File1 消えたメロンパン
「あれ?えっ、私のメロンパンがない。せっかく朝並んで買って来たのに!」
帰りのホームルームも終わり、千大がガサゴソと帰りの準備をしていると、るいが大声をあげて立ち上がり、鞄をひっくり返した。
中からガタガタと色々な物が落ちてくる音が聞こえる。今日は授業もない為、必要な物なんてないはずなのに、鞄には色々な物が入っていそうだった。
「朝食べた事、忘れてんじゃねーの?」
「あんたじゃあるまいし、それはない」
「はあ?俺はそこまで馬鹿じゃねーし」
「じゃあ今日の朝何食べた?」
「…」
「ぷぷ。答えられないんでやんの」
「そういうお前は何食べたんだよ
「えっ?朝買ったメロンパンだけど」
「いや、ガッツリ食ってんじゃねーか。犯人お前じゃねーか」
「違うし。朝食べたのは特大デカメロンパンで、今食べようとしたのは、濃縮デザートメロンパンだもん」
「なんだよそれ。つまり誰かにパクられたって事か?」
「学校が始まって事件とか、軽くホラーだね。でもちょっとおもろいかも。ファイル1。消えたメロンパン事件って感じで」
「容疑者はクラス全員。やば、地味にガチで事件じゃん!」
泰虎の言葉に一か反応し、クラスの女子が無駄に騒ぎ立てた。何となくよくない方向に進んでいると千大は感じた。
SNSで変なのが定期的に現れる事しかり、若者というのは基本、刺激に飢えている。教室に犯人がいるのか知らないけと.犯人がいたら明日から学校に来られなくなるんじゃないだろうか。
「あの、帰ってゲームしたいんだけど、これ残らないと駄目なやつ?」
「犯人にされてもいいならいいんじゃない?」
「残るよ」
帰ろうとしていた男子生徒が軽く手をあげ主張したものの、冷たくあしらわれた結果、残る事を選んだようだった。
目の見えない千大には分からないものの、教室には今、風のように去っていった4人の生徒を除き、21人の生徒が残されていた。
この4人の中に犯人がいたら、目も当てられない状況である。
「パンか一人で飛んでいった説」
「ジャムパンならともかく、メロンパンは一人で飛ばないでしょ?」
「えっ、どういう事?」
「ジャンプパン、ジャンプパン、ジャムパン」
「えっ、なにそれ寒っ」
「パンか一人かー。そんなホラー展開だったらおもろいよね。千一はどう思う?」
「さあ」
残った生徒が各々勝手に話をする中、一は千大に問いかけ、千大は首をすくめて見せた。
パンか一人て何処かに行くなんてホラーとしても意味不明だし、入学早々誰かのパンを盗むなんていうのも意味不明だ。
鞄に入れたつもりがどこかに落としたとか、そんなオチではないだろうか。
「ホームズはどう思う?」
「…」
一は椅子の下に眠っているホームズに声を掛けたが、ホームズがワンと鳴く事はなかった。
盲導犬は名前を呼ばれた程度では反応しないのである。
「そう言えば犬って、人間の一万倍の嗅覚があるんじゃなかったっけ?」
「それ、メロンパンの匂い辿れるくない?」
「確かに」
「その匂いの元が無くなったのに、どうやって辿るのさ?」
「確かに」
「じゃあ…」
各々が話し合いをしながら案を出し合っていく。
パン一つで大げさだな。と思いつつも同時に、これは好機だと千大は感じた。
ここで、事件をうまく解決出来たなら、仲間として快く受け入れられる可能性が高いからだ。
「ホームズ。メロンパンの匂いを探して」
千大はホームズに声を掛けた。
「えっ、出来るの?」
「だとしたら凄っ。軽くホラーじゃん」
「知らない。でも、できるかもしれない」
ホームズに何ができて何ができないのか?千大は殆ど知らない。千大が知っている事は、一般的な盲導犬にできる技能をホームズは全て修めているという事だけだった。
昨日の話をするなら、ホームズがバスの降車ボタンを押せるなんて事、千大は知らなかったのである。
だから、ホームズにはメロンパンを探す技能があるかもしれないし、ないかもしれない。
「くんくん」
千大の命令を聞いたホームズが、教室の床をくんかくんかと嗅ぎながら進んでいく。
