ある老兵の話~フラリクスエルブレッサ前日譚~
思えばわしの幼少期は、本当に恵まれていたと実感する。
センリ・アンクリア帝国の帝都の中心部に近い土地で商店を経営する、それなり以上に裕福な家庭の三男として生まれたわしは、幼い時から遊んでばかりだった。
とはいえ母の教育が良かったのかはわからんが、ガラの悪いチンピラの様にならなかったのは幸いか。
5歳頃にはよく同年代の子供と共に、近所の空き地で木の棒を使い打ち込み稽古の真似事をしていた。
勉学は得手ではなかったが、元から店を継ぐことを期待されていたのは兄達だった上に、戦いの才能があるのは誰からも理解されていてわし自身も戦士に憧れた。
武術を教える手習い所に通わせてもらったが、9歳になる頃には師範と手合わせしても軽くあしらう様になった。
わしは父の伝手で紹介された帝都守備隊を引退した老人の元で、住み込みで鍛錬を積むことになった。
頑固で気難しいが武器の扱いが成長すれば褒め、間違ったことをすれば叱る。とてもよい師匠であった。
武器は壊れ選りすぐりする余裕のない物、という教えによりあらゆる武器の扱いを学んだ。
手持ちの剣槍斧といった定番の物に始まり、弓矢や大小さまざまな投擲武器。果てには馬上や竜上で扱う長物まで、実際に馬や飛竜に乗って学ばせてもらった。魔法や天馬以外の全てと言ってもいい程の戦技を身につけた。
野盗狩りや獣狩りをする最中に気が付いたが、私は戦いそのものが好きなのではなく、武器を扱い研鑽を積む場こそが楽しみなようだ。
成人も目前となり、帝都守備隊へと配属されるのを待っている最中、老人が私を武装させ連れ出した。
その頃のアンクリア帝国は当時の皇帝が病床に伏せ、帝位争いが終結したばかりであった。
その争いの最中、次の帝位争いでも有力とされていた皇帝の息子が暗殺されていた。そして、その男の子供、つまり現帝の孫にあたる子は当時2歳だった。
皇帝ともなれば多かれ少なかれ血生臭いことは起こり、表立っては敬いつつも恨む者は多い。
その孫ともなればよからぬことを企む輩も多いだろう。そも、父親からして殺し殺されの政争を繰り広げていたのだ。
最終的に新しく帝位に就いた皇帝は死んだその子の父の異母兄であり、皇帝としては慈悲深く、強きは弱きを守るという思想を持っていた。
故にまだ幼いその子の未来を危ぶみ、母子を隣国へと逃亡する手筈を整えた。
とはいえどんな思想を持っていようと、強者こそが尊ばれる皇帝が、就いて早々敗者への庇護したとなればその権威に傷が付きかねない。
故に彼の父がかつての帝位争いで最も信頼し、今は隠居した男へとそれを依頼した。
郊外の小屋で出会ったその子の母は、あまり私の好みの人間ではなかった。
いや、好みではなかったのは美醜や身なりの話ではない。彼女は武にしか能がないわしでも分かる程美人ではあったし、汚れていたとはいえ仕立てのいい服装をしていた。
ただ、出会った瞬間からわしを見る目に見下す物を感じた。実際に移動が始まっても、まるで自分が雇った小間使いの様にあれこれと指示をしてきた。
ただ、子供の方は好きだった。歩きでの旅であり、特に鍛錬を積んでいるわけではない母親が直ぐにばててしまうので、よくわしが抱いて移動していた。
好奇心旺盛でまだ片言ながらよく喋り、あれは何これは何と聞いてきた。
最初は2歳児相手に馬鹿真面目に1から10まで話していたが、旅が終わる頃には可能な限り簡単にわかり易く説明することにも慣れていた。
出発から4ヶ月が経ったその頃には子供の方も相当わしに懐いてくれていた。何かあれば母親ではなくわしに言う程に。
母親も子供にそこまで愛着がないのか、むしろ楽になったと言わんばかりの態度を取り始め余計わしはその母親が気に食わなくなった。
ロシロバッキ王国に入り、別れの時がやってきた。
皇帝の手の者がその土地の領主に金を渡し、町の片隅に家を用意したらしい。
わしも名残惜しかったし、子供も最後まで嫌がっていたが、町の手前で領主の手の者に母子を引き渡し、わしらはアンクリアへと帰還した。
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軍に入り帝都守備隊へと配属されたわしは、その中でも文官守備隊に配属された。
文字通り城の中で活動する文官の護衛に付く物で、私兵を持ち込めない城内で戦う力を持たない者を派閥に関係無く守護する為の物だ。
正直に言って、この役職に付いていた3年はわしの人生の中で最も無意義な時間だっただろう。
訓練こそすれ、それを発揮する機会がない。そもそも城内での文官への攻撃は皇帝への反逆であり、そもそも帝位を狙うならば皇帝そのものへと攻撃し、文官はそのまま登用するのでこちらの実戦は皆無。
