異ノ血の異ノ理③
「ああ、よく寝た!」
「……おはよ。良かったね」
呆れとも安堵ともつかない溜息をひとつ吐き出した冥は、起き抜けから元気なレヲンのためにコップに水を用意して差し出した。それを一息でごくりと飲み干したレヲンは身体を動かして様子を見、何も問題ないことが確認できると冥に向き直る。
「ありがとう、そしてごめんなさい」
深く、真っ直ぐに頭を下げるレヲンに、冥は薄いにも程のある眉根を寄せる。
「何が?」
「ありがとうは、あたしが眠っている間待っていてくれたことと、そして守ってもらっていたこと。ごめんなさいは……そうさせてしまったこと」
異獣化が齎されたとは言え、レヲンは“神殺し”では無い。休眠も必要なら補給も不可欠だ。冥とは違う。
しかしレヲンが今しがたまで摂っていた睡眠は、怪我や疲弊を由とする回復のためのものでは無い。精神の憔悴から来る、整理のためのものだ。そしてそれは本来、道中で行うべきものだという教えをレヲンは受けてきた。
戦士にとって休息は停滞と同義だ。回遊魚のように征き続けなければ戦いは遠退いてしまう。彼女一人だけならまだしも、そこには冥もいたのだ。冥にも停滞を強いてしまったのだ。
「うん、分かったよ。でも別に気にしないけど……だってあたし、君たちと同じ“戦士”じゃないんだし」
「うん、でも……」
「解ってる。君のそばに居続けるってことはつまり、君と一緒に戦うってこと。それはね、うん、分かってる。でもそれとあたしが戦士じゃないってことは、同時に成立するよ。そこはレヲンも、解ってね」
「え、と……?」
「あたしは別に、戦わなくたっていいんだから。戦わなくて済むんだったら、それに越したことは無いって主義、ってこと」
「ああ……うん、解った」
そして旅支度を整えたレヲンは、冥を伴って研究施設から出る。
見渡す限りの死んだ都市――先日の戦いで、近くの街並みは半ば崩壊してしまっている。
しかし天蓋として存在する岩盤は強固であり、それを支えるいくつかの支柱もまた健在だ。いつかまたこの都市に賑わいや喝采が生まれる日は来るのだろう――レヲンは目を閉じて馳せた想いを振り払い、彼女だけの固有の魔術を起動させて旗槍のみを喚び出した。
槍を掲げ、旗を風に靡かせると――眼前の広い荒野には万に匹敵する戦闘人形の群れが列を成して現れる。
最前列に並ぶのは三基の――父と、母と、そして師だ。
「――あたしたちは、これから神を殺す旅に出る! 神の軍勢との戦争だ! 勝手に巻き込んだ者が殆どだ。でも連れて行く、一人残らず連れて行く! ――だから、決して赦さないで欲しい。神を討つその日まで、その時まで。どうか、どうかあたしを赦すな! 神を討った、神の軍勢を滅ぼしたその暁には! この命、小さいかも知れないけど……贖罪のために擲とう!」
片膝を着く戦団は皆立ち上がり、一様に右拳を天へと突き上げた。その拳に剣や槍、斧などの武器を握る者もいた。
しかし喝采は、怒号は、咆哮は無く――静かな静かな、物音ひとつない鼓砲が響き渡る。
「……行こう」
「……うん」
術を解くと、旗槍と共に兵団は消え失せる。全てが霊銀に分解され、レヲンの両腕に刻まれた術式へと還っていく。
涙ぐんだ眦を拭い去り、そしてレヲンは冥と共に歩き出した。
そしてその五時間後、死都に調査に訪れていた【禁書】の構成員たちに発見され、捕獲されたのだ。
――それが、つい三日前のことである。
「えっと……捕らえた、と言うのは?」
「人間でない素性不明の存在が二体、放っておくわけには行かない。だがその片方はお前を出せ、お前と話をさせろと言ってくる始末だ。だから取り敢えず牢に入ってもらって、お前の到着を待っていたんだ。――しかし、あれは本当にシシなのか?」
