喰み出した野獣、刃乱した除者㉓
「山犬、天を乗せて今のうちに塔を登れっ!」
未だ白と黒の煙が晴れぬ中、ノヱルの指示に瞬時に山犬はその身を巨獣へと変える。
天もまたその変身を待たず自らの魂に刻まれた憑依魔術【神斬り武士】を解放し双角を生やし褪せた珊瑚色をその肌に宿す。
「ヴォゥッ!」
「ふふ、行きましょう!」
跳び上がった山犬の背に跳び乗った天牛。二基の“神殺し”は塔の側面をまるで地面であるかのように駆け上がる。
しかしそれを追うように雷条がジグザグと迸り、そしてそれを視認した途端に雷銃に換装したノヱルが幾つもの弾丸をばら撒く。
「――っ!?」
移動を阻む弾幕に慄いた神の雷電は飛び退き、そして空中にて実体を現した。
「サセン!」
しかし入れ違いに飛び上がった無数の紅蓮の蝗。その一匹一匹を、山犬の背に乗ったまま天牛はまるで出鱈目な軌道を描く斬撃で斬り払う。
「グッ――!?」
神の蝗軍もまた空中で集合し赤い天使の姿へと移る。
地上では、水蒸気という形から青い天使の姿へと戻った神の洪水の放った流水の猛攻を、レヲンが開いた“獅子の牙”で展開する障壁により防いでいる。
「上空は任せるとして――“神亡き世界の呱呱の聲”!」
雷銃が吐き出す無数の弾丸が巨大な放電膜を作り上げる。ぱりぱりと迸る紫電は神の洪水の姿を捉えたかに思えたが――激しい衝撃派が齎す地震めいた振動の後に晴れたそこには、決死の形相で手傷を免れた青い天使が立っていた。
「はっ――流石に翼の数が違うな、こいつは楽しめそうだ」
「愚物が……よろしいでしょう、死よりも悍ましい恐怖を叩き込んで」
「“月吼”!」
言葉尻を待たずに“三日月”を振るうレヲン。異獣化により変質した彼女の霊性は、神の軍勢が持つ神性を散らす魔性そのものだ。
故にその一撃はノヱルの【神亡き世界の呱呱の聲】そのものであると言っても過言ではない。
それを察知したからこそ神の洪水は身を翻して流水へと変化させて襲い来る三日月型の斬撃を躱し、そして再び実体を得たところに、今度は猟銃から撃った【神亡き世界の呱呱の聲】の黒い三連星が爆ぜて放たれる無数の追尾弾に顔を蒼褪めて驚愕する。
斯様に大技を連発するものなのか――“神の眼”によって同期した映像は確認しているとは言え、このノヱルという機械人形はそれまでの神の軍勢との戦いにおいて必殺の場面でしかあの神殺しの一撃を繰り出すことは無かった。
神の洪水は智天使三体の中では最も理知的であり、そして最も合理を好む性質を有している。
だからこそ彼はノヱルのその行動が一切理解できない。ノヱルの大技には使用限界があり、それを超えて行使すると休眠期に入る筈だ。明らかにこの頻度は馬鹿げている。
「ぐ、ぐぅうううっ!?」
いくら実体を持たない水へと変化したからと言って、彼の身体を構成する主材は結局の所“火”なのである。それを棄却する魔性は触れただけで穢れとなり、蔓延してはその魂を脅かす。
「どうしたクソ天使? ああ、悪いな。女王国は内陸国だ、海水浴は楽しめねぇよ」
再度その手に握られたのは雷銃だ。開戦してから五分も経たぬうちに連続で繰り出された【神亡き世界の呱呱の聲】は、逃げ場を許さぬ規模で以て青き天使にほぼ何もさせずに消滅を齎した。
しかしそこに、黒く焦げた霊銀結晶は現れない――だからノヱルは舌打ちをしながらレヲンに警戒を強いる。
「あの神の沈鬱って奴と同じ――水で自分の分身を作ってやがる」
「だよね、あんなに弱い筈無いもんね」
エディは落胆する。この場で自分に出来ることは何も無いのではないかと。
しかしノヱルはエディを連れて来た。エディ自身、自分に出来ることがあるならと勇んでこの場にやって来た。
