熄まない狂沁み③
「足元ゴロゴロしてるから気を付けて」
「うん、ありがとう」
クルードより「さっさと連れて来い」と言う指示を受けた冥は、少しだけ足早に来た道を戻る。
その背中をついてきている筈のレヲンは、しかしいつの間にか隣を並走し、目を向ければにこりと微笑みを返して来る始末だ。
何となく――ただ何となく、冥は試してみたい気持ちになった。
この躯体で思い切り駆け抜けたら、この女の子は着いて来れるのだろうか――
「ちょっ、待ってよ!」
用意ドンも無しにいきなり駆け出した冥を、しかしレヲンは当然追い縋る。
欠けた塀に手をついて跳び越え、切り立った岩場を足場に高台へと移り、中空でトンボを切って廃墟の屋上へと着地し、転がりながら立ち上がる。
「ねぇ! 本当にこの道で合ってるの!?」
追い掛けるレヲンは息一つ切らしていない。少し遅れてはいるが、スタートダッシュと地の利のボーナス分がそのままあるだけだ。いや、寧ろ当初の予想よりも突き離していないことを考えると、単純に冥よりもレヲンの方が速いという結論に落ち着く。
それがほんの少し癪だったというだけ――たったそれだけで、何故か冥は意地になり、さらに険しい道を選んでは跳び駆け巡る。
「……勝負、ってことでいいかな? いいよね!」
対するレヲンが獅子の牙を召喚しなかったのは、冥の気持ちを汲んだからだとも言えるが、深く考えてのことでは無かったためにその真相は定かでは無い。
ただそうすることを忘れていただけかもしれなかった。しかしそれはやはり、二人の駆け足が勝負だったからこそ、単純な運動性能の差を比べるという形に落ち着いたのだ。
そこに魔術での跳躍を挟んでしまっては水を差す、そのことをレヲンは天然で察していたのだろうとも言える。
「よっしゃあぁぁぁっ!」
そして十分ほどの長くも短くもある二人の疾走の末、レヲンが冥を追い越したその瞬間。
レヲンは雑な勝鬨を上げてその直線路を転げて回った。
岩盤を削って造られた舗装路は固く、堆積した土埃が盛大に煙となって舞い上がり、冥は目を丸く見開いて戸惑ったがそんなことは知らないと叫ばんばかりにレヲンは力強く立ち上がる。
「あたしの勝ちでいい?」
「……今回はね」
冥は仄かに不貞腐れたような表情と言葉そして態度で己が内の昂揚をひた隠す。
しかしそれを察してか、レヲンの相貌は更に笑みを深め、そして四肢を舗装路に投げ打って倒れた。
「あー、しんどい! ねぇ、何でいきなり駆けっこなんか始まったの?」
「えっと……その場の、ノリ?」
実に素っ頓狂な返答である。仰向けになったその場から上体だけを起こして見詰める先の冥は何だか照れ臭そうである。
「やるなら先に言ってよね。別にやらないなんて言って無いんだから」
「……次からは、そうする」
「うん、是非そうして」
レヲンとて不思議な心持ちであったのは同じだった。
シシであった時分から、彼女には“友達”という存在が一切いなかった。
だからこうして何の目的も無くただただ遊ぶということはレヲンにとって初めてであり、それ故酷く楽しかった。
また、冥の口から出た「今回はね」と「次回からは」という言葉もまた、レヲンの心を震わせるに値した。
二人の少女の形をしたモノたちは、初めての邂逅にも関わらず、互いに互いを好み合った。
父としてのシュヴァイン。
母としてのエーデルワイス。
兄は二人、天とエディ。
姉は一人、山犬。
叔父と叔母にランゼル・ゾーイ夫妻を添えて。
ノヱルは――秘密だ。
そして、レヲンの脳内関係図にこの日、“友人=冥”という図式が加わった。
◆
「ここ」
ノックも無しにドアを開けて上がる冥を追っていた目を、レヲンは周囲へと巡らせた。
徒競走の終わりから更に十分ほどかけて歩いた先に現れたのは、周囲に建ち並ぶそれらと何も変わらない廃墟。
