八百屋と子連れの恋愛ご無沙汰女子と
色とりどりの野菜が並ぶ、近所のおすすめの八百屋さん。本田ストアは今日も威勢がいい。快活な奥さんの掛け声が響いている。
私は定時きっかりで、仕事をきりあげ、保育園に甥っ子を迎えにいく。姉の代わりにお迎えに行くのは慣れていて、ついでに夕食の買い物も行う。甥の康太は3歳で、自慢じゃないが姉の次に私に懐いている。私の歩美という名を「あーたん」というとこなんて、可愛すぎて悶える。
そんなこんなで、今日も康太の小さな手を握り、本田ストアで買い物をする。
康太に野菜の名前を教えながら、鮮度の良さそうな野菜を選び、数日間の献立を組み立てていく。
「あーたん、重いよ。」
「大丈夫。あーたん、力持ちだよ」
カゴがいっぱいになってきて、賢い康太に注意される。たしかに入れすぎかも。
レジに持っていくと、若い男の子のバイトさん。何度か見かけたことのある人だった。明るい茶髪の髪色で、少し怖そうだけど、前に康太にサービスでみかんをくれたことのある親切な人。身長も高くて、がっしりしてて、お顔も整っていて、正直目の保養にさせてもらってます。
「あーたん、いっぱい買ったね。重い重いだよ」
「大丈夫だよ、あーたん持てるよ」康太に言い聞かせる。
「950円です。」
「あ、はい」割引き券なかったかな?
「……たしかに重そう。重いなら、少し減らします?」
「大丈夫、あーたん力持ちだから……?」
マズイ!自分の失態に顔が赤くなる。
割引き券に夢中になっていて、康太に返事するみたいに、バイトくんに返してしまった。
「す、すみません」
「いえ、自分も変なタイミングで話しかけちゃってすみません」
彼は照れたように笑う。その笑顔の眩しさと、恥ずかしさに拍車がかかって、会計を済ますと康太の手を握りそそくさと撤退した。
うー、穴があったら入りたい。……でもイケメンの笑顔、ごちそうさまです。
それから、康太を連れて何度か買い物に行くたびに、彼「吉田くん」と挨拶するようになった。顔馴染みになってからは、目が合うと笑顔であいさつしてくれて、私はその度に毎回キュンとくるので、毎回ありがたやーと心の中で手をスリスリしてお礼を言うほどだ。
そんなある日、康太といつものように手を繋いでいると、「歩美ちゃん、康太〜」と柔らかい声。
「パパ!」
康太が走って、ガシって抱きつく。あー康太……その姿も本当に可愛い。
康太は、姉の夫である康幸くんに肩車されご機嫌な様子。
康幸くんは、身長も高くて髪もきっちり整っていて、スーツがよく似合う。自慢の美人の姉と並ぶと圧巻で、よく街でも取材とか声をかけられているようだ。
「康幸くん、最近早いね。」
「うん。歩美ちゃん、今日も康太のお迎えありがとう。もうしばらくしたら、俺も余裕できそうなんだ」
「そっかー。康太も喜ぶね」
姉と康幸くんと康太はいわゆる二世帯同居だ。去年、リホームして、孫と離れたくない私の両親が、姉一家と二世帯同居できるようなお家の設計にした。康幸くんは、すごくいい人で、嫌な顔一つせず、二人姉妹の我が家に婿入りしてくれた仏さまのような人だ。
「あ、康幸くん、先帰ってて?お野菜買ってくる!」
「いつもありがとね。康太と待ってるから、買っておいで。荷物持つから」
……姉よ。本当見る目あるわ。康幸くんに、お礼を言ってすぐさま買い物始める。気持ちいつもより急いで。お待たせしちゃ、悪いしね。
キョロキョロと野菜を見渡すと、「あ」吉田くんと目があう。いつもは会釈してくれるのに、今日はプイってどこか行っちゃった。……なんだろ?今日は忙しかったのかな?
まぁ、また今度来た時、いつもの笑顔を拝もうっと。……なんて呑気に思っていたのに、それからしばらく吉田くんとは会えなくなった。
「は〜……」
「どした?仕事でなんかあった?」
「仕事は大丈夫だけど」
「え?なに?もしかして男?」
姉が顔にパックしながら、聞いてきた。声は面白がっているが、表情は動かさないところが、流石である。
「お姉ちゃんの思ってるのと少し違うけど、まあそんな感じ。イケメンの潤いが足らない」
「それは必要だわ。ヤス君で補充を許可する」
姉夫婦が仲がいいことはわかった。
姉は大きなお腹を撫でている。最近、よく張るようだ。
近くで姉たち二人を見ていると、すごく羨ましく思うんだけど、かといって出会いもなく、定時に帰れるように仕事も頑張って、なりふり構わずいるせいか、長らく男性と交際することがなかった。
社会人の恋愛ってどうやって始めるんだろう?紹介とか?ネット?……でもアクションを起こすのも少し面倒だな。
私のやる気スイッチはどこにあるんだろうか?