隊舎の中で手合わせをする相手はそれなりに手練れではあるが、派閥に属さぬ者を求めた結果、官職に関わりのない町の稽古場で優秀だった者が集められており誰も彼も実戦を知らない型に嵌った者ばかり。
多少の手癖による違いしかないが、二度三度手合わせをすれば新鮮味は薄れた。
だから、今思えば不謹慎ではあるが、隊舎で訓練をしていたわしらに城内で大規模な抗争が起きたという知らせが届いた時は胸が躍った。
ようやく自分の腕を振るう機会が訪れたと。
駆け付けたその場は死者の国の様相そのままに見えた。
謁見中に起きたその襲撃により、文官やその守備隊、王城の衛兵は、無数の賊に切り刻まれていた。非戦闘員で生き残っているのは端に逃げて縮こまっている文官が数人。
戦闘をしているのは、文官守備隊と王城の衛兵合わせて10人に満たないのではないだろうか。それと、皇帝その人。
対する賊は梯子か何かで壁をよじ登っているのか、窓からどんどん入ってきて数えるのも馬鹿らしい程だ。
人死にはそれなりに見てきたつもりではあったが、一面真っ赤なこの環境はさすがに気分が悪くなった。
しかし、謁見の間の入り口に堂々と姿を見せた守備隊を賊が無視することはない。直ぐにこちらも交戦することになった。
酷い戦いだった。
切っても切っても次が来る。同じ釜の飯を食った仲間が倒れても駆け寄る余裕すらない。というより無数に重なった死体を避ける暇はなかった。
その身を足場にして戦うことを心の中で謝ろうとした瞬間、刃が頬を裂き今も古傷として残っている。
ただ、わしは本当に師がよかったのだろう。
武器が壊れても無数に選択肢があった。その場に落ちている武器を拾っては切って突いて叩き、無我夢中で視界に入った敵を屠り続けた。
気が付けば手は止まっていた。
呆然とただ息をしていると、肩に手が置かれた。
咄嗟に手にした剣を振るが叩き落とされる。
まだ戦おうとするわしの手を取り「大丈夫だ、もう終わった」と告げたのは皇帝陛下だった。
周りを見渡せば、生きているのは全身傷だらけのわしと、所々に擦り傷を負った皇帝陛下だけだった。
傷が癒えた頃、わしは皇帝陛下から呼び出され直属にならないか、と誘われそれを受けた。
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皇帝陛下の護衛としてアンクリア中を回り、時には帝位を狙う襲撃者を払いのけ、時には西方の国々との小競り合いに参加した。
結局あの襲撃は単独では皇帝に抗うことのできない無能が群れ、皇帝を殺してから改めてその中から皇帝を決めようとした、というなんとも見苦しい暴走だったらしい。
その為に国の潤滑剤である文官を多量に巻き添えにしてどうするのだ、と陛下も呆れに呆れていた。実際、皇帝の座を賭けて一騎打ちを申し込まれれば陛下は何時でもお受けになられるというのに、それで勝てない人間が皇帝になったところで三日天下になろう。
そんなことをしていたら8年の月日が流れていた。
皇帝の護衛という立場は情報も、時間も、手合わせの相手も。何1つ不足を感じることはなかった。
それどころか、皇帝陛下の手合わせの相手すらも任されることもあった。わしがどれだけ打ち込んでも軽々といなし強打を打ち込まれる程には、皇帝陛下は強かった。一度だけ腕に直撃させた時は狂喜したものだ。
そんなある日、後宮の守衛長が病に倒れた。
帝位に血が関わらない帝国において、大地の女神の巫女としての血を残すことはとても重要だ。故に皇帝の娘や孫娘は後宮へと送られ、次代の皇帝の子を孕む。
まあ、強い遺伝子を取り込み続けることもあって、今回の様に先帝の息子が帝位に就き相手が姉妹や姪になってしまうこともしばしばあるのだが。
兎も角、ある意味皇帝の居城よりもその裏手にある後宮の方が、国にとって重要施設でもあった。
先代の皇帝の時代から後宮の守り手として過ごしていたその男は、高齢故に次代を探していた。
皇帝陛下からも事前に何度かそういう話をされることもあったので、流れる様にわしは後宮の守衛長となった。
皇帝陛下と会う機会が減ることに名残惜しさを感じつつも、その信頼に答えらえる様にと時折来る他国の暗殺者や帝位を狙う為の人質目的の襲撃者を蹴散らしつつ、より一層の鍛錬に励んだ。
守衛には陛下が信頼した数人の男以外は女という状況だったが、そこに居たのはアンクリア中から集められ、実戦を繰り返し認められた叩き上げばかりだった。
前日にわしからある手で叩かれればそれを対策し、逆に絡めとる手を講じてくる。わしの知らない武術を使い、それで足りないと察したら新たな武術を考案し修練して襲い掛かってくる。
かつて守備隊に居た頃感じた不足感は、一切感じなかった。互いに研鑽し、高めあう、というまさに理想の様な環境であった。
そして、自分以外が成長する喜びを強く感じる様になった。
既に皇帝陛下は無理に子を成す年ではなかったが、後宮にはまだ幼い男児がそれなりにいる。
