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ホームズの華  作者: よん
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ホームズの華

視線とは感じるモノであると、一条千大いちじょうせんたは思う。


前からの視線、横からの視線、後ろからの視線。感じる視線はどれも心地の良いものではなかった。


言葉や文字で表すならそれは、奇異なモノを見る視線だからである。


千大は左手に犬のリードを持ち、右手には黒い杖を持っていた。


これが早朝や夕方で、場所が公園や土手となれば、ここまであからさまな視線は集めなかったかもしれない。


しかし残念ながら今は早朝ではないし、場所も土手ではなかった。


現在時刻は午前8時20分。場所は市営バスの中だった。


ある程度、予想はしていた。


予想していたとはいえ、針の筵だと千大は思う。


目が見えていなくてコレなのだから、もしも目が見えていたなら、視線に殺されていたかもしれない。


目が見えていたなら、そもそもこんな状態にすら、なってはいないけど。


千大は自身の状況に少しばかり苦笑した。


「やっぱりみんな、チワワの盲導犬は珍しいみたいね。それとも、盲目の学生が珍しいのかしら。だとしたら、とっても失礼な話ね」


千大が視線にチクチクされていると、ハキハキとした少女の声が、バス内で響いた。


言葉を発したのは、千大のすぐ近くに立っていた一宮千代いちみやちよだった。


千代は千大の幼馴染みであり、千大の事を誰よりも知る人物でもあった。


千代の言葉によって、刺していた視線が分かりやすくそらされたのを千大は感じた。


盲導犬としてチワワを連れた千大は、どこであっても目立ってしまう状態にあるのだが、千大は目立つ事が好きではなかった。


千大は「はぁ」と小さく溜息を吐き、ホームズの頭を撫でる。


ホームズは千大の相棒である盲導犬の名前であり、ほとほと優秀な子犬様だった。


「…」


ホームズは鳴く事は勿論、動く事もなく頭を撫でられ続けた。


ホームズは多少特殊であるものの、盲導犬というのは、あらゆる事柄に反応しないよう訓練されていた。


仕事中は撫でられても、気持ち良さそうな顔はしないし、例え叩かれたとしても鳴き声一つあげる事はない。


千大の姉の那由なゆが盲導犬の訓練士である事と、千大自身、盲導犬の最終訓練に何度か付き合った事がある為、その事は誰よりも知っていた。


盲導犬はその辺りにいる大人よりも、遥かに卓越した精神力を所持しているのである。


「千大。いよいよ高校デビューだけど、今の気持ちはどんな感じ?盛り上がってきた?」

「億劫」


千代の質問に千大は、ホームズの体を撫でつつ心からの本音を口にした。


本当に、心の底から億劫に思う。


中学の頃から、学校を楽しいと思った事はないし、楽しかった事もない。学校に良い思い出がない以上、高校が楽しくなるイメージも湧いてこなかった。


「ホームズもいるし、きっと女子にはモテモテになると思うけど?顔も別段悪くもないしね」

「モテモテになるのは、ホームズの方で、僕なんてただの付属品だよ」


「ワトソンくらい、名乗ればいいのに」

「そうやって茶化される未来だけは、視力がなくても見える気がする」


「ワトソン君は卑屈だなぁ」

「うるさいよ」


千代にポンと背中を叩かれた千大は、ホームズの顎を撫でながら呟いた。


千代は平気でズケズケと物を言う。卑屈な千大からすれば、嘘偽りなく酷い事を口にする千代の存在はありがたいのだが、千代の見せる眩しさは、時折痛かった。


今も、少し痛い。


大人数の前でも、怯む事なく啖呵を切れる千代は格好良いし、嫌味を言える千代はやっぱり格好良い。


千大は千代の強さに少しだけ憧れていた。


「でも、ホームズを利用して友達を作る位の気概がないと駄目よ。那由ちゃんもその為に、ホームズの訓練に時間を裂いたんだしさ。チワワを盲導犬にするなんて、並大抵の事じゃないよ。良く知らないけど」

「那由は、そんないい人じゃない」


並大抵の事でないのは同意するが、那由が千大の為に時間を裂いたという点については、絶対にそんな事はないと確信を持って言える。


那由にあったのはただの好奇心であり、自分の実力を試してみたいという欲求だけだった。


千大にホームズがあてがわれたのは、那由がする実験に丁度良いからだ。


小型犬でも盲導犬は務まるのか?という実験。


「いい人じゃなくても、結果千大にとっては良い事になるんだからいいじゃない」


「ポジティブ人間め」

「ネガティブ人間め」


本当の事を言い返され、千大は黙ってホームズの耳を撫でた。


千代がポジティブ人間で、千大がネガティブ人間なのは、言い逃れできない事実だった。


ただ、実験に付き合わされる身にもなって欲しいと千大は思う。


訓練された盲導犬とはいえ、犬に命を預ける行為は恐ろしいのだ。


一度、愛犬の散歩を目を瞑った状態でやってみて欲しい。 十歩も歩かない内に目を開ける事になるだろうから。


そしてこの事は、盲導犬との散歩を経験している千代は、身をもって知っているはずだった。


犬を裏切るのはいつも人からで、犬から人を裏切る事はない。


これは那由の言葉であり、紛れもない事実だったが、無条件で命を託すには長い信頼関係の構築が必要不可欠なのである。


千大は那由のブリーダーとしての実力は知っているし、那由に育てられた盲導犬を信頼もしている。それでも那由の人間性はまったく信用に値しない為、那由が育てた盲導犬に命を託すには、千大自身が接し、確固たる信頼関係を構築する必要があった。


