24.秘密
「ブランジェ伯爵夫人が領地で嘆いているそうよ」
「……左様ですか」
王城のネモフィラの咲き誇る花園の中、東家の中で王妃が口にした言葉に、温かい紅茶を飲んでいるのに冷や汗をかく。
魔法で咲いてる花はいつ観ても綺麗だなーなんて現実逃避をしながら。
「ブランジェ伯爵領は西の辺境。大きな街もないから、社交界の中に生きていた夫人には退屈な場所でしょうね」
「そのようです」
この人、どこまで調べがついているんだろう。
うちもブランジェも口は硬い方なのだが。
ブランジェ伯爵夫人が領地に向かったのは俺が乗り込んでから2日後だった。
それからおよそ3ヶ月。
反省しているという知らせは届いていない。
王妃のいう通り、王都からほぼ遠い田舎で嘆き喚いているらしい。
早く更生してもらわねばヘルマと会わせられないのだが……。
ちなみにヘルマはこの3ヶ月でだいぶ体重も戻り、健康体へと近付いているとリエンから報告があった。
一気に戻すと過食と拒食を繰り返しかねないし、慎重に行う必要があるのだが、今のところその様子は見られない。
男を魅了する体つきになる兆しがあるというリエンの報告は火で燃やして消し去ったが、まぁ経過は順調だろう。
何も言うつもりのない俺につまらなくなったのか王妃は話題を変えた。
「昨日のお茶会で聞いた噂があるの」
「噂ですか?」
「アルカナ・クチュールのデザイナーが男性であるって噂よ」
話題、変わってねーな。
アルカナ・クチュール。
2ヶ月前に王都にオープンしたブティックである。
これまでのコルセットをキツく閉め、細い腰が強調された細身のドレスとは違い、デザインで細く見える工夫が施された、比較的ゆったりとしたドレスを売りにしている。
程よく今の時代のトレンドを抑えながら、これまでになかったデザインが特徴的で、新しい物好きの若い女性に人気が出ている。
ここ10年ほど台頭していたサロン・ヘルヴェールが引き摺り下ろさせる勢いだ。
オーナーは女性だが、王妃の言う通りデザイナーは男で間違いない。
「あれほど令嬢たちの心を捉える可愛らしいデザインを考えているのが男性だなんて、想像もしていなかったわ」
嘘つけ。
どうせ全部知ってるくせに。
今まではレースで飾り立てていたドレスも、今やクリスタルガラスでキラキラと輝いている。
まさかグラスより先にドレスに使うことになるとは思わなかったが。
そう、今話題に出ているアルカナ・クチュールは俺が立ち上げたブティックだ。
ヘルマの件で過剰な広告塔があるなら、それに追随するほどの別の広告塔を作ればいいのだと思い至り爆速で作り上げたのだ。
前世で付き合っていた彼女の1人が、ドレスのデザインを勉強しており、週に2回ほどはそれを横で見ていて、時には一緒に考えていたという経験がここで生きたわけだ。
しかし、少し変わったドレスというだけでは起爆剤が足りないと考え、そしてこの世界にはクリスタルガラスがまだ存在しないことに気が付いたのだ。
前世で見た職人ドキュメンタリーで紹介されていた製造方法をどうにか捻り出し、さらにそれを緻密にカットする魔道具まで開発したため、うちのドレスにはラインストーンが散りばめられている。
ニコラス=ファミリアも、経営や商売に関してのノウハウは不足なく持っていたので手を貸してもらいつつ、3ヶ月でここまで上り詰めた。
出資は俺とニコラス=ファミリアで半々だがこの世界、出資元の公開は行われないため、子供やマフィアが関わっていることは限られた人間しか知らないため、特に問題はなかった。
ヘルマのためとはいえ、少々やりすぎた感は否めない。
この世界にとって透明度の高すぎるクリスタルガラスの開発はかなり先進的なものであろう。
技術を公開すれば烏合の衆に集られること間違いなしである。
ニコラス=ファミリアの元ボス、アーダルベルトも何をやっているんだと呆れ返っていた。
デザインに関していえば、もう少ししたら別の人間に任せることになっているが、クリスタルガラスに関してはかなり慎重に扱うべき案件だろう。
果たして、どこから情報が漏れたのやら。
その辺りは詳しく調べる必要がありそうだな。
「それで、あの宝石のことだけれど」
そんなことを考えていると、扇を広げた王妃が何か探るような視線と共に口を開いた。
ちなみに宝石とはクリスタルガラスのことである。
その辺りの詳細な情報は解禁していないので、王妃も宝石ではない事を察しているのだろうが宝石と呼ぶしかないのだろう。
「何か別のものを作る気はないのかしら」
すっとぼけるように頬に手を添え小首を傾げる王妃。
すごいな。
あの技術を何かに活用できる事に気づいている。
「私に言われましても」
あくまでシラを切る俺だが、王妃に譲る気は無いようで。
おもむろに立ち上がると、話し合っていたのか使用人が無言でその椅子を俺の横に移動させてきた。
そして俺の真隣り、至近距離に王妃が座る。
あ、圧が凄いんだが……?
