第五話
着替えも乾き、二人はゆらゆらしつつ村へと戻る。
昼食は森の主が着地した際に川から魚が何匹か飛び出ていたので、それを拾ってセラの家で焼いて食べた。
塩が在ったので海は近いのか尋ねると、どうやらセラは海を知らないらしい。
とてもとても大きな湖という説明をしたら、そんなものあるわけ無いじゃない、と鼻で笑われた。
見事にその様が似合っていて時代が時代なら一世を風靡しただろう。
恐らく他の村人も知らないという。
海という言葉が無いのか、海の存在自体知らないのか。どちらにしてもここは随分内陸に位置しているようだ。
(そういえば、あまりに違和感がなくて気付かなかったけど良く言葉が通じるよな)
村人達は皆農作業で肌が焼けているものの、顔付きは堀が深く白人だ。
しかも山奥ともなれば、日本語で話しているとはとても思えないのだが……。
とはいえ日本語で聞こえるし、日本語で話しても通じるのだ。
答えもなければ不便が無い以上それで納得するしかない。
その後は暇をもてあまし、仮住まいの倉庫前で寛いでいると昼も大分過ぎ、暑さも和らぐ時間になる。
すると何人かの若者と村人を纏めていた大柄の男が、弓や槍を持って集まっているのが見えた。
そういえば今日は元々は狩りをする予定だったらしい。
急ぐ必要は無くなったが、あって困るものでは無いだろうから有志で行くのかもしれない。
藍丸は当然ながら狩りの経験などは無いが、やってみたいと好奇心をくすぐられる。
本来なら迷惑になるのは分かっているので自重するのだが、体が若い所為か元気が有り余っている。
もしダメなら断られるだろうし、聞くだけ聞いてみようと集まりに近づいた。
「おー坊主。どうした?」
「もしかして狩りに混ざりたいのか?」
藍丸の存在は好意的に受け入れられているようで、からかい混じりながらも笑って相手をしてくれる。
「狩りの経験は無いんで、迷惑をかけると思うんですが着いて行っていいですか?」
「うーん、トモさんどうします? 追っ掛け役なら邪魔になら無いし俺は良いと思いますけど」
背が高めのあんちゃんがフォローに回ってくれる。
ありがとう。君は今輝いてる。
トモさん、と呼ばれたまとめ役の男は右手であごひげを触り、少し考えている様子だ。
「坊主、槍とか弓の経験は……なさそうだなぁ。体力はあるみたいだがイマイチひょろいし」
「全く無いです、すみません」
「まあ、こういうのは経験だ。ちゃんという事を聞くなら連れて行ってやろう」
「いいんですか? ありがとうございます」
「おう。ただおめぇも若いんだからもうちょっと砕けて話せや。堅っ苦しくてかなわねぇ」
「そうで、そうすっ……すんません。言いにくいんでやっぱこのままで」
「ま、いいけどよ」
「トモさんが行き過ぎなだけって気も……いてっ」
余計な事を喋る若者にトモは拳骨を振り下ろす。
それほど力が入っていないのだろう。
加えてよくあることなのか拳骨を食らった若者も一言謝って笑っている。
「あんまりのんびりしてると出る前に夜になっちまう。いくぞ。……そうだ坊主。もし獲物が直ぐ捕まったら弓も教えてやる。使えると便利だからな」
「そういう事なら頑張りますよ。是非御願いします」
トモと若い男衆が3人、それに藍丸で5人が纏まり、山の方へと移動する。
大いなる森ほどではないが、緑の多い山林だ。
村からも見えているが、入り口まで15分ほど歩く。
「あと数ヶ月もすればこの森も食べ物が良く成るんだが、この時期は獣の食い物しかならねぇ。どんぐりは渋くて食えねぇしな」
「どうしてもってんなら食べるんですけど、遠慮したいっすね」
「今日は何を狙うんですか?」
「猪が取れれば食いでがあるんだが、追いかけるのが坊主だと吹っ飛ばされそうだな。鳥やウサギじゃ足りねぇ。
鹿だ。鹿を狙うぞ」
「坊主は初めてだし説明した方がいいんじゃないですか? 訳も分からず怒られるのも可哀想だし」
