25.約束
今日は街探検の気分だったらしい王子。
歩き慣れた西区の街を歩く王子は、最初の頃と比べだいぶ落ち着き、今では手を繋いでいなくても急に走り出すことはなくなった。
軽い足取りで歩く王子の大きくなった背をどことなく感慨深く眺めるのが、最近の俺の仕事である。
昼食も食べ終わり、腹ごなしに散歩をしていると、ある建物のショーケースの前で王子が立ち止まった。
そこにあるのは、人形模型に着せられたドレスと紳士用の礼服。
この前王子と街を散策した時にはこの場所になかった、新しいブティック、アルカナ・クチュールである。
ここに俺が関わっていることは王子に一切伝えていないが、この場所で立ち止まったことに若干の落ち着かなさを感じながら、王子の横顔を見る。
しかし、華やかな光景とは打って変わって、王子は見るからにズーンと沈んだ表情を浮かべていた。
「どうした?」
「2ヶ月後に夜会があるんだけど……」
さっき王妃が言っていたやつか。
どっかの国賓を迎えるんだったか。
「出席しろって?」
「うん……」
どうやらドレスを見てその事を思い出してしまったらしい。
王子は何年か前の失敗を引きずっており、ほとんど公の場所に顔を出していない。夜会ともなれば失敗した時以来だろう。
それ故に社交界では、王族の勤めを果たしていないと陰口を叩かれる始末で、その噂は教育係を経由して本人の耳にも届いていた。
一度逃げてしまって、足を踏み出しづらくなっているところに、その噂が乗っかっているのだから余計に憂鬱なのだろう。
教育係も、本人に言うあたり、だいぶ問題があると思うが、俺が口を出していい問題でもない。
俺にできるのは、少しでも気を紛らわせてやることぐらいか。
さすがに王族が国賓がくる集まりに行かないわけにはいかないからな……。
「次は遠乗りにでも行くか?」
「そうだね……」
ちょっと無理そうだな。
そんな中、視界の隅で、ブティックの裏口がある路地から出てきた男が俺とカミルに気付いた。
カミルに何か耳打ちしている様子をガラス越しに確認しながら、王子の頭を撫でる。
「まぁ、夜会に行きたくないってのは俺も同じだからな……」
俺の場合は次兄がいるからなのだが。
次兄も学園に入学し学生寮に入ったが、土日は普通に帰ってくるし、夜会には父とダン兄共に出席している。
俺は諸々もあって父に免除されているが、次兄からすると華やかな夜会なのに留守番を言いつけられる不出来な弟なのだろう。
翌日は俺のところに来て煽り文句を十分に自慢して帰っていくのだ。
いつも聞き流しているが、あいつは暇なのだろうか。
ガラス越しに、今度はカミルが男に何かを耳打ちするのが見える。すると、男は真剣な顔に変わり、一度頷き足早に立ち去っていった。
情報が洩れていることを伝えたと察していると、隣にいるケヴィンから呑気な声が聞こえた。
「ほんと綺麗だよなー。ララも、ここのドレス着たいってずっと言ってるぞ」
ケヴィンは夜会に苦手意識は特にないようで、素直にショーケースの中を覗き込んでいる。
王子がこんなに悩んでるってのに気楽なものである。
ちなみに、ララとはケヴィンの婚約者のことである。
ケヴィンは王妃の生家に生まれただけあって、既に婚約者が定められている。
まだ会ったことはないが、一つ年下の可愛らしい少女のようで、聞いている感じ仲は良好である。
「紳士用の服もあるんだな」
「みたいだな」
ドレスの印象が強いが、一応紳士用の礼服も受注している。クリスタルガラスでキラキラさせることも少ないので、他のブランドとあまり目立った違いはない。ただ、ドレスとセットで作るなら、それなりにデザインを合わせているので注文が入ることもある。
紳士用の礼服はドレスと比べて知識がないので、他の人に任せている。
「そういえば今回の夜会、ララも出席するらしいが、レオンは出ないのか?」
「何も言われてないからいつも通り留守番だな、きっと」
何気ない風を装ったケヴィンの言葉にうっかりそう答えると、彼はニヤリと笑った。
その顔に嫌な予感がする。
顔を引き攣らせながら思わず一歩後ろに後ずさる。
本音では逃げ出したいところなのだが。
「殿下がこんなに悩んでるのに、お前は家で過ごすのか?」
半分本心、半分からかいの見える声色である。
そのひと言にピンと来てしまった王子が、沈んでいた表情を華やがせた。
まん丸の瞳がこちらを向き、期待を一杯に溜め込んでキラキラと光を放ち始める。
俺はその目に居た堪れない気持ちになり視線を逸らすことしかできなかった。
「殿下、レオンがいれば頑張れますよね?」
「うん。頑張れる」
まっすぐな瞳と共に向けられる純粋無垢な返事に胸がギュッとなる。
「そんな、もし俺が出席したとして、殿下と一緒にいるわけじゃないんだぞ」
「そうだね。でもレオンが会場にいるって考えるだけで、僕、勇気が出るよ」
良心に逆らいどうにか断ろうとしたのだが、さらに追い込まれてしまった。
そんなこと言われたら断れるわけがない。
3年の付き合いは決して短くない。
俺のツボは王子にも把握されてしまっていた。
完全に狙ってその言葉を口にしているあたり成長を感じるが、それに対峙するとなると根本が純粋な分タチが悪かった。
「……」
「カミル卿も、そろそろレオンも夜会に出た方がいいと思うだろう?」
おい、カミルを使うとか卑怯だぞ。
「ええ、おっしゃるとおりです。それにーー」
案の定頷いたカミルだが、俺の耳元に顔を寄せてきた。
そして周りに聞こえないような小声でこう言ったのだ。
「ターゲットから、今度の夜会に合わせてドレスの依頼があったそうですよ」
その言葉に思わず渋い顔をする。
ターゲットとは言わずもがな、ラフィリアのことである。
いつか俺のデザインしたドレスを着て欲しい、なんてなんとなく思っていたが、こうもタイミングが重なるものか。
行きたくなかったはずの夜会が一転、一等魅力的なものに思えてしまう。
次兄には絶対に公衆の面前でイジメられるのは分かっているのだが、ラフィリアのドレス姿を天秤に乗せれば結果は明白だった。
諦めて、大きくため息を吐く。
「はぁ……、分かった。出席するよ」
「やった!」
飛び跳ねそうなほど喜んでいる王子とケヴィンがハイタッチするのを見て、再び重いため息を吐くことしかできなかった。




