異ノ血の異ノ理⑬
力強く決意を口にする冥にだからこそ、そこで山犬は口を開いた。
それを語る山犬の表情はいつものおちゃらけたような天真爛漫な愛らしい表情では無く、戦場で命を削る戦士のそれそのものだ。だからこそ冥もまた、真摯で真剣な表情を返す。
「……冥ちゃん。確かに足手纏いにはなりたくないよね、うん。山犬ちゃんも同じ気持ちだよ。もしノヱル君にそう思われたらどうしよう、って思うよ。でもね、」
「……うん」
「でもね、でも……山犬ちゃんは絶対に足手纏いになる時があるんだよ。【饕餮】使った後とかそうだし、目覚めたての頃はお腹空きすぎちゃって倒れたこともあった。でもノヱル君はね、口の悪いことは言うけど、絶対に見捨てないでくれるし、足手纏いだなんて思わないんだよね」
レヲンの脳裏に、ノヱルのかつての記憶が呼び覚まされる。失って久しいその記憶に、レヲンは胸の内に淡く灯る火があることを確かめた。
「山犬ちゃんも、それを目指すようにするよ。山犬ちゃんはノヱル君にはなれないけど、っぽいところまでは多分行けると思う。だから、冥ちゃんは今のままでいい。山犬ちゃんもそんなに変わらないと思うけど、でも、頑張って守らないようにする」
「……それじゃ、あたしが足手纏いなのは一緒だよ」
「え?」
「お姉ちゃんが変わるんじゃ駄目。迷惑をかけてるのはあたしなんだから、あたしが変わらないと意味が無い。改造は無謀だったかも知れないけど、幸いこの身体になっても成長はするみたいだし、だから……ちょっと長い目で見てて欲しい。あたし、お姉ちゃんにちゃんと認めさせるから」
「冥ちゃん……」
「ちゃんと強くなる。大丈夫、その方法ならもう知ってる。でも、それはなるべく使わないで、強くなるつもり。だから、――もうちょっとだけ、待ってて。ねぇ、レヲン」
冥の言葉を聞いて、レヲンは“愚者の杖”を使わないままに棄却し――ようとして、呼び留められ術式を止めた。
折角の出番を潰されかけたクルードの魂は、どこか嬉しそうに拍動していた。
◆
「――以上が、編成だ」
「え、嘘でしょ……」
その夜更けに訪れたエディが告げた、明日の朝からの大移動の計画にそんな声を発したのは冥だった。
今日という日の天獣の索敵・討伐はまだ飲み込めた。だが、冥にとって隣にいて戦いたいのは山犬では無く本来レヲンなのだ。それが、今回もまた別動となるのは承服しかねた。
「……冥ちゃん」
だが、隣で自分を案じる山犬の表情を見てはたと気付く。
この表情を、自分はさせるべきでは無い筈だ。少なくとも先程、そのために強くなることを決めたばかりだ――冥はエディを睨むように見詰めると、立ち上がった腰を再び席に落ち着ける。
「ごめん。行くよ、お姉ちゃんと一緒でしょ? うん、大丈夫……隊の人達も、きちんと守り切る」
そして朝。
エディとレヲン、そしてミリアムはしばしの別れを告げると、潜水艦の停泊する港へと向かう。
その背を見送り、山犬と冥はガークスとそしてステファノが指揮する隊の最後尾へと並んだ。
最前の方では拡声魔術により指揮を執るステファノが号令を発し、【禁書】の整列した部隊が次々と輸送用の大型車両に乗り込んでいく。
「冥ちゃん、行こう」
「うん、お姉ちゃん」
そして最後の車両に乗り込んだ二基。そこにガークスも乗り込み、殿を担う最後尾車両も発進した。
車両の数は全部で二十台。その一台一台に、大きいもので二十四人、小さいものでも八人が乗り込んでいる。
編成された部隊の人数はちょうど百名。余りにも大袈裟過ぎる部隊だ、それが大聖堂を目指して教団と話を着けに行くという情報は敢えて流布させてある。【闇の落胤】をおびき寄せるためだ。
「山犬。そして冥。此度の協力もまた、感謝する」
「いえいえー」
今朝から降り頻る雨は未だ止んでなどいない――だがそれは寧ろ天啓だ。何故なら神の軍勢による襲撃を気にしなくていいからだ。
舗装された石畳の均された広い道にひとつまたひとつと波紋が拡がっては消えて行く。
背の窓越しにそれを見遣りながら、広がる滲んだ灰色の風景に冥は溜息を吐いた。
