ホームズの華③
犬というのは、最強のコミュニケーションツールだと千大は思う。ただ近くにいるだけで、あらゆる人がホイホイと寄ってくる。
これはバスの中で今朝方経験した事であり、今も経験している最中だった。
光広のつまらなくも刺激的な話と共に入学式が終わった後、ホームズをチラチラ見ていた女子生徒の何人かが、輪を作って千大のもとに集まってきていた。
「可愛い」
「チワワだ」
「なぜ犬を連れてきているの?」
「名前は?」
「撫でていい?」
「…ホームズ」
とはいえ、いかに便利なツールを持っていても、持ち主が使いこなせなければ、宝の持ち腐れ以外の何者でもないのだけれど。
千大はアイホーンの最新機種を那由からプレゼントされた祖父母の戸惑い顔と、今の自分とを重ね合わせ苦笑した。
那由曰く「持たなければ使えないままでも、持てば使えるようになるかもしれない。それに可愛い孫からのプレゼントじゃ無碍に扱えないでしょ?」との事らしいが、那由の言う事は正しい。
ホームズがいなければ、この状況は作れなかった。 ここから先は便利なツールを手にした千大次第なのである。ホームズを使いこなして状況を良くするのか、或いは…。
「この子は盲導犬で、僕は目が見えない。だから連れてる。だからあまり撫でるのは良くないかも」
「えっあっ」
「ごめんなさい」
「それは、触らない方がいいよね」
「行こ」
輪が解散して消えるのを感じる。
例え目が見えなかったとしても、人が近くにいない事くらい千大にも簡単に分かった。
どうやらホームズの使い方を間違ってしまったらしい。
「駄目だよ〜。そんなに真面目に自己紹介しちゃったら、今の子は逃げちゃうって。幽霊とおんなじ良くわからないものは見て見ぬふりして、いち早く退散するものなのです」
「君は逃げてないけど」
「私はほら、幽霊には怯えないタイプだからね〜」
「幽霊じゃないけど」
「確かに足はあるね。寧ろ目が見えない君からしたら、私の方が幽霊って説が濃厚かも
「幽霊なの?」
「触ってみる?触った瞬間、セクハラと痴漢で訴えるけど?」
「怖っ。幽霊より怖っ」
目の見えない千大からするとそれは、ポルターガイストよりも恐ろしい現象だった。
「てのは冗談。あっ、幽霊ってのが冗談なだけで、触ったら訴えるのは本当だったりする。盲目の少年と裁判で闘ったら司法がどんな判決を出すのか、結構興味あったりするもん」
「君には今後近づかないようにするよ」
「私は君に興味津々なのに酷い」
「ホームズじゃなくて?」
「勿論、ホームズにも興味はあるよ。うん。目の見えない同級生に、チワワの盲導犬。人生で初めて会うこの二つに、興味を示さないのがおかしいってものだもの」
「好奇心は猫をも殺すって言葉がある」
世間的に殺されるのはこっちなのだから、近付かないで欲しい。千大は楽しい学園生活を求めてはいるものの、こんなハラハラとドキドキは求めていなかった。
「好奇心の強い猫の方が、沢山獲物を獲得できる」
「今の世の中、獲った獲物よりもキャットフードの方が美味しいんじゃない?チュールとか」
千大は家で飼っている捨て猫を思い浮かべながら答えた。今では猫じゃらしにすら反応しない捨て猫は、無限という与えられた名前に恥じない位、キャットフードどチュールを喰らい、デブデブに育ってしまっていた。
「チッチッチ。分かってないな〜。自分で獲物を得て始めて、用意された物のありがたみが分かるんだよ。当たり前を当たり前と勘違いして享受し尽くした先に待つのは、傲慢不遜に太りきったデブしか残らないと思わない?」
「それは、そうかも」
無限は、まさに傲慢不遜に太りきったデブである。
腹の触り心地だけは極上ではあるけれど。
「因みに私は見ての通りガリガリの痩せ型です」
「見えない」
「制服で着太りしてるように見えるって事?君、失礼だね〜」
「いや、物理的に」
もう忘れたのか。盲だけに。
と、くだらない事を思いながら千大は自身の目を指で示した。
「あらら〜。酷いのは私の方だったね。めんご。許してちょんまげ」
「ちょんまげって…」
「おっと、パパの口癖が移ってしまったみたい。ちな、パパといっても金持ちおじじゃなくて、本物のお父さんだからね。私の体はちゃんと清らかだから」
「知らないよ」
パパ活なんて疑っていないし、いきなりそんな事を言われても困る。
「知りたいって事?目が見えなくても、男性機能はビンビンてすか。あんまりえっちな目で見ないで欲しーな。本当に訴えるよ?」
「だから、そもそも見えない」
「あぁ、そっかそっか。君、面倒いね。冗談が冗談になんないとか、私のユーモアセンスを疑われちゃうじゃん。軽くホラーなんですけと」
「君は失言が酷過ぎる」
面倒いとかホラーとか。
盲の人間にこれは、炎上案件ではなかろうか。
「言いたい事もいえない世の中はポイズンって言うでしょ〜。ちな、君はなんて名前なの?私は、九十九一九十九+一で百って呼びたければ呼んでどうぞ」
「一条千大。一+千で千一でも、別にいいよ」
ようやくと言っていいのか、一が自己紹介をしてきた為、一の自己紹介を真似るよう千大も自己紹介をした。
「千一ね。了解」
「いや、まぁ、うん」
千一と呼ばれるのはちょっと嫌だなと思いつつも、別にいいと言った手前何も言えなくなってしまった千大は、曖昧に頷いた。