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第一話

 彼は勤勉の大切さを、大人になってようやく学んだ。

 幼少期より恵まれたとはいえない生活だった事も有り、彼は逃避行動に出る事が多く、社会に出てもそれは続く。


 彼はそれ故学が無く、そんな状況では働いても尚貧困である。

 どうすればいいのかを考えた末に、勤勉さという概念にたどり着いた。


 愚かなら学べばよい。ひ弱なら鍛えればよい。

 勤勉である事は何も無かった彼に生きる力を与え始め、彼もまた考えを改めただ邁進した。

 両親はそんな彼をみて涙を流し、見守った。

 勤勉すぎた為か、70の年で命を落とす。

 しかし彼は人生を生き抜き幸福のまま生涯を閉じた。




 そんな彼が、目を覚ましてはじめた見た光景は須らく森だった。

 深く、少し暗い。恐らく未開の森。

 近くで川のせせらぎが聞こえる。


「? ん、んんん?」


 彼は5分ほど唖然とした後、ようやく唸り声をあげる。

 彼の記憶が確かならば、自宅で妻と子供に最期を看取られていた筈なのだ。

 苦しみが消え、ゆっくりと体が軽くなり全てから開放される感覚を未だに覚えている。

 それが終わったと思ったら森に居た。

 彼でなくとも頭を傾げただろう。


「夢……、いや死後の世界なのか?」


 真っ先に思いついたのはここが天国では無いかという事。

 しかし想像していたのとは随分と違う。

 というより、ただの森だ。


 ふと、喉を渇きを覚える。人は死んだ後も喉が乾くのだろうか。

 それはとても不便極まりない(きわまりない)、と彼は思う。

 丁度川の水音が聞こえていたので、其方へと向かおうと足を踏み出したとき、彼は気が付いた。

 彼は靴を履いていたのである。


 それも彼の持っていない、飾り気は無いが丈夫な皮の靴を。

 つられて上着やズボンを見てみると、これもまた彼の記憶には無いモノだ。

 材質からみて恐らく麻で作られている様子。


 得体の知れない不気味さを感じるものの、服は服だ。

 喉を潤す事を優先する。


 予想していたよりも時間がかかるが、川へと到着する。

 どうにも一歩一歩が"小さい"のだ。


 澄んだ水を両手で掬い上げ、そのまま飲み干す。

 冷たく喉を流れ、ほのかな甘みを感じる気がした。


「ふぅ……、冷たいな」


 渇きが無くなり一息付くと、彼は腰を下ろして水面を眺める。

 水面に写っているのは、青年よりも更に若い少年の顔だ。

 彼は歩幅などから薄々感づいていたものの、実際に目にする事で溜め息を吐きたい気持ちになった。


 水面に映った顔は彼の少年時代そのものなのである。

 彼にとっては余りいい思い出の無い顔だ。


「どうするか、いやどうすればいいのやら」


 返事をするように聞こえてくるのは何処かで鳴いている鳥の声。

 どうやら天国でも無さそうだし、夢にしては随分と長い。

 これはいよいよ現実だぞ、と彼は再び溜め息をつきたくなった。


 極めて異例且つ非常識だが、これが現実なら完全に森の中で遭難しているのである。

 しかも若返って。

 夢の方がましだったと彼は信じる。


「飲める水があってよかった。後は食べ物か。獣は……多分居そう」


 所々に不自然な森の隙間がある。獣道のようだ。ただ、そのうち一つはやけに広い。

 群れが移動しているのかもしれない。遭遇しない事を祈る。

 探し始める前に一度服を調べてみたが、何も無い。


 餓える事はとても辛い事だと経験で知っている彼は、兎に角食料集めを開始する。

 少年の体では遠くにいけないと判断し、川に沿って移動しつつ木の実や木いちごを集める。

 キノコも在ったのだが、彼には判別できない為諦めた。

 始めは腕に抱えていたが、割と集まってきたので二枚着ていた上着を一枚脱ぎ、即席の風呂敷にした。

 気温は涼しく、適度に風が流れている為幾ら歩いても余り疲れない。

 少し疲れても水を飲めば直ぐに体が元気になる。

 子供の体とはこれほど元気だったのか、と彼は苦笑してしまった。


 今日と明日の半日分程度なら十分な食料が集まる頃、日が沈み明りに乏しい森が更に暗くなる。

 それに気付いた彼は近くにあった岩の裂け目の中に入り込み、集めた食料を置き、風呂敷にした服を下に敷いて寝転がる。

 岩は堅く冷たいが、我慢できないほどではない。

 よもやこのような奇想天外な事を体験するとは、事実とはまさに小説より奇なりである。


 少し疲れた足が熱を持ち、岩肌の冷たさが染みて心地良い。

 気が付けば、彼は眠りに付いていた。


 ――数時間後


 彼は淡い光に照らされ、目を覚ます。

 何事かと思って周りを見ると、僅かだが岩が光っているのだ。

 淡い青。

 光というには余りに弱々しいが、少しだけ見える光量はある。

 岩の中に結晶が埋まっており、それが光を発しているようだった。

 幻想的な風景だ。彼は少しの間それに魅せられた。

 すると、腹の虫が鳴りはじめる。

 丁度いい具合に腹が減ったのだろう。

 脇に置いてある、木の実や木いちごを摘む。

 酸味が強いと思いきや、甘みが強く瑞々しい。

 米もパンも無いので余り満腹感は無いが、腹は満ちた。

 眠気も無くなってしまっているので、体温で温まった岩肌に寝転びながら現状を考察する。


 まずこれは現実と考えるべき。

 原因は不明だが、生き返った上に若返った。

 これまた原因不明だが森の奥地に居る。詳しい所在地は不明。日本であるかどうかも分からない。

 救助は期待できるとは思えず。生き残るには森を抜ける必要あり。


 つまりは、独力において現状を打破せよ、という事になる。


「参ったな。ハイキングには行きたいと思っていたが、これは中々過酷じゃないか」


 本来悲観すべき所では在るが、彼としてはハプニングは嫌いではない。

 そもそも人が最も恐れるべき死を一度経験しているのだ。

 これをクリアすれば第二の生を満喫できると考えればそう悪い話でもないと思う。


 そんなことを考えながら彼はごろごろする。

 今居る岩の裂け目は多少なれども明るいが、外はまだ暗い。

 余り疲れていないとはいえ体を休めるくらいしか後はすることは――


 ズシン、と遠くから地面を巨大な何かが踏みしめる音がした。

 始め木か何かが地面に倒れこんだのかと思った。それほど鈍く重い音だ。

 しかし、その地面を響かせる音は定期的に此方に近づいてくる。

 これは――足音だ!


