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第九話

 

「準備は出来ているようだな」


 ぐるりとマードルが隊員たちを見渡す。

 藍丸まで視線がいくと、何かに気付いたように視線を上に向ける。


「お前の装備も用意する必要があるな。隊長に申請しておく。今日はそのままでやれ」

「はい」

「それでは始める。太陽があの木の上に届くまでだ」


 そしてマードルから最初に指示されたのは、走る事だった。

 兵舎の裏に訓練場となる広い広場があり、全員が同じように走る。


「良しというまで走れ。許可なく止めれば追加で走らせる」


 かなりペースが速く、藍丸は置いていかれないように走るのが精一杯だ。

 しかし、藍丸以外は30分ほど走った後に抜けていき、各々の武器を持って訓練している。

 藍丸を除く全員が息をまるで乱していない。

 革の鎧を着て走ってそうなのだから、凄い体力だ。

 比べて既に藍丸は肩で息をしている。スピードも最初に比べて随分と落ちてしまっていた。


 それから1時間は過ぎただろうか。太陽の光に照らされて汗が吹き出る。

 走っている最中に風が流れて火照った体に気持ちいい。


「へばったか? まだまだ終わっていないぞ」


 藍丸の足が遅くなったのを見たマードルが、水を貯めた容器を持ち藍丸に向けて水をぶっかける。


「ぶはっ」


 突然の事で驚くが、思った以上に体から水分が抜けていたのか、それだけで体力が少し戻る。


「少しは目が覚めたようだな。ペースを落とすな、楽をすれば何も身に付かんぞ」


 マードルは藍丸に檄を飛ばしながら、彼自身も休みなく剣を振っている。

 他の隊員の持つ剣とは明らかに違う大きさだ。

 長さは1.5倍はあり、厚みも2倍はあろうかと言う大きな剣を幾度と無く振り下ろしている。

 その度に風が巻き起こり、その風は重い音を伴っていた。


 その様子を見ながら走り続けていく。

 そうすると次第に走ること以外の思考が消え、重なっていく疲労に足をとられそうになる。

 目に汗が入り、それを手で拭う。

 息が熱い。いや体中の全てが熱されていた。

 周りの景色すら目に入らなくなる。


「――よし、ランマル。いいぞ!」


 かすかに聞こえたマードルの声に、藍丸は倒れるように座り込んだ。

 激しい呼吸がしばらく収まらない。

 あふれる汗を拭う事もせず、息が整うまで倒れこんだままだ。


「それなりに体力はあるようだな。ほれ」


 マードルから木の容器を渡される。

 中にはなみなみと水が入っており、微かに檸檬(れもん)の香りがする。

 口に含むとわずかな柑橘系の酸味が舌を通り、水分の足りない体に染み込んでいく。

 一息で容器の水を飲み干した。

 マードルがその様を見て苦笑する。


「ずっと走らされて不満か?」

「とにかく疲れました」

「だろうな。皮の鎧を着込み動くだけでも、並みの体力ではおぼつかない。鎧だけでそれだ。そこから武器を使おうと思えば、それどころではすまん」


 マードルはそこまで言うと、ランマルの隣に腰を下ろす。


「訓練でそれだ。実戦となればさらに何倍も疲れる。体力がなければ何もできんのだ」

「……」

「お前は武器をもてるようになるまで実戦には出さん。足を鍛えれば体幹も強くなる。それまでひたすら走れ」

「分かりました。それが適した方法なら、やります」


 すぐに頷く藍丸に、ややマードルは意外そうな顔をした。


「ふーむ。お前くらいの年ならさっさと剣を振らせろ、というのかと思ったんだがな。文句も言わず走り続けるのは少し驚いた」

「そう言われたので。あまりに理不尽な事を言われたらさすがに抗議しますが、走るのは体力作りの基本ですし」

「それが分かっているなら問題はないな。しかしランマル。その口の聞き方は何とかならんのか。どうにも肩が凝る」

「性分なので」

「そうか。まあいい。そろそろ朝食の時間だ。飯の後巡回の担当は街を回る。お前は雑用をその間に済ます事になる。

 これも力仕事だ。手早く済まさねば休む時間もなくなるからな」

「雑用とは聞いていますが、何をするんですか?」

「ん、言ってなかったか。洗濯だよ。掃除、道具の整備は各人の管理としているが、洗濯はとにかく時間を食うからな」

「……この兵舎には何人居るんでしたっけ」

「カイサマ街の部隊総員100名だ。最も休暇のものも居るので平時は70人程度だがな」


 最低70人分の洗濯を一人で……。

 洗濯機などあるようには思えない。というより電気がないのだから使えない。

 手洗いで70人分をこなすなら、確かに力は付く。

 しかし藍丸もこれには頭を抱えてしまう。