「わーってるわーってる」
トモは手をひらひらとさせ、場を収める。
「ま、狩りは腕と経験だが、取れるか取れないかは正直天に任せるしかねぇ。
誰が悪いってのはまず無しだ。俺たちはずっとそうしてきた。坊主もこれは良いな?」
「はい」
そうするとトモが一人の男の肩を叩く。
「まずコイツが一番村で弓が上手い。次いで隣のコイツだ。この二人の弓でしとめ切れなかったとき、俺とそいつが槍で止めを刺す」
「俺はともかく、他は全員弓の方がいいのでは」
「初めての奴は大体そう言う。遠くから人数を増やして打てば当るってな。だが、並程度の腕前じゃどれだけ集めてもそうあたらねぇ。弓矢も馬鹿にならんからな。上手い奴が確実に当てに行く。これが一番効率がいい」
「そういうもんですか。覚えておきます」
「んーで、坊主は獲物を弓で狙いやすいように、獲物の前に立って足止めしたり脅かせたりして上手く誘導する。
難しく感じるかも知れんがやってみりゃ簡単だ」
「簡単……、やるだけやってみますが」
「おう。それでいい。ただ真正面に走ってきたらなんとしても避けろ。鹿相手でも骨くらい簡単にやられるぞ」
「俺も一度ぶつけられて暫く起き上がれなかった。洒落にならんからな」
「ぎゃー! なんて悲鳴上げるから死んだかと思ったぞ。あの時は」
「俺ももうだめかと」
そう言って皆が爆笑する。藍丸も釣られて笑った。
この人たちは十分な経験を積み、苦境も糧にしてきたのだろう。
その一部分だけでも経験できるのだ。しっかり学ぼうと藍丸は気合を入れる。
森の入り口につくと、トモが一度振り返って注意事項を言う。
「他の連中には繰り返しになるがまず、獲物を見つけるまではかならず俺の後ろを付いて来ること。途中何かに気をとられても無視だ。大事な事なら前の奴に伝言して先頭の俺に届けろ」
藍丸だけでなく、他の3人も真剣な表情で聞く。
命の危険がどこにでもある。彼らはそれを良く知っているのだ。
「道中はなるべく音を立てず、姿勢は低く進む。山の獣は気配に敏感だからな。直ぐに此方の位置がばれるぞ。全員分かったか?」
藍丸を含め4人が頷く。
トモはそれを見て一度頷き、右手を上げて前へと手首を曲げる。
前進の合図だ。
道中は良く喋っていたが、トモが言ったとおり森に入ってからは誰も一言も喋らない。
それどころか息遣いすら小さく聞こえないほどだ。
場の空気が一転し、緊張感を含んだものになる。
(これが狩りの空気……鳥肌が立ってきた)
なんとか藍丸はそれに習いついていく。
前に進む四人は足音さえ聞こえないほど静かでありながら、かなりの速さで山を進んでいた。
藍丸は追いつく為に少しだけ音を立ててしまいながら見失わないように必死になる。
暫く進み、体感時間ではもう何時間も経ったかの感覚を感じていると、先頭のトモがゆっくりと右手を上げて立ち止まる。
止まれ、の合図だった。後続はそれを見て指示に従う。
「鹿を見つけた。丁度いい具合に一頭だけだ」
トモが小声でそう言うと、目付きが藍丸以外明らかに変わった。
狩るモノの目。獲物をしとめるだけに全てを集中させるかのような統率された集団がそこにいた。
「坊主、左に開けた場所が在るのは分かるな。弓を撃つ奴らを潜ませて、更に奥に槍を持ってる俺らが待機する。お前は左に誘導する事だけを考えろ。回りこむまで音を立てずに……そうだな、あの辺りから飛びでれば驚いて左側に来るはずだ。でかい声を上げると尚いい」
そうトモが指差した場所を藍丸はしっかりと目にする。
「多少の失敗ならなんとでも出来る。あと無茶はするな。矢に当らないように脅かしたら直ぐに引っ込め。やばそうなら引いて戻って来い。いいな? 分かったら頷け」
藍丸が頷くとトモはよし、と言って藍丸の肩を叩き他の若者を連れて配置に移動していく。
