17.第二王子
カツカツと大理石の廊下に複数の靴の音が響く。
夕陽が差し込む場所なのか、今の時間は天井の高い廊下にあまり日が差し込んでいない。
人気のない冷たい廊下を、俺は完璧に剪定された中庭を眺めながら案内されていた。
「この様な場所に、私のような者が足を踏み入れて良いのでしょうか」
「殿下が呼んでいるのだから仕方ないだろう」
同じ歳の頃の少年、王子のお守りを担当しているケヴィンが俺の呟きに答えた。
中庭には色とりどりの薔薇が咲き乱れている。
あの中に王妃が品種改良したと言う薔薇はあるのだろうか。
観覧料をとった方がいいぐらい見応えのある中庭がそこにはあった。
そう、俺は今王子にお呼ばれして王城の中の、王族の住まう区画にある廊下を歩いている。
まさか半年のうちに2回も城に入ることになるなんてな。
中庭が見えなくなりホールに入ると、中央には現在の王族の肖像画がかけられ、その周りを固める様に歴代の王族たちの肖像画があった。
「中央の絵は1年ほど前に完成したものだ」
「へー……」
国王と王妃、王太子と王子が並んで描かれており、王妃の腕には幼い末の王女が抱かれていた。
5人とも威厳たっぷりに描かれているが、1人として笑顔がないのがなんとも言えない。確か王太子と国王はあまり仲が親密ではないとゲームの中で話していた。
本当の家族でも、窮屈そうだと感じながらふと視線を逸らすと、脇に飾られてあったある女性の肖像画が目に入った。
黒髪に紫水晶の瞳を持つ可愛らしい女性。
笑顔のない肖像画の中で唯一笑っている女性だった。
「……?」
誰かに似ているような気がする。
そんなことを考えながら通り過ぎていると、後ろを歩いているカミルの気配が遠くなったのに気付いた。
振り返るとその女性の肖像画の前で止まっていた。
「どうした?行くぞ」
「……ええ」
歩みを進め近付いて来たカミルに問いかける。
「知ってる人か?」
王室を守る近衛騎士団に入っていたんだしおかしくはない。
新しそうな絵だったし。
「ええ、そのようなものです」
「ふーん?誰かに似てるような気もするんだがな……」
「……気のせいでしょう」
「そうか?」
首を傾げているとカミルが少しアンニュイな表情で頷いた。
そんなやりとりをじっと見ていたケヴィンは、何を言うこともなく歩みを進めたのだった。
迷路のような城を進み目的の部屋に辿り着く。
扉を開くと、大量のクッションに埋もれて絵本を読んでいる王子がいた。
「殿下、レオンを連れて来ましたよ」
その言葉に顔を上げぱあーっと顔を綻ばせる王子。
会ったのは園遊会での一度きりだし、その中でも懐かれるようなことをした覚えはないのだが、と思いながら駆け寄ってくる王子を眺める。
まぁこの頃の子供は何を気にいるかわからないからなーと、おもちゃの好き嫌いが激しかった前世の弟の姿を重ねる。
しかしあと数メートルのところで床に落ちていた本に足を取られバランスを崩した。
思わず駆け寄り、小さな体を膝を付いて受け止める。
「わっぷ」
「……大丈夫ですか?」
しまった、つい反射的に……。
俺に抱きつく形になっている王子の体を外し、可愛らしい顔を下から見つめる。
転びそうになってちょっと恥ずかしそうである。
「……大丈夫」
「ならばよかったです」
転ぶ原因になった本を手に取り、ついでに辺りにある障害物も拾い上げ、王子用であろう小さな机の上に乗せる。
「使ったものは片付けないと、また転ばれますよ」
「うん……」
頭を撫でたい衝動を抑えながら返事に頷き返していると、ケヴィンが首を傾げた。
「面倒見がいいんだな。末っ子だと聞いているが」
「これぐらい普通だと思いますよ」
この世界で年下の子供と接したことはない。
前世で弟と妹がいたなんて言えるはずもなく、曖昧な返事しかできなかった。
それで?
手紙なんかで呼び出した要件はなんだ?
こちとら王族からのいきなりの手紙に、父からお小言をもらう事態になったんだが?
王子にそう瞳で訴えかける。
正しく受け取ったのか少しモジモジし始めた。
その様子に再び膝をつき胸に手を当て、下から顔を覗き見る。
「改めましてごきげんよう、ジュリアン王子殿下。お手紙を頂き驚きましたよ。不肖ながらこのレオン、殿下の願いを聞き届けに参りました」
「う……」
にっこりとそう言うと固まってしまった。
「レオン、お前もっと砕けて話せるだろ」
「殿下の前で失礼でしょう」
「かしこまったお前は、なんかこう、怖いんだよ。普通にしてくれた方が殿下も萎縮しないで済む」
怖いと言われてしまった。
母には好評なんだけどな……。
まぁ、そう言われると崩さざるを得ないのだが。
「よろしいですか?殿下」
「うん……」
一応本人にも断りを入れてため息を吐く。
「はぁ、分かった。これで良いか?」
「うん!」
可愛い顔しちゃって、まぁ。
「それで?用件はなんだ?」
「街に、行きたいの」
「街に?それでなんで俺に」
「……」
首を傾げていると悲しそうに黙り込んでしまった。
「あーいや。一緒に行きたくない訳じゃない。純粋に疑問で」
「僕、友達いないから……」
そう言いながら机に置いた絵本を手にとって広げて見せてくれる。
「街は友達と行くものって絵本が言ってる」
「あー、なるほど。それで俺に白羽の矢がたったと言うわけか。と言うかよく覚えてたな俺のこと。一回会っただけだろ?」
「覚えてる。綺麗な目」
「……なるほどな」
ひっくり返った時に俺の目が見えたのだろう。
兄は気持ち悪いと言うのに、この子は綺麗って言うんだな。
「そんなに綺麗なのか?」
躊躇うことなく俺の前髪を掴むケヴィンに眉を顰める。
その顔は好奇心に満ちていた。
「おー……」
「断りもなくやめろ。失礼だろ」
「ごめん」
勝手に感心しているレオンを見てついイラっとする。
前髪を掴む手をペイっと払いのけた。
「友達と行きたいならケヴィンと行けば良いんじゃないのか?」
「ケヴィンは従兄弟」
「従兄弟はノーカウントか」
確か王妃の弟の息子だったか?
