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第二話 奇妙な食客

「へんしつしゃ? なんだ、それは」

 半裸の男はおうむ返しに問い返し、更に一歩距離を詰めた。

 篝もそろそろと後退りするが、背中が格子戸にぶつかってしまう。

 ブレザーのポケットに入れたスマホを握り、少女は気付いた。

 警察を呼んだとしても、ここから一番近い交番ですら車で三十分かかる。

 目の前で通報したら、目の前に立ちふさがる半裸の男がどんな行動に出るか、全く予想がつかない。

 学校から支給された防犯ブザーも鞄の中にある。

 が、こんな山の中でそれを鳴らしたところで、ふもとまで音が届くかは分からない。

 何より――ここから数分の距離にある自宅には、祖母がいる。

 孫娘が、見知らぬ半裸の男と相対している場面に出くわせば、きっと祖母は腰を抜かすだろう。

 篝の全身に、暑さとは別の汗がにじんでくる。

 どうにかこの場を切り抜けなくてはと焦る一方、別の可能性が脳裏に浮かんだ。

 もしやこの青年は登山者か、動画配信者ではないか。

 けれどコンクリートの山道が敷かれた山で、成人男性が真昼から遭難するとは考えづらい。

 周囲を見渡すが、撮影スタッフもーーというか、彼以外の人間が見当たらない。

 篝は改めて、半裸の男を窺う。

 ぶかぶかのボトムスだと思っていたものは、よく見るとはかまのようだった。

 当然のように裸足だ。

 浮浪者だろうか。

 篝が警戒していると、男にまた一歩、距離を詰められる。

「どうなんだ」

「どうって」

「酒は、無いのか?」

「お、お酒……?」

 どうやら目の前の半裸の男は、自分に酒を要求しているらしい。

 アルコール中毒。

 そんな言葉が頭に浮かんだ。

 上着を着ていないのも、靴を履いていないのも、男が酔っぱらってどこかに脱いで忘れてきたとか、そんな経緯があったのかもしれない。

 篝は頭を抱えたくなった。

 素直に酒を彼に渡すべきか。幸い家には、今朝お供えしたの焼酎が一本ある。

 お盆の会食で余ったビールや地酒も、冷蔵庫にいくつか残っていた。

「あの……」

「なんだ」

 低い声に、篝はびくりと体をすくませる。

 特に威圧するような態度をとられているわけではないものの、妙に気圧されてしまう。

 それでも目の前の男は一体何者なのか、まずは相手の素性を聞かないと何も始まらない。

 そう腹をくくり、篝は男に向き直った。

「お酒が欲しいなら分けてあげます。その前に、あなたは何者なんですか?」

 篝の問いに、男は表情を変えず、低く平坦な声で答えた。

「……酒呑。酒を呑むと書いて、シュテンと読む」

 何かの冗談だろうか。

 それとも偽名で、本名を名乗りたくないのだろうかと、篝はしばし頭を悩ませた。

「お前の名は?」

 初対面の人間に「お前」呼ばわりされる筋合いは無いとは思いつつも、目の前の男の迫力に押され、少女は口を開く。

「宮代篝……です」

 しぶしぶ名乗った篝を、半裸の男は無言で見下ろす。

「えっと、とりあえずお酒を持ってきますから待っててください。すぐ戻って来ますから」

 気まずい沈黙に耐えかね早口で言って、篝がそろそろと踵を返す。

「篝ちゃん」

 するとそこには彼女がもっともこの場にいてほしくなかった人物が、葱の束を抱えて立っていた。

 幸い、篝の祖母が腰を抜かすことはなかった。

 むしろ篝の方が、予期せぬ祖母の登場に腰を抜かしそうになった。

「ばあちゃん! なんでこんな所に」

「篝ちゃんの声がしたから。ところで、そちらのお兄さんは?」

 子犬のような丸いつぶらな瞳で、物珍しそうに半裸の男をまじまじと見る。

 男はその視線にひるむ様子はなく、真正面から篝の祖母をじっと見返した。

「ええと……この人はその、なんというか……登山者っていうか」

