第二話
少し冷えた風が流れ込んできて、彼は目が覚めた。
太陽はまだ輝いているが、大分日が傾いている。
あと1時間もすれば夕方に差し掛かるだろう。
「良く寝れた。枯葉のベットより上等だ」
寝床とはとても大事だと、ここ数日のサバイバル生活で学習した。
水、食料が豊富だからこそ疲れる程度で済んでしまったが、良く生きて出られたものだと思う。
「森よりは暗くならないだろうけど、夜になる前に色々済ませるか」
森から出る直前に木イチゴの群生地帯を見つけたので、其処で食事を取りライ麦を集めて即席の布団にしてしまおう。
森の直ぐ近くは獣が怖いので、近くの木を風除けにでもしようか。
もしくはライ麦を敷けば岩の上でも快適かもしれない。
「ライ麦は役に立つもんなんだな。勉強になった」
日本ではライ麦はマイナーな食材で、彼としてもいい印象は持っていなかったのだが、今回の事でかなり好感を持ち始めていた。
まずは腹を満たそうと森に入ろうとする。すると森から音が反響して聞こえてくる。
「――――て! ―れか!」
人の声のようだ。声の聞こえ方からして少し遠いようだが、なにやら切羽詰っている様子。
もしかしたらあの大きな獣と遭遇したのかもしれない。
一度だけ見た巨大な獣を思い出し、背筋に冷たい感触が流れた。
だが、そうと決まったわけでもないのに見捨てる事は彼には難しい。
「様子を見に行くだけ、それにもし人が居たら色々と聞いてみたい事があるし」
口に出す事で心の天秤を傾けさせ、声のした方向に移動する。
近づくとより声がハッキリと聞こえてくる。
困っているというよりこれは――。
「おーろーしーてー! だれかー! いないのー!?」
木の実が多く生っている木の枝に、ぶら下がっている少女が大声で喚いていた。
割と高い位置だ。着地を失敗すると地面が土でも骨が折れるか、ひびが入るだろう。
しかしその様子はなんといえばいいのか、とても間抜けというか。
加えて彼の位置からスカートの中が丸見えである。
彼はしっかり見た後に見てませんよ、とアピールする為に顔を背けた後で少女に向かって叫ぶ。
小さい声では彼女の声に掻き消されそうだ。
「大丈夫ですかー!」
「大丈夫に見えるのかー!」
この子……突っ込み体質だ! 彼は余りの返事の早さに少しだけ感心した。テンポがよい事は素晴らしいのだ。
しかし、少女は先ほどから大きく叫んでいて、ぶら下がっている枝が揺れている。
枝自体はそう細くは無いので折れる心配こそ無さそうだが、彼女の引っかかっている部分までは保障できそうにない。
「その、見えるからそっちは見れない。後叫ぶと枝が揺れるから余り喋らないで」
「見えるって何が……ちょっと!」
「見てないですって、だからこうして顔を背けているんだよ」
「な、ならいいけど。ねえ、私いま自分で降りれないのよ。飛び降りるには高すぎるし……助けてくれないかしら」
「ああ、勿論。人の声が聞こえたから来た訳だし。ただ登っても引き上げるのは難しいと思う」
「え、えぇ……、じゃあどうするのよー」
彼の身体年齢が青年期なら可能だったと思うが、今は15歳程度のまだ少年といえる年だ。
力が足りずに無茶をすれば二人とも地面に落ちてしまう。
その為、彼は一つ思いついた事を試す。
「えっとまず地面に枯葉をたくさん敷いてクッションにする。その上で俺が受け止めよう」
少年の力では少女の落下を受け止め切れないが、下が深めのクッションになっているのならかなり安全になるはずだ。
少女ごと倒れこんでも怪我はしないだろう。
「大丈夫なの!? 悪いけど貴方受け止め切れそうに無いわ」
「大丈夫。悪いようにはしないから」
「大丈夫なのそれ!」
少女は慌てふためく。
なんとノリの良い子なのだろう。
ついつい会話が面白いほうへ向かってしまう。
とはいえ、長引くと何が起こるかわからない。
彼はその辺の枯葉を少女の真下にかき集める。
数分もすれば彼の股下くらいまで枯葉が集まった。
これだけあれば落ちても地面に激突する事は無いだろう。
「上向くから、スカートは抑えて」
「分かったわ。お、御願い」
彼の言葉を聞いて、少女は右手でスカートを抑えつつ、上着の引っかかっている部分を引っ張り木の支えから抜ける。
ふわりと少女が落下を始めた。
彼は足をしっかりと広げ、少女を受け止める為にじっと見つめる。
重力に従い、少女が加速しながら彼へと向かって落ちる。
僅か数秒ほどで寸前まで落ちてきた。
彼はしっかりと少女の背と膝裏を抱え、すり抜けないように力を込める。
少女の体重が軽かったのか、想像していたよりも衝撃が少なかった。
転倒を何とか堪え、そのまま少女を立たせてやる。
「こ、怖かった……死ぬかと思ったわよぉ」
落下の間相当怖かったのか、少女の足が震えていた。
落ちるという感覚は相当怖い。
「怪我とか、痛いところは?」
