熄まない狂沁み②
「“獅子の牙”」
魔獣の気配を探るのに、これまたエーデルワイスの形見とも言える魔器は役立った。
柄尻を引き下げ、ギミックにより剣身が展開する。パリパリとした紫電が迸り、流し込まれた霊銀により広域に魔術が作用し、それを以てレヲンは周囲の生体反応を察知する。
取り急ぎこちらを狙うような反応は無い――かに思われたが、非常にゆっくりとこちらへと向かって来る反応が一つだけ存在する。
(これ……歩いてる?)
ノヱルの躯体内に備わる索敵機能よりは高性能なその魔術は、反応のおおまかな距離と方角を視覚的に得ることができる。
未だ遠く、しかし着実に真っ直ぐと自分の方へ向かって来る反応に、レヲンはどうすべきかを逡巡した。
(本当にこっちに向かって来ているなら、あたしの動きに反応するよね……)
考えをまとめ、そしてレヲンは真東へと向かい走った。向かって来る反応に対して垂直方向への逃走を試したのだ。
すると反応はレヲンの予想通り、進む方向を変えて追従する。
(迎え撃つ? いや、こっちも向かうべき!)
彼女の手に持つ獅子の牙が孕むエーデルワイスの戦いの記憶。それを読み取ったレヲンはその遺志に従う。
相手が敵であれ味方であれ、常に最悪を想定すること。そして準備をさせる時間を与えないこと。勝てないような強敵であっても、それを先ずは確認すること。
最後のひとつに関しては今はもう敬愛するノヱルのやり方にも合致する。だからレヲンは駆け、ぐんぐんとその隔たりを縮めていった。
そして彼女がその丸く大きな双眸で視認したのは――彼女とさほど変わらない体躯の、華奢な黒い少女だった。
◆
「冥」
時を遡ること、一時間前。
創造主である肌の罅割れた老人に呼ばれた機械人形の少女は、特に何を見るでもなく伏せていた視線を持ち上げ、腰掛けていた椅子から立ち上がって老人を見詰めた。
また、実験か――少女は嘆息するが、しかし老人の用件はどうやら違うらしい。
「都市の北西地区に通常ならざる異獣の反応が出た。空間を転移して来たらしい。珍しい、捉えよ」
少女は無言を貫く。
その反応ならば、老人が研究施設内に拵えた急造の霊銀信号検知器よりもいち早く察知していた。
何分、少女にとってははるかに身に馴染む、死の予兆に溢れていたからだ。霊銀の揺らぎを彼女は感知できないが、死の予兆ならば嗅ぎ取るには容易い――それは少女に込められた能力の一端だった。
しかし少女には何もする気が無い。言い渡されるまではだんまりを貫いていたのだ。
「捉えられなかったら?」
ややくぐもったような、か細い声で言及する。しかし老人の答えはいつだって単純だ。
「お前の能力を使え。それならば相手が勝つことは無い」
何度その返事を聞いただろうか――少女の目の端に映る作業台には、新たな少女の躯体が横たわっている。
冥の人造霊脊に転写された、彼女の霊核に刻まれていた魔術式。それは“自らの死”を発動条件とする。
本来であれば自らを死に追い遣った相手を対象として、魔術は術者と対象とに発生する因果を逆転させ帰結する。
故に、彼女を殺した者は悉く彼女の魔術によって殺され、そして彼女は蘇生する。
本来であれば、そうなるのが彼女固有の魔術だ。
しかし転写された術式は何故かそれを完全には復元せず、その術式が彼女を蘇生させることが無いこともあった。
作業台の新たな躯体はその時のためのものだ。
霊銀を通じて彼女の記録は常に伝達され、新たな躯体へとアップロードされている。だから彼女が概念的な死を迎えることは、新たな躯体が用意され続ける限りあり得ない。
「……行ってきます」
告げる彼女を見送る言葉は無い。
神を殺すという妄執に取り憑かれた老人には、そんな平穏はもうありはしないのだ。
そして憂鬱な気持ちを抱きながら、冥はとぼとぼと言う擬態語が似合う足取りで北西地区へと向かう。
彼女の躯体から滲み出る死の予兆により、彼女から遠ざかる獣はいても彼女に近寄ろうとする獣はいない。
だから彼女に気付いたレヲンが彼女の方角へと足早に駆け寄った時――冥は狼狽えた。
(何で?)