既に肉体が成長しきり細かい技術を培うだけという、限界に届きつつある自分と比べ、教えれば教えただけ伸びるという成長の余地しかないその子らに武術を教えるのは、まるで伝え聞く麻薬か何かの様にわしの心を震わせた。
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後宮に入って3年程経った後、わしを認めてくださり友とすら言ってくださった皇帝陛下が崩御された。
悲しいことではあったけれど、陛下も既に40代後半で衰えつつある為、次の者に帝位を明け渡す頃合いだろう皇帝とはそういうものだ、と死を覚悟しつつ笑って話していたこともあり、3日程酒に浸ったが受け入れることはできた。
城内の政争が落ち着いた頃を見計らい、中々顔を見せにこない次代の皇帝への挨拶として城へと向かった。
そこで驚いた。先帝を倒したのは、かつてロシロバッキへと逃がした先々帝の孫であった。
17歳になった少年は、その血統からか先帝の面影もある精悍な顔立ちに筋骨隆々の巨漢となっていた。
驚くことに2歳の記憶があるらしく、顔を見るなりあの時の兵士か、と言ってくださり、そのまま後宮の守衛を任されることとなった。
こう言ってはなんだが、皇帝には少し幼女趣味がある様だった。
少なくとも、20を超える妃は全て後宮から排除され、かつての皇帝の血族から新たに後宮入りする女性は、10になったばかりの者すら選ばれる様になった。
最初は同年代を性愛の対象としているのかと思ったがどう見ても年下が多く、年齢が高い者も童顔や細い肢体の者が多い。
ふと皇帝の母親はどうしたのか、と思ったが聞くのは躊躇われた。
さらに時が経ち、皇帝ベクトリアは西方の王国との戦争に勝利し、国土と民を丸々手に入れた。
長年続いたそれを終結させた皇帝を、誰もが讃美する。皇帝ベクトリアこそ最強の皇帝であると。そして休む暇もなくロシロバッキへと宣戦布告を行った。
それを聞いてわしは、ロシロバッキでは良い思い出は無かったのだろうな、と察してしまった。
しかし、侵略はそこまで続かなかった。国境沿いの一地方を占領し、皇帝ベクトリアは停戦を申し出た。余りの快進撃にそのままロシロバッキ全土の侵略を成功させると、誰もが、それこそロシロバッキの王族すら考えていただけに、停戦は締結された。
皇帝が帝都に帰還した。すると、皇帝自らが後宮に一人の女児を連れて来た。
9歳になったばかりのその子が偉く気に入った様子で、3日もの間皇帝は後宮から出ることはなかった。
そこまで気に入る理由は簡単だった。その子のロシロバッキの王族の特徴として有名な銀の髪からして、恐らくロシロバッキの王族か、それに近しい貴族の娘なのだろうことは、皆察しつつも口にはできなかった。
守衛長であるわしは、定期の巡回とは別に好きに後宮を回る。
その際よく皇帝の通りが悪い妃から誘いを受け、先帝からはお前ならば気に入った者と関係を持っても良い、等と言われていたが興味もないので全て断り、先帝からは男色を疑われたものだ。
そんな先帝との思い出に浸りつついつもの様に庭園の外周を見て回っていると、花の冠を量産する例の銀髪の少女と出会った。
話を聞いてみればレイという少女は、やはりロシロバッキとの戦争の最中に誘拐された王族だった。
唐突に変わった地獄のような環境に落ち込んでおりしばらく顔は死んだままだったが、話好きの様でかつて旅をしていた時の話をしてやると少しだけはにかむ様になっていった。
特に子供時代に師と共に見学した魔法学校の話が特に気に入ったらしく、主に魔法や錬金術、大道芸とった物に興味を示した。他の守衛もレイを楽しませようと各々の話を持ち寄っていた。
彼女が来てから、皇帝の後宮への通りが増えた。レイを主食にして間食に他の少女を貪るのが、皇帝の楽しみらしい。
毎日の様に皇帝に抱かれ落ち込んでいる彼女の話し相手になるのが、わしの日課になりつつあった。
彼女が11になった頃、妊娠した。
露骨に下がった皇帝の通りの数にうんざりしながらも、既に皇帝の子の出産経験のある童女達と共に日に日に膨らむ腹に怯えるレイを宥め、とうとうその日がやってきた。
レイがどれだけイキんでも、子供が出てくることはなかった。 嫌な話ではあるが後宮の医師はこの後宮で働く中で、まだ体が成長し切っていない少女の出産に慣れきっていた。
その医師の出した答えは、このままでは母子共に死ぬ。ならば腹を裂いて子供だけでも、という物だった。レイが生き残るかは、レイの体力次第とのこと。
死ぬのを恐れるレイの手を取り安心させる。既に破水し一刻を争うというのに、城へと伝令に走った者の帰りを待たなくてはならない。
医者の言った子供だけでもという発言を反芻し、レイもまだ子供だろう、と一人突っ込まざるを得なかった。
