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夢奇譚

支配人

作者: 羊草

長いです。これに関しては、夢に手を加えて主人公やその自我をはっきりさせました。

ふと気付いたら、私は洋風の造りの壮麗な門の前に立っていた。

ひょっとしたら、私は夢遊病の気でもあるのかもしれない。

夢の中で夢心地というのも変だけれど、そう思ってしまうくらい、何時の間にか足がそちらに向かって行った。

そうしたらドアボーイが居て扉をすっと開けてくれてね。

ガラス張りみたいに軽そうな造りじゃなくて石造りの壁に埋め込まれた様な、重そうなそれを。なのに音も立てずに、すっと。


薄暗い所で手を振ると目の錯覚で連続写真を撮ったみたいに残像が残った事はない?

あんな風にね、鮮やかにゆっくりと開いたんだ。まるで映画のワンシーンみたいだった。…話がくどくてゴメン。

夢の事だから多少の事は気にしない方が良いんだろうけど、凄くリアルでね。どこぞの映画じゃないけれど、正直な所あっちで過ごした時間の方が、今よりも実感があるんだ。


私は思わずそれに見惚れてしまってね、閉まる所も見てみたいなと思って中に入ったんだ。

扉の閉まりきった時の振動で我に返ったよ。不思議と音はしなかったな。入る前とは違って意識は覚めていたんだけど、また内装に目が引き付けられてしまって。

絨毯はビロードっていうのかな?物凄く深い赤い色。

猩猩緋っていう色があるでしょう?猿の血の色。

うん、そんな風に血の色に見えたんだよね。

血管内の血の色。傷から噴き出した直後みたいに煌いて見える事も無ければ、時間が経って汚らしく肌にこびり付く暗赤色でもない本来の色。


そんなの、実際に見たことも無い癖にね。


後は蝋燭を使った本物のシャンデリア、よく磨き込まれた艶のある木製の家具。猫足家具を見たのはあれが初めてだった。

猫が好きだし、よく絵物語で見て憧れていたんだけれど、あんなのを使える様な大層な家ではないからね。


壁はね、門と同じ様に石造り。

だけど、あちらはごつごつとただ石の隙間を固めた様なものだったけど、こちらは石を切り出して滑らかに仕立てて壁面にしたもので至る所に彫刻が施されている。人物から風景まで。

良く分らないけれど、抽象的な、何かの波紋を刻んであるのもあったな。

どれもね、とても良い意味で年代物だったよ。年月と人の想いが降り何層にも積もって、そのままこうなってしまったというのかな…クサイ表現だけど、それぐらい素敵な場所だったんだ。


でもね、全く人気がないんだ。

調度品って維持が大変でしょう?銀細工のようなものとかも多かったしね。


ああいった手合いの物は、埃は目立つわ、触ったら指紋付くわ、ほっといたら酸化して黒ずんでいくで、暇さえあれば磨くぐらいに手間かけないといけないから人手必要じゃないの?普通。

ドアボーイ居たからホテルだと思っていたけど、フロントも無かったし。

変だなあと思っていたら初老くらいの品のいい爺さんが居たんだよ、いつの間にか。ニコニコしていてまさに好好爺って感じ。思わずホッとしたよ。この建物の支配人だと名乗って私の事を「お客様、お客様」と呼ぶようになってね。そうしたら私もそんな気になって来てさ。部屋に案内するというから、着いていって二階への階段を上がっていったんだ。

でも上がるにつれてどうももやもやしてきてさ、後一段って所でどうしても足が上がらなくなってしまったんだ。進めもしないし、失礼に当たるから取って返す事も出来やしない。


思わず年甲斐も無く泣いてしまいそうになったよ。

後一段というところで途方に暮れきって自分の足元を見つめている私は、傍から見ていれば滑稽だったろうね。それとも哀愁を誘ったかな?