まあ立場上、友達を作るのも難しいんだろうな。
同じ年頃の子供なら何があっても物理的に首が飛びかねないし、年上の貴族子息たちと言っても、大部分は王太子に近づきたいだろうし。
そんなことを考えながら口を開く。
「まあ、街に行きたいのなら連れて行くが、街で何をしたいんだ?」
「?」
「なんかあるだろ。美味しいものを食べたいとか、おもちゃを買いたいとか」
「お城の中でもらえるからいい」
「そりゃそうか。ってことはつまり、街に行くこと自体が目的ってことだな」
「うん」
「んじゃあまぁ取り敢えず街に行ってみるか。そう言えば、護衛がいるよな。どうするつもりだ?」
「最低でも5名は連れて歩かないとダメだと言われている」
「護衛は友達じゃない……」
「まあそうだよな……」
5人も屈強な大人を連れて歩くとなると、王子の理想の街探検とはならないだろう。
「それなら西区の街にするか。あそこならまぁ安全だろうし、何かあったらカミルがどうにかしてくれる」
「西区?ニコラス=ファミリアがいるところじゃないか」
「だから良いんだよ。ニコラス=ファミリアが目を光らせてるから変な輩がいない」
「なるほど……」
まぁ、ニコラス=ファミリアにも俺の顔が周知されているから手出ししてこないんだが。
派閥を作ってからの最初の1ヶ月で、反抗勢力は軒並み俺自身が返り討ちにしているので、メンバーには子獅子だと揃って怯えられている。だからこそ街に秘密基地を作ったのだ。
因みにケヴィンに言った事も嘘ではない。
抑止力がある方が街の治安は良くなるからな。
「決まりだな。あの街なら一通りの店があるから暇しないと思うぞ」
馬車に揺られる事20分ほど。
西区の入り口についた。
窓から見える景色にすでに目を輝かせていた王子が、止まったと同時に一目散に馬車を飛び出した。
「殿下!危ないですよ!」
それを追いかけるケヴィン。
外で控えているカミルが目を光らせているから特に危ないことはないと、最後にゆっくりと馬車を降りた。
「すごい!本当に街だ!」
そりゃそうだ。
どうやら城から出たことのない王子は、街を都市伝説だとでも思っていたらしい。
どんだけ箱入りなんだよ。
また走り出す王子と追いかけるケヴィンを眺める。
「転んでも知らないぞー!」
そう大きめに声をかけると、王子は思い出したように足をとめた。
そこに追いつき語りかける。
「また転んだらどうするんだ。こんなとこで怪我したら、すぐに帰らないといけなくなるぞ?」
「う……」
「楽しいのは分かるが、走るなよ」
「うん……」
しゅんとした姿に思わず頭を撫でてしまった。
「ッ……」
「あ、悪い」
「ううん。もっと……」
離した手を掴んで再び頭に乗せる王子は、俺の手を掴んでセルフなでなでを始めた。
至福そうな顔でいる王子に少し悲しくなる。
一番下に王女が生まれてから王妃はそちらにつきっきりだと言う。
国王も執務で忙しいだろうし、王太子も勉強で手一杯なのだろう。
生まれた地位と注がれる愛情は比例しないのだと、子供が愛に飢えている姿に虚しい気持ちになる。
そのままふわふわの頭を撫でていると、辺りから視線を感じた。
街ゆく人はいいのだが、その中に紛れて見覚えのある組員の人間たちが生暖かい視線を送って来ていた。ムカつく顔にそこはかとなく苛立ちを感じ、見せもんじゃねーぞと念を込めると、蜘蛛の子を散らす様にそそくさと立ち去っていった。
王子の頭を豪快にかき混ぜ手を離す。
「はいお終い。街を見に来たんだろ。行くぞ」
「うん!」
本来は好奇心旺盛な子供なのだろう。
あれは何、これは何と、あっちにふらふらこっちにふらふらするので、その手を繋ぐことにした。
嬉しそうに手を振っているが、それでも好奇心が優った時は手を振り解いて走って行こうとするので、その度に制御するのはなかなかに骨が折れた。
今はケーキ屋のテラスで、短い足をばたつかせながらケーキのおいしさを噛み締めていた。
その姿に頬が緩む。
弟ってこんな感じだよな。
振り上げすぎた足が机に当たりガチャンと食器の音が響いたことにびっくりしている王子。
紅茶もケーキも無事だ。
しかし丸い瞳が飛び出すんじゃないかってぐらいさらに丸くなったのを見て、思わず吹き出してしまった。
「ふっ、驚きすぎだろ。美味しいのは分かるが、これに懲りたなら行儀良く食べような」
「うん」
頬についたクリームをナプキンで拭き取る。
「やはり手慣れてないか?」
「気のせいだろ」
そう言い張るしかなかった。
やはり俺は弟属性に弱いらしい。