 彼をどう説明しようかと、篝は口をもごもごさせる。すると半裸の男は前触れもなく、会話に割って入った。

「酒呑だ」

しかし自己紹介はその一言で完結してしまったようで、それきり話が続かない。

「……そう、シュテンさんっていうそうなの。とりあえず、食べるものを分けてあげようかと」

「食い物はいらん。酒だ」

 ちょっと黙っていてほしい――篝は自分の顔が引き攣るのを感じた。

 目の前の不審者を穏便にやり過ごそうと、少しでも無難に話をまとめようとしているのに、どうして当の本人が事態をややこしくしてしまうのか。

「うん、お酒を分けてほしいんだって。ついでに、食べ物と服も渡そうと思う」

「そうだったの」

 祖母は少し不思議そうに首をかしげ、シュテンを見上げる。

 特に怯えるそぶりも見せず、少しの間、半裸の青年を観察するように見つめた。

 危機感の薄そうなその様子に篝がハラハラしていると、祖母はシュテンに向かってにこやかに笑いかける。

「シュテンさん」

「なんだ」

 ぶっきらぼうな返事に、篝は面食らった。

 目上の人に敬語を使うのは、彼女にとって社会常識だが、目の前の男にその認識は無いようだ。

「よかったら、うちでご飯食べていったら?」

「……ええっ!?」

 篝の喉から悲鳴じみた声が迸ほとばしった。

 祖母は何の抵抗もなく、目の前の男を食事に誘ってしまった。

 篝はお酒や服を渡して、さりげなく山から下りてもらうものだとばかり思っていたのに。

「うちにはお酒もたくさんあるし」

「そ、そんな」

 どう言えば角を立てずに目の前の男にお引き取り願えるか、篝が必死に考えているうちに、半裸の男は無言で頷いた。 

「じゃあ決まりだね。シュテンさん、食べられないものは?」

「ない」

「待っ……」

 制止しかけて、篝は口をつぐむ。

 そもそも彼に酒を渡すと最初に約束してしまったのは、他ならぬ篝自身なのだ。

 そして、家主である祖母の意向にも逆らえない。

 結局、数十分前に会ったばかりの半裸の不審者と共に、篝は昼食を囲む羽目になった。

 篝は家に着くなり、来客の着替えを探しに、家中のタンスを漁った。

 本人が気にしている様子はなさそうだが、昼食中ずっと半裸でいられては、こちらが目のやり場に困る。

 タンスの奥から来客用の浴衣を引っ張り出し、招かれざる来客に押しつけた。

「あの……よかったら、これ着てください」

 男は特に異を唱えるこなく、無言で浴衣を受け取り、意外にも迷いのない手つきで着付けてゆく。

 篝は改めて、シュテンと名乗った青年を横目で盗み見た。

 年齢は二十代前半くらいだろうか。

 落ち着いて観察してみれば、篝は自分が遭遇した半裸の不審者が、予想外に若く、更に端整な顔をしていたことに気づく。

 面長な顔は少し彫りが深く、ひどく整っていた。

 腰まで伸びた黒い髪も、少しぼさついているが艶がある。

 身長一五五センチの篝より三十センチほど背が高く、手足も長い。

 手足が長く、細身ながらも、しなやかな筋肉をまとう体は、引き締まって均整がとれている。

 手慣れた様子で襟を合わせ、帯を締める青年を尻目に、篝は内心、首をかしげた。

 酒呑、と名乗ったこの青年は、一体どんな事情があって、山の中を浮浪者のような格好でうろついていたのだろう。

 来客は自ら祖母に申し出て、篝と祖母が昼食を準備している間、畑の草むしりをはじめた。

 言動が少し突飛なだけで、根は悪い人ではないのかもしれないと、篝はぼんやりと思う。

 食事の準備が整うと、篝の祖母は台所の窓から畑仕事にいそしむ来客を呼んだ。

 篝は学校で食べるはずだった弁当を、祖母にはとろろ昆布と梅干しをのせたかけうどんを、半裸男にはネギと天かすのかけうどんを並べる。

 おかずにはきゅうりのぬか漬けやほうれん草のおひたし、昨日の残りのきんぴらごぼうを冷蔵庫から出した。

 祖母は来客の目の前に焼酎の瓶を一本、グラスを添えて置く。

