「・・・はい」
ウィリアムは少し難しい顔をしながら、意を決した様に口を開いた。
「私は稽古の際に仮想敵を想像して戦うのですが・・・」
あぁ、アレか。とアルフレッドはウィリアムの稽古風景を思い出していた。前に走ったかと思えば横に弾ける様に飛び、木剣を振るったかと思えば、また弾ける様に飛び退る。
確かに何かと戦っている様ではあるが、余りに速く、アルフレッドには何をしているのか、さっぱり分からなかった物であった。
「それを見たセラスが、山の様に大きなお爺さんですね、と」
「ほぅ」
山の様に、なるほど、見る人から見たならばどんな相手と戦っているか見えるのだな、とアルフレッドは感心した。そして、直ぐに違和感に気付いた。
「お爺さん?」
「はい」
「それで・・・合っていたのか?」
「はい、私が想像した相手は祖父でしたから」
アルフレッドは顎の下に手を差し込み、深く考え込んだ。
「能力の底が見えなさ過ぎるな・・・。魔法の知識があり、精霊が見え、武芸の知識もあると見ていいのか・・・、それに・・・男を嵌める手練手管・・・」
「それは私の仕込みですよ」
フィーネがアルフレッドの呟きに答えを挟んだ。
「・・・肩の糸屑か?」
「はい、肩の糸屑からそれをこっそり取りに来た際に、手を絡め押し倒される風に絡まる転び方、そこから恥じらう仕草まで全部」
アルフレッドは再び頭を抱えたくなった。
「セラス様は男女の機微に関しましては中々に疎い様でして・・・」
苦労しました。とフィーネは小さく付け足した。
「私が、糸屑を取らなかったらどうしていたんだ?」
「後、三つほど仕込んでおりました。全てを回避された場合の最後の手段を・・・聞きますか?」
「・・・いや、いい」
聞いたならば、今後、女性を見る度に怯える羽目になりそうな予感がアルフレッドの脳裏に走っていた。
「最後にフィーネ、セラスの出自について何か思い当たる所は無いか?」
「・・・そうですね。最初は羞恥心の薄さや泰然とした様にかなり大きな貴族の出自かとも思ったのですが・・・、食器や食事の規則についても全く知らない様でしたから、その線は無いかと・・・」
「他には何かないか?」
「後は・・・踊っていましたね」
「踊り?」
アルフレッドはちらりとウィリアムを見た。ウィリアムはアルフレッドの視線に気付くと頷いた。
「私も見た事があります」
「それは、どんなものだった?」
「それは見事な・・・と言いたい所ですが・・・不思議な踊りでしたね」
フィーネはウィリアムを見た。
「そうですね、くねくねと言いますか、くるくると言いますか・・・、なんとも言いがたい見たことの無い踊り?でしたね」
「そうか、まぁ、わかった。ウィルは引き続きセラスに付いて、何かあったら教えてくれ」
「はい」
「侍女の仕事はどうしますか?」
「それは・・・本人の好きな様にさせてやってくれ」
「承知しました」
フィーネとウィリアムは一礼をして退室していった。
アルフレッドは席に着いたまま二人を見送り、ぼんやりと目の前に積まれた書類を眺め、
「疲れた・・・」
ぽつりと一言呟いた。これから書類と向き合おうという気力はすでになくなっていた。
その頃、セラスは許可された書庫に早速篭っていた。
書庫の隅に置かれた机の上には、すでに山の様に本が積み上げられている。セラスはその積み上げられた本の山のすぐ横で椅子に座り足を組み、黙々と本に目を通していた。
コンコンと扉が叩かれる音がしても、全く気にする事もなく、本を読む事だけに集中している。
やがて扉が開き、ウィリアムが顔を覗かせた。
書庫は本の痛み防止の為、換気の為の窓はあるが、日光が入り込まないように、硝子がはめ込まれていない。
外はまだ日の光に溢れているのだが、書庫の中は昼夜を問わず暗い。
ウィリアムがその薄暗いはずの書庫を覗き込み、一番最初に目に映ったのは眩いばかりの光だった。
書庫用の魔力で光るランタンもあるのだが、それよりもずっと強い光がセラスの頭の上で光り、本を読むセラスを照らしていた。
頭上で光る明かりの下、整った侍女服に身を包む黒髪黒目の女性が難し気に本を読む様は、まるで一幅の絵を見ているようだ。
と、ウィリアムは一瞬、心を奪われた。
「ふぅ」
なにをしていても絵になるな、とウィリアムは思いながら一つ息を吐いて気を取り直し、セラスに静かに近づく。
一々驚いたり、迷っていてはなにも出来なくなる。多少驚かされるのは仕様がない。ならば、思いついた行動を即断した方がいい。
ウィリアムは牢屋で垣間見た妖精の宴を、傍観しか出来なかった事への後悔からそんな結論をだしていた。
さて、とウィリアムは考える。
頭上に輝く光の玉から触れるべきか、その手に持っている本について聞くべきか、それとも、自分の存在に気付いている筈なのに未だ視線すら寄越さない所に突っ込むべきか。
