19.事故
3年後ーー
街の一角にある孤児院に木剣がぶつかる音がこだまする。
淡い金髪の少年と黒髪の少年。
歳の頃は同じだが、黒髪の少年の方が少しだけ身長は高いだろうか。
明らかに押されているのは金髪の少年の方で、黒髪の少年は汗ひとつかいていない。
必死に立ち向かう少年を飄々とあしらっていた。
そして、金髪の少年が少し足を滑らせたところで鳩尾に塚を打つ。
「がはッ!」
あまりの苦しさに悶えるように蹲り、決着がついたのだった。
「はい、これで俺の記念すべき100勝目だな」
「〜〜〜ッ、くそぉ、いつかその顔に傷をつけてやるからなぁッ!」
地面で腹を抱えたまま睨みつけてくるジュードを鼻で笑う。
「はっ、期待してるよ。じゃ、俺は城に行ってくる」
「おー」
起き上がれずに手を振るだけのジュードに背を向け、孤児院の前に止めておいた馬車に乗り込む。
馬車の中でカミルと2人になったところで髪をかきあげる。
その額には汗が浮かんでいた。
「ったく、子供は成長が早いよなー」
「本当に」
何だか意味深に頷いているカミルから濡れたタオルを受け取り顔をふく。
力任せのジュードの剣戟は試合を重ねるごとに重くなり、今ではそれを流すのがやっとだ。
こちらから攻撃すると一瞬で終わってしまうので、防御に全集中しているのだが、そろそろその縛りも厳しくなって来ている。
せめてもの抵抗として、こうやって疲れているのを本人には見せないようにしていた。
着替えも終わり、きっちりとした礼服に変わる。
ため息を吐きながら外を眺めると、次第に街の賑やかさがなくなってくるのが分かった。
城が近づいている証拠である。
王子に友達認定され3年が経った。
俺は12歳になり身長も伸び、筋肉も均等につき始めた。どうやら顔も知らない俺の両親の家系は体格に恵まれていたらしい。
前の人生ではあまり筋肉がつかない体質だったから、毎日鏡を見るのが最近の楽しみになっている。まぁすぐに我に戻ってやめるのだが。
マッチョたちが筋肉を自慢したがる理由なんて知りたくなかったよ。
この3年の間に何回か王子にお呼ばれすることがあった。
やれ街に連れて行けだの、遠乗りに付き合えだの。王子も8歳になり、最近勉強の方が本格的に始まったようで、その回数は減って来たが、お誘いがあるのは相変わらずだ。
今日は何に誘われるのかと考えながら馬車を降りる。
大体約束の時間の1時間ほど前に着いて、城の庭を見ながら散歩をするのがルーティンとなっているのだが、今日選んだルートではどうやら淑女たちがお茶会をしているようだった。
庭を歩くのを諦め、彼女たちの声を聞きながらその脇の廊下を歩く。
今日は天気がいいので庭でのお茶会にしたのだろう。
城で開くということは、王族の誰かが主催をしているのかもしれない。まぁたまに貴族の家にもお茶会のため庭を貸し出すこともあるのだが。
ちょっとした人工の湖のある庭である。
屋根付きのボートに乗って遊ぶ令嬢たちもいれば、湖畔で話に花を咲かせる令嬢たちもいるようだった。
学園入学前ぐらいの令嬢たちがほとんどだった。交流会か何かだろうか。まだ大人の淑女のようなドロドロとした雰囲気は感じなかった。
「楽しそうだな」
「混ざられますか?」
「冗談言うなよ」
楽しそうではあるが、あの中で男ひとりで飛び込めるほど肝は据わっていない。
そもそもこんなもっさい男が入ろうものなら、あの純粋そうな空気も軽蔑に変わることだろう。
その視線を想像しただけで身震いした。
そんなことを考えていると、湖にかかる橋の上にいる集団の中で見知った顔を見かけた。
「ヘルマがいるな」
「そのようです」
「久しぶりに見た……」
最近は習い事の方が忙しいようで、ヘルマとは文通のみでのやり取りになっている。
最後に会ったのは半年ぐらい前だろうか。