昨晩、エディが立ち去った後でレヲンが再び具象した“愚者の杖”で創られた新しい戦装束。
霊銀そのもので創られた単分子繊維を織り上げたフルジップパーカーに、やや膨らんだシルエットの足首の部分できゅっと絞られたサルエルパンツ。色はどちらも艶消しの黒。防刃性能に優れ、また衝撃そのものにも強く、生半可な霊銀干渉ならば弾く、優れた防具だ。
それは冥がレヲンに、レヲンが扱う“愚者の杖”に望んだものだ。ノヱル同様に“愚者の杖”は霊銀を素材として衣服を織り上げることも出来るのだ。
「やっぱその服、かっこいいねぇ」
「でしょ!? やっぱお姉ちゃんもそう思う!?」
冥――と言うよりはその大元となった芽異、および、その主人格である芽衣は少し特殊な嗜好があった。こう言った黒一色や、モノトーンカラーのデザインに強く惹かれるのだ。
その髪色ですら烏の濡れ羽を想起させる艶めいた漆黒だ。だから彼女のその風貌はその名に恥じないものであり、そしてすこぶる似合っていた。無論、異色だが。
「そう言えば、レヲンちゃんにしてもらった改造、どうなったの?」
「それはね……お楽しみだよ」
決して、彼女は笑えない筈だった。
山犬の眼に映る彼女はやはり、笑ってなどいなかった。ただただつまらなさそうに周囲に視線を投じる――だが、とても嬉しそうだった。遠く見遣る双眸には希望の光が宿っているように思えてならなかった。
だから山犬もまた嬉しくなり。
「ふふ――冥ちゃん、山犬ちゃんはずっと待ってるよ。冥ちゃんが、自分の思うようになれるまで、じっくり」
「え?」
「んーん、何でも無ーい」
「……やっぱお姉ちゃんってさ、変だよね」
「んー! それは聞き捨てならんぞぉー!?」
「そゆとこだよ」
レヲンが冥に施したものは衣服の新作、だけでは無い。
身体性能のちょっとした調整と、そして冥のテンションが激しく上がるようなもう一つ。
そのお披露目は、思ったよりも早く訪れる。
◆
「レヲン、ちょっといい?」
「え? うん……」
潜水艦へと向かう道すがら――エディはレヲンに、彼女の固有の魔術である【死屍を抱いて獅子となる】について訊ねた。
「武器の魂との、対話?」
その素っ頓狂な質問に眉を顰めたレヲンだったが、確かにそう言われれば、【死屍を抱いて獅子となる】という魔術にそれは欠かせないものでもあることに気付かされる。
しかしこれまで無意識にやってきたことを今この場で言葉で説明するというのは何とも難しいものがあった。何せ、これまで全く意識して来なかったのだ。こうして問われて初めて、そう言えばそんなこともやっていたなぁ、と認識したくらいだ。
「でも、何で?」
「……昨日、聖剣の魂に一瞬だけ繋がれたんだ」
「えっ?」
後方を歩くミリアムすらその言葉には耳を欹てた。しかしすぐさまミリアムは周囲の人の動きと気配に目を配る。
万が一【闇の落胤】の構成員がこちらの動向を探っているとしたら――考えたくは無いが、考えられないことでは無い。
そもそも自分には望めないものだと意識を切り替えたミリアムは二人の遣り取りが続く間、そうとは悟られぬよう周囲の警戒に務める。もしもエディが聖剣を引き抜く人物だとして、その強みを敵にむざむざ報せる轍は踏みたくないからだ。
「聖剣には、確かに誰かの魂が込められている――多分、天使の」
「天使の?」
「ああ――見たんだ。真っ黒い鎖に繋がれた女の子がいた。その子の背中には、小さかったけれど、翼があった」
それを聞いてレヲンは目を薄く半ば閉じた。歩きながら自らの内側に意識を注ぐためだ。
その様子を視認したエディもまた前を向く。レヲンがそうしながら、確りと歩けるようにだ。
そしてゆっくり、レヲンは口を開いた。彼女なりの方法論が語られ、エディはそれを一語一句聞き逃さないよう集中して受け取る。
「ありがとう、レヲン」
「うん……でも、ごめん。やっぱり、ちょっと言語化するのは……」
「十分だ」
隣で笑む、好青年。空は生憎の雨模様だが、その表情は晴れ晴れとしていた。