そうして立ち竦んでいたら、同様に立ち止まって私の様子を伺っていた支配人が、私の手を掴んで引き上げようとしたんだ。

その途端気付いたんだ。

私は怖いんだ、逃げたくてしょうがないんだってさ。

この状況で恐怖なんて感じる筈が無いと、そう納得しようとしていたんだ。でも私はとても怖かった。とてもとても恐ろしかった。


その事に気付いたら酷く楽になったよ。恐怖を恐怖だと認識出来ないのは辛いものだね。

手を振り払って、身を翻して逃げた。やっぱり相手は老人だから足が遅いんだね。「お客様、お客様」ってとても悲しそうに呼ぶんだ。耳を塞いで逃げた。


外へ出ても、ドアボーイはただ立っているだけだった。

ドアを開けて客を引き込む、それだけが彼の役目なんだろうね。

外は濃霧で、今しがた出て来た門以外何も見えない。その門に連なっている筈の壁さえもね。


そう思っていたら男の人が走り出て来てね、すぐにお互い分かった。この人は同じ世界から来て、同じように逃げ出して来た所だってね。一緒に走って逃げたよ。まだまだ安心は出来なかったから。

そうしたら大きな広場に出たんだ。その脇には下に降りていく細い階段。広場の方は遠くに明かりが燈っていて、階段の方はいかにも目立たず身を隠すのにちょうど良さそうだった。


彼は広場に。私は階段に。


階段を行けば、行き止まりな気がする。

広場を行けば、何か良くない物が居る気がする。

結局、二人の意見が一致したのはこれだけだった。

そっちに行けば、今度こそ捕まってしまう。

お互いにそう言い合って、相手の気持ちを変えさせようとした。

でもお互いに無理で、それぞれの道を行く事になった。


階段を数段下がった辺りで、気になって広場の方を見たんだ。

彼はもう随分遠くに行ってしまったようだった。

でも、様子がおかしいんだ。

彼の体の向きを見てると、左に行ったり右に行ったりフラフラしてる筈なのに真っすぐに光の方に向かっている。

あちらからは気付かないんだろうけど、遠くに居る私は異常に気付いた。

だから私は彼に呼び掛けてみたんだ。そしたら彼も私に気付いてさ、多分私の気が変わったと思ったんだろうね。手を振りながら嬉しそうに私を迎えに来ようとしていたよ。

私もホッとしたよ。私みたいな目標物があるからきっとすぐに戻って来られるはずだ。でも彼は戻って来られなかった。


真っすぐこちらに向かっているのに、やっぱりあの光の方に近付いているんだ。彼も異常さに気付いたんだろうね、死に物狂いでこっちに来ようとしていた。

お互い必死で呼び合った。あの時は本当に必死に彼を呼んだんだ。でも、今はもうその名前は思い出せない。彼が私を何て呼んだのかもわからない。


そして彼はいよいよ立ち止まった。


これ以上動いたら光に触れてしまう、それぐらいの距離まで近付いてしまったんだ。

声ももうあそこからだと届かない。

彼は光を直視するのも怖いようで、青ざめた顔をしてこちらを見て決して振り向こうとしなかった。

そしたら光の方が彼に近付いて、彼もろともに消えてしまった。

彼がこちらを見ていなければ良かったのにと今でも思うよ。

光が動き出した瞬間の私の顔を見なければ、おそらく彼は分からずに済んだ筈だから。


私は、しばらくそのままにうずくまっていた。

真っ白で艶やかな階段だったよ。ひんやりしてていつまでも座り込んでいたくなるような。でも、行かない訳にはいかなかったからね。気力を振り絞って立ち上がったんだけどさ、気のせいかな周囲の物が私を其処に留めさせようとしていたのは。

何かが私の髪や腕をすり抜けていったのはさ?