 すると珍奇な来客は、素早く手を伸ばした。

「酒はこれか?」

「ビールとか他のお酒もありますけど……」

 篝が栓抜きを手渡そうとしたら、青年は瓶の王冠に人差し指を引っ掛けた。

 ミシッ、と何かが歪む音が鳴る。

 青年は紙をめくるように軽々と、飲み口から王冠が引き抜いた。

「!?」

「いや。これで良い」

 篝は箸を落としそうになる。

 牛乳瓶やタッパーではなく、真空状態を保つために密閉された金属製のフタだ。

 栓抜きという道具を使って開封すべきものを、目の前の男は素手で、いともたやすく指で引き抜いた。

 変形した王冠が、食卓にころりと転がる。

「あらあら、栓抜きあったのに」

 祖母はおっとりと茶をすする。

 篝は渡しそびれた栓抜きを、食卓のすみにそっと置いた。

「……いただきます」

 どうせお酒ばかり飲むだろうという篝の予想を裏切って、意外にも来客はうどんとおかずを五分と経たずに完食した。

 食べるスピードがとんでもなく早いが、それ以上に飲むペースが尋常ではない。

 まるでペットボトル飲料でも飲むかのように、瓶から直接焼酎を飲み始めたかと思えば、一分も経たないうちに一升瓶を空にする。

「もう無いのか?」

「ありますよ、次はこっちもいかが?」

 祖母は動じることなく、冷蔵庫から賞味期限切れ間近の缶ビールを取り出した。

 グラスにビールを注がれると、男はほぼ一瞬で飲み干してしまう。

 グラスを置くと、男はなんともいえない顔で空き缶を手に取った。

「ぶくぶくするな」

「ぶっ……」

 危うく吹き出しそうになったところを、篝は必死で堪える。

 すかさず祖母が二杯目を注ぐが、またもや一瞬でグラスは空になった。

 篝は戦々恐々と、祖母は面白そうに目を輝かせ、酒と食事を次々と平らげてゆく男を観察する。

 来客が酔って暴れたり、自分や祖母に絡んだりしないかと篝はハラハラしていたが、彼女の心配は杞憂に終わった。

 ビールを六缶空け、焼酎の一升瓶を一気に飲み干しても、彼は顔色ひとつ変えなかったからだ。

 篝はまだ酒を飲めないから、どの量が適正なのかは分からない。アルコールの耐性は個人差があるとは聞いたことがある。

 だが基本的に日本酒とはお猪口やグラスで少しずつ飲むものだ。

 少なくとも目の前の男がするように、水のようにガブ飲みできるものではないことくらい、篝だって知っている。

 初めは面白そうに男を見ていた祖母も、三本目の一升瓶が空になった時は、心配そうに尋ねた。

「シュテンさん、そんなにいっぺんに飲んでも大丈夫かね?」

「ああ。もう無いのか?」

 アルコール中毒を越えて、その酒量はもはや人間離れしていた。

「……ど、どうぞ」

 篝がおそるおそる四本目の酒を渡す。

 先月分のお供えの、賞味期限が間近な純米大吟醸だ。

 来客はペースを落とすことなく、あっという間に一升瓶の中身を飲み干してしまった。

 篝がちらりと空瓶のラベルを見ると、アルコール度数は十八%と書かれていた。

 祖母が台所から、鯖の味噌煮の缶詰めを持ってくる。

「シュテンさん。良かったら、おつまみも」

 それを受け取ると、男は口に放り込むようにして一口で完食する。

 まるで大食い芸でも見ている気分だと、篝は空になった弁当の容器を机に置く。

 鯨飲馬食。

 そんな四時熟語が、彼女と祖母の脳裏に浮かんだのはほぼ同時だった。

「そんなに飲んで大丈夫ですか?」

「ああ」

 淡々と頷き、来客はぐびりと酒を煽る。

 大量の飲酒にも関わらず、男は微塵も酔う様子を見せない。

 篝が見る限り、顔が赤くなったり、息が酒臭くなったり、呂律が怪しくなる兆しは全くなかった。

 九本目の焼酎を飲み干しても、グラスを空にするスピードは変わらない。

 缶ビールを六本、焼酎と日本酒を一升瓶で十本を全て飲むのに、十分もかかっていない。

 目の前の男は、人間だろうか?