今日は、会議があって得意先を訪問し、直帰できるとルンルンで歩いている。少し時間もあるし本屋に立ち寄ると、知ってる人を見つけた。普段の様子と違うから、じーっと見つめ過ぎたため、向こうもこちらに気づいてバチッと目があってしまう。
「こんにちは」
「こんにちは」
吉田くんは読んでた本をすぐさま閉じて、気まずそうにする。うん、ごめんなさい。見えてしまった、意外な本のチョイス。いろいろ思案して、これはスルーしたほうがいいなと思ったのだが、予想外に流れるように、本屋を一緒に出て歩いて帰る展開になってしまった。気まずく、そそくさ立ち去るのも感じ悪いしね?
「さっき見られちゃって、恥ずかしいんですけど」と話し始める吉田くん。
「あー、えっと、、、うん」
曖昧に答える私。なんて言えばいいんだろう?
吉田くんが、クールな顔を怖くして呼んでいたのは、男性向けの育児情報誌だった。
「俺、こんな見た目なんで子供とかよく怖がられるんです。」
本田ストアを思い出し、そういえば子供連れのママさんよくいるな、と考える。
「でも、俺康太くんと仲良くなりたいなって。」
なんと!うちの康太!一人一人のお客さんにそこまで考えてくれているのね。尊敬するほどのサービス精神。バイトの鑑。
「だから、ゆげさんとも仲良くなれたらって。あっ、そんな気持ち悪いですね、今の言い方だと。」
弓削……?姉夫婦とも仲良くなりたいのね。弓削は、姉夫婦世帯の姓。ちなみに私は沖田である。
なるほど、お得意さんを増やしたいんだ。
バイトだと思ってたけど、この子本当に真摯に本田ストアのこと考えてるんだ。……なんかちょっと感動。
「……。仲良くしてもらえますか?」
反応を伺うよう、上目遣いで私をみる。吉田くんのほうが身長高いのに、そう見える不思議だ。
「もちろん!そんなふうにいってもらえるなんて、私もうれしいです。」
「あ、ありがとうございます。……でも、少し下心もあるので、ご理解いただきたいです」
「ふふっ、わかりました」
私はこれからも本田ストアを贔屓にたくさん買い物しようと心に決めて、満面の笑顔になった。吉田くんも、うれしそうに顔を赤らめた。
その日から、本田ストアにいくと、吉田くんは積極的に康太に話しかけてくれたり、わたしにも話しかけてくれるようになった。私も新採の頃を思い出し、微笑ましく吉田くんを見守っていた。吉田くんもはじめのちょっと怖い印象から随分変わり、年頃のかわいいお兄さんくらいに見える。おそらく子供は苦手だろうに、康太とは私に内緒で二人で話もできるくらいになってる。うん、羨ましい。康太と仲良いのは私なのに。……そう思ったけど、なんだか胸に変な違和感を感じる。なんだろう?何か変?
今日も、康太と手を繋いで二人帰ってると、康太が「やさいのおにーたん!」と興奮して指差すので、そちらを見ると吉田くんが急いでこちらに向かってきた。
側までくると、息を整えてる。そんなに近くで見られると、照れるんですが。
吉田くんは、全身を黒でまとめていて黒のリュックを背負っている。高身長で、モデルみたいな全身。いつもの印象とは違って男の人の色気が漂ってきそうなかんじ。
この人、怖いと見せかけて、基本イケメンだよなーとしみじみ見る。吉田くんは一瞬目を逸らしたけど、すぐに目を見つめ返してくれる。瞳が揺れる。やばい、心臓うるさくなってきた。イケメンに見つめられたら、誰だってときめくでしょ?
「こうくーん!」
かわいい声が木霊する。ん?吉田くんの背後に、一組のカップルらしき二人がいる。この二人、若さをとっても、キラキラしてます。目の保養。多分同級生にいても、キラキラしてて絡まないだろうなって感じの人たち。
吉田くんも振り返って、知り合いなのか、何か目線で訴えてるっぽい?
ふわふわの明るい髪の女の子がこっちに手を振り、ニコニコしてる。隣の黒髪の男の子がその子を無理やりひっぱって連れて行く。女の子はなんだか怒ってるみたい?