そういう意味でホームズとはまだ、関係性を構築出来ていないと千大は感じていた。


膝に乗る位に小さく、大型犬特有の安心感がないのが原因の一つで、千大を使った那由の実験というのが、最大の原因だった。


千代は杞憂だと笑うけれど、自分の命が掛かっているのだから、杞憂もするしネガティブにもなるというものだろう。

 

『次、恒河沙高校前、恒河沙高校前』


バスのアナウンスが放送される。


恒河沙高校は、千大と千代が本日より通う高校の名であり、高校前なのだから当然、降りるべきバス停だった。


千代に頼るのは嫌なので、千大は自ら降車ボタンに手を伸ばす事にした。


公共施設の何処に何があるのか、千大は記憶という経験から理解している。ボタンを押す事など、造作もないはずだった。


ピンポン。

次、停まります。


千大が手を伸ばすよりも前に、降車ボタンが押され、その事が車内にアナウンスとして流された。


自分が押す前に誰か別の人が降車ボタンを押す。こんなのは、バスに乗れば誰もが経験する事であり、押す前に押された事に、千大が何かを思う事はない。


「流石ホームズ。偉い」

千代の掛け声や、膝で丸くなっていたホームズが、動いた気配さえ感じていなければ…。


「おぉ」

「すごい。可愛い」


感嘆の声が聞こえ、視線が集中する。


千大は再び集まった視線に、嘆息した。


千大の感覚が正しければ、ホームズがボタンを押したのは、誰かがボタンを押した後で、けしてホームズがピンポンを鳴らしたわけではないのだが、乗客にとってそんな事はどうでも良いようだった。


乗客達にとって重要なのは、恒河沙高校の制服を着た男子生徒の飼っているチワワが、降車すべき場所、つまりは恒河沙高校前で、ボタンを押した事にあった。


「賢いチワワだな。坊主」 

「…はあ」


千大は男の声に曖昧な返事をする。


千大は人見知りだった。見えないから知りようもないのだが。というブラックジョークが思い浮かんだが、これは少し笑えない。そして、笑えない事を笑えないと思う自分に少し笑えてきた。


「本当、賢いチワワ」

「ホームズと言うんですよ」


千代がドヤ顔で口にする。


「それは、ピッタリな名前だわ」


ホームズの名を聞いて、周囲は更にガヤガヤと盛り上がる。


なんとも言えない盛り上がりに、千大は肩身が狭くなるのを感じ、ホームズの体や頭に向って伸びる手の感覚に、嫌な気分になった。


犬を撫でるくらい別にいいと思うかもしれないが、盲導犬は周囲に反応しないよう訓練されている。叩く事は論外として、撫でたり餌を与える行為もやめて欲しかった。


「あの、僕達は降りるので」

「あら、ごめんなさい。気を付けてねホームズちゃん」

「じゃあな名探偵」

「バイバイ。ホームズ」

「・・・」


ホームズを抱えたまま立ち上がった千大だったが、人で溢れる足場においそれと小型犬を降ろす事は出来なかった。小型犬が盲導犬として選ばれない理由の一つに、小さいせいで死角に入ってしまう事があげられる。人にとってはちょっとした動きであっても、小型犬にとっては大岩がぶつかってくる位の痛みや危険が伴うのである。


小型犬は、とことん盲導犬に向いていなかった。


「千大、こっち。本当に世話が掛かるんだから」

「ごめん」


千大が、さてどうしようかと途方に暮れようとしていると、暮れるよりも遥かに早く、千代が千大の手を取り歩き始めた。


バスに乗った時も、ホームズの先導ではなく千代の先導だったので、当たり前と言えば当たり前なのかもしれないが、千大はこれを当たり前と思いたくはなかった。


那由に頼んで盲導犬を貰ったのは、千代に頼らず学校に通う為でもある。


超優秀とはいえまさか、チワワを渡されるとは思っていなかったし、今もこうして千代の手を煩わせてしまっている以上、那由の馬鹿野郎と、千大は心の中で叫びたい気分だった。


「那由の馬鹿野郎」


叫ぶ事は出来なかったので、ぼそりと呟いておいた。


この呟きは、意気揚々と前を歩いていく千代に聞こえる事はなかったが、腕に抱かれているホームズの耳には、しっかりと届いていた。




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