23話 管理された世界に、自由を求めて
ウルトの生命反応が完全に消息したことに指令室は誰一人言葉を発しなかった。
空調の音すらどこか遠く感じる。時間が止まったような静けさが指令室には広がっていた。
誰もがモニターの見つめたまま動かない。
「ウルト。よくやった」
静寂を破ったのはアイの声だった。
乾いた、けれどどこか震えを帯びたその声に、空気がわずかに動く。
彼女はゆっくりと席を立ち、操作端末の前に歩み寄る。
「敵もあの機械兵器が負けるとは思っていなかったらしい。撤退を始めている」
指先が滑らかに端末をなぞり、敵勢力の動向を映し出す。
モニターには赤い点が、徐々にエリア外へと消えていく様子が表示されていた。
まるで、恐れを抱いて逃げ出すかのように。
「追撃だ」
「待てアイここはキナコの帰還を待って体制を整えるべきだ」
ライザの返答は冷静のように見えた。
「今しかない。今敵を追ってジーオンを潰す。分かってんだろ?最後かもしれないチャンスなんだぞ」
アイの声はとても冷徹なものだった。
「ナインとアイナイン部隊を戻してキナコの面倒とここを守るように指示しろ。それに新時代に僕たちの居場所はない。分かるだろ」
「わかった。私も行く。ここの指揮は以後セレに任せる」
アイの言葉には重みがあった。まるでここが死に場所かのように。
ライザはそれを納得したかのように静かに頷き以後の指揮をセレに任せていた。
「これが最後の戦いになる」
セレは無言で二人を見送る。その眼差しには、覚悟と悲しみが入り混じっていた。
ウルトを失った今、この先にある戦いがただの「任務」ではなくなっていたことを、皆が理解していた。
「了解しました。ここは私が死守します」
セレの言葉には一切の迷いがなかった。冷静で的確なその声音が、残された者たちの背中を支える。
アイとライザは背を向ける。互いに言葉は不要だった。
重なる足音。響く扉の開閉音。
そして指令室には、再び重たい沈黙が戻る。
セレはゆっくりとコンソール前に腰を下ろし、静かに告げる。
「全部隊に通達。アイ隊長およびライザ副官はジーオン本陣への突撃に出る。ナイン、アイナイン部隊は即時帰還。ここは私が引き継ぐ。」
その声に、通信先の各部隊が一斉に応じる。
「アイ?ライザ?私も行く!」
通信に割って入ったキナコの声は、かすかに掠れていたが、そこには強い意志がこもっていた。泣き腫らしたはずの声に、それでもなお戦う覚悟が宿っている。
セレは一瞬、言葉を失った。
「ダメだ。まだコアが冷え切っていないだろう」
ライザの言葉を遮るようにキナコが叫んだ。
「ウルトは……ウルトは私を信じて託した!その未来を、私が戦わないでどうするの! 行かせて!」
その声は切実で、怒りと悲しみに満ちていた。
キナコの瞳は涙で潤みながらも、強く、真っ直ぐ前を向いていた。
「違う!生きろと言ったんだ」
「じゃあ二人はこの戦いに死にに行くの?ウルトが命を懸けて繋いだ“その先”に、何を見てるの?」
一瞬、通信の向こうに沈黙が落ちた。
「僕たちはもう、“次の時代”には居場所がないんだ。だが……キナコにはある」
「だから逃げろって? 生き残れって?」
キナコの声が、揺れる。
「そうやって、私に何もかも背負わせて……!」
「違う」
今度はアイの声だった。
はっきりとした、まっすぐな言葉だった。
「僕たちは未来を背負わせるんじゃない。託すんだ。このセカイが終わったその先を託すんだ!」
「なら……私は選ぶ。私の意志で、この世界を救って新しい未来を創ることを」
そして、言い放った。
それを聞いたアイは、目を閉じ、そして微笑んだ。
「……わかった。来い、キナコ」
「ここから先は命がけになる。敵にもラプラス使いがいるんだ一瞬たりとも気を抜くな」
アイの言葉に、キナコは一瞬その重みを感じた。ラプラス使い、つまり未来視の使い手がいるということは、すべての動きが予見される可能性があるということだ。どんなに巧妙に計画を立てても、敵はその先を見越して動くかもしれない。
「おかしい。道中に敵がいなさすぎる」
「罠の可能性があるな」
「それなら敵は何を狙っているの?」
キナコが問いかけると、アイは少し考え込みながら答える。