ああ、とエディは思う。エディ自身、再び再会した時にその変わり様が信じられなかったのだ。
だからエディは務めて詳細に、自分の知る限りの彼女の変貌についてを説明した。ガークス自身はシシのことを知っていたが、しかし知っているという程度だ。顔と名前が一致するわけでは無い。
そしてタルクェス支部に入場した一同から離れ、エディと山犬の二名がガークスに導かれ地下牢へと足を運ぶ。
鉄板で補強された独房の覗き窓越しに見る、およそ一週間ぶりのシシ――いや、レヲン。それを確認したエディはガークスに、早く彼女を出してくれと進言した。
◆
「皆、久し振り! あ、で、こっちは冥ちゃん。ゲオルの研究施設で出逢って、友達になったの」
「……どうも、冥です」
挨拶もそこそこに紹介をするレヲンだが、不愛想な冥の周りを山犬はその匂いを嗅いで回る。
「……同じ匂いがする」
「あー、うん。冥ちゃんはね、山犬ちゃんと同じ、機械人形なんだよ」
「――っ!」
「……まぁ、そういうことです」
中身の問題でその顔に笑みは一切無いが、冥はここぞとばかりにピースサインを顔の横に掲げて山犬を見遣った。衝撃を受けた山犬はたたらを踏みながら二歩後退したが、しかしよろよろと舞い戻っては、非常にキラキラとした双眸でがしりとそのピースサインを取り上げ、両手で握ってはぶんぶんと振り回す。
「妹! 妹が出来た!」
「……よろしくね、お姉ちゃん」
「お姉ちゃんだって! うわー! うわー! あのね、あのねあのねあのね、山犬ちゃんはね、山犬ちゃんって言うんだよ!」
「それ、女の子の名前としてどうなの?」
非常に慌ただしいが、一通りの自己紹介を終え、一同は冥というヒトガタの少女を受け入れる。だが彼女がどのような能力を持っているのかが彼女の口から詳らかにされると、息を飲み、唾を飲んだ。
「……要するにあたしは、あたしを殺した奴を殺して、それで以て蘇ることが出来る。後は……ああ、あたしを殺したくなるように差し向けることが出来たり、ってとこかな。ぶっちゃけて言うと、運動性能は普通の人に毛が生えたくらいだからそこまで期待しないで」
実に不躾な、ぶっきらぼうな物言いである。それを聞いても目の色を、顔の色を変えないのはレヲンと山犬くらいなものだ。
「成程ぉ、ふんふん。囮には最適、ってことだね! でもちょっと、山犬ちゃんと被っちゃってるなぁ」
「そうなの?」
「うんうん。山犬ちゃんもね、どっちかって言うと防御タイプだから!」
エディとミリアム、そしてライモンドの三人が心の中で「どこがだよ」と突っ込んだが、実際に山犬は“神殺し”の三基の中では防御に特化したタイプだと言える。
クルードが心血を注いで創り上げた彼女という機構はこれ以上無いほどの高い再生能力を有しており、そしてその命題により殆ど全ての攻撃を避けることが出来ない。
彼女に刻まれた変身魔術【神殺す獣】は唯一その制約を逃れる攻撃用の変身だが、彼女の真骨頂は寧ろその逆、もう一つの変身魔術である【饕餮】にある。何せ身体能力を犠牲にするとは言え、ありとあらゆる攻撃の全てを自らに引き付けるのだから。
だから彼女が言うように、山犬と冥とではタイプが被るのだ。
冥の使う【自決廻廊】は血液を赤い蜉蝣へと変えて飛ばし、それを取り込んだ対象に自らへの憎悪を植え付けるのだから。
しかし話を聞きながらエディは、二人とも囮として運用する策を自然と頭の中で組み上げていた。
【自決廻廊】で惹き付けた攻撃を【饕餮】で吸い込めば――それは思い付き程度でしか無かったが、十分に試してみる価値はあると思えた。
また、冥という存在が山犬の代わりに囮になると判れば、【饕餮】の代償として山犬という戦力を失うことも無い。山犬を攻撃に運用することも出来るのだ。




