喰み出した野獣、刃乱した除者㉒
「で。お前を拐ったって言う天使は何処だ?」
「さぁ……恐らく鐘楼塔に向かって行ったのでは無いかと」
見渡す限りエントランスホールの中に敵影は無い。
敵らしき存在がいないことはノヱルの索敵機能が示しているし、敵意が無いことは山犬の獣の感受性で判っている。
天の霊銀信号検知器は先の交戦で壊されており、未だ修復はされていない。それは山犬には無い機能であるため、山犬の機械細胞群では復元できないのだ。
「“死屍を抱いて獅子となる”――“獅子の牙”」
機構の大剣を召喚したレヲンは想定外の襲撃に対して直ぐに対応出来るよう身構える。
だがホール内は静かすぎるほど静かで、だから五人はホールの奥へと向かう。
王城という名の複合施設は円環状に並んだ施設一つ一つが連絡通路で結ばれており、その中央の広大な中庭の中心に鐘楼塔はあった。
階層で言えば十階ほどの高さ。その頂点には、鳴れば国土全域に響き渡ると言う鐘が設置されている。
そして。
そのすぐ隣に、神の軍勢がこの地へと降り立つための“神の門”は開いている。
「天、お前の刀でここからあれ斬れないか?」
塔の麓でそれを仰ぎ見る三基と二人。ノヱルは天にそんなことを問い掛けた。
「貴様にしては妙案ですね。ですが残念ながら、賤方の“神薙”の射程は20メートルほどです。あの《《裂け目》》には10メートル強足りません。それに……」
「それに?」
「届いたとしても、“神緯”で無ければ弾かれるでしょう」
天の用いる刀技【神薙】は刀身を延長する遠隔斬撃であるのに対し、【神緯】は空間を断絶させる斬撃だ。
天の身ではその両方を併用することは出来ない。
「あたし、やってみようか?」
名乗りを上げたのは“獅子の牙”から“三日月”へと換装を遂げたレヲンだった。すでに握る柄から斧刃へと霊銀が流れ、神性を散らす魔性を編み上げている。
「ちょ、おまっ!」
「せぇ、のっ! “月吼”!」
低い構えから振り上げる動きで三日月型の斬撃を射出したレヲン。回転式弾倉に装填された実包の一つが爆ぜた音を上げ、そして白い斬撃は真っ直ぐに裂け目へと飛来し――通り過ぎた。
「あれ?」
「シシ――いえ、レヲン。あの《《門》》は空間に直接干渉するものでなければああやって擦り抜けてしまう性質があるようです」
「そっか……ちぇっ」
「だから待てって……お前相変わらず人の話を聞かな過ぎるぞ」
唇を尖らせてふてくされた表情を見せるレヲン。その様子を見守っていたエディのぽかんと開いた口は塞がらない。
確か、一ヶ月前は戦いを知り始めたばかりの、戦闘要員とも呼べないくらいの――――
(……負けていられないっ)
結んだ口の奥でごくりと唾を飲み込んだエディは気を引き締める。
そして一行が塔に踏み入ろうと、堅く閉ざされた門に手をかけようとした、その時。
「――敵襲っ!」
伸ばした手を引き込めて振り返ったノヱルが声を上げた。
ほぼ同時にその気配を察知した山犬はすでに人造霊脊を円転させ、また霊銀の揺らぎを感じた天も即座に左手で鞘を握る。
レヲンは得物を再び“獅子の牙”へと換装させ、そしてエディは腰の鞘から直剣を抜き放って身構える。
広大な中庭を、埋め尽くすかと思われるほどの人影。百人はいるのではなかろうか。
天と山犬は目を細め、対照的にエディは目を見開いた――襲撃者の格好は、調査団の旅路に時折現れたそれらとまるで同じだったからだ。
真なる人族だけではない。七つ指族も、爪と牙賊も、食べる人族も。
多人種の混成部隊。それが、空間転移の魔術を使ってその場に突如として現れたのだ。
そして天の知る限り――現存する空間転移の魔術は一つしかない。神の軍勢の使う、あの“神の門”しか在りはしないのだ。