 彼はそれに気付くとすぐに地面にしていた服で食料を覆い、地面に伏せる。なるべく外から見えないように。

 幸い岩の陰になっていて外からは死角で此方からは僅かに見える位置を発見した。

 彼は息を潜めてじっと外をうかがう。

 足音の度に地面が揺れる。まるで地震だ。

 その原因となる何かが、彼の居る岩を通り過ぎるとき、彼はその何かを僅かだが見た。

 よくぞ、悲鳴を漏らさなかったと彼は自分を褒めたい。


 禍々しくも雄々しい、四足獣。釣りあがった目に巨大な口。

 堂々とした牙に鋼のような筋肉、鉄すら砕けそうな爪。

 何よりも大きすぎる。肩高は2メートル半は下らず、全長は10mはあろうかという巨大さだ。


 人と比較するのも馬鹿らしい。


 彼は早く行ってくれと願いながら、じっと身を伏せる。

 巨大な獣は一度だけ彼の居る方角に顔を向けるが、やがて居なくなった。


「ははっははは。はぁ、なんだあれ」


 ようやく生きた心地を取り戻した彼の第一声はそれだった。

 野犬、もしかしたら狼。あるいは熊かイノシシか。猿という考えもある。

 精々動物はそれくらいだと思っていた。

 何れも遭遇するとまずいのだが、出会う可能性はあるかもと考えてはいたのだ。

 だが、アレは無い。絶対無い。

 戦車もひっくり返せそうな、びっくりするほど強そうなヤツだった。

 明日からは気をつけて歩こうと心に誓う。


 それから数日、彼は川の流れに沿って歩き続けた。下手に移動すると迷う可能性が大きすぎるので川に沿うしかない。

 更に奥に進んでいる可能性もあったのだが、森の様子が変わらないので判断できない。

 幸い食料は程ほどに見つかり、身を隠す場所も事欠かなかった。

 初日以来見かけるのは小さい動物位で、あの巨大な獣は一向に見かけない。

 幸運というほか無いだろう。

 連日の移動で体に疲れが溜まり、体が重く感じる頃、森の密度が明らかに減っている事に気付いた。


「出口が近い」


 それに気分を良くした彼は、疲れも忘れてペースを上げる。

 そして、森を抜けると――


「……これは、凄い」


 広がっていた景色は、美しい緑に覆われた山々に黄金色の地面。そしてそれを照らす燦々とした太陽。

 美しい、大自然が広がっていた。


 彼はゆっくりと歩きながらその大自然に見惚れていた。

 これほどの景色、見たいと思って見られるものではない。

 苦労して森を抜けてよかったと彼は得心した。


「これはライ麦かな?」


 地面を彩る黄金。稲穂とは違いそれほど垂れては居ないことからライ麦であると推測する。

 しかし畑ではなく自然に成ったもののようだ。周りに人の手が加わった様子は無い。


「道具があればな……勿体無いが食べ物には出来ないか」


 丁度ライ麦は収穫の時期を迎えているのは明白で、一面広がっており食料の宝庫と言える。

 だが、食べるためには加工しなければならない。

 パンにするための酵母も問題だが、収穫するにも粉にするにもパンとして焼くにも、道具が必要なのだ。

 彼は少しだけ意気消沈した。折角食糧問題が解決しそうだったのに、と。


 だが裏を返せば道具があれば、パンが幾らでも食べれる。

 近くに村があれば、ここの事を教えれば分け前を貰えるに違いない。

 収穫などを手伝えば、余所者でも無碍には出来ないだろう。


 彼はそう考え、まずは体を休める為にライ麦畑で寝転んだ。