 半ば本気にそんな疑問が鎌首をもたげ、篝はあわてて馬鹿馬鹿しいと打ち消す。

 人間でなければ何だというのか。

「馳走になったな」

 最後の焼酎を空にすると、男は一升瓶を食卓に置いた。

「いえいえ、大したおもてなしも出来ませんで」

 祖母が座ったまま頭を下げる。

 篝も祖母にならい、青年に向かって一例した。

 青年はおもむろに椅子から立ち上がると、居間を出て玄関に向かって歩きだす。

「あの、どこに」

「畑だ。まだ草が残っている」

 どうやら昼食前にしていた草むしりの続きをするつもりらしい。

 見た目によらず真面目な人物なのかもしれないと、篝は少し来客を見直した。

「ええと、シュテン……さん。まだ食後だし、ゆっくり休憩してもらっても」

 篝がそう続けると、シュテンはピタリと立ち止まった。

「これは酒の対価に過ぎない。お前の祖母との契約だ」

「け、契約? 対価って、さっきのお酒のですか?」

「そうだ。お前も何かひとつ、望みを叶えてやる。考えておけ」

 さらりと告げられた言葉に、篝は頭を抱えた。

 契約とは一体どういうことか。

 祖母は何故、こんな怪しげな初対面の男と、軽々しく契約を結ぶのか。

 草むしりと昼食で済む話ならいいが、いつか詐欺に引っ掛かるのではないかと、割と本気で心配になってくる。

「あの……願いって、一体どういう」

「富でも財宝でも、邪魔者の始末でも、好きな事を願うといい」

 篝は自分の頬が盛大に引き攣るのを感じた。

 千夜一夜物語に登場するランプの精ならいざ知らず、山中で遭難していた半裸の男にそんなことを言われても、全く説得力がない。

「待ってください、履き物……!」

来客が裸足のまま畑に行こうとしたことに気付き、あわてて引き止めた。

 祖父が生前、愛用していた下駄を履かせる。

 カラコロと黒下駄を鳴らして勝手口から出て行く青年の後ろ姿を、篝はなんとも名状しがたい気分で見送った。

 台所の流しに所狭しと並ぶ空き缶と空き瓶の数を数え、気が遠くなる。

 尋常ではない飲みっぷりと食欲。

 人間にこれほどまでの大食いと飲酒が可能だろうか。

 そこまで考えて、篝ははたと肝心なことを思い出し、台所にいた祖母に詰め寄った。

「そうだ。ばあちゃん、どういうこと!?」

「どうしたの、そんな怖い顔をして」

 燈子はとぼけているのかそうでないのか、今ひとつ分からない顔で孫娘をなだめる。

「半裸……じゃなくてあの人に聞いたよ! なんかおかしな契約したって!」

 何食わぬ顔で机の上をふき終えると、燈子は詰問口調の篝をするりと横切り、洗い場で布巾を洗い始めた。

「聞いてる? 大体、初対面の人をホイホイ家の中に入れちゃ危な————」

「初対面じゃないよ」

 まくし立てる孫娘を遮るように、祖母は呟く。

「え?」

「初対面じゃないよ、あのお兄さん。ばあちゃんは前に一度、会ったことがあるからね」

「なんだ、知ってる人だったんだ」

「うん。だいぶ前だけど、会ったことがあるんだよ」

 だとすれば、彼をあっさり家に招いたことも納得がいく。祖母はもともと交友関係が広い人だ。

 篝は皿を洗いながら、窓から畑をちらりと覗いた。

 来客は黙々と草をむしっており、篝はその姿に少し気を良くする。

 この後、ちょっと休憩して茶菓子でも食べてもらったらお別れする人だ。

 今更そんなに目くじらを立てることもないかと、篝は気持ちを切り替えようとした、その時。

「それで、シュテンさんだけどね。しばらくウチに泊まってもらうことにしたから」

「…………ん?」

 危うく篝は皿を落としそうになる。