(俺に出来るのかな。いや、此処まで来たんだ。言われた通りにやればなんとかなる)
藍丸は音を立てないようにゆっくりと移動する。
ずっと背を丸めている為体が痛いが、集中しているのか苦にはならない。
鹿が動かない事を祈りながら、少し時間を掛けて目的地へと到着する。
餌を食べていたのか鹿は先ほどから殆ど動いていない。
後は脅かすだけだ。緊張で心臓が鐘を打っている。
唾をゆっくりと嚥下し、意を決して息を十分吸い込むと木の間から飛び出す。
「わっ!」
なるべく大きな声を出し、襲い掛かるかのように両腕を大きく掲げる。
それを見た鹿は一瞬硬直した後、一目散に逃げ始めた。
トモの行ったとおりの場所へと。
藍丸は直ぐに隠れると、直後に鋭い音が4回ほど響く。
振り返ってみると鹿の胴に二本、後ろ足の付け根にも二本矢が刺さっていた。
(凄い)
素人の藍丸でも分かるほど卓越した腕前だ。
しかしそれでも鹿をしとめるは足りないのか、動きが鈍くなりつつも鹿は逃げようと走り始める。
そこを遮り、トモともう人の男が槍で鹿の胸を貫いた。
少しだけ痙攣した後に、鹿は息絶える。
此方も堂々とした見事な一撃だ。
「坊主、こい!」
トモの呼びかけで藍丸は直ぐにトモの所へ移動する。
「良くやった! 鹿一頭なら俺らの分け前を引いても、食い物の少ない家に十分行き渡る。今から持って帰る為にまず解体するぞ」
「俺ら水場を探してきます」
「おう。確か近くにあったはずだ。よし、俺らで運びやすいようにこれに鹿を乗せるぞ」
トモがそういうと、背中に背負っていたフクロの中から木の棒に布を括りつけた担架のようなものを取り出す。
三人で抱えると随分らくだが、鹿は中々重い。
「こいつは60キロってとこだな。食える部分となると半分か」
「随分減るんですね」
「まー大半の内臓は捨てちまうし、排泄する場所は広く切らなきゃいかんからな。後皮も結構重いから剥がすとどうしてもな」
「でも皮は結構役に立ちますね」
「なめせば売り物にもなるし、肉と同じくらい俺らには大事だな」
シーツに乗せた後も解体に関していろいろと聞く。
レバーと心臓以外は食べると病気になるから捨て、レバーと心臓を狩りをした者たちだけで食べるのが決まりなのだそうだ。
「坊主も勿論食っていいぞ。初めて食べるならほっぺたが落ちるかも知れねぇな」
レバーも心臓も余り食べた事は無い。
鹿のものとなると始めてだ。期待に胸を躍らせる。
水場を探しに行った二人も直ぐ戻ってきて、5人で鹿を担いで行く。
確かに近場で、そこでシーツから地面へ鹿を下ろす。
土がつかないように下に草を敷いていた。
そして鹿に対して四人が膝を地面につけ、両手を組んで祈るような仕草をする。
藍丸もそれに習った。糧となった鹿に対する感謝だという事は、直ぐに分かる。
「さて、坊主はまあ見てな。もし吐きそうになったら川に流せ。ああ、後今のうちに穴を掘っておけよ」
そう言うと、トモともう一人がナイフを持つ。それから手馴れた仕草で解体を始める。
まず鹿の首を切って血抜きをし、背中からナイフを入れて皮を見る見る剥いでいく。
皮を剥ぐと腹を切り、内蔵の不要な部分を取り出すと掘った穴へと埋め、土を被せる。
レバーと心臓を切り分け、首を落とし肉をブロックごとに分けていった。
見る見るうちに鹿は肉塊へと変わってしまう。
「よし、こんなもんだな。肉は一度水で血を洗ってシーツに置け」
「血の匂いで獣が来たりしないんですか?」
「肉食はこの山にはいねぇ。熊も鹿は食わないしな。冬近くになると狼が群れで鹿を食い散らかすが、その間は山に入らなきゃ安全だ。
春になれば鹿はまた増えてる」
藍丸があっけにとられながらみていると、テキパキと作業が終わってしまう。
気か付けば全て終わってしまっていた。
トモともう人の男は血まみれになった手を川で洗っている。
「それじゃお楽しみといこう」