返って来た皇帝の答えは、最善を尽くせという一言だった。
泣きわめくレイの四肢を体を、他の守衛と共に抑え込んだ。
筋肉も脂肪も少ない細い体だ。それでも、鍛えた兵士が少し手こずる程に彼女は暴れた。無意識の内に力を籠めるのを躊躇していたのかもしれない。
肩を抑えながら今体力を使うな、と説き続けるが中々彼女は落ち着かなかった。
最終的にこのまま暴れるよりは、という判断で首の血管を絞めて落とすことにした。ここにいる誰もが、涙を流していた。
そんな中、医者が執刀を開始する。幸いと言うべきか、抱き上げられた女児は元気に泣き声を上げている。
助産師の婆に子供を任せ、医者が絹糸で縫合を開始する。
子供の部屋を閉め、最後に皮膚を縫っている途中で、目が覚めて暴れだしてしまった。体重をかけて抑えるが、その胸部に滲んだ汗よりも粘度の以上の液体に頬が触れて嫌気が差して来た。
縫合が終わり神聖術によって治療が行われた。疲れたのかそのまま再度気絶の様な形で眠りに付いた。
レイはそのままゆっくりと息を引き取った。
皇帝は訃報を聞いてもただ一言そうか、と呟き使いの者を下がらせたという。
正直な話、レイの死は覚悟が出来ていた先帝が死んだ時よりも堪えた。
そもそも皇帝ベクトリアが即位してから増えた妃の出産時の死亡に、出産に死亡は仕方ない物という少し甘えた感情で全体的に落ち込んではいた。
他の妃や女中に守衛の者も、聞き上手で話を盛り上げるレイと仲が良いものは多く、彼女の死に様をきっかけに少し心が決壊した者も多い。そういった者はシルフと名付けられたレイの子供に、レイの面影を感じて溺愛する様になった。
かく言うわしも、シルフには重い感情があったことは否定できない。
とはいえ、皆には共通認識があった。
皇帝は自分の娘だろうと、気に入っていたレイの子供ならば手を出すだろうと。
そして、それを理解していながらも誰にも止めることはできないと。
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10年の時が過ぎ、シルフはレイに似てキリっとした美人になることが伺えるまで成長していた。
そして、レイ以上に知識に貪欲だった。誰かに聞く、というよりは彼女は本による勉学を好み、楽しそうだからと手に入れた情報を試すことを繰り返した。
どんな本で見たのか、庭園にあった植物で血止め薬を作り、自分が転んだ時に容器を取り出し塗り始めて本当に驚いた。気が付いた時には魔法を習得して小さいながらも風の刃を生み出していた。
流石に魔法が使えることはなるべく伏せる様に言い聞かせ、利発な彼女はそれを理解した。
後宮全体から溺愛される彼女が本を手に入れるのは非常に簡単だったのだろう。適当な守衛に言えば、他の妃や守衛から集められたシルフ貯蓄より金を取り出し、休暇の者が数冊の本を買って帰った。
ふと、かつてのベクトリア皇帝のことを思い出した。2歳というまだ言葉も理解したての子供が、木の根っこがどうなっているのか知りたいなどと聞いてきたものだ。
10まで成長した彼女にも、ついに皇帝の手は及んだ。
自分の娘であるということは一度置いても、レイや他の妃の死から何も学んでいない皇帝にもはや憎悪すら覚え始めている。
それを知ってか知らずか、皇帝はかつてのレイの様に毎日後宮に通い始めた。
心に傷が残らない様にとシルフの元に行くが、当の本人は特に何も思っていない様子でケロっとしていた。挙句、かぶれる薬をあの人の尻に塗ったからしばらく苦しむよ、等と言い出した。
レイとは違い既に月の物が来ていたシルフは、直ぐに妊娠が発覚した。
その話を聞いた時、私は敵わずとも本気でベクトリアに戦いを挑もうかと思った程だ。しかし、同じことを考えた部下達を前にして逆に冷静になってしまい、宥める側に回ることとなった。
情操教育が上手く行っていないのか、それとも本人の気質なのか。妊娠したことも、まあ面白そうだし、等と軽く考えていた。
子を産み育てる覚悟を説いたが、独り身に言われても説得力ない、と独身の集まりである守衛は全力で反撃を貰うことになった。
シルフの出産は本当に簡単に終わった。ベクトリア譲りの恵体で、10歳にしては体が大きかったことも幸いしたのだろうか。
生まれた男児に母乳を与えるシルフは、思っていたより簡単だった等と抜かす。そのひょうきんさに、少し毒気が抜かれた。
子供はラルフと名付けられ、これまたレイの面影を追いかける者の溺愛の対象となった。
子供の乳離れすら待たずに、皇帝は再度シルフの元へ通った。
挙句皇帝に母乳が全部吸われて子供の分がないと言い始め、急遽乳母を探すことにもなった程だ。
ラルフは異常なまでに成長が早かった。1歳の頃には既に舌足らずながら流暢に喋り、文字を覚えて読書をし始めた。