 一体いつ、そんなとこが決まったのか。

「嘘でしょ、どうしてそんなことになったの!?」

 水道の水を止めて振り向くと、祖母は椅子に座って新聞を手に取る。

「ご飯前に頼んだの。なんでもひとつお願いを聞いてくれるって言うから」

 篝は理解に苦しんだ。祖母はなぜ出会ったばかりの、しかも半裸に裸足で山をうろついていた浮浪者のような男にそんなことを頼むのか。

「なんでそんなこと頼んだのっ!?」

「篝ちゃんこそ、ばあちゃんに何か言うことがあるんじゃない?」

 老眼鏡の隙間から咎めるような視線を向けられ、篝はややトーンダウンした。

 そういえば何か、大切なことを言い忘れているような――

「お昼のニュースでやってたよ。ここらで何人も、高校生の子が行方不明になっているんですってね」

「あっ」

 やれやれと、祖母は老眼鏡を一刺し指で押し上げる。

 下校中に遭遇した半裸の男に気を取られ、篝は行方不明事件のことを半ば失念していた。

「だから学校が早引けだったんでしょう。朝刊にも載ってたよ」

 そう新聞の見出しを指さす。「市内高校生 四人行方不明」と見出しがついた、地方欄の中で一番大きな記事だった。

 篝は学校からもらったプリントを思い出し、違和感を覚えた。

「四人……?」

 プリントに記されていた生徒は五人。

ということは朝刊が刷られた時点から、行方不明者が一人増えたということになる。

「女しかいない所帯は、こういう時に心細いじゃない。あのお兄さんはこの行方不明の事件が解決するまで、用心棒としてうちにいてもらおうと思って」

「どうしてそうなるの!?」

 普段の慎重で人をよく見る祖母からは、とても考えられない軽はずみな行動だった。

 訪問販売や宗教勧誘はきっぱり断る人なのに、一体どうしてしまったのだろう。

 そもそもあの来客に用心棒代わりに泊まってもらうとして、いざという時、彼は本当に自分たちを守ってくれるのだろうか。 

 そう息巻く篝に、祖母はにこにこと笑う。

「篝ちゃんはまだ若いから分からないだろうけど、この歳になると、良からぬことを考えてる人と、そうでもない人の区別くらいはつくんだよ」

 表面上は人当たりの良さそうな、優しげな笑みだ。

 しかし祖母の笑顔の裏には老人らしからぬ頭の回転の早さや、さりげなく人をこき使うしたたかさが隠されていることを、孫である篝は嫌というほど知っている。

「それに男手は貴重だよ。シュテンさん、なかなか働きっぷりのいい人だからね。居間の模様替えもしたかったし、こたつも出したいし。そろそろ壁のペンキも塗り直す時期だし。せっかくだからここに居る間、色々お手伝いしてもらわないと」

 それは「お手伝い」の域を軽く越えているのではないか。

 篝は窓から畑仕事に精を出す後ろ姿をしみじみと見た。

 賞味期限間近のお酒と、何の変哲もない昼食がここまで高くつくとは、来客も予想していなかったことだろう。

 タダより高いものはないとはまさにこのことかもしれない。

 この時ばかりは篝もさすがに、奇妙な来客に対する同情を禁じえなかった。

「だから篝ちゃん、シュテンさんの分のお布団、押し入れから出しておいてあげてね」

 そう告げる祖母の口調は依頼ではなく、決定事項を指示する響きがあった。

 普段は温厚な祖母だが、一度決めたら孫相手でも譲らない頑固な一面がある。

「……はぁい」

 不服そうな篝の返事に、祖母は満足そうに頷く。

 この瞬間、奇妙な来客は宮代家の居候となった。

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