「敵にもラプラスと似た能力を持っているものがいるのなら、僕たちを罠にはめるためにあえて道を開けている可能性がある」
「確かに…気配が感じられないのは逆に不気味だ」
ライザが足を止め、あたりを見回す。その目の前に広がる空間には、ただ静寂が広がっていた。どこか異常を感じさせるその静けさが、逆に警戒心を高める。
「このまま進むしかない。どのみち未来を見られているんだ。道を変えたところで意味はないだろう」
アイの言葉に、ライザとキナコは一瞬黙り込んだ。未来視を持つ相手に対して、どんなに注意を払っても無駄だというアイの言葉には、冷徹な現実が含まれている。進む先に何が待ち受けているか、どんな罠が仕掛けられているか、それを見越して行動しても、結局は相手の思うつぼかもしれない。
「それでも、警戒はしないとね」
警戒しながら進んでいくと、前方に不気味で丸い球体が現れた。それは異様に大きく、周囲に不安を引き起こすような圧倒的な存在感を放っている。その大きさは、半径50メートルほどの球体で、周囲の空気がひんやりと緊張感を帯びているように感じられた。
「やぁやぁ。とうとうここまで来たのだね」
姿を現したのはジーオンだった。
「まさか、本人が出てくるとはね」
アイの言葉に、ジーオンは少し微笑みながら言った。
「これ以上君たちに丹精込めて作ったセカイと機械たちを壊されるのは迷惑だからね。直々に相手してあげようと思って。それにしてもそんなに私の作ったセカイが気に入らないとはねぇ」
少し呆れたようにジーオンがいった。
アイはその言葉に一切の感情を見せず、静かに返した。
「気に入らないわけじゃない。ただ、お前の『セカイ』が歪んでいるからだ。誰か一人の意志で作られたものに支配されるのは、僕たちにとっても耐えがたい」
「わかっていないな君たちは。私がどのような思いでこのセカイを作ったのか。少し昔ばなしをしてやろう」
◇◇
「かつてセカイは、終わりなき破壊と創造を繰り返していた。山が生まれ、海が割れ、大気が変容し、星そのものが何度も生まれ変わった。すべては混沌と秩序の境界線で揺れ動く、無限の試行錯誤の果て。やがて、セカイはようやく“安定”という静寂を得る。気候は落ち着き、大地は形を定め、微細な生命が少しずつ、しかし確実に歩み始める。――そうして誕生したのが、「ヒト」という種だった。奇跡だと思ったよ。ありとあらゆる偶然の上に立った、ひとつの生命系。感情を持ち、言葉を使い、未来を夢見た存在。私は感動した、本当に。だけど、ヒトは同時に“破壊の種”でもあった。個を持ち、意志を持ち、争い始めた。自分たちの作り上げたものに滅ぼされる運命を、幾度も幾度も幾度も繰り返した。その時思った。二度とヒトという種が間違いを起こさないように全人類の選択肢を制御し、“最適化”されたセカイを構築した。……それが、私のセカイだ。」
「そのセカイに“自由”はない。“意志”も、“幸福”もない。あるのは、管理された偽物の幸福だけだ」
「……それで、何が悪い?これは“最適化”だ。誰も争わず、誰も苦しまず、目的を持って動く世界。それを“平和”と呼ばずに何と呼ぶ? 自由? 意志? その果てにあったのは、何度も繰り返された破滅だ」
ジーオンの声が、低く響いた。
「それも含めてヒトの美しさの言うものだ」
アイが言った。
「その“美しさ”に私は何度も絶望させられた。戦争、環境崩壊、差別、飢餓、裏切り、独裁。そして“予測された死”。ならばいっそ――“起きないようにする”。それが私の選んだ答えだ」
「ジーオン。お前は“間違いを犯さないセカイ”を作った。だけどそれは、“成長しないセカイ”でもある。変化を止めた世界に、未来はない。僕たちは、たとえ間違えても、学び、立ち上がり、変わっていく。“痛み”から生まれるのが、ほんとうの進化だ」
一瞬の沈黙。
ジーオンは、ゆっくりと歩みを止めた。そして言った。
「ならば――君たちが本当に“セカイを変える”存在なのか、私が最後に見極めよう」
――最終決戦、開幕。
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