Episode.3 怖がりお嬢様と見習い執事
ゲームセンターからの帰り道は、夏ということもあって、割と明るかった。
しかし、薄暗い路地裏などが気になるらしく、有沙はただ無言で俺の左隣──それも肩が密接するくらいの距離で歩いていた。
これは端から見たらそういう関係だと思われるだろうが、有沙はそんなことを考える元気もない。
これまで有沙のわがままに付き合わされたストレスを晴らすべく、ここで俺が有沙を置いて一気に駆け出したら、有沙はどんな顔をするのだろうかと、少し気になってしまったが、そんなことをする度胸は俺にはない。
やがて立派なモダンな門の前に着く。表札には“鳴宮”と書かれている。
門を潜ると、大きな庭が広がっており、しばらく石畳の道を歩き、二階建ての大きな屋敷の前まで来る。
いまだ無言の有沙から鍵を預かり、俺は玄関の扉を開ける。
もうかなり見慣れた光景ではあるが、この絵に描いたような豪邸の内部の姿には、今もなお圧倒される。
ただ、一般的な家と異なる点は他にもある。
異様に静かだ。
有沙の両親はとても忙しいらしく、ほとんど家に帰ってこない。家にいるのは雇っているお手伝いさんが数名で、夕食の準備をしているのか、キッチンの奥からカチャカチャと食器の音がする。
「ほれ、家に着いたら大丈夫だろ? 俺は一旦自分の家に帰って荷物片付けてくるから、お前は部屋に戻っとけ」
まあ、自分の家に帰るといっても、このお屋敷のすぐ隣が我が家なので、俺は既に帰宅モードになっているのだが。
俺は有沙にそう告げると、来た道を引き返すべく方向転換し、足を進める。
しかし、キュッとカッターシャツの端を引っ張られ、止められる。
「荷物なら取り敢えず私の部屋に置いておきなさい……」
「はい?」
突然ワケのわからないことを言い出す有沙に、俺は疑問符を浮かべずにはいられない。
「今日の残りの仕事は……うん、もういいわ」
「いや、そういうわけにもいかんだろ」
「いいの!」
いや、今日はこれで執事としての務めは完了というのは実にありがたい話なんだが、それならばさっさと帰宅させてもらいたい。
家も父さんは執事として有沙の父親に付いているのでほとんど帰ってこないし、母さんは入院中で家にいないから、この家と似たようなものだが、妹がいるのだ。
今中学二年の俺の妹──『桐野江 彩葉』も、いずれ『鳴宮家』に仕えるために、日々メイドへの道を歩んでいる。
メイドといっても、一般的にイメージされるようなモノのように、メイド服を着て仕事をするわけではなく、することはほぼ俺と似たようなことだ。
今頃彩葉は俺の帰ってくるタイミングに合わせて、夕食の支度をしてくれているところだろう。
「ね、いいでしょ……?」
有沙が儚げに、上目遣いで言ってくる。
いつもの世間知らずわがままお嬢様からは考えられない姿だ。いつも黙っていれば可愛いのにとは思っていたが、実際こうやって寂しそうにお願いされると、心が揺らいでしまう。
俺はため息を一つ吐き、どうしたものかと片間を描きながら悩んだ末、結局有沙の言うことを聞いてやることにした。
有沙の部屋は二階にある。
部屋の広さは……まあ、このお屋敷の見た目に合うモノだ。部屋の真ん中にはグランドピアノが置かれていたりと、実に豪華で洒落ている。
有沙は手に持っていた桜ヶ原高校のカバンを机に置くと、ベッドの方に歩み寄っていき、そのまま倒れ込んだ。
執事ならここは扉付近にでも立って、いつでもお嬢様のご要望に応えられるように待機すべきなのだろうか。
しかし、やはり俺は見習い執事であって、多少の失敗は仕方がないだろう。
俺もカバンを有沙のカバンの隣に置くと、グランドピアノの椅子に座る。そして、行き場のない視線を、取り敢えずベッドに俯せになっている有沙に向ける。
雑に倒れ込んだものだから、桜ヶ原高校の制服であるグレーのプリーツスカートが僅かに捲れ上がり、艶かしいおみ足を太もも付近までさらけ出している。
俺は不覚にも少しドキリとしてしまったが、すぐに平静を取り戻す。
「有沙、一応この部屋には俺もいるんだ、その格好は何というか……少し不用心すぎるぞ」
俺もきちんと男である。それがたとえ執事であっても、異性と部屋に二人っきりのときに、今の有沙の格好は少し危ない。それに、『鳴宮』のお嬢様であるんだから、もう少しきちんとした佇まいをしてもらいたいものだ。
「別に良いじゃない、ソラタなんだし」
自分の部屋に戻ってきたからか、少しばかりいつもの調子を取り戻した有沙。
ただ、『ソラタなんだし』とはなんだろう。それほど俺を信用してくれている……というわけではないだろうから、俺は女子に手を出せないヘタレとでも思われているのだろうか。
「あのな、これでも俺は男の子であってですね──」
「あら、そうだったの? 今まで一度もそんな気配見せてこなかったから実は女の子なんじゃないかって思ってたわ」
コイツ……ッ!?