トモはその辺の枝を拾うと、落ち葉を敷き詰めた山に乗せて火打ち石であっさりと火をつけてしまう。
そこに石を支えにした鉄板を敷き、レバーと心臓を一口に切って焼いていく。
肉の焼ける音と匂いが、否応無く食欲をそそる。
焼けたものに塩をふりかけ、それを5人分により分けていく。
「出来たぞ、食おう。火傷するなよ」
素手で焼いたものを食べる。素晴らしいアウトドア料理だ。
「あっつ!」
火傷しそうになりながら、慌てて口にレバーを放り込んで噛むと、肉汁が溢れて溶ける様に消えていく。
「うまっ、これ熱いけど美味い!」
「だろ。こればっかりは狩りの特権だ。毎回取れるわけじゃないから中々貴重なんだぜ」
次に心臓を食べると弾力があり、肉と塩の味が口いっぱいに広がった。
味付けもくそも無い野性味あふれる料理のはずだか、それがとてつもなく美味いのだ。
あっという間に鉄板の上が空になってしまう。
川で口に残った油ごと水を飲み込んでいくと気持ちが高揚するのを感じる。
「なんだ坊主、いい顔するじゃないか。なかなか肝が据わってるしいい狩人になるぜ」
その後、トモから直接弓の打ち方を教えてもらう。
矢は無くさないように、直ぐ目の前に木に向かって打ち込みだ。
弓は木ではなく、動物の素材から作られているらしくしなやかで頑丈だ。
その分弦を引くにも強い力が求められる。
なんとか苦労しながら引けるようになり、ヒュンと鋭い音を立てて矢を飛ばす事に成功する。
最も、当てれるかどうかは全くの別物だったが。
少し離れて打つと、的にした木とはぜんぜん違う場所に刺さり、大いに笑われたものだ。
しかし始めて手にする弓に藍丸は熱中し、少し呆れながらトモが止めるまで続いた。
肉は痛まないようにその間川に沈められ、5人でブロックを手分けして持ち帰り村へと戻る。
村に戻ると、足の部分の幾つかを分けてもらい解散した。
「間があればまたいこうや。坊主」
結局名前では呼ばれなかったがトモには気に入られたようで、藍丸の頭をワシワシと強引に撫でると笑いながら肉を配りに行った。
藍丸は貰った肉を土産にセラの家に行き、肉を提供する代わりに料理してもらう事にした。
「なんか良い様に私を使ってない?」
「その為の肉です」
「肉に免じて仕方なく料理してあげる。なんてね。追い掛け役でもきちんと狩りに参加したのは凄いわ。中々狩りが出来る人は居ないもの。んー、そうだ。あれ、貸してあげる。ちょっと待ってて」
セラは鍋に鹿の肉や香草、芋を入れた後奥に引っ込む。
出てくると、弓を使っていた二人のものと同じような立派な弓を持っていた。
「お父さんが狩りもしていたから家にも弓は在るのよ。ただ、私は引けないし、狩りで弓を使う人は皆自前のがあるからずっと置いてたままなの」
置いていたまま、と言うが良く手入れされ、埃もついていない。
大事に仕舞っていたのだろう。
「このまま置いていてもしょうがないし、ランマルに貸してあげるわ。いい、あげるんじゃないのよ」
「あ、ああ。でもいいのか。大事なものなんだろう?」
「いいのよ。お父さんは好きだったけど、だからって置いていても役には立たないから。それなら使いたい人にもたせた方がいいわ。勿論信用できる人に限りますけどね」
「ありがとう。大事に使う」
「もっと感謝してもいいのよ。ま、肉のお礼も兼ねてるけどね。ウチは私一人だからまだ少し食べ物は持つから肉は回ってこないもの。これはランマルの取り分だったんでしょう?」
「俺だともてあますし、気にしなくていいのに」
「あらそう? ならお言葉に甘えさせてもらうわ」
そう言ってセラは片目をウインクする。
この少女は中々良く気が尽くし頭の回転が良い。
嫁さんに貰うならとても良い相手だろう。
最も、ランマルとしては異性というよりも子供と言った印象が強いのだが。
「なんだか不名誉な事を言われた気がするわ……」