第六話
出来た鹿肉の煮込みを食べる。
大変肉が柔らかく、塩と香草が肉の味を引き立ててとても美味しい。
食べ終わると日が傾き、夕方の時間になった。
独特の味がするお茶をご馳走になり、少しセラと喋ったあと寝床である倉庫に戻る。
鹿肉の煮込みが余ったので、食器に入れて蓋をして置いておく。明日の朝食にしよう。
明日は脱穀の後、そのまま製粉に移る予定だという。
藍丸はもっと時間が掛かると思っていたが、村人そうでで臼を使えばなんとかなるらしい。
どの家庭にも小さい臼が有り、村長の家などは大きい物もあるという。
そういえば目の前に大きい臼がある。明日はこれも引っ張り出して使うのかもしれない。
かなりの力仕事になりそうだ。恐らく早朝から作業が始まるだろうから早めに寝て置いた方がいいだろう。
藍丸はそう決めると、窓からの明りがまだあるうちに鍵を閉め、早々に寝入る。
ライ麦の収穫に狩りへの同行。
体力仕事に初めての経験ばかりだった事もあり、心地良い疲れからすんなりと寝る事が出来た。
――鶏の朝鳴きはどこであっても共通のようだ。
昨日は聞こえなかったが、今日は睡眠の浅くなった所に鳴き声が聞こえたので目が覚めた。
外はまだ太陽が出ていない。恐らく午前5時前程の時間だろう。
ゆっくりと体を解しながら起き上がる。
家の中はほぼ暗いのでコケないように歩きながら鍵を外しドアを開けた。
冷たい空気が流れ込み、少し冷える。
「昼は暑いくらいなのに、朝は大分冷えるな」
体を少しさすりつつ、藍丸は外に出る。
倉庫の中には水を溜める瓶もないので、顔を洗うにしても水を飲むにも川に行かなければならない。
外はまだ暗いが、倉庫とは違い少しなら見える。これなら歩いていけるだろう。
歩いている途中に太陽が少しずつ顔を出しているのか明るくなり、顔を洗って水を飲んでいる間に薄っすらとだが日が差している。
東を向くと、空気が澄んでいるのか太陽の輝きがはっきりと見え、じっと見て居たくなるほど綺麗な光景だ。
少しだけ眺めた後に明るくなった道を戻ると、村の人たちも起きだして早速準備を始めていた。
倉庫に戻り鹿肉の煮込みを食べ終わると、セラの家へと移動する。
何度かドアをノックすると既に起きていたようで、返事が返ってきた。
「どなた? ってランマルじゃない。早いわね。どうしたの」
「作業の手伝いをと思ったんだけど、当てがセラのとこしかなかったんだ」
「なぁんだ、そういうこと。でも女性の家に来るのだから、そこはもっと工夫して言って欲しかったかな」
「工夫?」
「もう、自分で考えなさい! さて、それじゃ折角だから一杯働いてもらおうかしら」
何か間違っただろうかと藍丸が聞いてみると、セラに窘められる。
「わ、わかったよ」
行動が決まるとセラの動きは早い。
藍丸がオタオタしている間に準備が終わってしまい、小さめの臼と足踏み脱穀機を外に出すように指示される。
決して藍丸が愚鈍な訳ではないのだが、セラの方がテンポが速い。
足踏み脱穀機は小さくてとてもシンプルだが、必要な機能は備わっているようだ。
足で板を踏むと、確かに木が回転する。
準備が整うと、割り当てられたライ麦を貰ってきて早速作業を開始する。
ライ麦の種籾が散らからないように袋の口をあけて敷き、藍丸が足踏みをし、セラがライ麦を抱えて種籾を飛ばす事にした。
ゆっくりと足踏みを始め、木の回転が安定したら早速ライ麦を木の尖らせた部分に当るようにセラが持つ。
すると袋の中へ勢いよく種籾が飛んでいき、瞬く間に数本のワラから種籾が無くなる。
セラは回転が無駄にならないようにスムーズにライ麦を入れ替え、手際よく種籾を回収していく。
どっさりと積まれていたワラが見る見るなくなっていき、太陽が十分昇る頃には終わってしまった。
「さ、次は粉にしないとね。でもその前に一休みしましょうか」
「そうしよう」
セラは家の中からお茶と干した果物を取ってきて振舞ってくれる。
それを昼食代わりにし、いよいよ製粉作業に入る。
籾殻はついたまま粉にするらしい。
そういえば小麦粉でも白いものと茶色いものがあった。
臼など初めて触ったので少しまごつくが、セラの指導も有りコツをつか始めると上手く使えるようになる。
小さい臼でも回すのは力の入る作業だったが、結果が直ぐに目に見えるためかモチベーションが維持しやすい。
合間に休憩を挟みながら、ずっと続けていると太陽も昇り時刻は昼になる。
一度に多く回さず、一度の回転ごとに少量ずつを延々と繰り返していくとやりやすい。
「大体終わったねー、やっぱり男の手があると全然違う。ありがとう藍丸」
「俺も楽しいし、いい経験だ」
とはいえ、大変な重労働である。
今回だけならいいが毎回と考えるとやや辟易する。
確かこういう場合、何かを使っていたような……
「終わったら川で涼みに行きたいわ……でも出来た粉ですぐパンを焼いてみたいし」
セラの独り言を聞いて思い出す。
――川、水……水車!