やはり俺の予想通りヘタレだと思われていたらしい。
というか、一応は執事である俺が有沙に手を出せるわけがないだろ。それに、前提としてこんなわがままお嬢様にそんな気が起こるわけない。
俺の苛立ちなど露知らず、有沙は相変わらずベッドに倒れ込んだままだ。やはり、あのホラーシューティングゲームはかなり体力を削ったらしい。
俺はピアノの椅子から立ち上がると、ベッドに倒れ込んでいる有沙の傍まで寄っていく。
俺が近付いてきたってのに、警戒する仕草の一つも見せない。
俺はため息を吐きながら、有沙の脚に手を伸ばす。そして────
「ひゃんッ!?」
ビクンと身体を震わせ、妙な声を上げる有沙。驚きに満ちた表情で俺を見てくる。
俺の右手には、有沙の脚から抜き取った靴下がある。俺はもう一足も脱がすために、再び手を伸ばす。
「え、ちょ……ちょっと……ッ!?」
抵抗して脚を引っ込める有沙。
「何やってんだよ、めんどくさいから抵抗すんな。さっさと脱げ」
「えッ!?」
俺は三度手を伸ばす。しかし、なぜか有沙が抵抗してくるので、俺も負けじと対抗する。
まあ、力は圧倒的に俺の方が上なので、俺の手は有沙の抵抗を潜り抜け、もう一足の靴下が履かれている左足に届く。
この一連の攻防で、有沙が体勢を崩してベッドに仰向けに倒れ込むことになったが、それは抵抗した有沙が悪い。
俺は靴下を脱がすべく、手を掛ける。
「そ、その……まだそういうのは早いわよ……っ!」
「いや、そんなことないだろ」
「ソラタって……意外と強引……」
「お前が抵抗するからだろ」
俺はそう答えながら、左足の靴下も脱がせる。そして、改めて有沙の顔を見てみると、耳まで真っ赤に紅潮させていて、それを隠すように腕を置いている。
何だろう、いつもと全く違う反応。何かそんな反応されると、こっちまで恥ずかしくなってくるから止めて欲しい。
「バレたら大変なことになるわよ……」
「は? いつもやってることだろ?」
そう答えたとたん、一気に空気感が変わるのが感じられる。そして、しばらく不思議な沈黙が流れる。
「え、私を襲おうとしてたんじゃ……」
キョトンとした目を向けながらそんなとんでも発言を口走ってくる有沙。
「何言ってんだ、お前の着替え洗濯に持っていくのいっつも俺だろ? 変なこと言ってないでさっさと着替えろよ? 俺部屋から出とくから」
俺は有沙の靴下を片手に、部屋を出ていこうとする。
「こ、この……馬鹿ぁあああああああ──ッ!?」
勝手に勘違いされた挙げ句、俺の後頭部に思いっきり枕が投げ付けられるのだった。