「昼までに終わらないといけませんか?」

「構わんがその後に行う訓練が終われば、また洗う服が出るからな」

「うわぁ……」


 頑張るしかないようだ。


「全員休んで良し!朝食だ!」


 マードルは立ち上がると全体に号令を飛ばした。

 その声で訓練中の張り詰められていた場の空気は緩む。

 剣を振ればやはり疲れたのか、隊員の何人かは肩で息をしていた。

 だがそう時間の掛からないうちに呼吸が整い始めている。


「ランマル。そろそろ立てるだろう。飯を食うぞ」


 そういうとマードルは藍丸の腕を引き、ぐいっと引き上げた。

 そのまま兵舎の食堂に行き、山盛りの飯を食べる。

 ひたすら芋、そして少しの肉と野菜を腹に収めた。

 芋はうまく調理されていて、飽きるほど食べた筈なのにまた食べたいと思えた。


「セリスの料理は芋が基本なんだ。食ってるか新入り」


 そう言って、食べ終わった藍丸の隣に二人座る。

 声をかけてきたほうは短髪で少し地味な顔の男で、もう一人は肩まで髪を伸ばした女性だ。

 奇麗というよりかわいいという顔つきをしている。着飾れば兵士にはとても見えない。

 だが、兵士になってしばらくたつのか革の鎧を着た姿も様になっている。


「美味しかったので平らげました」

「うまいんだけどひたすら芋なんだよなぁ」

「私は好きだけど。肉と違って幾ら食べてもそう太らないし」

「兵士やってて太れるなら大したもんだよ。副隊長のように筋肉ででかくなる事はあるけどな」

「おっと、話がそれるわね。私はカーレア。こっちはバミル。よろしくね」

「藍丸です。何か用事ですか?」

「雑用がお前に移ったからな。引継ぎってほどじゃないが、いろいろ説明しようと思ってよ」

「私とコイツは同期なの。半年後には何人か新しく入るだろうから、楽させてもらうわね」


 カーレアとバミルに連れられ、兵舎の裏側から訓練場を通り過ぎた場所に洗濯所が設けられていた。

 既に衣類が山となっている。

 下着類はないようだ。女性の下着も男の下着も、洗うには難がある。


 横には井戸が備えつけられており、使った水は溝に流れて排水される仕組みになっていた。

 排水先は恐らく川だろう。

 木の桶の中に同じく木の板が置かれ、近くに灰色の水がためられている瓶がある。

 灰色の水は濁っており、少し焦げたような匂いがする。


「この麦のワラで作った灰汁を使って洗濯するんだ。少しだけすくって桶の中に入れて水と混ぜて、服を洗え。とにかく洗え」

「手が荒れそうになったら、食堂から油をもらって塗っておくと良くなるわ。初日だし今日は手伝うわね」


 そうして三人で洗濯を始める。

 灰汁を使って洗濯は初めてだったが、効果は悪くないようで汚れもよく落ちる。

 だが、とにかく腕が疲れる。

 半分も終わらないうちに腕の感覚が消えてしまい、筋肉が吊りそうになりながらもなんとか終わらせる。

 バミルもカーレアも手馴れた手つきで、藍丸の倍に近い速度で洗っていた。

 その上で丁寧で、洗われた服は白さを取り戻している。

 洗った服は地面に付かないように敷かれている拾い木板の上におかれ、一つ一つ手で絞って物干し竿に吊るして干す。


 その後洗濯物を次々と干していく。

 この量ともなれば、干し終わったあとの光景はなかなか爽快だ。

 いい汗をかいた。


「こんなもんか。これからも手伝ってやりたい所だが、新人でやるのが決まりでな。なに、一人でも慣れれば休む時間は取れるさ」

「そうね。後、きっとこれをやる意味が武器を使う頃実感できると思うわ。人を雇わず、兵士がやる理由がね」


 そういうと二人は去っていった。

 藍丸は手を洗い、腕を水につける。

 腕の筋肉が張っているのが感覚で理解できた。腕を解し、兵舎の中へと戻る。

 教わった場所を歩いて確認し、寝室でセラに教わったとおり弓の手入れなどをしていると、鐘が兵舎に鳴り響いた。

 近くの兵士に聞いてみると、昼食の合図とのことだった。


 昼食は、そびえ立つ芋だった。蒸かした芋がホクホクとして、食が進む。

 付け合せのスープが芋と相性がよく、美味しく頂けた。

 しかしコレだけの芋は、用意するのも大変なのではないかと思って近くの人に聞いてみる。


「芋はよく取れるんですか?」

「ここの名産だよ。麦は不作だが、芋は何時も困らん程度には取れる。

 だが取れるのは街の周辺だけで、少し離れると途端に取れなくなっちまうんだ」

「街で使う分程度ってことですか」

「ああ。まあ多少余るが交易するにはちと少ないな。もうちっと取れればこの街ももっと潤いそんなもんだけどな」


 恐らく環境差によるものだろう。

 それがなければベルパー村でも芋を作っていたに違いない。