本の話をしてふわりと笑うヘルマの笑顔を思い出したのだが、そこにいるヘルマには引き攣った笑みしかなかった。
と言うより……
「なんか、体調が悪そうじゃないか?」
「ええ。しかし、あの様子ではーー」
同じ年頃の少女たちの脇にいるヘルマ。
どうやら頑張って交流を持とうとしているようだが、ヘルマが選んだ集団は少し派手すぎるような気がする。
話しかけては無視されているような雰囲気を感じながら、その青白い顔を心配で見ていると、近くにいた令嬢の日傘が当たりそうになった。
それを避けるように一歩後ろに下がったヘルマの足元に地面はなくて。
「?」
「「!!」」
バランスを崩したヘルマは何が起こっているのかわからないようで、力無く湖に落ちていった。
その水音でようやく令嬢たちが人が落ちたことに気づく。
「きゃっ、何!?」
「今、人が落ちたのではなくて?」
「誰かしら……」
そう言いながら助けを呼ぼうともしない令嬢たちにイラっとする。
見かねてジャケットを脱ぎカミルに投げ付けて駆け出す。
「レオン様!?」
「あの湖は深い!ヘルマが泳げるわけないだろ!」
泳げるにしても、着ているドレスが水を吸って身動きが取れないだろう。
案の定浮かんでこないヘルマに令嬢たちがあたふたしている。
「私が行きますからッ」
「風のお前じゃダメだろ!」
背後についてくるカミルにそう言い捨てると言葉の意味に気づいたのか口を噤む。
湖を覗き込むだけの令嬢たちを押し除ける。
「失礼、俺が行きます。離れてて下さい」
「え?!」
急に乱入して来た年下の男に驚く令嬢たちを横目に、俺は湖の中に飛び込んだ。
「キャーーッ!?」
「人が飛び込んだぞ?!」
「何があった!」
そこでようやく周りの護衛たちは事態に気付いたのだった。
湖に飛び込んだ俺は水を操り目の周りに膜を張る。
クリアになった視界の中で、気を失って沈んでいくヘルマがいた。
庭にこんな深い湖を作るなよと悪態をつきながら、再び水を操りヘルマを手繰り寄せる。
ヘルマを抱き寄せ、その肩越しに太陽差し込む湖の底を見ると、明らかに人間の骨がいくつも沈んでいた。
その光景に背筋が凍るが、今はそれどころではない。
ヘルマを抱えたまま、湖畔に浮上した。
「出て来たぞ!」
「女の子も一緒だ!」
「助けるために飛び込んだのか!?」
そんな声を聞きながら顔を上げると、カミルが心配そうに手を伸ばしていた。
「レオン様」
「俺はいいから、ヘルマを頼む」
「……かしこまりました」
不服そうなカミルにヘルマを預けると、ドレスが何倍にも重くなっているにも関わらず軽々と持ち上げられ、そっと地面に寝かせられた。
メガネを外し水に浸かったまま一仕事終えたことにため息をついていると、ざわっと空気が変わる。
「おい!息をしてないぞ!」
「こう言う時は人工呼吸をーー」
その使い物にならないような言葉を聞いて呆れる。カミルもどうしたものかと困り果てていた。
「ったく……、おい!そこを退け!カミルはヘルマの上体を起こせ!」
水で張り付くうざったい前髪をかきあげながら湖から上がる。
びちゃびちゃの服に構うことなくヘルマの横に膝をつく。
青白かった顔がさらに青白くなっている。
息ができていない証拠だろう。
反対側からヘルマを支えるカミルの腰から、投擲用のナイフを一本抜き取った。
「何を?」
「はぁー。紳士は背中を向けていろ」
「?」
「聞こえなかったのか?」
「は、はいっ」
行動を起こさない男どもを睨め付けると、さっと一斉に背を向けた。
それを確認してヘルマのドレスのリボンを外し、コルセットの紐をナイフで千切っていく。
一番きつかったであろう紐が切れた時、ヘルマの体が動いた。
「ガハッ、ゴホゴホッ?!」
その声に男たちが驚きつい振り向きそうになるのを牽制する。