「えっと……大丈夫みたい。ありがとう、助けてくれて」
少女が頭を下げて御礼を伝えてくる。
先ほどの勝気な態度は大分鳴りを潜めているようだ。
こうしていると少し長い金髪に整った容姿と合わさり、随分可憐に見える。
「――? そういえば貴方見ない顔ね。村で見た事無いわ」
「近くに村があるのか、助かった」
「旅人か何かかしら? でもこの辺で村に来る道なんて……」
「森を抜けてきたんだ。出来れば早く人と会いたいと思っていたんだけど、村の人と会えるなんてついてる」
「……」
彼がそういうと、少女が黙ってしまいじっとこちらを見ている。
何か不快にさせる事でも言ったのだろうか。
しかしその視線には警戒の類は無さそうだ。
どちらかというと何を言っているのだろう、という疑問が強いように思える。
「この森を抜けてきたの?」
「あ、ああ。そうだよ」
「――大きい獣は居なかったかしら」
「一度だけ見たな。隠れてたら通り過ぎたみたいだけど。
一度こっちを見たときは、居場所が見つかったのかと思って心臓が止まりそうになった」
「森の主が通したのね……。なら信用してもいいよね。そうだ、まだ聞いてなかったわね。貴方の名前は?」
少女が喋っている途中、小声で何か言ったようだが彼には聞こえなかった。
「そういえば自己紹介をしていなかった。俺は久我、久我藍丸」
「クガァ・ランマァル? クガァって変わった名前ね」
「えっと、うちの国だと姓を先に言うんだ。だから藍丸が名前だよ」
「そうなの。そういう国もあるのね。名前で読んでもいいかしら」
「構わない」
「ありがと、ランマァル」
少女の言葉は流暢だ。しかしマを伸ばされるのはなんとも妙な感じがする。
「その、なんというかマァルっていうのは変な感じがするから、伸ばさないで欲しい」
「ランマルって言えばいいのね?」
「それで問題ないよ」
「今度は私の番ね。私の名前はセラよ。姓は無いの」
「セラか、覚えた」
「助けてくれた御礼をしたい所なんだけど、今とても急いでるの。早く食料を集めないと夜になって帰れなくなってしまうから」
「それじゃ、食材集めを手伝うから村に連れて行ってくれないか? 話したい事もあるんだ」
「村に? 森を抜けてきたから寝床の当てもないのよね……。分かったわ。手伝ってくれるみたいだし助けてもらった恩もある。
村長に紹介してあげる。食べ物はここで取れたものからになるけど、寝る場所位は何とかなるはずよ」
「十分だ。それじゃ手早く集めよう」
藍丸が目星をつけていた木いちごを中心に、早々と籠を埋めていく。
これほど早く人と会えるとは思っていなかったので、食べ物の位置は覚えていたのだ。
最も、目印の川があってこそだが。
「凄い、こんなに一杯成ってたのね」
「ああ、この森は食べ物が一杯ある。ただ動物も結構居るから、余り取りすぎると生態系に影響しそうだな」
ランマルの言葉に少女は軽く頭を傾げる。生態系の意味が分からないのかもしれない。
「セイタイケイ? ……そうね。今回だけなら森の主も見逃してくれそうだけど、毎回だと」
「森の主ってあの大きな獅子みたいな奴?」
「そうよ。村に伝わる話では、この森を見つけたときからずっと居るらしいわ。
森から出ず、武器や悪意を持って入らない限り被害は無いから私達は森の主って呼んでるの」
触らぬ神にたたりなし、ということなのだろう。
あのような大きい獣が襲ってくれば、どのような大惨事になるか。
それを考えれば森も含め、あの獣に畏敬を持つ事は自然といえる。
「確かに、風格もあったししっくりくるな。森で食料を集めてるって、この量からして、ただ果物とかを取りに来たって訳じゃないのか?」
「……そうよ。数年前から税の取立てが少しずつ厳しくなったんだけど、今年はとうとう大麦まで対象になったわ。
それだけならまだいいの。でも今年は余り雨が降らずに不作で、税に払う分を刈るのがやっとだった」
「免税とか、出来ないのか? かなりまずいだろう」
「村長が使いを出したけど、ダメだったみたい。この当りは森の主が居るからか殆ど無いのだけど……。
魔獣の被害が都の方では酷いらしくて。
それを退治する兵隊や傭兵を国が集めてるらしいの。それが大事なことだって言うのは分かる。だけど、だけどね」
そこまで言うと、セラは口ごもり、体が震えている。
多分、言いようの無い怒りや悔しさがあるのかもしれない。
「食料まで奪うのは筋が通らないな。都の人間は大事でこっちは飢えて死んでもいいってことじゃないか」
「死なないわ。絶対」
セラが自分に言い聞かせるような強い口調でそう言った。
藍丸は自分の失言に気付き、頭を下げる。
当時じゃでも無いのに感情移入をしすぎてしまった。これでは不快にさせても仕方が無い。