一歩二歩とセラスに近づき、もう少しでセラスに触れられそう、という所でウィリアムは違和感を感じ、立ち止まった。
違和感と言うには些細な、だが明確な何か。
言うなればそれは敵意だろう。それ以上近づくならば、という警告。
そんな風にウィリアムは感じた。
では、誰からか。
ウィリアムの目の前にはセラスしか居ない。だが、セラスは本に目を向けたまま、ウィリアムに意識すら向けていない。
ウィリアムは視線をセラスの上へと向けた。
煌々とセラスを照らす光の玉。魔法具でも魔法でもない明かりをウィリアムはじっと見つめ・・・、ウィリアムは弾けるようにその場から飛び退った。
感じたものは敵意ではなく、明らかな害意。
セラスの頭上に浮かぶ光の玉は内部にある魔力を凝縮させ、そして動きを止めた。
いつの間にか、光の玉とウィリアムの間にセラスが立っていた。セラスはその手に開いていた本を持ったまま、光の玉をじっと見つめていた。
パタン、とセラスの手に持たれていた本が閉じられた。
「ティリア、降りてきなさい」
優しく、そして一切の拒絶を許さない強い声音だった。光の玉はセラスの声にビクリと震えると二つに分かれた。
光源として一つ残ったまま、分かれた一つがふるふると揺らめきながら、徐々に大きく膨れながら降りてくる。
子供くらいの大きさに膨れた光の玉は床に着くと眩い光と共にパチンと弾けた。
ウィリアムはその明かりの強さに一瞬、目を瞑った。
光の強さに奪われた視界が時間と共にゆっくりと戻ってくる。ウィリアムが視界を取り戻し、光の玉が降りたその場所を見つめると一人の女の子が立っていた。
身長にして120cmほど、年の頃は6歳か7歳程だろうか。
金色に輝く緩く波打った髪を腰のあたりまで伸ばし、白いワンピースを着ている女の子がチラリチラリと蒼い瞳を動かし、上目遣いにセラスの様子を伺っていた。
「ティリア、無闇矢鱈に敵意や害意を人に向けてはいけないといったでしょう?まして、攻撃を仕掛けるなんて以ての外ですよ?」
(優しく諭してるはずなのに凄い物騒に聞こえるのはなぜだろう)
ウィリアムの背中に冷や汗が流れた。
「でも、かあ様!あの人かあ様を凄いイヤラシイ目で見てたんですよ!」
(かあさま?母様!?っていや!!)
焦るウィリアムをセラスが振り返りジッと見つめた。
ウィリアムが弁明しようと口を開くより先にセラスは女の子に向き直り口を開いた。
「イヤラシイ目?」
(そこ!?)
「そうですよ!変な笑みを浮かべて、目を細めてじーっと見てたんです!変質者です!」
(あー、目は細めてたかなぁ・・・)
この位の年頃の子には変質者に見えるのだろうかと、なんとなしウィリアムは悲しくなった。
「ティリア・・・、彼は変質者ではないよ」
セラスは膝を折り、目線を女の子と同じ所まで下ろした。
「彼は・・・ウィリアムは目付きが悪くて無愛想で不機嫌そうな顔ばかりしている子だけれども、悪い子じゃないのよ」
(あんた俺の事そんな風に見てたのかよ!)
「・・・わかった」
(納得されたっ!?)
「じゃ、ウィリアムに謝ろっか」
「うん」
渋々、といった感じの女の子の頭を撫でながら、セラスは女の子を促してウィリアムを振り返った。
「ウィルごめんね」
どんな風に謝るのか、それとも拒絶するのか。色々としていた予想を裏切る、友達に挨拶でもするかのような軽い言葉だった。
「お、おぅ」
(なんか腑に落ちない)
偉い偉い、と優しく女の子の頭を撫でるセラス。エヘヘとはにかんだ笑顔を浮かべる女の子。その様子を見ながら突っ込んだら負けな気がしているウィリアムであった。
「でもティリア」
「なぁに?かあ様」
「私の許可なしにもう二度と敵意を飛ばしてはいけないよ」
「うん、大丈夫!一度ウィルには釘刺した方がいいと思っただけだから!」
「そう、よかった」
(い、いいの・・・か?)
にこやかに話し合うセラスと女の子。
ウィリアムは些かの疎外感を感じながら、二人の間に割って入る覚悟を決めた。
「セラス、和やかな雰囲気の所にすまないのだが、その子を紹介してもらえないだろうか」
人ではない高位の存在、そしてかあ様という呼び方。
自分の評価や認識はさて置いても、それだけはどうしても確認しておかなけれびいけない事案だった。
「この子はまぁ、認識としては私の子供になるのかな?名前はティリア。光の精霊だよ」
「おっす、おらティリア、光の精霊だ。よろしくな」
ウィリアムは気が遠くなった。
ある程度、予測していた答えではあったが、直接言われるととんでもない破壊力があった。
光の精霊。
それは存在は知られていても、実際に出逢った者のいない既知の奇跡。歴史書や叙事詩でしか語られる事のない、伝説の存在。
それがウィリアムの目の前に居て、軽く手を上げて挨拶をしてきている。
ウィリアムは主であるアルフレッドの苦悩をより深く理解した瞬間だった。