「こんにちは。吉田くん、彼らはお友達?」
吉田くんに話しかけると、ビクンと反応する。
「大学の友達です。」
「吉田くん、大学生なんだね?何年生?」
「4年です。今年卒業して、就職します」
「そっかそっか。じゃあそろそろバイトもおしまいなのかな?仲良くさせてもらったのに残念だけど」
「あ、あ……」
「あーたん、あーたん。ヨッシーと手繋ぎたい。」
康太のおねだりに、吉田くんと目を合わせる。吉田くんは何か言いかけていたけど、康太を見つめて、いいよ、と柔らかく康太に笑いかけて手を繋ぐ。
あぁ、吉田くんってこんなふうにふにゃって笑うんだなって思うとなんだか動悸がしてきたような気がする。……なんだろう?ストレスかな?最近、情緒不安定な気がする。
康太が嬉しそうにするから、康太を挟んで3人で手を繋いで帰る。夕陽に照らされる影をみて、康太がパパとママと子どもだねって言うから「自分のこと子供っていうんだ?」って笑うと、吉田くんは真っ赤になって黙っている。
「……俺、大変なこともたくさんあると思うけど、すごくがんばります。それで、絶対康太くんにも認めてもらえるような……ち、父親になります!」
いきなりなんの宣言だろうか?よくわからないけど、いきなり父性が爆発したのかもしれない。私は、戸惑いながら相槌をうつ。
「あ、あ、あゆみさん!」
「はいっ!」
いきなり名前を呼ばれて驚いて声が裏返る。吉田くんはいつの間にか私の名前を知っていたようだ。
「俺のほうが、絶対にあいつより、あなたを幸せにできます。だから、俺と……」
「あ!ママとパパ!!」
康太の声に道の向こうを見ると、康幸さんと姉さんが手をつないで歩いている。実はこの二人今日は結婚記念日で、予定日を控えて、最後にゆっくり二人でデートディナーのため、康太は私が面倒みることになっていた。まずい……二人を見たら、康太も行きたくなっちゃう。瞬時にそれらを察知した私と姉夫婦。気まずい、なんとも言えない表情で、頭をフル回転させ、康太をどう説得するかを考える。
「ぼくも一緒に行きたい!」
姉夫婦を指さす康太。
「あ、これはね、ハハハ……参ったなー」
嘘がつけない康幸くん。苦笑い。典型的な見られちゃまずかったのお顔です。
「どういうことだよ!」
突然の大声で、全員の視線が吉田くんに集中する。もっというと近くの親子連れとか、道ゆくおばあちゃんまで振り返っている。
声が向けられているのは、姉夫婦のようで、康幸くんは咄嗟にお姉ちゃんを庇う紳士っぷりを伺わせる。
「っ!」
それにまた反応する吉田くん。……イヤイヤ本当にどうしたの?
「よ、吉田くん大声出してどうしたの?」
吉田くんは私を見て、なんだか泣きそうな顔する。なぜなのかわからないけれど、その顔を見ると私も泣きそうになる。
「あゆみさんや康太がいるのに、なんで他の女性と……」
どうやら、康幸さんに向かっての発言のようだ。
状況の読めない私たち大人が慌てる横で、ポケーっとする康太、スキャンダラスに興奮を隠せない通りすがりのおばあちゃん。近くの特等席のベンチに腰を下ろすのが視界の端に映る。
「えーっと、君は誰かな?」
康幸くんが吉田くんを落ち着かせようと、優しく声をかける。
「俺は吉田っていいます。バイト先の八百屋であゆみさんたち知り合いになって、仲良くさせてもらってます」
「そ、そうなんだ。」
康幸くんのターン……次の言葉が続かないようだ。
「俺、ダメだって……何度も諦めようと思いました。好きになったって、結婚してるし、俺の気持ちは迷惑にしかならない。でも、前も弓削さんが、そ、そちらの女性と二人でいるの見かけて。あなたがそんなふうに二人を蔑ろにするなら、俺が二人を幸せにします!」
「……よ、吉田くん」
……状況がやっとつかめてきて、暑いような冷や汗が流れるようなこの状況。後ろでおばあちゃんの乾いた拍手が聞こえた。
「っぷ!あははは!」
場違いな程、明るい笑い声が通りに響く。笑うのはもちろん美しい私のお姉さまだ。
「あー、可笑しい。笑った笑った!公開告白?ふふふ……仕方ない、今日はお母さん達に康太のこと頼もうかな。康太!おいで」
もう興味をなくして、道の虫を見ていた康太は姉の声を聞いて走り出す。
「ママ〜!」
「……えっ?ママ?」
先程の勢いはどこにいったのか、唖然とする吉田くん。
「吉田くん。あちらの二人は私の姉とその旦那さん。康太は二人の子供ですよ」
気まずい私と、目を見開く吉田くん。
「吉田さん?妹のことよろしくね」
「よろしくね」
「ヨッシーまたねー」
姉、義兄、甥はそれぞれの言葉を残し、去っていった。
絵に描いたような幸せな本物の家族の後ろ姿……眩しすぎます。
残された私たちは3人の背中を見つめ、沈黙に動けずにいた。沈黙を破るように、吉田くんは、いきなりガクンと膝から崩れ落ちる。驚き、顔を覗き込む。
「吉田くん?大丈夫?」
「あゆみさん、あゆみさんは康太のママじゃないんですか?」
「そうです。甥っ子です」
「あゆみさんは、結婚してないんですか?」
「そうです。お付き合いしている方すらいません。」
「あゆみさん」
「はい」
「あゆみさん」
「はい」
「好きです。」
「……」
「ずっとずっと好きでした」
「……はい」
「俺、あゆみさんのこと好きでもいいですか?」
……なんて答えたらいいの?