(何が出来る? 俺はこの場所で、何が……)
レヲン同様に、彼は要保護者でも要救助者でも無い。一介の戦士なのだ。
連れて来られたのでは無く自ら着いて来た、その理由を、目的を――それを持ち合わせていなければ、もうどの戦場にも行けないのではないのか。そんな想いに駆り立てられ、思わず塔を見上げたエディを横目に、ノヱルは困ったように笑んで告げる。
「エディ、よそ見するな」
「えっ?」
「お前にも出番は絶対にある。そわそわするくらいなら、何一つとして取りこぼさないよう集中して見ていろ」
「……はいっ」
憧れがそう言うのだ――エディは迷う心を押し留め、真っ直ぐに敵のいた跡地を見遣る。
焦土と化した戦場に立ち上った白い煙が靡きながら集合し、その水蒸気を青い天使の形へと変えていく。
「……随分と焦っておいでですね?」
「そりゃそうだろ。この任務が終わればスティヴァリに戻ってまーたたらふく飯が食えるんだ。山犬が喜ぶさ」
「しかし残念でしたね。ワタシの偽物を相手に、何度大技を使いましたか? あと何発残っているんでしょうか?」
「ああ、使ったのは――葬銃で一発、猟銃で一発、で雷銃二発の、合計四発か。使用限界は五発、だ、か、らー……あー、あと一発だな」
それがどうした、とでも言うような口振りだった。
初めの一発はあくまで荊の兵団を一掃するためと考えても、自らの分身を殺すために三発もの大技を必要とするというのに、それが残り一発であると宣うノヱルの言葉を真に受けない方がいいと考えた神の洪水は、しかしその直後に眼を見開いて絶句した。
「で、これが五発目だ」
いつの間に、その腕から得物が消えていたのだろうか――空間に再び六つの渦が巻き、何も無い空間から砲身が生え出る。
「“神亡き世界の呱呱の聲”!」
そしてその四六口径の砲身から六つの砲弾が斉射される。初めて目にした時と同じ、戦場を焦土へと変える膨大な熱量と規模。
神の洪水は再びその身を蒸発させられ、白い煙へと変貌する。しかし水蒸気である以上、それは滅却されたとは言い難い。
寧ろ最後の一撃をやり過ごしたことで再び青い天使となったその表情は綻んでいた。
(大丈夫――あのヒトガタは休眠期に入るのと引き換えにあと一発を射出すことが出来る。またあの金髪の娘の一撃も威力こそ劣るが神殺しの一撃に相違無い――しかし、それだけならば何の問題も無い!)
まるで悪魔のように嗤う青い天使。その様子に舌打ちしたノヱルと、彼に倣い下唇を噛む表情を見せるレヲン。エディもまた、ノヱルの猛攻が全く意味を成さなかったことに顔を蒼褪めさせた。
しかし――エディは除かれるが、ノヱルの舌打ちもレヲンの表情も、そのどちらもがブラフである。
神の洪水は知らない――当然だ、ノヱルが葬銃を見せるのはこの交戦が初めてである。
だから、その六門の砲身から放たれた高火力大規模の砲撃が、ただの通常攻撃であることを知らないのだ。しかもノヱルは決め台詞をその度にちゃんと吐いていた。その姿もしっかりと“白い悪魔”のそれだった。
葬銃による二発――それは【神亡き世界の呱呱の聲】では無い。
故に、ノヱルの使用限界はあと二発、休眠モードへの切り替えを考えなければそこからさらにあと一発を放てる。
逆にノヱルは、この神の洪水のやり口を知っている。イェセロで相手した神の沈鬱、その上位の存在だと認識している。
故に、本体が何処かにあり、その本体に【神亡き世界の呱呱の聲】を撃ち込めば終わりだ。
そしてその最期の一撃は――――もう一つの新たなる銃、“魔銃”により撃たれることになる。