思わず冥の足は止まる。
出来ればさっさと何処へなりとも立ち去ってくれれば良かった。それならば、ただ捉えられなかったと言えば能力を行使することも無く、また老人に言い訳も立つ。
彼女自身は運動は不得意というわけでは無いが、その躯体の出力は一般的な人型自律代働躯体と比べると人間寄りだったからだ。
相手がどのような者かは分からないが、異獣ともあろうモノと本気で追いかけっこをしたなら自分に捕まえられるわけがない――冥の脳裏にはそんな打算があったのだ。
そして互いの距離が凡そ詳細に視認し得る程近まった折――廃墟となった建物の影に隠れていたレヲンは、徐に自らの姿を晒した。
「女の子?」
「うん、あたしもそう思った。吃驚したけど……でも何だか襲いかかって来る雰囲気じゃ無いからさ」
何気なく、挨拶を交わす程度の緊張感で言葉を投げかけて来るレヲンに目を丸めた冥はやはり逡巡した。
異獣が話しかけて来る、だなんて状況は未だかつて体験したことが無かったからだ。
しかし直ぐに顔付きを険しめると、毅然とした態度と言葉で迎え撃つ。
異獣に限らず、魔獣の中には人に姿を変えて騙し打つモノもいるからだ。眼前の姿は自分とさほど変わらない少女かも知れないが、その中身までは判別できない。
それに――嗅ぎ取った夥しいまでの死の予兆。明らかにそれは強者の纏うものであり、だからこそ油断してはならないのだと冥は自分に言い聞かせる。
「あなたは誰?」
「あたしはレヲン。フリュドリィス女王国で天使に襲われてさ、こんな所まで転移させられちゃったんだよね。ちなみにこの辺の人? 道を訊きたいんだけどさ」
実ににこやかな笑みだった。相対している人物を安心させる、しかし弛み切ってはいない表情。
恐らく彼女も自分と一緒だと、本能的に冥は悟る。
相手を、敵なのか味方なのか判断できずに、だからこそ敵であったとしても即応できる体勢を崩していない。
「……あなたは、敵?」
だから冥は訊ねた。
躯体の性能は置いておくとして、彼女自身はそこまで頭の回転が鋭い方では無い。こんな時に正直に訊ねる以外のやり方を、上手く導けない性能なのだ。
面食らったのはレヲン。一触即発になりかねない質問にギョッとしたが、しかし素直に「違うよ」と端的に告げる。
「あたしは本当に、迷子なんだ。迷惑ならすぐいなくなるからさ……本当、道を教えて欲しいだけ」
そして冥にはその真偽を確かめる術は無い。
彼女に分かるのは、レヲンに夥しい程の死の予兆が満ちていることだけであり、それが何なのかすらもよく分かっていない。
だから冥は答えなど出なかろうが考えるしか無かった。そして結局、自分よりも賢い人物に答えを委ねることにする。いつだってそうだった。
「ちょっと待って……クルードさん、聞こえますか?」
その名に、レヲンが微塵ほども反応しなかったのは――かつてノヱルの過去を共有していた筈の彼女は、その実ノヱルたち“神殺し”を創生した狂人がそのような名前をしていることを知らなかっただけのことであり。
それは、かつてレヲンという名だったノヱルにとって、狂人は“創造主”だったからだ。
“冥”が気になった方、
よろしければ前作「げんとげん」も読んでみてくださいませ。
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