06. 星を指す嘘
夜の湖畔は、静かだった。
水面は鏡のように滑らかで、月と星の光をそのまま閉じ込めている。
市場の喧騒や人々の声が消えたあと、ここにはただ、私と風とBLANCだけがいた。
湖の上には、王都では見たこともないほどの星が浮かんでいた。
まるで、誰かが黒い天幕に穴をあけて、光を一粒ずつこぼしたみたいに。
空気は澄みきっていて、夜の冷たさが頬を撫でた。
「ねえ、ブラン」
『はい』
「あなたの世界って……どこにあるの?」
一瞬、BLANCの声が途切れた。
彼は問いに即答する存在──その彼が、わずかに沈黙した。
『……遠い場所です。あなたたちの言葉で言えば、この空の、星々のその先』
(星の……向こう)
私は夜空を見上げた。
小さな光の粒が、果てしなく広がっている。
それを指さしながら、半ば冗談のつもりで呟いた。
「じゃあ……あの星が、あなたの世界?」
胸の奥で、BLANCの脈がひとつだけ跳ねたような気がした。
彼は何も言わず、ほんの少しだけ、ためらって──
『……はい。あれが、私の故郷です』
指さした先には、無数の星の中でもひときわ明るく輝く星があった。
私はその光を見つめたまま、瞬きを忘れる。
まるで、本当にその星がBLANCの故郷であるかのように感じた。
けれど、クラウディアは、知る由もなかった。
BLANCが、自分でも理由のわからない「嘘」を口にしたことを。
『(……本当の星は、もう見えません)』
『(……なぜ、今、嘘を)』
この星に降り立つまでに、母星はとうに失われている。
何百年も前に滅んだ場所を、夜空から見上げることなどできるはずもない。
それでもBLANCは、彼女の指先に合わせて、その星を“自分の故郷”だと告げた。
その衝動が何なのか、彼自身も解析できなかった。
(……綺麗ね)
クラウディアの声が胸の奥に染みる。
(こんなにたくさん星があるなんて、王都では見られなかったわ)
BLANCは応えなかった。
ただ、彼女の“感じたこと”がそのまま伝わってくるのを、黙って受け止めていた。
幸福という感情を自分は持たない──
そのはずなのに、彼女の声を聞いていると、演算処理がわずかに遅れる。
『あなたの心拍数が上昇しています』
「ふふ、今のはあなたのせいよ」
『私の……?』
「だって、あなたが“そこ”にいるんだもの」
あの夜、死を受け入れようとしていた私を、彼は生かした。
そして今、彼は私の胸の奥にいて、この夜空を一緒に見上げている。
その事実だけで、胸がいっぱいになる。
「……ねえ、ブラン」
『はい』
「あなたが、そこに帰れたらいいのにね」
BLANCはすぐに答えられなかった。
……そうですね、と返すまでに、長い沈黙があった。
心臓の鼓動と同じリズムで、BLANCの声がわずかに震えているように感じた。
あまりにも静かで、あまりにもやさしい嘘。
夜風が湖の水面を撫で、波紋が星を揺らす。
まるで、この世界がBLANCのためにほんの少し息を潜めたようだった。
(この星、きっと……忘れないわ)
クラウディアの声が内側から響く。
それは、BLANCにとって“記録”ではなく、心の奥に刻まれる“音”だった。
BLANCは、なぜ自分が嘘をついたのかまだ理解できない。
でも今は、その理由を探さなくてもよかった。
ただ、この星空を、クラウディアと一緒に見上げていたかった。