真剣な吉田くんの顔がすぐ近くにある。いつもは身長高いから、こんな近距離からみつめられると、どうやって呼吸をして良いかもわからなくなる。
逸らしたくても、どうやって目を逸らしていいのか、ジリジリと近づいてくる吉田くんから、私は動くことすらできずにいた。思わず目を瞑ってから、あっこれ逆にマズイと気づく。
「……あゆみさん、それ可愛すぎます。」
いい香り……知らない男の人の爽やかな香りに包まれて、しばらくらしてから吉田くんに抱きしめられている気づく。それくらい優しく、でも次第に力強く抱きしめられていた。
「あゆみさん」
「……はい」
「あゆみさん」
「はい」
「好きです。
ずっと前から好きでした。」
「……吉田くん」
「はい!」
「……私、なんて言っていいかわからないんですが、と、と、とにかく」
「はい」
「……胸がいっぱいで……」
突然、こんな怒涛の展開なんて、ついていけない。心臓が膨れ上がったかのように、全身からドクドクとなっていって、手も、声も、震える。
ゆっくり、ゆっくり、スローモーションに思えるほど、丁寧に吉田くんは腕を緩めて、30センチ。ちょうど見つめ合う距離をとる。離れたくても腕を掴まれてて動けない。
「……嬉しくて、暴走して、すみません。
でも、俺ずっとあゆみさんへの気持ち押し込めてた分、なんか、あの、爆発しちゃって」
ば、爆発ですか?
「なんか、あの、冷静になったら、今もあの何やってんだって、でも、すみません。手は、離したくないので、このままの距離でお願いします。」
「ふふっ」
吉田くんは、しどろもどろで、いつものクールな仮面が剥がれて、なんだかすごくかわいい。思わず笑うと、赤い顔をさらに赤くする。
「吉田くん?」
「はい。」
「私は沖田歩美です。」
「……吉田光輝です。」
「吉田くん、私たちもっとお互いのこと知り合ったほうがいいのかもしれないね」
「はい。知りたいです。」
「じゃあ、とりあえずどこか入ってお話しよっか?だって、ここじゃギャラリーが多すぎるよ」
そこで、吉田くんは初めて周りのことが目に入ったようで、キョロキョロとする。さっと目を逸らすマダムや、よっこらしょと特等席を立つおばあさん。
「すみません」と申し訳なさそうに言う吉田くんは、いつもより縮んで見えた。そういって、あんなに強く掴んでいた手を離すからか、なんだか急に寂しくなる。
その寂しさが嫌だったからか、この展開に気持ちが昂っているからか、私も大胆になる。あとで後悔するかもだけど、今はいいの。だって、吉田くんと触れたくなったんだもん。
吉田くんの手を握ると、大きな体をビクンとさせるから、また笑ってしまった。
ぎゅっとにぎると、吉田くんもゆっくり返してくれる。
「それじゃ行こうか?」
「はい。どこへでも」
私はかわいい年下の彼の手をひき、ゆっくり話せる場所を求めて歩き出した。吉田くんが歩幅を合わせてくれるのが嬉しくて、吉田くんを見てニコリとすると、「反則です」とまた赤くなった。
吉田くん、その顔だって反則ですよ?私の中の恋愛やる気スイッチはいつの間にか入っていたようだ。
できたら吉田くん視点の話も書いてみたいなと思います。