まさか、できるのか?ホームズ。
そんな事を千大が思っていると、ホームズは一つの席の前で立ち止まり「ワン」と吠えた。
ホームズの鳴き声を聞いたのは久し振りだった。
いや、今朝方振りだった。
ホームズは家だとそこそこ吠えるのだ。
「うにゃ。何?犬の声?」
「日向ちゃん、まさか」
ホームズが近づき吠えた場所には、教室がザワザワと騒がしい中、机に突っ伏し眠っていた日向がいた。
「あら、ホームズじゃん。なんで私の席にいるの?抱っこして欲しいのかな」
「はっはっ」
「抱っこしてあげますよー。くぅー可愛い。それに暖かくていい匂い」
事件の最重要容疑者となっているにも関わらず、日向は近付いてきたホームズを抱き上げ、頬を擦り寄せた。
「いいな」
と、男子生徒と女子生徒の呟きが聞こえてきたけど、これはさてどっちに対しての呟きなのだろうか。
「森下さんだっけ。鞄、見せて貰ってもいいかな?」
「えっ、いいけど、なんで?」
「上原さんのメロンパンが、誰かに取られちゃったんだってさ」
「寝てる間に犯人にされるとか、ホラーだよね」
「なるほどねー。でも、メロンパンかー。ちょっちマズイかもなー」
「開けるよ」
るいは日向やクラスの全員に宣言し、机の隣に掛かっていた日向の鞄を開けた。そして鞄の中からは大きなメロンパンが姿を現した。
「メロンパンだ」
「えっ、日向が?嘘でしょ」
「違う。メロンパンはメロンパンだけど、これは特大デカメロンパン。私の鞄ならなくなったのは濃縮デザートメロンパンだもん」
日向に疑惑の目が飛ぼうとした時、るいは頭を振って、日向が犯人ではない理由を説明した。
るいが先に濃縮デザートメロンパンを食べていたなら、日向が犯人にされてもおかしくない状況だったが、どうやら運よく免れたらしかった。
「濃縮デザートメロンパンも美味しいよね。今日は売り切れてたから買えなかったけど」
「私が最後の一つだったからね。だからこそ楽しみにしてたのに…」
「なるほど。それは災難だったねー」
「でも、だとしたら犯人は…」
「振り出しに戻る。だね」
「ふあ〜。よく分からないけど、私が犯人じゃない事は証明されったぽいし、帰っていいかなー?」
「えっ?日向ちゃん犯人が誰か気にならないの?そいつのせいで疑われる事になったんだよ?」
「全然気にならないのだぜ☆パンを食べた犯人なんて、見つけた所で仕方ないもん。って事で帰りまーす。はい。ホームズを返すねー」
「えっ、あっ、うん」
日向にホームズを手渡され、千大は頷いた。
ホームズを手渡され時、とてもいい匂いがした。
「頑張ってね。名探偵☆」
日向の言葉に、千大は引きつった笑顔を見せる事しか出来なかった。
「調査は振り出しに戻る、か」
「でも、袋に入ったメロンパンを探せる位なんだし、食べた犯人も探せるんじゃない?」
「それは、確かに」
期待の視線がホームズに注がれる。
自分が犯人ではない事を知っているからか、クラスメイトは皆、今の状況を楽しんでいた。
その状況に、勘弁してくれよと千大は思う。
ホームズとまでいかないまでも、鼻の利く千大には既に犯人の目星が付いていた。
名探偵的に言うのなら、犯人はこの中にいる。
である。
「ホームズ、メロンパンの入っていた袋はどこにある?」
「…」
千大は質問し、再びホームズを教室の中に放った。
ホームズがくんかくんかと鼻を鳴らして進んでいく。そしてホームズが辿り着いたのは、るいの椅子の下だった。
「えっ?どういう事?」
るいが素っ頓狂な声をあげる。
さて、どうしようかと千大は頭をフル回転させる。ここから先の振る舞いは、千大にとって学園生活の分岐点と呼べる位、重要な局面だった。
「ふぅ。事件の現場では、昔から有名な格言がある。犯人は現場に戻ると。ただそれだけの事だよ」
千大は言葉を紡ぎながら、るいの席に近づき、ホームズの鼻先が触れている箇所に手を伸ばした。
そこには、透明な袋が挟まっていた。丁度、小さなパンが入りそうな袋である。
「おいおいこれ、て事はやっぱりお前が食べてんじゃねーか」
「違う。私じゃない」