水車だ。確か水力で製粉が出来たはず。
「いい事を思いついた。今回は間に合わないけど、伝えるだけ伝えてみるか」
「どうしたの?」
「楽ができそうな事を思いついただけ。ちょっと川に涼みに行こう」
「? ええ、そうしましょう」
涼みにいく間に周りを見たりセラに尋ねると、この辺りは水源が豊富で小さい川が幾つか流れており、水車を回せるような大きな川も有った。
水車の実物は見たことがあるし仕組みも一応簡単な原理は分かる。
しかし組み立て方や設置などは全くのお手上げだった。
確か大工がいると言っていたし、概念が分かればそう遠くないうちに水車が出来るかもしれない。
電気の力は無理だが、水力も相当強い力だ。利用できるなら便利だろう。
しばし川で休んだ後、戻って残りの種籾を粉にする。
「そういえばライ麦は栽培するかどうかは決まってるのか」
「村長から話が来てたわね。このライ麦が生っていた場所を軽く均してライ麦畑にするみたい。道は徐々に作るって聞いたわ。
畑にすると国に連絡して一部を納めなきゃいけないけど、今回の事で余裕が出来たし、元々ライ麦が実ってるんだから広げるのは簡単よ」
「たしかライ麦は小麦よりも育ち易いはずだから、いいと思う」
「そうなの? そういえば今年は雨が少ないのにこんなにしっかり実ってるわね。後は味がよければ文句は無いわねぇ。味が悪くても食べれるだけいいんだけどね」
「味は小麦の方が良かったと思う、ただライ麦は香ばしいし独特のうまみが有るから、それがいけるなら美味しいはず」
「へぇ」
時間を掛けつつ残ったライ麦の種籾を全て粉にしてしまう。
出来た茶色の粉は、掴んでざーっと下へと流すと太陽の明りに照らされて輝きまるで砂金のようだ。
粉にすると、取れたライ麦からするとやはり大分少なく感じる。
しかしそれでも集めれば数キロ単位はある。
粉が皆用意できれば再びライ麦を刈りに行くだろうから、食料に関してはかなり目処がついたといえるだろう。
「さて、それじゃパンをつくりましょうか?」
「発酵はさせないのか?」
「パン種のこと? 少しだけど有るわよ。そういえばライ麦の粉からも作れるのかしら」
「出来たと思うけど……」
思わず発酵のことを聞いたが、普通に浸透しているらしい。
良く考えれば日本でも農家の人々は発酵と縁が深かった。
それは此方でも変わらないのだろう。
「どんな味がするのかしら。楽しみだわ」
セラはそういうとライ麦の粉に水を入れ、パン種を混ぜてこねておき、一部をパン種にする為に避けておく。
しっかりと混ぜてこねれた後、セラの家の中で涼しい場所に保管される。
「これでよし、と。膨らむまで暇ねぇ……、そうだランマル。一仕事してくれない? パンだけじゃ味気ないからスープをご馳走するから」
「それなら手伝うけど、何をするんだ?」
「薪割り。少なくなってきてそろそろ補充する心算だったの」
そういえば村長の家もセラの家も火は竈で焚いていた。
電気、ガス、水道。
当たり前のように利用していたサービスだったが、なくなってみるとこれ程違うものなのかと痛み入るばかり。
しかし彼らにとっては生活の一部なのだ。多少経験した程度で一人泣き言を言うのは筋が違うだろう。
藍丸は返事をした後に腕をまくり、鉈を借りると家の裏手に周り、薪を丁度いい大きさに割っていく。
月に一度村の男たちで木を切り、家々に必要な分を配布しているようだ。
協力し合う事で生きる。必要に迫られて、という部分もあるだろうがその意味を藍丸はしっかりと覚えようと思う。
カコーン、と気持ちのいい音ともに薪が割れていく。
ずっと集中していたのか、気付けば割った薪が山を作っていた。それらを何回かに分けて抱え、いわれた場所に置く。
これで暫くは大丈夫だろう。
時間も大分経っていたのか、セラの家から白い湯気が立ち、良い匂いが立ち込めている。
「薪割り、終わったよ」
「ありがとう。こっちもそろそろよ」
