あじゅ3
残業で帰りが遅くなって真っ暗なアパートの階段を浩は登っていた。
広島に出て半年、ハードな仕事なのでいつも帰ったらボロボロである。
近くの弁当屋で晩飯を買って 食べて風呂に入ったら寝るだけ。
そういう生活にも慣れてきた。
ドアの鍵を開け、靴を脱ぎ散らかし、壁にぶつかりながら手探りで電気を...
浩は手にした弁当を思わず放おり投げてしまった。
ふくよかなお姉さんがこっちに向いて正座して睨んでいる。
-だっ、誰?
「あたしだよ。」
-えっ、えっ。 あず? どういうこと?
「用事があって来たんだよ。」
島根広島間、車でも約130km。なかなかの距離である。
-連絡なしで、いきなり。急ぎの用事ですか?
「来たら、いけないんですか?」
-いえいえ。決してそんなことはございません。だけど、なんか色々怖いんですけど。
「...あれだけ名前を呼ぶなと...」
-あ~...。色々あったんでどうしても思い出しちゃうんですよ。
あずが深くため息を付く
「イメージを名前で、しかも私の真名で紐付けてしまったのね。」
ーそれで、そのふくよかな感じになってしまったんですか?
「そうよ。大体のことならどうにかするんだけど。こと真名に関しては、それだけ縛りが強力なの。解消することも出来ないスピードで、どんどん溜まってしまって、」
ーなんだかすいません。
「どうすんのよ?真名呼びしてない認識だったとしても、真名を呼ばれているのと同じよ。これからもどんどん溜まってしまうわ。あたしこれからどこまで膨張するのかと思うと、居ても立ってもいられなくなって。」
「このままじゃ、渋が下も止められないのよ?」
ーどういうことですか。
「今、渋が下がどうなっていると思う?」
ー枯れちゃったんですか?
「逆よ逆。泉じゃなく、もうあれは池よ。立派な池!」
ー・・・え〜。
「道は川になっているわよ。お父さんは牛に乗って上がるから良いけれど、他の人は流されちゃうから朝倉から回り道しているのよ。」
ーえらいことで。
「全部、浩のせい。どうすんのよ?」
ー・・・。
「早くどうするのか考えて。あたしがお相撲さんになる前に!」
あずは今は、とってもメリハリのある体つきになっている。
年頃は見た目20歳くらい。身長165センチ。
出るとこ出てるって感じの体格で、ファッションも普通に歩いている女性と変わらない服装、
腰までの長い黒髪を一束に束ねている。
顔が整っていて色白で目が大きいだけに、怒った風だと本当に迫力がある。
がんがん浩に詰めてくる。
「ほんと、どうにかして。すぐどうにかして。あたしがパンクしちゃう前にどうにかして!」
ーお好み焼き食べに行きません?
「行く!」
浩のアパートを出てすぐに 何件かお好み屋さんがある。歩いて数分。
大した距離でもないのだが、行き交う人が全員振り返る。
なんなら、今目の前のおじいさんなどは時間停止状態で、くわえたタバコを落としそうだ。
「賑やかね〜。」
ーっていうか、普通の人にも見えちゃってますよね?
「だから、制御が効いてないと言うか、実体化しちゃってもいるのよ。」
お好み焼き屋に到着。あずはにこーと満面の笑顔。良い顔するなぁ。
「さぁ、食べるわよぉ!」
ー好きなだけ食べて下さい。
「ええ。お好み焼きは別腹だからぁ。」
ー主食を別腹扱いですか。
「あたしのご馳走は浩の思念よ。それに比べたらそれ以外はたいしたことないのよ。これはこれで美味しいけれど。」
ー月光は?
「あれはあれ。浩があたしの真名を知らなければ、確かに月光が一番のパワーになるわ。」
ーそれまで見えなかったですものね。
「それはそう。浩が成長したから、見えてきたってのもあるのよ。それまでも私はずっと浩の近くに居たわ。」
ーそうだったんですね。
「そして、緊急事態だったでしょう?あの後すぐ水害があるのがわかっていたから、それまでほんの少しずつ貯めていた力を放出して上佐屋にだけは私が見えるようにして。」
ーあれはそのせいで縮んでしまったんだと。
「縮んだゆうなぁ!」
食後、散歩がてら、川沿いを歩きながら、あずがまた違う話題を話し始めた。
「あのね、国道の工事予定があるの。」
ー道が拡がるんですね。
「ううん。それもそうだけど、トンネルの話も出ているわ。」
「そうすると、場合によっては渋が下にまた影響が出る可能性があるのよ。」
ー困りましたね。
「まだルート選定をしている段階だから、絶対にトンネルを掘る、渋が下が枯れる、とか言う話じゃないの。」
「だけどもしもトンネルのルートになったら...今度は国が動いているから、法事の時のようなわけには行かないわ。」
ーう〜ん。まだ時間はあるでしょうから、今のうちから何か対策を考えましょう。
あずの顔が、なぜか少し赤くなってきた。
「例えばだけどね。降嫁してしまうという手もあるわ。」
ーコウカとは?一体何なんですか?