 ライ麦がクッションとなり、まるでベットのようだ。

 今まで堅い場所でしか練れなかった事もあり、彼は直ぐに寝入ってしまう。


 ※とある村


 家の中で二人の男が向かい合っている。

 一人は椅子に座って、もう一人は立ったままだ。

 椅子に座っている体格の良い男が口を開いた。


「それで徴税官様はなんと?」

「事情は分かったが、戦準備中につき一切負かりならん。そう仰せに」


 細身の男は、両手を握り締めながらそう言う。

 椅子に座っていた男は、絶望したかのように頭を両手で抱えた。


「そんな、税として麦を差し出せば食べ物は録に残らんぞ」

「魔獣討伐の為傭兵もかき集めているとか……。

 帰る途中で援助できないか打診してみましたが、他の村もかなり苦しいみたいです」

「この辺り一帯の不作なればどうしようもあるまい。彼らを恨むのは筋違いだ」

「分かってます……村長、大いなる森へ狩りに入るわけには?」

「いかん。分かっているだろうクエスタ。武器を持って近づけば森の主がお怒りに成る。そうなれば村ごと滅ぶ」

「ですが、狩り以外で食べ物を得る方法は!」

「獣は少ないが山に入るしかあるまい……取れなければどれだけ死ぬか」

「ちくしょう。せめて食べる分くらいは残してくれても!」


 細身の男は叫ぶように言う。

 この村での狩りはついでのようなもので、年に数度大きな行事のときくらいにしかやらないのだ。

 とても村を養えるほどの狩りは出来ないのが実情だった。


「――それがこの国の現状なのだ。どうしようもあるまい……。若い衆を集めてくれ。

 余力があるうちに麦を運ぶものと狩りに行くものを選ばねば。

 僅かだが銀貨もある。麦を運んだ連中に食べ物を都から買ってきてもらおう。足しにはなるだろう」

「っ、はい。分かりました。皆を集めてきます」


 そう言う青年の目には涙が浮かんでいた。

 恐らく気付いているのだろう。年を越えられない可能性に。

 今年は小麦、大麦共に不作で、戦争準備により平時なら小麦だけで澄んだものが両方とも税の対象となってしまった。

 餓死するのは老人、赤子だけでは済まないだろう。

 場合によってはこの村は年を超えられない……。

 いっそ村毎逃げてしまうか、と村長が考えるほど状況は最悪だった。

 しかし村人は100人近い。逃げる先は山か大いなる森か。何れにせよ全滅か半滅という笑えない状態になるだろう。

 いっそ笑ってしまいたい気分だった。だが、なんとかしなければならない。


「せめて麦の代わりに食べれるものがあれば……、神よ。どうか、どうか、我らに救いの手があらんことを」


 村長は悲痛な表情で、クエスタが若い衆を連れてくるまでずっと神に祈りをささげていた。


 その様子を、こっそり見ていた少女が居た。

 彼女の名はセラ。両親を無くし、一人で自分の畑を維持している逞しい少女だ。

 外見は整っており、元気な性格もあり村の男衆からも人気があった。

 セラもまた現状が追い詰められている事を肌で感じていたのだ。


「やっぱり良く無い状態なんだ。……少しでも食べるものを集めないと」


 セラはそう言うと、籠を持って村から出る。向かった先は大いなる森のある方角だった。

 木の実などを取るなら、きっと森の主も咎めまい。そうやけくそ気味に考えながら。

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