しかしそれはあくまで外観だけの話であり、開け放たれたドアの中身はまるで違った。
ここに来るまで幾つか通り抜けてきた廃墟はもぬけの殻で、唐突にそこで生活していた人々だけがいなくなったかのように生活感に溢れていた。
しかし冥に案内されて入ったその研究施設の中にはまるで命の営む痕跡を感じない――ただただ機能だけがそこにあり、生活と呼ぶには程遠い存在の遍歴だけが居座っている。
それは異様だった。
冥を追って進めば進むほど、命の存在否定が目や肌にこびりついて気持ち悪かった。
「……お前が異獣か?」
「え……何で?」
しかし最も悍ましいとレヲンが胸に抱いたのは。
建物の内側では無く、その罅割れた老人の相貌だった。
それはノヱルと共有した記憶の中で何度も垣間見た、ノヱルたち人型自律代働躯体を創り上げた孤児院の所有者に違いなかった。
“神殺し”を志した狂人――クルード・ソルニフォラス、その人だったのだ。
「まぁ目を丸くさせるのも無理はない、ワシのこの姿を見てな」
俄かに汗が噴き出し、何か言葉を紡ぐには口腔内に溜まった唾が邪魔だったレヲンは、だからごくりと喉を鳴らして嚥下すると、毅然とした態度を取り戻す。
「もう五十年か……ワシが息絶えたのは」
くつくつと自虐的に笑うクルードの様子に、レヲンは今度は目を点にする。
「何がそうさせたのかは定かでは無い。ワシの身体の中に巡る霊銀の恩恵か、それともワシ自身の魔術の才能か。しかしワシの遺志は運命に絡め取られ、そしてこのような姿に――異骸になった」
異骸――死骸に対して霊銀汚染が及び、潰えたのとは異なる仮初の命が宿った一種の異獣である。
しかし異獣に比べ変異の割合は少ないことが多く、故に失踪した家族が異骸となって帰って来ても家人がそれに気付かず、という事件もまた多い。
だが変異は寧ろその内面を強く歪め、特に死の直前に強く胸に抱いていた想いに劇しい程の執着を見せる。
この罅割れた老人は一体何に執着しているのだろうかとレヲンは考えた。もしそれが孤児たちそしてノヱルたちのことならいいな、と。
「見たところお前は、完全に人の姿を保っておきながらその霊的な在り方は完全に歪められている――人の皮を被った異獣そのものだ。しかもその姿は別に、化けているのでも無いのだろう?」
「化け……」
ふるふると首を横に振る。
老いた狂人が得体の知れない笑みを浮かべる。
「興味深い、実に興味深い。お前のことを教えてくれぬか? どうしてそのような在り方に恵まれたのか――語って、聴かせてくれぬか?」
「いいけど……でも待って、その前に」
「何だ?」
老狂人の目の奥には知性の光を感じる。感じるが、しかしどう見てもその輝きは狂った妄執に濁っていた。そしてそれは、異骸と化した者によく見られる特徴だ。
レヲンが言葉を濁したのは、本当にあの神殺したちのことを話してもいいのか、どうにも判断出来なかったからだ。
「あたしたちはまだ出逢ったばかりで、お互いに名前も知らないような間柄です」
レヲンは実際には冥が発した言葉から、目の前の老狂人がクルードと言う名を持っていることを知ってはいたが、その辺りは端折って言葉を続ける。
「ですので軽くでも構いません、あたしのことはちゃんとお話しします。その前に、あなたと、そして彼女のことを聴かせてはいただけませんか?」
「ほう、見返りとしてワシらの情報が欲しいわけだな? 構わんだろう」
何故か交渉という形に着地してしまったが、要求は通ったのでレヲンは何も言わない。
そして一つ咳払いをして、老狂人は語り出す。
狂った思想のもとに歪められた、彼とそして彼女のこれまでを。
“冥”が気になった方、
よろしければ前作「げんとげん」も読んでみてくださいませ。
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