2歳になったら今度は魔術を扱いだしてしまった。シルフもそうだったが、まだ善悪の区別の付かない子供が持つには早い力だ。慌てて止めようと試みたが、気付いた時には既にラルフの扱う魔法は習熟しており、風の刃は枝を落とし、水を作れば小池が生まれた。性質が悪いのが、シルフがそれを助長するところだった。
わしにできたのは、わしやシルフ以外の人間、特に皇帝の前で使わないことを、毎日の様に言い含めることだけだった。
その頃にはシルフの第二子の妊娠が発覚した。
今度も何事も無く子供は生まれ、今度は女児で名前はルレイと名付けられた。
この時ベクトリア皇帝は42歳。未だに衰えを知らないその肉体は、帝位を奪われる等という心配を一切感じさせない強者であり続けた。
この子が成長するまでには、彼を超える強者が現れるか枯れていることを願う他なかった。
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ラルフが5つになる頃、わしの元に一通の手紙が届いた。それは父からの手紙で、数年置きに実家には顔を出してはいたが手紙を出してくるというのは珍しかった。
妹の娘がやんちゃで手が付けられない、武術の才能があるから面倒を見てやることはできないか、という内容だった。
今でも後宮の男児には武術の修練を積ませているし、後宮の中で生活させることは出来ないが、その手前の詰め所でなら彼女を住ませることもできる。
父が伝手を辿りかつての師の下で鍛錬を積ませてくれたから今の自分があることは承知していたので、似た状況である彼女にも出来る限りのことはしてやりたくもあった。
本当に才能があるならば、ゆくゆくは守衛になれば良いと考え、いくつかの確認と共に承諾した。
メイリーンという彼女は、言ってしまえば極端に頭が悪い娘だった。自分も賢い方ではないと自覚しているが、それにしても彼女は酷かった。
加算減算も覚えるのを面倒臭がり、会話も彼女が思ったことを口に出すだけで三語以上が通じるのは稀だ。
しかし、確かに戦いの才能は感じた。それは、経験や修練による物ではない。
勘や思い付きといった、彼女にしか理解できていない天賦の才能。
適当な守衛が彼女と手合わせすると、その異質さに敗北することすらあり得た。
特に過激な修練を積んだ訳でもないのに強烈な筋力から生み出される斧の一撃は、理解の追いつかない挙動をしてこちらの武器を弾いてくる。
複数人で一斉にかかろうと、彼女はどこで誰が何をしているのかを当てて対処してくる。気配を殺すことに長けた者の後方からの奇襲ですら、平然と彼女は捌き反撃した。
1つ、思いついたことがあった。
わしは飛竜兵団の元へ向かい、一度彼女を竜に乗せて貰えないか頼んだ。
結果、彼女はいとも容易く竜を屈服させてはそれに跨り、その長身な斧を軽々と振り回す強力な兵士となった。
竜は喉が適さず話せないだけで、人語を理解しその高い知性である程度状況を判断してくれる。力こそあれ、脳が足らない彼女との相性は最高であった。
後宮の守衛詰め所で近接戦闘の手解きをしつつ、飛竜兵団では空中戦の練習をする様になった。そんな生活が2年程続き、成人した彼女は正式に飛竜兵団に入団した。
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その頃にはラルフも7歳になり、武術を教える様になっていた。まずは剣術から、と振らせてみるが中々様にはならない。
打ち込みをさせてみると、何度言っても魔法を使用して攻撃を仕掛けてくるので頭を悩ませた。本人曰く、使えるなら使えばよくない?とのことだ。
どうもラルフは親に似て、いやシルフ以上に本を読むことが好きな様だった。
本を読んでいる時に話かけても基本返事はなく、無理に引き剥がすと露骨に不機嫌になった。しかし、同年代の女児に読んでいる本の内容について聞かれると喜々として解説を始めるといった点では、とても分かりやすい子でもあった。
とはいえ、難解な兵法書を平然と読み説き、内容について大人に混じり吟味し始めた時は空恐ろしい物を感じた。
妹のルレイは4歳になった。いたずら好きで、よく皆の顔や服、髪や髭をよく引っ張っては怒られている。母親の独特な感性が遺伝したのか、怒られようと全く堪えている雰囲気はないが。
その頃には紐や植物を使った簡易的な罠を作る様になり、よく考え物をしながら歩く癖のあるラルフが引っかかっては転んでいる。
シルフも17になり体はほぼ成熟しきって皇帝の趣味からは外れた様に思うが、未だに皇帝が帝都にいる時は毎日の様に抱かれている。
とはいえ、それで好き放題できるならなんでもいいやという姿勢を貫いていた。
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メイリーンがいなくなって1年が過ぎ、いつもの様に後宮の男児を集めて武術を教えていると、シルフがわしの元に駆け込んできた。