「こっちを向くなよ」
「……レオン様」
「お前もこれぐらい知っておけよ。童貞か?」
「ッ」
図星だったのか、俺の口から漏れた言葉に衝撃を受けているカミル。
その様子にため息をつく。
「おい、ヘルマ。大丈夫か?」
「ゴホッゴホッ」
大量の水を飲んだのだろう。
未だにむせているヘルマの背をさすっていると、虚なヘルマと目が合った。
「ーーぁ……」
そして何かを言おうとして気を失った。
力が抜けた体を再び地面に寝かせ、カミルからぶんどった俺の上着を体にかける。
「もういいぞ」
背を向けていた男性陣に声を掛ける。
ヘルマを見ると、相変わらず顔色は良くないが規則正しい息を繰り返している。
腕の脈も問題なく触れているようだし、と判断していると、ヘルマの腕に何本かの切り傷があるのに気づく。
自傷の後かと思い思わず眉を顰めるが、不規則な傷の並びに少し違うと判断する。
そして、人差し指の付け根にある、少し硬くなった皮膚に気付き、前の人生で付き合っていた彼女の顔が思い浮かんだ。
それに気付いて触ってみると、やはりヘルマの体は前にあった時以上に痩せているのがわかった。
手紙の中ではそんなそぶりは一切見せなかったことに少し複雑な気持ちになる。
難しい顔をしていると、ふと女性陣の声が響いた。
「ちょっと、あなたが押したんじゃないの?」
「言い掛かりはやめてよね!あの子が勝手に落ちたんだから!」
「そんなわけないでしょう?」
犯人探しを始める少女たちと、保身に走る少女。
誰もヘルマを心配する声がないのが何よりも不快だった。
「医務室に運ぶ。カミル」
「ご案内します」
ヘルマの背と膝の裏に手を入れ、少し重くなった細い体を抱き上げる。
すると、今度は女性陣から黄色い声が上がった。
「持ち上げたわよッ」
「なんて綺麗なお顔……」
「あのッ、あなたはどこの家のご子息なの?」
「見たことない顔だわ」
「あんな軽々と、絵になるわね」
「ヘルマさんは使用人に任せて、こちらでお茶しましょう?」
口々に口説いてくる令嬢たちに、反吐が出そうだ。
睨みつけそうになりながら、どうにか笑みを貼り付ける。
「お茶会はまたの機会でもよろしいでしょうか。この方が心配なので」
「はうッ」
「わか、分かりましたわッ‼︎」
怯んだ令嬢たちに背を向け野次馬の輪を抜ける。
「チッ、うぜぇなあいつら」
「どこに目があるか分かりませんよ」
「分かってる」
背を向けていることを良いことに、つい顰めっ面で悪態をついているとカミルから忠告が飛んできた。
腕越しにヘルマの脈を感じホッとしながら庭を進む。
すると不意に、廊下の隅で使用人を3名ほど引き連れた女性と目が合った。
どこかで見たことのある顔に心の中で首を傾げながら、ペコリと頭を下げるだけにとどめ、歩みを進めた。
複雑な構造の城をカミルの案内で進み、一番近い医務室に辿り着く。
「いかがなされましたか?ーーって、ずぶ濡れじゃないですかッ!」
「この子が湖に落ちた。見てやってくれ」
「湖に?!ええ、こちらです!」
言われた通り簡易のベッドに寝かせると、カミルの背後から血相を変えたメイドが飛び込んできた。
何度か街に出かけた時に見たことがある。
「ヘルマ様!?」
「ブランジェ伯爵家の使用人か。ちょうどよかった。ここからは任せる」
「はぁはぁ、貴方様は?」
あぁ、顔を見せたのは初めてか。
「レオンだよ。何度か会ったことがあるが……」
「ーーッ⁈え?ベルティエ伯爵家の?」
「ああ」
「……うっそーん」
思ったよりノリが軽い女性だった。
「本当だ。じゃ、後は任せる。ヘルマには、健康に悪いことはやめるように伝えておいてくれ」
「!」
「今度会った時にやめてなかったら、その時は覚悟しておけよ、ってな」
そう言ってひらひらと手を振り医務室を後にした。