赤くなった顔を隠そうと、あずがうつむいた。
「浩にもらってもらうのよ。」
ーえっ?何をですか。
あずは真っ赤な顔のまま、顔を上げて浩を見て話を続ける。ちょっと怒っている。
「あんた本当に鈍いわね!あんたがあたしを嫁に迎えるのよ!」
ーそれで解決するんですか?
「かっ、解決はしないわ。時間を先延ばしにできるの。」
「まだまだ、本当に渋が下が枯れると決まったわけじゃないんだけど、知ってておいて欲しいのよ。」
「あたしは上様、人間じゃないわ。でも、降嫁すれば寿命は人並みになり、必ず一人は娘が生まれる。その娘が次の上様。渋が下は一度は枯れても、次世代のその娘なら、その娘によって、もう一度復活させることが出来る。」
浩は黙って話を聞いていた。
自分は広島に出て仕事をしているが、上佐屋の次の当主になる。上佐屋の矜持は絶対に守りたい。
そして、あずはかわいい。かわいいは正義である。
「あんたね、あたしと矜持とどっちが大事よ? ・・・そりゃ嬉しいけどね。」
ー分かりました。数年でルートが決まるんでしょう? それまでにお互い心づもりしましょう。上様。よろしくお願いいたします。
「何よ急に。今まで呼んだことのない呼び方するのね。」
ー今気づいたんです。これなら真名を呼ばないわけですから、イメージの紐付けもこれだったら体がだんだん元に戻りますよね?
「これ以上、進まないだけよ。溜まっているものは、災害が起こらない限り放出できないから、ちょっとずつしか減らないわ。そして今、渋が下はえらいことになっているまんまよ。」
ー川と池のこと忘れてました。困りましたね。
あずは急に立ち止まった。つられて浩も止まる。早口で言う。
「ちょっと、目を閉じて。」
ーえっ。どうかしました?
「良いから早く!」
浩は促されるまま目を閉じた。
途端。
柔らかい何かが唇に触れた。
ー???
キスであった。
唇が離れて目を開けたら、そこにはスリムになったあずがニコニコしながら立っていた。
「これで渋が下は収まったわよ。」
ー僕は収まらないよ。
浩はそう思った。
ひと月経って、浩のもとに電話がかかってきた。親父だった。
「ひどい雨だけ。一回戻ってこいや。」
浩は会社を休んで、帰省することにした。
実は数日、止まない雨が降り続いていた。
あずが言う。
「今回はここのあたりじゃなく、国境の辺りが危ないのよ。」
ー今回も上様が動かれるんですね。
「そう。だけど、今回は浩にも手伝ってほしいの。」
ー出来ることがありましたら、喜んで。
「今回は仙山川と田儀川の合流部あたりで出水するの。それで、敢えて山を動かして流れを変えるわ。」
ー上から操作しないといけないですね。
「そう。だから、あんたも飛ぶの。」
ー僕、飛べるんですか?
「あたしと一緒ならね。あたしだけでも飛べない。あんただけでも飛べない。さ、手を繋いで。」
ーおおお。浮き上がる。
「コントロールは私がするわ。」
ー僕って、月光浴も、体重も、飛翔も全部受け身ですよね?
「なにか問題あるの?つべこべ言わない!」
上様は男前である。
仙山川と田儀川の合流部に上空から近づく。
仙山川の合流部分は特に滝のように田儀川向かって流れている。
この落差を幾分でも和らげて流路が壊れないように、最小限のダメージで済むように、山を崩すのが作戦目標である。
あずがコントロールを始める。
手を繋いでいる関係で今回はオーケストラの指揮のように両手で出来ない。
片手でのコントロールは、時間もかかり精度が落ちる。それでも山が動き始める。
ーがんばれ。上様。
浩は応援する以外何も出来ることはない。
その時
今まで無風であったのに、一迅の風が二人を叩いた。
「きやっ!」
ーうわ!
2人は飛翔のバランスを失い、身体がぶつかり合い、浩は咄嗟にあずを抱きしめてしまった。
勿論、手が離れれば2人ともが自由落下になる。力いっぱい抱きとめる以外無い。そうではあるが。
あろうことが浩はあずをしっかり揉んでしまっていた。
あずのコントロールが乱れる。
「ばっか!何すんのよ!」
ーいや、何って。わざとじゃないし。
「いや、そりゃそうだけど!」
川筋は整い、流路は安定したが、言い合いしている間に、コントロールが乱れた山は大きく崩れ、なんと国道を500メートルに渡って破壊してしまった。
「しーらない。」
確かに上様の役割は全うしたので問題はない。ないが、今度は交通網が寸断してしまった。
帰宅してからの上佐屋での緊急家族会議でも他言無用。お咎め無し。となった。
「7時のニュースです。昨夜の朝山地区田儀地区の国道不通についてお知らせします。大雨による土砂災害で一部仙山川が埋まったものの、奇跡的に死傷者はなく・・・」
「但し、国道の復旧には早くとも半年かかる予定で、近隣に迂回路がないため大型車は三次などへの迂回が必要になっています。」
この国道の長期不通がこの後の国道拡幅工事に影を落とすことになるのであった。
最後までお読みくださって ありがとうございます。