いつも飄々として慌てた様子等一度も見たことのなかったシルフが、顔面を蒼白にして冷や汗を垂らしている。
何事かと思い話を聞けば、皇帝が将来ルレイを抱くことを仄めかしたとのことだった。
シルフは、堰を切った様にこれまで隠していた内心を吐露してくれた。
あんな巨体に抱かれて何も思わない訳がないと。
今でこそ無くなったが毎回の様に陰部は裂傷を起こし、行為をしていない時も痛みを感じない時はなかったと。
痛みは消えないから本に没頭することで気を紛らわせていただけと。
本音を言ってしまえば、もう強気ではいられないことが分かっていたと。
そして、そんな思いを娘に味合わせたくないと。
あと3年もしない内に、シルフは後宮から出ることになる。皇帝のお気に入りであり特別に、という可能性もあるが余程シルフは後宮から追い出され、干渉することができなくなる。いたとしても、何ができるかという話でもある。
故に、ここから子供達を逃がす手伝いをしてほしいと言い出した。
わしは悩んだ。
これまでベクトリア皇帝に怒りを感じようとこの職を、この国を捨てなかったのは、センリ・アンクリア帝国は前帝が愛した国だからだ。
それにこの後宮には彼の子供や孫もいるし、確かにレイやシルフに掛ける情は人一倍だが他の子供達にも情はありその子達に思うところがある。
だが、ふと思った。
もはや60まで生きたこの老骨の命にはほとんど価値はない。もし仮に後宮へ攻め入る軍勢がいようと、年々老い耄れていくこの身は一般兵と上げる戦果に大差はないだろう。
ならばいてもいなくても、変わらないのではないか?
また、全員を逃がすことはできなくても、この母子だけならば、0よりは2であるべきなのでは?とも考えた。
価値の無い物で2つ救える。目をつぶったままで、やらなければ0なのだからと。
そう考えたら、行動は早かった。
急に旅支度を進めて各地に手紙を出し始めたわしを見て、守衛仲間は事情を察したのか、何も言わず帝都やその周辺の守備隊の配置の情報を集めて来た。
付いて行く、と言い出した者もいたが、後宮の守りを薄くしてはいけないと黙らせた。
ここに残す妃達すら、そういった浮ついた空気を感じつつも騒ぎ立てることはしなかった。
皇帝が北部の部族を制圧へと出た隙に、わしら4人は出発した。
帝都を抜けるのは守備隊の配置を知っていたこともあって簡単に済んだ。
子供達と共に初めて見る後宮の外の様子に目を輝かせていたシルフも、歩き旅なこともあって疲労が隠せないでいた。
逃走先は南東のアルカリア王国に決めた。
かつてベクトリア皇帝を逃がした北東のロシロバッキは、かつての戦争の爪痕として互いに警戒しあって軍が配備されている。
捜索が指示された時の軍の数は少ないにこしたことはない。
南は海で、西の諸国はかつての侵略を恐れて軍を置きそれにアンクリアは応じているし、北はそもそも皇帝とその軍がいる。
国境が近付いてきた。
センリ・アンクリア帝国とアルカリア王国の境にあるのは、大きな樹林。
商人が使う道はあれど確実に検問がある。故に、ここを抜けるしかない。
わしが抱いているルレイと、それなりに鍛錬を積ませていたラルフは兎も角、後宮で過ごしているだけだったシルフはかなり限界が来ていた。
あと少しだとシルフを励まし、森を進んだ。
近くの村の者に金を払って確認した目印を辿り、あと1日でアルカリア王国側の街道に出られるというところまでやってきた。
ルレイを前に抱き、シルフ背におぶって進むことも増え、行進速度は日に日に落ちているのを感じていた。1日、という目算も数日かかるのではと感じる。
間違いなく、アルカリア王国側の国境警備隊にわしらの逃走は伝えられ捜索されていると確信していた。
焦りつつも歩を進めた。
川が見えた。
街道はこの川の一部と交差していて、ここを超えれば実質アルカリア王国である。
水深は腰まであり、流れもかなり急な川だった。数日前に雨が降ったので増水したのかもしれない。
渡るにしても万全の状態で、それぞれを抱えてわしが往復する他ないと判断し、一晩過ごして英気を養うことにした。
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そいつらの気配は隠す気概を一切感じなかった。黒い鎧に身を包んだ集団が、雑踏の音をまき散らしながらわしらの周りを包囲しておった。、
既に朝日が昇り始めていたのが幸いしただろうか。
わしは苦しまぎれにシルフにルレイを抱かせ、ラルフには余裕があれば魔法で援護する様に言って川を進ませた。
この黒い鎧の兵達からは、意思を感じなかった。それどころか、意識すらないのではないだろうか。
腕を落とそうが腹を貫こうが、首を落とすまではうめき声1つ上げずに立ち上がって襲い掛かって来る。