「うん違う。犯人は現場に戻るって言ったでしょ。今現場に戻ったのは誰か。そして、上原さん以外にメロンパンが鞄の中に入っている事を知れる者は誰か。一連の行動を見ていれば、犯人は自ずと導き出される」
「えっ、それって」
「まさか」
「そう。犯人は盲導犬ホームズ。お前だ!!」
千大は、メロンパンの空袋片手に、ホームズを指差した。
マジでなんて事をしてくれたんだよ。
日向からホームズを手渡され際に香った、甘いメロンパンの香りで、犯人がホームズである事を直感した千大は、盛大に茶番を演じながら、今から入れる保険が何かないか考える。
ない。
うん。ない。
「という事で、ごめんなさい上原さん。今度メロンパンは弁償する」
犯人を告発した千大は。体を綺麗に90度曲げ、るいに謝罪した。
教室にいる時は殆待機がメインで、何もやる事がないとはいえ、ホームズがここまで自由に何かをするのは想定外だった。
普通の盲導犬であれば、ただただ寝ているだけであるからだ。
「えっと、つまりメロンパンを食べたのはホームズって、事?」
「どれどれ、くんくん。ほんとだ、この子の口からメロンパンの甘い香りがする」
「ホームズ。ここは吠えていい所だ。お前が犯人か?」
女子生徒に抱き上げられるホームズに、千大は質問する。
「いやいや、そんなの答えられるわきゃねーだろ。犬だぜ?」
「わん」
泰虎が話し終わるか終わらないかの所で、ホームズが吠える。本人も自白しているし、犯人はホームズで間違いなさそうだった。
「凄っ。ホームズ、賢過ぎない?」
「うん」
女子生徒の問いに千大は頷く。
ホームズは賢い。チワワで盲導犬をつとめるなんて事は、伊達や酔狂ではできない。同じ能力値であれば、大型犬の持つ安心感の方が余程勝るからだ。
ホームズには主人が通う高校名を言われずとも覚える記憶力と、得た記憶を使った応用力と判断力がある。そして、鞄からパンを取り出し食べる器用さと大胆さ、食べた袋を隠すお茶目さとズル賢さも持っていた。
それらを兼ね備えてホームズは、人間でも一部の者は出来ない、未来を予測する力を持っていた。
チワワを盲導犬にしようとしたのは、那由の伊達で酔狂ではあるけれど、那由の伊達や酔狂を伊達や酔狂で終わらせない頭脳をホームズは持っているのである。
「く〜ん」
ホームズが大きな瞳をうるうるとさせながら小さく鳴く。
ホームズは当然、自分が可愛らしく庇護されるべき対象である事も知っていた。
「もう、可愛いから許す。メロンパンはご主人様が弁償してくれるみだいだしね」
「ワン」
ホームズは勝利の雄叫びを響かせた。
ホームズが事件を起こし、事件を解決した日。
家に帰ると、目が見えずともニヤニヤしている事が分かる那由が千大を出迎えた。
「ぷぷっ。聞いたわよ千大。中々面白い事が起きたらしいじゃない」
「…」
千大はただ黙って那由を見る。
見た所で千大には見えていないのだが、那由がいるのは間違いなかった。
「ホームズは本当に、ビックリする位に賢いでしょ」
「まさかと思うけど、那由が命令したわけじゃないよな?」
ホームズは那由の言う通り、本当にビックリする位に賢い。賢過ぎてちょっとやそっとの事位ではビックリしない程だ。
だからこそ、ホームズが盲導犬としてあるまじき行動を取った事に、千大は違和感を覚えていた。
盲導犬は例え自身の好物であったとしても、拾い食いはしないように訓練される。他人の鞄から物を盗むなんて、例え盲導犬でなかったとしてもあり得ない行動だった。
「さあ。那由には分からないなぁ」
「良い年したオバサンが、自分の事を名前で呼ぶなよ気持ち悪い」
「オナカヲサンパツナグリマス。フッキンニチカラヲイレマショウ」
「ぐえっ」
宣言通り繰り出された3発のボディブローに、千大は悲痛を漏らした。
那由は例えイラッとした事があっても反射的に口を出したり手を出したりする事はない。
殴る時は冷静に殴ると宣言して殴る女だった。
この特性のお陰で、千大の腹筋はいい感じに割れていた。そしてこの割れた腹筋は、那由に対して千大がいちいち一言多い事を意味していた。