「――ごめん。そういうつもりじゃなかったんだ。でも、そういう事なら役に立てる。村に着いたら村長に合わせてくれ。絶対損はさせない」
こんな話を聞けば尚更、あのライ麦畑を教えなければ。
あの大きさだ。村がよっぽど大きくなければ、いや例え大きくても当座を凌ぐ事は可能なはず。
穀物の収穫に関して藍丸は無知では在ったが、それを考えても莫大な量だと思う。
「そんな謝らないでよ。事実は事実なんだし、村長だって諦める積もりは全然なかったわ。ううん、私達の村は皆元気なのよ。
そう簡単に諦めるもんですか」
眩しい。藍丸は素直にそう思った。
根が真っ直ぐとしており、正々堂々と生きているのだ。このセラという少女は。
きっと村の人々も同様なのだろう。
嬉しくなる。そういった人たちが居ると分かるのはとても、良いことだ。
村に着くと夜も間近だというのに、松明に火を灯しながら若い男達が忙しなく動いていた。
弓や槍の準備をしている。恐らく狩りに直ぐ出れるように準備をしている様子だった。
近くの青年が此方に気付き、近寄って声をかけてきた。
「おや、セラ。どこにいって居たんだ? 見ないから心配してたぞ」
「あら、マルナ。森に入って食べ物をとってきてたの」
「森に!? 食料のことを何処かで聞いたんだな。……だけど悪い事は言わない。やめるんだ。
森の主は寛容だけど、森の食べ物は森の動物たちのもの。分けてもらう分量を超えたらきっと怒る」
「分かってる! でも居ても立っても居られなくなって」
そこまで話したところで、ようやくマルナという青年はランマルに気付いた。
「それは皆同じさ。――君は?」
「ランマルよ。ランマル・クガ。森で助けてもらったの。……彼、あの森を抜けてきたんですって」
森を抜けてきた。そう聞くとマルナは驚いた。
「……信じられないな。だけど、森以外だとこの村を通らないとまともな道はない筈だし、旅人が居たなんて話は聞いて無い。
良く通れたな。ランマル」
「隠れていたときに森の主を見たときは、死ぬかと思いましたけどね」
「そうか、会ったのか。なら、心配はしなくてもよさそうだね」
「どういう意味ですか?」
マルナが何に納得したのか分からなかった藍丸は詳しく聞いてみる。
「森の主から隠れる事は無理だ。だから通してくれたんだろう。森の主は悪意のある人間は決して森から生きて返さないから。
だから君があの森を抜けてきたってことは、少なくとも悪人じゃない。そう思ったのさ」
「なるほど。そういう事ですか」
「セラはこの村の人気者だからね。助けてもらったのなら俺からも礼を言わせてくれ。ただ言いたくは無いんだが今の時期、余り村には」
「税のことは聞きました。食べ物の事でこの村の村長に伝えたい事があるんです。多分皆にとっても朗報ですよ」
「? セラは何か聞いてるのかい」
「私もまだ聞いて無いわ。この木いちごを集めてる間に暗くなったから急いで帰ってきたから……」
「そうか。村長なら家で明日からやる狩りの相談をしている筈だ」
マルナはそういうと、一つの家を指差した。
「ランマルが何を知っているのか分からないけど、それが本当に良い知らせだと嬉しいね。最近は随分と悪い知らせばかりだったから」
「ああ、期待してて欲しい」
セラと共に、村長の家の前に立つ。
三度ノックをする。
「構わん。入ってきなさい」
中から聞こえてきた会話が一旦やみ、少ししわがれた声が帰ってきた。
その言葉に甘え、二人で中に入る。
すると、部屋の中には数人の体格のいい男と、風格のある初老の男性が居た。
「おや、セラか。その籠はどうした?」
「その、森で。昼間の会話が聞こえてて、少しでもと思って」
「……そうか、だが、次からはやめなさい。理由は分かるね」
「はい、ごめんなさい」
「その少年は?」
マルカと同じような流れになったので簡単に経緯を説明し、改めて名前と用件を名乗る。
「私はランマルと言います。村長。この村の食料事情が大変危ういと聞きました」
「セラ、そんな事を。旅人の方か。確かに芳しくは有りませんがこの村の問題です。
特に貴方のような少年に心配されるほど厳しくは」
やんわりと拒絶するように、諭すように言う。
70まで生きたランマルには村長の気持ちが良く分かる。
音なのとしての、そして村長としての責任感から来る言葉だ。
そして、矜持も含まれている。
事情知ってしまったセラはともかく、見ず知らずの子供に心配するほどのことでは無いと、不安に思うことは無いのだと伝えたいのだ。
口調も敬語なのは、此方を尊重してくれているのだろう。三倍近い歳の差にも拘らず。
本当なら、怒鳴り散らしたいほど追い詰められているのだろうに。
それは心労の深い顔からも察せられた。
……善良であるとは、こういう事を言うのだとランマルは感じ入る。
だからこそ、解決策があるならその心労を和らげてやりたい。
見た目は少年でも、人生の先達として――