パッと見て残りの敵の数は10人程だった。
意識がないせいか攻撃は単調だが、人数差を考慮したら勝てるかどうかは五分だな、と見積もるしかなかった。
実際、裏手に回られ背中を切られた。
覚悟を決めて一人でも多く、と考えていたがそこに風の刃が飛んできた。
川を渡っていたラルフがこちらに向けて魔法を放っており、その体には淡い光が灯り始めていた。
一目見て戦儀が発動したと察した。ラルフが戦儀の名を叫ぶと、その体から出た光の結晶が辺りに撒かれる。
瞬間ラルフの体が消え、気が付いたら背中側、川の方を見ていたから森側になるのだが、そちらから肉の転がる音がした。
そこにラルフは浮いていた。魔石や魔杖を介していないとは思えない程強力な風の刃で敵を屠っていたのだ。
その場にいた敵は全て倒した。
わしが味わったことはないが、急激な魔力消費は魔法使いの不調を招く。さらには初めて味わう戦儀が終わったことによる虚脱感と、初めて人を殺したことへの罪悪感という情報過多に陥り、ラルフは嗚咽を漏らしながら頭を抱えて蹲った。
しかし、落ち着いてはいられなかった。
対岸から3体の敵が表れていた。シルフの悲鳴じみた大声で気付いたが、肝心のシルフはもう川を渡り終える直前だった。
わしも急いで川に飛び込み、シルフも急いで引き返そうとするが、互いの距離は届くものでなかった。
シルフの背から鮮血が舞う。
この者達がどういう意図でわしらを襲ったのかは今でも見当もつかないが、川に飛び込みシルフに対して躊躇なく剣で切りつけたのだ。
川を赤く染めながらシルフが急流に攫われて行く。
衝撃でルレイを離さず、窒息せぬよう仰向けになっているのが幸いなのか、そも不安定なラルフと背に傷を負ったわしという不調二人が取り残されたのが不幸なのか。
今すぐ川の流れに乗り、シルフを追わねば追いつけない。
しかし、このままではラルフが残った敵に襲われるのは必定。
さらにはわし自身も貧血で思考は鈍り、四肢の先から感覚が失われ始めていた。直ぐに手当しなければ動けなくなる。
3人全滅の可能性を踏むか1人を確実に生かすか。
考える価値すらない。
残った全霊で川を進み、敵3体を処理する。
眩暈と吐き気に襲われながらラルフの元へと戻り、呆然としたラルフを叱咤して血止め薬を塗らせた。
二人がどこかで引っ掛かるなり岸に寄るなりしていることを祈って、増心剤を飲み震える足を無理やり動かして川辺を下る。
日が沈むまで歩いた。
当に街道である橋を超えて数時間は進んでいる。川の幅が広がると同時に水深も浅くなり、森の中の清流というよりは草原の小川に近い状況となった。間違いなくアルカリア王国の南部平原だろう。
川に足を入れてもくるぶしまでしか浸からない。
これでは人が転がる様に流されるより、怪我人が歩く速度の方が早いだろう。
どれだけ歩いても二人の姿は見つからない。
見逃したかと来た道を戻っても痕跡すら見つからなかった。
おそらく、わしらより先に誰かに見つかり回収されたのだろう。
善意の者ならば手当もしてくれようが、先の敵があれですべてとは言い切れない。まず間違いなく奴らに見つかったのだろう。そして、奴らが傷付いた者を癒すだろうか、むしろ留めを刺しそうな様子だった。
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とうとう体の限界が訪れ、ラルフに見張りを頼む訳でもなく無防備に河原で一晩寝て過ごしてしまった。
これ以上の捜索は無意味であると悟り、街道へと足を向けた。
わしの逃亡はに母子を死なすだけで終わった。
こう言ってはなんだが、ラルフは放って置いても後宮を出て軍人や傭兵として大成していただろう。皇帝という絶対の力を持つ者から、最も救わなくてはならない二人が死んだのだ。
アンクリアに残してきた先帝の血族である妃達やその女中達。
長年共に後宮を守ってきた守衛仲間達。
そして何より、レイ。
彼にも顔向けできない結末となり、最早涙すら流すのも馬鹿馬鹿しかった。
他にやりようはあったのだろうか。
守衛仲間を数人伴にするべきだったのかもしれないが、それはそれで別の問題が生じる。
どちらにしても結局今回の博打を打つか、あのまま後宮に居座りルレイが皇帝の遊具になるのを待つかの二択しかなかった。
呆然としながら街道を進んでいると村が見えてきた。
最初血みどろの男ということで拒絶を受けたが、ラルフが村長を説き伏せ宿を借り、駐在の巫女殿から治療を受けることができた。
ラルフから金貨をもらえるかと聞かれ、何に使うかと思えば川の捜索を依頼すると言った。周辺の散策をこの村の者に任せ、自分達はさらに下流へと捜索を続けようと。
やはりわしは地頭が良くない。なにせ初めて後宮の外で活動し、まともな交渉事すら初めてであろう8歳の子供がこれを言うのだから。当然の様に承諾し、次の日の昼にはその村を発った。