「そうね、あなたに言っても仕方ないもの。これは私の独り言よ」
こんな近くで独り言なんて言うもんじゃないと思う。
「左様ですか……」
そう言えるわけもなく。
水色の瞳が1メートル以内に近づいて来る。
いい匂いはするが、母ぐらいの歳の頃の女性にドキドキはしなかった。
「あの宝石で、何か作るのであれば、やはり私が一番に使ってみせるべきだと思うのよ」
「はぁ」
なるほど、何かできれば王妃に回せと言う事だな。
「ちょうど2ヶ月ほど先に、カンマネイルの王族が国賓としてやってくるわ」
そこに合わせろと?
「この国の技術は素晴らしいものだと宣伝するにはいい機会だと思わない?」
「そうですね」
あくまで王妃の独り言に適当に相槌を打つ。
魔道具の開発も合わさったラインストーンほど時間は食わないと思うが、デザインに耐久性、諸々の試験をするとなると時間がいるぞ……、間に合うか?
これからの動きについて考えを巡らせながら、ゆっくりと口を開く。
「輝くような透明なグラスとかできたら綺麗でしょうね」
「!!ッそうね、とても綺麗でしょうね」
驚愕で王妃の顔に力が入る。
この世界のグラスは、陶器のものか、半透明なガラスのものが使われている。
ラインストーンのように輝くグラスを想像して、その影響力まで算段がついたのだろう。
いつも冷静な目で笑っている王妃の顔を感情で動かせたことに、心の中でニヤリと笑う。
その事実だけでも、頑張る甲斐はあるというものだ。
ただ、素直に頷くわけにはいかない。
あくまで他人事のように言葉を続ける。
「しかし、そんなもの私は見たことがありません。新しいものを作るのには時間がかかると習いました。もしもの時のために、いくつか候補を挙げてみてはいかがでしょう」
「それもそうね、もし何かあれば大変だもの」
と言うわけで、俺のデスマーチはしばらく続くことが決定した。
まぁ、予防線は張れたので、もし間に合わなくても怒られることはないだろう。
大きな収穫にほくほく顔の王妃の真横で紅茶を飲んでいると、中庭の入り口が騒がしくなった。
カップを口から外しながらその方角を見ると1人の男性が入ってきているところだった。
王妃と同じぐらいの年齢だろう。
少し長めの金髪がざっくばらんに結われており、シャツ一枚でラフな格好をしていた。
完全にプライベートな格好なのだろう。
「おいマリー、見知らぬ少年を連れて歩いていると報告が……ーー」
そこまで言ってようやく俺と目が合った。
琥珀色の瞳が宝石のように光を貯め輝いている。
その唯一無二のオーラに圧倒された。
初めて見る顔だが、俺はこの人を知っている。
俺の顔を認めるや否やなぜか怪訝そうな顔をする男に、無言のまま立ち上がり胸に手を添え静かに膝を突く。
「宰相め、俺を嵌めたな……」
憎らしげにそう言う男の言葉に心の中で首を傾げる。
「はぁ……、レオン・ベルティエだな。報告と印象が違うから驚いたが」
どこか億劫そうにそう言う彼は、国王陛下、ロベール2世である。
初めて本物の顔を見るが、実年齢よりだいぶ若く見える。
肖像画より威厳が少なく見えるのは、完全にプライベートな場であるからだろうか。
「王国の太陽に謹んで拝謁いたします」
まさかこのような場所で会うことになろうとは思わなかった。
「ふふっ、レオン格好いいでしょう?私の前だけ前髪を上げるよう頼んでいるのよ」
跪く俺の肩に手を添えてそう言う王妃。
こちらからは見えないが、きっといい顔で笑っているのだろう。
「……嫌ならはっきりと断れよ?」
「いえ、お会いいただけるだけで光栄ですので」
そう言うしかあるまいよ。
王妃に拉致されるのはこれで3回目。
王子からの招集がある日、城に来るとまずここに拉致されるようになった。
王妃自らで迎えにやってくるのだから、断れる訳がないのだ。
「王妃、その少年を連れ回すのも大概にしておけ。隠し子の疑惑まで出ているんだぞ」
「あら、皆様の想像力も豊かですのね。隠し子だなんて」
ふふふと扇を広げて笑う王妃。
俺と王妃は全くもって似てないと思うのだが。
こっちの男の方が、よほど俺と似ている気がする。
俺はこんな感じに成長するだろうなとなんとなく思う。本当はアーダルベルトみたいな男らしい壮年になりたいのだが、まぁ望み薄だろうな。
じっと整った顔を観察していると、王妃に向いていた視線がこちらに向いた。
その瞳が、俺を写し、そして今度は誰かを懐かしむような色を見せる。
……、どうやらこの人も俺の肉親を知っているらしい。
そんなに俺と顔が似ているのだろうか。
「王子のところに行くのであろう?こんな所で油を売っておらずに、早く行ってやれ」
「かしこまりました。両陛下、御前失礼いたします」
そう言ってその場を後にするため立ち上がる。
いつものように笑顔で手を振る王妃。
そして、背を向けても感じる国王の視線に、どこか居心地の悪さを感じたのだった。