 食休みをはさみ、午後の訓練が始まる。

 午後は実戦形式のようで、木剣や木槍を使い一対一で戦っていた。

 その中、藍丸はひたすら走る。

 朝の疲れが抜けてはいないが、朝より少しだけ楽だ。


 ずっと走っていたので体の動きの無駄が少し減っている。

 息をなるべく切らさないようにしながら、マードルが良いというまで走り続けた。

 その合間、バーレンが訓練場に姿を現した。

 それだけで緊張感はあったものの、活気があった空気は一気に真剣なモノにかわる。

 藍丸は走りながらその様子を見る。


「数人でかかってこい。倒れたらすぐに次だ」


 バーレンがそう言うと、数人の兵士が武器を構えて一気に迫る。

 それを足払いで彼女は一気にいなし、木剣でそれぞれの兵士を叩く。


「攻めが単純すぎる。魔獣どころか人も倒せんぞ。次」


 次いでバーレンに突き出されたのは木槍。それも避けにくい二方からの突きだ。

 しかし片方をバーレンが木剣で上から叩くとあっさりと弾かれる。

 相手の兵士は大柄だが、力負けしていたのか叩かれた勢いで前のめりに傾いている。

 残った槍の先端を彼女は難なく掴み、そのまま槍を持った兵士の腹を蹴り上げた。

 それだけで蹴られた兵士は沈黙してしまう。


 そんな様子で、何人もの兵士が何回かかってもあっさりと返り討ちになっていた。

 確かに隊長であるバーレンは非力には見えないが、副隊長に比べれば普通の女性より少し逞しい、といった程度だ。

 筋力というよりも、しなやかでバネのある筋肉を上手く生かしている。

 加えて外から見ていると分かるが、機を合わせるのが恐ろしく上手い。

 このタイミングしかないという場面を難なく捉えるのだ。

 あれでは相手は攻めも受けも難しい。


 走り終わる頃、藍丸は再び満身創痍となっていたが、バーレンと戦った兵士たちはもはや死屍累々と言ったありさまだった。


「まだ私に一撃は入れれんか。精進しろ。さてマードル、一手やるか?」

「隊長とやると加減が出来ずに、木剣をへしおってしまいますからな……切り結ぶのは一度だけにていかがで」

「ほう、偶にはそういうのも良いだろう」


 そう言ってバーレンが始めて剣の構えを取る。

 両手で剣の柄を握り、そのまま顔の右まで上げた後に剣の先端をマードルへと向ける。

 表情は尚引締まり、戦士の顔つきになった。

 剣を向けられたわけでもないのに、藍丸は底冷えするような恐怖を感じる。


 相対するマードルは、剣を握りこむと大きく腕を左へとねじる。それでいて視線はバーレンへと向いていた。

 ゆっくりと互いが距離を詰める。

 見ているだけでも張り詰めた空気が感じ取れた。

 バーレンの方が距離を早く詰めている。互いの距離が二メートルを切るか切らないか、という瞬間にバーレンが動いた。

 藍丸の目には動き出す瞬間が見えず、気付けば彼女が剣をマードルへと突き出している。

 マードルはバーレンが動く本のわずか後に剣を振り始めていた。

 構えの差から見ても明らかに間に合わない。

 バーレンの剣がマードルに触れる瞬間、マードルはその屈強な肉体からは考えられないほど俊敏に上体を後ろに反らし、バーレンの剣を避ける。

 そこでようやく、マードルの剣がバーレンへと襲い掛かる。

 マードルの膂力が込められた一撃だ。木剣とてまともに受ければ骨は確実に折れる。当たり所が悪ければ致命傷になるだろう。

 バーレンがその迫る一撃を見て、突いた一撃を右手の手首で少し左へそらすと、そのまま強引にマードルの一撃に合わせて振り下ろす。

 互いの一撃が触れ合った瞬間、藍丸の心臓がはねるほど大きな破砕音が響く。

 折れたのはマードルの木剣だ。バーレンの方もヒビが入っている。


「おや、どちらにしても壊れましたな」

「相変わらずの力だな。いなすように打っても弾かれそうだった」


 片手で成し遂げたバーレンの方が只者ではないと藍丸は思う。


「また負けですかな。むーん、残念」

「マードルの真価はあの分厚い剣を持ったときだからな。私としても模擬戦で勝っても誉れはない。ただ新入りに一度見せておこうと思ってな」

「なるほど、そういう意図でしたか。なら私の申し出は蛇足でしたか」

「構わん。先ほど程度の事が出来なければ、中型の魔獣には通じん。半年で一度は出来るように仕込む」

「出来なくはないでしょうな。才能は分かりませんが、サボる類の人間ではなさそうだ」

「で、あればいいがな」


 そう言って隊長と副隊長の二人は藍丸を見た。 

 藍丸はその視線に気付かず、先ほどの音に少しびびっていた。



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