結局、わしらは4日かけて川の終着点である湖まで辿り着いた。
ここから枝分かれしているが、死体があるとしたらこの湖に浮かんでいないとおかしい。
濁りすらなかなか見つからない綺麗な水面を眺めながら呆然としていると、子供達の声が聞こえてきた。
ラルフと同じ年頃の近くの村の子で、遊びとほぼ同義な鍛錬をしに来たのだろう。手にはそれぞれ手製の木剣や木槌、槍代わりの棒を持っていた。
母親と妹が死んだというのにラルフはそこまで凹んだ様子はなく、気軽に子供達に話しかけて談笑をしていた。
愛情がないわけではないのだろうが、シルフの様に弱気を見せるのを嫌っているのかと考えると、そんな気遣いをさせていることに自嘲する他なかった。
気まぐれとばかりに彼らに纏めて稽古を付けてやった。
基本的な型を教えるところから始まり、素振りの仕方に安全な打ち込み稽古のやり方。
皆我流が強かったが筋はいい様に感じた。
特にアンリという少年は、武術全般向いていないとはいえ本格的に鍛えさせたラルフと平然と打ち合った。危機感を感じたラルフが魔法を使用して冷や汗をかいたが、それすらも躱して打ち合いを続けた。むしろ魔法を絡めてようやく拮抗が保たれる程だった。
ふと、飛竜兵団に入って一年で帝都中に名を知らしめた姪の存在を思い出した。アンリからは、メイリーンと同質の天賦の才能を感じた。
日が傾く頃にはラルフは子供達と意気投合し、子供達もわしにもっと稽古を、と言い寄って来るようになっていた。
どちらにせよこのまま湖にいても仕方がなかった。今晩の宿を借りるべく、彼らの村に邪魔することとした。
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その村は養蚕や羊の牧畜を行い、さらにそれを布にして生計を立てている村だった。
あまり旅人が来る土地柄ではないらしく、旅人用の宿もないので小屋で寝泊まりしてほしいと言われた。
寝られるならばなんでもいいと金を払い、食料も用意してもらった。
小屋に付くなり昼間の子供達に囲まれた。正確にはアンリ達から話を聞いた、少女も含めて見ない顔が増えていたのだが。
好奇心旺盛な年頃故に村の外の話をせがまれ、隣の国の話だ、と前置いて色々な話をした。
後宮でも話をせがまれることは日常で、それなりに慣れている。それ故か飽きることなく子供達は次から次へと話をせがむ。わしも黙っていてはシルフとルレイのことを考えてしまうことを察していたのであえて止まることはしなかった。
途中から様子を見に来た大人達も囲いへ加わり話に熱中し、気付けば朝日が小屋に差し込んでいた。
興奮収まらずか実際に戦いを見たいとせがまれ、自警団を担う村の青年達にも稽古を付けることになった。
流石に疲労からその日は小屋で熟睡し、次の日もまた稽古をして欲しいだの話が聞きたいだのと囲まれた。
その間にラルフは子供達と相当仲を深めていた。
既にラルフはアンリに勝てなくなり始め、次は勝つと息巻いていた。
アンリの母は片親で、中々に豪胆な女性であった。腰が悪くアンリとその姉に介助されてほぼ座ったきりだが、足や上半身の動きだけで活発なことが伺える。
雨風の通る小屋にいつまでも子供を置くなと叱られ、ラルフに家の一室を貸すと言ってきた。
村長含め村人に根回しは既に済んでいる様で、この時点でわしはこの村にしばらく根を下ろすことになりそうだと理解した。
そうして年月が経ち、すっかり自警団の師範兼村長のご意見番という立場に落ち着いてしまった。
農業の手伝いをしつつ、仕事が終われば村の者に武術を教える日々を繰り返す。
ラルフは成人したらアンリらと共に村を出て、傭兵団として活動したいと言い出した。
日に日に強くなり最早わしを優に超えた彼らには、弱い獣と時折の野盗しか戦いがないこの村は窮屈であることに簡単に察しがいった。
ラルフは成人し、アンリやミカゲ、ティルシーと共にフラリクス傭兵団と名乗り旅に出た。
この村には愛着が湧き始めていたが、それでもラルフと別れる選択を取る気にはなれなかった。
わしにとって、レイやシルフ、ルレイとの縁を切れば最早何が残っているのかと考えてしまいそうだったからだ。
ラルフとアンリを超える者はそうそう現れないだろうと言えるところまで来た。
順調に危険な獣を狩りながらさらに成長し、一年が過ぎる頃には100年の眠りから覚めた伝説の黒竜をも討伐して見せた。
はっきり言って、わしは足手まといであろう。
わしはラルフとの縁を切るのを恐れているが、ラルフはわしを置いてどこまでも先へ進んでいける。
本格的に動かなくなってきた体に鞭打って彼らに追従してきたが、ここらで潮時なのかもしれない。
次にこの命を最も有効に使える時に、出来るだけ華々しく散ろうではないか。