スープだけではなく、パンの焼ける香ばしい匂いも漂ってきた。
思わず藍丸は喉を鳴らす。
「ランマル、ちょっと手が離せないからお皿を取ってくれる? それじゃなくて、そうそうそれを二つと大き目の奴」
言われた通りに置くと、そこにスープがそそがれ、大きめの皿は中央に置かれる。
「さて、パンは……うん、良い色。よいしょっと」
竈の蓋を開け、中からパンが取り出される。それはそのまま大きい皿に置かれた。
ライ麦パンはしっかりと焼け、濃い茶色になり香ばしい匂いが否応なく食欲をそそる。
「バターも余ってるし使っちゃいましょう」
サクッ、とナイフでパンが切り分けられる。
中は粉のときと同じ色をしており、食パンよりもみっちりと詰まっている感じがした。
そこにバターが塗られると、バターが溶けて良い感じに絡まる。
「それじゃあ……頂きます」
「いただきます」
二人は手を合わせ、早速パンを掴む。
「あつ、あつっ!」
熱々のパンは湯気を放っており、少し苦労して口に運ぶ。
すると外側のかりっとした歯ごたえと中のしっかりとした弾力が楽しめる。
そこへライ麦の風味と仄かな甘み、そして独特の酸味が口に広がった。
「あら、美味しいじゃない」
「ほんと」
小麦で作られる食パンとは大分味が違うが、食べ応えがありスープとの相性もとてもよい。
藍丸は直ぐに気に入り、しっかりと味わいながら食べる。
セラも食べながら焼き加減を自画自賛しているようで、美味しいと言いながらパンを摘んでいく。
結構大きかったライ麦パンはあっという間になくなってしまった。
「ご馳走様……、パンもスープも美味しかったよ」
「うん。私もびっくりした。これなら幾らでも食べれるわね。中も詰まってたし日持ちしそうだわ」
「一週間は優に持つはず。保存食としても使われて多様な」
「それは助かるわね。あんまり置いておくと凄く堅くなりそうだけど」
そんな事を話していると、家の外がなにやら騒がしくなる。
「外が騒がしくなってきた? 何かあったのかな」
「見てこよう」
騒いでいるというより、困惑のような声が聞こえてくる。
不安になって外へ出ると村長とトモ、それから若い何人かの男が誰かと話しているようだ。
ただ、その様子とても談笑しているようには見えない。
周りの村人も身を縮めていて、嫌な緊張が村を包んでいるようだった。
「あれって……うそ、なんで徴税官――様が此処に」
とってつけたように様をつけたセラ。
「あの男が徴税官か」
村長と話している男がそうだろう。身なりがよく、それも貴族がきる様な服を着ている。
お供には二人ほど男が居た。腰に剣をぶら下げ、簡素な鎧を着込んでいる。
村長は頭を下げながら、何かを説明しているようだった。
此処からでは聞こえないので近づく
「あ、ランマル。だめだってば」
セラが止めようとするが、大声を出すと注意を引いてしまうからかその制止は弱かった。
ゆっくりと近づくと会話が聞こえてくる。
「……村長。私は以前この村が餓死の危機にあると報告を受けた。が、どうにもそのような様子は無いように思われる」
「徴税官様、その報告は誤りでは有りません……、報告のとき確かに税を出せば食べ物は殆ど残らない有様だったのです」
「では、皆が挽いている麦は何だ? パンを焼く匂いも漂ってくるな。――村長。まずこれだけは聞く。隠田をやったのか」
「いいえ、断じて。私は間違いなく村の状態を常に徴税官様に伝え、税を一度も遅らすことなく言われた分をずっと納めました。
誓ってこの村は国にそむいて降りません」
双方がじっと真意を探りあうように見つめている。
藍丸は口を出すべきかどうか迷う。
代表者同士の話し合いだ。余計な事を言うと相手の不評を買うだけになってしまい、村長の邪魔になる。
「信じよう。それに値する信用はこの村にはある。だが、ならばこの状況を説明せよ」
そう言って徴税官はぐるりと周りを見た。