熄まない狂沁み④
その記憶は失われた筈の前時代にまで遡る。
アクティオニス・ダレイアス3世が崩御し、“悠久の帝国”と謳われたモンマルトル神聖帝国がまさかの敗戦。
コロンダニモス公国は一気呵成に帝国に攻め入り、その最中にソルニフォラス侯爵家もまた帝国から亡命を遂げた。
大陸を只管に西へと赴く足取りは重く、日々の糧すら儘ならぬ中で、当時の当主であるエヴァンス・フォン・ソルニフォラスは遂に自らの死を想起した。
亡命したのはいいものの、準備を進めていた受け入れ先の都市で掌を返され、行き場を求めて交易路を進むも幾度となく魔獣は襲い来る。
一人、また一人と共は失われ、連日降り頻る雨の中、エヴァンスは孤立してしまった。
そんな彼にはもう足を進める余力など無く――しかし雷鳴とともに落ちて爆ぜた稲光が彼の目を焼いた。
神の御使いがそこには立っており、エヴァンスは堪らず涙を流しながら懇願する。
どうか慈愛を。どうか奇跡を――――
◆
そんな妄想の物語を聞き流しながら、レヲンはちらりと冥を覗き見た。
とても静かな顔で椅子に座り佇む彼女の視線は伏されており、やはり老狂人の話に聴く価値が無いことを示している。
もう老狂人が語りを始めてから一時間が経過しようとしているが、その口は未だ前時代から抜け出ていない。
剰え、クルードの紡ぐ歴史が本当にあったものかすらもレヲンにとっては疑わしい。
シシであった頃、基礎教養として大陸の歴史は大雑把に習ったが、その中にモンマルトル神聖帝国もコロンダニモス公国も出て来なかった。当然、ソルニフォラス侯爵家なんて似た言葉さえ聞き齧りが無い。
だからレヲンは察した。
ああ、このクルードという老人は、異骸となった際にやはり狂ってしまったのだと。
「そしてワシは心に誓った! 必ずや神を殺すヒトガタを創り上げると! 妄執の果てに復讐を遂げるのだと!」
結局、クルードが語り始めてから三時間四十分強で妄言は打ち止めとなり、しかしその結びこそは彼の根元にある怨嗟そのものだった。
クルード・ソルニフォラスが異骸となった際に取り憑かれ凝り固まった妄執――それは“神を殺すヒトガタを創り上げること”だった。
“神を殺すこと”、それだけでは足りないのだ。あくまで彼の創ったヒトガタが、神を殺さなければ彼の切願は成就されないのだ。
レヲンは知らないが、冥の根幹にある霊核は単なる魔動核の状態では寸分違わない彼女固有の魔術を再現する。
しかし冥という形を得てしまったことで、その復元率は大幅に低下、完璧とは程遠いものとなった。
だがクルードはあくまでヒトガタに拘っている。
だからこそそのままの魔動核ではなく冥という形を拵えたのだ。
「わ、解りました。ありがとうございます」
おざなりな礼を打ち出すことで話を切り上げたレヲンは、再びちらりと冥を垣間見る。
とてもとても涼やかで、それでいて穏やかな表情だった。彼女が機械人形で無く普通の人間であったならおそらくその表情の下で眠りこけていただろう。
しかし彼女は人間ではなく機械人形だと知ったレヲンは、機械人形が眠りを摂らないことを知っている。だからその表情を視認したレヲンの胸中に湧いた想いとは、“あの境地に達するまでに一体どれほどの時間クルードさんの話を聞き続けたのか”という、尊敬に近しい疑問だった。
「それにしても……異世界から魂を剥奪して来るって……」
レヲンが胸に引っ掛かりを覚えたのは、クルードが話し始めてから三時間二十五分辺りを回った頃に紡がれた、四基目である冥の創生についてのことだ。
しかし全てを言い終える前にクルードはレヲンの言及を遮断する。
「問題無い。元よりその魂は、死した世界の中でただ無限とも言える滅びを繰り返すだけの装置に成り下がっていたのだからな」
レヲンは歯噛みした。最後の三十分あたりは、老狂人はきっと本当のこと――自らの歴史そのものを語っていたように思えた。
しかし一番肝心な筈のその部分を聴く頃には、レヲンの脳は疲弊し切っていたのだ。それまでの三時間強、妄想としか思えない言葉の群れに思考能力は蹂躙され、聴いた話を記憶することもその是非を判断することも出来なくなってしまっていたのだ。
だからレヲンには、冥が元々存在していた世界を自らの固有の能力で以て滅ぼし尽くし、延々と巡り続ける死の奔流となった漆黒の闇の中にただ漂っている残滓に過ぎなかった、という部分に対する理解がどうしても出来なかった。
当たり前だ、そんな話こそ妄言だろうと断じれる。だがそれは偽り無く真実であり、そして神を殺すヒトガタを創り上げるという妄執に取り憑かれたクルードは空間魔術で以てその存在を突き止め、遂にはこの世界に召喚することに成功した。
その際に一緒に引き連れてきた死の奔流の欠片に何度か殺されてしまったものの、常に最悪の事態に備えていたクルードにとって自らを殺害されるという事態は対処し得るものだった。
彼はその時には既に異骸だったが、冥の能力は死した者も悠に滅ぼし得た。命の有る無しに関わらず、存続しているものは全て概念だろうと事象だろうと殺し切ることが出来たのだ。
しかしクルードは異骸である前にそもそも魔術士であり、研究者であり、そして技術者だ。そのように自らが殺されても大丈夫なように、替えの義体と魂の転送手段を講じていたのだ。
だから冥の召喚を行ったクルードが冥に纏わりついていた死の奔流によって殺されたとしても、その瞬間にクルードの魂は次なる肉体へと転送されて結びつき、何食わぬ顔で冥の創生に取り掛かれたのである。
しかし何度聴いたとして、それをレヲンが疲れ切った脳で理解するということは到底無理だった。だからそこは諦め、何となく朧気に記憶し、話を打ち切ったところで今度は自分が足りを始めることにする。
下手に質問を投げかけたり聞き返したりすると手痛いしっぺ返しを食らいそうだ、と本能的に考えた末だ。それをクルードは疑うことも無く聞き入れ――そしてレヲンの言葉から天と山犬とノヱルという三基の名前が出て来た時に漸く耳を疑い、次にレヲンの言葉を疑った。
「――いいえ、クルードさん。今しがたお話したことは全て事実です。何ならあたしの記憶を覗きますか? 異世界から悪魔を召喚するほどの魔術士なら造作無いことですよね?」
「――いや、よい。しかし……そうか、あいつらは、動いていたのか」
その言葉に含まれていたのは、切願を命題という形で託した我が子たちの生存を喜ぶような安堵からはほど遠く――だからレヲンは、やはりクルード・ソルニフォラスという異骸は狂ってしまっているんだと何度も認識した。
「では何故だ、何故――何故、神は死んでいない!? どうしてあいつらは神を殺していないのだ!!??」
怒号に等しい声量と抑揚で叫び上げたクルードの怨嗟は、未だ成就されない切願への失意でしか無かったからだ。
“冥”が気になった方、
よろしければ前作「げんとげん」も読んでみてくださいませ。
https://ncode.syosetu.com/n9219ge/