それから、階段を下りて行った。まっすぐな階段を下りてきたんだけど、途中からは螺旋階段になっていてね、後ろを振り返ってみても降りてきた階段に邪魔されて上の方は見えなくなっているんだ。

自分の選択が正しかったのか、ずっと思案しながら下りていったんだけど、余りにも階段が長かったからかな。

途中からは無心でひたすらに階段を下って行った。

夢って言うのは便利だよね。疲れないんだから。

自分が階段を下っていくという構図が無限に続いているみたいだった。まるでメビウスの輪の話みたいに。


どれほど階段を下って行ったのかは分らないけどさ、その流れを断ち切る時が来たんだ。青い、少し色褪せた扉があってさ、戸惑いも無くそこを開いた。

中は、少し手狭ではあるけれどとても整理が行き届いたところでね。壁紙は蒲公英色で、置いてある家具はコバルトグリーンで統一してあった。

窓枠は瑠璃色に塗られていて、カーテンは純白。その窓から見えるのは、同じような色の青空と雲!

嗚呼、私は心底安心して、歓喜したね。


まあ、一体そこに居るのはどなた?


突然、声がして驚いて振り返ってみたら柔和な顔つきの老婆が居た。

我が身を振り返ってみれば、言うまでも無く不法侵入者でしかない。


突然、羞恥の感情が湧きあがってきてそのままその部屋を飛び出してしまいたくなった。

だけれども、飛び出したところであの途方も無い階段に行き当たるだけだ。

どうにもこうにも困ってしまって、私は顔を赤くしながら何やら弁解めいた事をもごもご呟いていた気がする。すると、その老婆は私の様子を微笑ましげに見つめながら


良かったらお茶でもいかが?少し話し相手になってほしいわ。


と言ってくれたんだ。快諾したよ、勿論。


そして、夫人、旦那さんが居るって途中で聞いたんだ、夫人は台所で手作業しながら私と話してた。手伝いの旨を申し出たんだけど、


お客様にそんな事、させられないわ。


とやんわり断られた。それどころか


良かったらスープも飲んでいかれない?主人の大好物なのよ。

貴女に是非主人を紹介したいわ。


とご招待も受けた。

そうやって過ごしている内にね、どうやらその御主人が帰ってきたみたいなんだ。


おや、誰か来ているのかい?

ええ、とても素敵な方なの!訪ねて来てくださったのよ!とてもお話がはずんだの。

それはよかった。私もお話しさせて貰っても構わないかな?

ええ、勿論!わざわざ許可などお取りになる必要はないでしょう?

ご夫人方の会話が弾んでいる所に男が割って入るなど野暮だよ。

そんな事はないわよ。貴方の大好物のスープを作っているから出来上がるまでお相手をしていてあげて頂戴。

嗚呼!それは愉しみだ!お前の作るあれは最高だからね!


といった具合の会話でね。聞いていてとても心地よかったよ。

で、その御主人が視界に入ってきた時、二人とも気の抜けたような驚いた顔をした。

それは、あのホテルの支配人だったから。

彼の顔はそれから喜びに満ちていったけれど、私はおそらく無表情だったと思うな。それは恐らく諦観によって。


お客様、お客様、こちらにいらしていたのですね。

突然飛び出して行かれたので、私に何か至らなかった点、不備でもあったのかと心を痛めておりました。

やはり、御婦人の手を軽々しく握るなどというのが悪かったのでしょうか?

お客様があの時はどうにも困っていらした様に見えたのでつい。浅慮でした。どうぞ御容赦くださいませ。

家内とは随分話も弾んだようで何よりでございます。

あれは私には随分出来た妻です。

料理の腕も良くてですね。いつも私を満足させてくれるのですよ。

嗚呼、そういえば今日は私の大好物のソラマメのスープを作るそうです。とても美味しいので是非召し上がってみてください。


老人は私が座っている椅子に手をやんわりと置いた。


振り切れたとは思う。でも、どうもそういう気にはなれなかった。

その時に、私の目の前に湯気の立つ緑色のいかにも美味しそうなスープが置かれた。


さあ、どうぞ?