「……一応訊きますが、貴方方はどちら様でしょうか?」
問う声は風に消え、再び静寂が両者の間に鎮座した。
しかし、予想外の場所からその答えは《《降って来た》》。
「彼らは“聖天教団”が擁する掃討集団」
「名を確か――」
「“荊の兵団”!」
青と赤と黄。それぞれの配色を宿した三体の天使が上空から舞い降り、両者の狭間に降り立った。
緊張は高まり、空気は一瞬にして張り詰める。
「その、なんちゃら教団が己れたちに何の用だ?」
ノヱルだけは銃を用意せず、一番奥で塔を背に棒立ちのままで一団を睨み付けている。
天使たちはその様子にそれぞれの顔をにたにたと綻ばせながら余裕を見せつける。
「あれか? この地に秘匿されている“原初の火”でも探しに来たか?」
しかしその余裕の表情は、ノヱルの発言によって棄却された。
三体の天使たちが険しい顔付きとなると同時に、その後ろに犇めく“荊の兵団”たちが騒めき出す。
「ノヱル。“原初の火”とは?」
「ああ。人間が遥か太古の昔に、神様とやらから《《奪い去った》》最初の“火”だ」
騒めきはどよめきとなり、その言葉にレヲンやエディまでもが驚嘆する。
山犬は首を傾げ、険しくも涼しい顔をするのは天使たちだけ。
「奪い去ったって……?」
「歴史上の出来事ってのは大抵歪められて伝わるもんさ。人間に流布されてるんだから人間にとって都合がいいように書き換えられてるんだよ。聖典には神から賜ったって書いてあるんだろうが、実際には“火”は人間が神から奪ったものだ。違うか?」
三体の天使のうち、青を宿す神の洪水がふふふと笑んだ。
しかし彼が放った回答は、誰しもが望むものでは無かった。
「知らないんですよね、申し訳ないのですが。何分、ワタシたち三体は創られて間もないですから。ちなみに、アナタが知っている本当の歴史というのは、どのようなものだったのですか?」
「そうそう変わらない。ただ、人間が神から奪ったか神が人間に託したかの違いだ。そもそもそのどちらだったかなんて今判る筈も無いしな。言ったもん勝ちってもんだろ――ところで天使と、なんちゃら教団。お前らの中で死にたくない奴がいたら少しだけ待ってやるからさっさとどっかに行け」
「は?」
ざわざわと声の上がる中、ノヱルの身体から呪詛のような黒い瘴気が滲み出てくる。
その肌が段々と蒼白く褪めていき、額からは角が皮膚を裂いて伸び出て来る。
「一門につき十五秒、装填は五秒。これだけ時間かかるんだ、半端な威力じゃ無いだろうな」
創り上げたのは自らの筈なのに、《《白い悪魔》》は自虐的に呟き、そして嗤った。
その得体の知れない様子に、天使たちは理解できず固まってしまい、荊の兵団もまた戸惑いの中で身動きできず。
「もういいか? いいなら撃つぞ?――“銃の見做し児”……“葬銃”」
告げると同時に、ノヱルの背後の空間に光が灯る。
光は六ヶ所、それぞれを中心として渦巻き、極彩色の扉が開かれた。
現れ出でるは六つの砲門。口径は46センチメートル。
「己れは警告したからな? じゃあ約束通り――」
あれだけの口上を述べる最中、ノヱルはその裏で円転させる人造霊脊でその新たな銃を創成していたのだ。
しかしそれは巨きく、重く、非常に時間のかかるものだった。その上その間は彼は全く動けなくなってしまうのだ。だからこその口上、だからこその問答。
そして六門全てに神性を殲滅する魔性の砲弾が装填された。
後は、射貫くだけ――――ノヱルは天使たちを指差し、最後の口上を告げる。
「――“神亡き世界の呱呱の聲”!」
光が劈き、爆炎が支配した。白煙と黒煙が立ち込め、衝撃波は壁を瓦解させ土と瓦礫と粉塵とを舞い上げた。
中庭は焦土となった。
黒く焦げた百に届き得る影が、色濃くエントランスホールの外壁に刻まれていた。