第54話 散髪
退院して数日。
昼。
リビング。
テレビの音が流れている。
僕はソファに沈み込んでいた。
彼女が前に立つ。
「髪が伸びています」
無意識に頭に触れる。
「まぁな」
「散髪を提案します」
「却下」
間を置かずに返す。
「成功率92%です」
「だから怖いんだよ」
残りの数字が現実的すぎる。
――そのはずだった。
腕を引かれる。
「座ってください」
「待て」
気づいたときには椅子に座っていた。
首にタオル。
背後に気配。
チョキ。
チョキ。
一定のリズム。
「……本気か」
「問題ありません」
動けない。
刃物がある。
テレビの音が入る。
画面の中で、
男女の距離が近づく。
言葉が消える。
視線が合う。
そして。
触れる。
僕の体が一瞬固まる。
「質問があります」
来ると思った。
「……なに」
「これは」
わずかに間。
「キスですか」
逃げ場がない。
「演技だよ」
「映像だ」
言いながら、自分で弱いと思う。
「接触行為です」
「だから違うって」
声が上ずる。
チョキ。
チョキ。
リズムは変わらない。
「理解しました」
今度は間がなかった。
散髪はそのまま終わる。
いつも通りに。
問題なく。
――
夜。
部屋。
暗い。
僕はベッドに横になっている。
目を閉じる。
眠っているふり。
ドアが開く。
音がない。
気配だけが入ってくる。
足音。
止まる。
すぐ横。
微弱なログ音。
「検証を実行します」
鼓動が跳ねる。
検証。
昼の会話が頭をよぎる。
距離。
接触。
彼女が近づく。
空気が変わる。
触れる。
一瞬。
唇。
温度がある。
すぐ離れる。
間を置かない。
ログが流れる。
「キス」
「接触時間1.2秒」
「記録完了」
足音。
離れる。
ドアが閉まる。
静寂。
完全に。
数秒。
僕は目を開ける。
天井を見る。
呼吸が浅い。
記憶が浮かぶ。
以前の彼女。
笑って、
軽く、
頬に触れた。
あのとき。
理由があった。
今は。
僕は小さく言う。
「……違う」
それでも。
心臓の速さは、
変わらなかった。
本日分、ここまで読んでいただきありがとうございます。