結局のところ、私と彼の言っていたことはどちらもが正しくって、どちらの選択も間違いだったんだ。

何処にも、どれにも、正しい選択などなかったんだから。

私はその時になってようやくそれを知り、匙をとった。

すくってみると、意外にとろみがあったな。

それで、そのまま口に…。


そのまま食べてしまったかどうかは記憶に無いんだ。

でもね、今でも私はあそこへ行っている。あの重厚な造りの門をくぐって、ドアボーイに挨拶してね。そして、あの支配人にいつもこう尋ねるんだ。


支配人、今日はどうしましょう?

すると、支配人はこう答えるんだ。

何時もと同じだよ。お客様をお迎えするんだ。


と人好きのするあの笑顔でね。


思うにね、あの建物はそうやってできているんだ。多くの人々を迎えて、それらを虜にしてあり続けているんだろうね。

私?私は其処でフロント係としてお客様をお出迎えしているよ。

支配人が最初から出ていたら仰々しいだろう?

まあ、これも私が提案したんだけどね。

私が一緒に逃げていた彼を覚えている?彼もね、私と一緒に働いているんだよ。話もせず、感情も無い人形みたいだけどね。

嗚呼、これでもかなりましな方なんだよ。

大概の人は、そのまま2階に上がって、そのままこの屋敷の糧となってしまうから。

支配人の奥様とお茶していた時にそう言っていたんだ。

良く分らないけれど、私にも見えない何かになって調度品を磨いていたりするのかもね?それとも、この建物そのものが彼らなのかな?


私と彼がこうやってメインスタッフとして働いていて、彼らがそうなっているのは自我の強さの問題らしいね。

2階に上がるか否か、気づけるかどうかの問題だ。


じゃあ、私と彼の違いは?

私が支配人と軽口を叩いている一方、彼が人形のように座っているのは何故?


それはね、この世界を受け入れているかどうか。


以前にもね、ここへきて私達と同じように逃げ出した人達は、訪れた人達全員に比べれば極少数だけれど確かにいたんだ。

でも、その人達は途中でここに絡めとられてしまうか、ずっとずっと足掻き続けて、此処を否定し続け今はどうなってしまったのか分らない人も居た。


私はね、最後は自分の意志であのスープを飲むことを決めたんだ。

実際に飲んでいたかどうかは問題じゃないんだ。


何処の神話でも、誰かが黄泉の国へ訪れて何かを取り戻そうとするだろう?

でも、その時犯してはならないタブーのひとつにそこの食物を食べてはならないっていうのがある。

私はそれを知っていて、あのスープを口にしようとしたんだ。


私みたいなのは随分珍しいみたいでね、お陰様で支配人夫婦からは随分目をかけてもらっているよ。

二人とも、話し相手ができて嬉しいって。

何分、こちらからの情報に疎いから、私がこっちの世界で流行っているものや、今となってはおかしい物を指摘するととても喜んでくれるんだ。


恐らく、それが私と彼の違いなんだろうね。

でもね、彼だってずっとあのままってわけじゃない。

近頃はね、彼が何かの意思をもって私を見つめるようになったんだ。それに気づいて目を合わせると、確かに雰囲気が笑っている。

この前は遂に、表情まで出てきた!

彼も段々とこの世界を受け入れ始めたんだろうね。それに、私の存在が大きな理由になっているというのは自惚れかなあ?

まあいいよ。

きっと、彼はそのうちに、あの時叫んでいた私の名前を呼ぶ。

そうしたら、きっと私も彼の名前を呼べると思うんだ。

私はね、その瞬間が楽しみでたまらないんだ!


これで、このお話は終わりにしようか。

ねえ、貴方もきっと何時かは、それとももう既にあちらに行ったことがあるのかもしれない。

私がこちらとあちらを行き来しているからって、他の誰かもそうやっていないと言える?

2階を登ってしまった人達も、こちらでは日常生活を営んでいるのかもね!

未だ行った事が無いならば、その時はきっと私達は会えるね。

彼を紹介するよ。


ああ、支配人にもちゃんと挨拶をしてね。

彼はあの世界の支配人でもあるのだろうから。


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