喰み出した野獣、刃乱した除者⑳
ヴェストーフェンを突き抜けたノヱルたちはもぬけの殻となった街並みに眉を顰めながらしかし全速力のまま女王国を目指す。
その最中、西端のアリメンテの街に差し掛かった際に一体だけ捕食者と遭遇したが、視認した途端に具現化した“三日月”を振り払ってレヲンの射出する繊月の斬撃がその丸々とした胴体を両断し、そしてそれ以降は街を抜け出るまで捕食者に遭うことは無かった。
乾いた風の吹き抜ける荒野から不蝕鋼の森へと入った彼らはそのまま森を抜け、黒く焦げた建物の隣にノヱルは輸送車を横付ける。
「旦那、もしかしてここが……」
「ああ、そうだ」
車から降りてその風貌に目を細めたのはノヱルだけでは無い。かつてまだその身に刻まれた術式が【銃の見做し児】だった頃、霊的に繋がっていたレヲン――シシはノヱルからそこでの記憶を得ている。
「お墓、中庭だったよね」
来たことなど無いと言うのにレヲンは勝手を知る様子ですたすたと焼けた土の上を進み、嘆息したノヱルもそれを追う。
正面から入っても良かったが、目的であるクルードの研究施設は中庭にほど近く、またノヱルも十人の孤児たちの墓に顔を、そして手を合わせておきたかった。
「ま、待って下さいよ!」
「あなた、私も行くわ!」
ランゼルとゾーイも慌ててその背に追従する。
目覚めてからこの場所を発って一か月少しが経つが、相変わらず焼けた土に草は生えていない。
しかし却って剥げ上った庭は墓の様子を一目で伝えてくれる。
「……ただいま。っつっても、直ぐにまた行くんだけどな」
墓は前後に二列、五つずつ横に並んでいる。
クルードの作った瓦礫の墓標にはひとつひとつに彼らの名前と、そしてその下に祝福を願う言葉が刻まれていた。
膝を着き、それらを見渡したノヱルは合掌を作る。隣でレヲンもそれに倣い、また遅れてやってきたランゼル夫妻も従った。
ノヱルが欠けた左脚を修復する間、レヲンとランゼル、ゾーイの三人は孤児院の中の様子を隈なく見て、そしてやがて自然とそれを片づけ出した。
瓦礫のひとつひとつを表に運び、倒れた棚を起き上がらせて。
手や服が煤だらけになったが、修復を終えたノヱルが縫製機能をフル回転させて新たな衣服を三人に手渡した。
「改造はしたの?」
「ああ、一応な。でも本格的なのは王城の地下に行ってからだ」
「どんな改造?」
「索敵機能の範囲強化。ちなみに、近くまで山犬たちが来てるな」
「えっ、本当!?」
「ああ。このまま王城へと向かえばそのうち合流できる」
そして運転をランゼルへと交代したノエルは荷台へと上がり、レヲンとともに飛来する天獣の群れを撃ち落とす。
左脚の具合も、新たに調整をし直した躯体そのものの性能も上々だ。
「新しい銃は?」
そしてイェセロにて更に限界を超えたことにより新たに二種の銃を発現出来るようになったノヱルだったが、レヲンには「まだ使うような相手がいない」と言い捨てた。
「試運転とかしないの?」
「今回採用した機能はどちらも時間がかかるからな。天使とかちあうことでもあれば試してみるさ」
「ふぅん……そっか」
「さ、次だ次」
「はぁい」
そして再び飛来してくる天獣の群れを標的に、一基と一人はどちらがより多く撃ち落とせるかを競い出した。
結果は、やはり遠隔攻撃の得意なノヱルの圧勝だった。
◆
「しぃっ――」
天獣とは違う気配が近付いて来ている気配に気付いた山犬が後続の足をも止めた。
しかし気配の種類が異なる――殺意どころか悪意・敵意を感じず、だが確実に自分達へと向かってくる動きに眉根を寄せた山犬だったが、やがてその匂いを嗅ぎ取ったことでその表情が明るくなった。
「よぉ――随分と慎重だな」
「ノヱル君!」
彼女が【神殺す獣】の形態のように尻尾を有していたならぶんぶんと大げさに振って見せただろう。十日という期間は彼女には長く、だからこそその再会は言いようのない喜びを山犬に齎した。
「エディ」
「えっ……シシ?」
そして調査団の面々は彼女の変わり様に驚き、その経緯を聞いて項垂れた。
【禁書】最強とも謳われた戦士が亡くなったのだ。それも、亡き者にした天使の位階は主天使――これから戦うだろう三体の天使よりも低い。
「……天が単身? まぁ十中八九やられてるんだろうな」
「やっぱりそう思う?」
一行は地下水路から這い出て表通りを王城へと進む。時刻は夜に差し掛かっており、天獣の行動は鳴りを潜めている。
輸送車ごと突っ込みたかったが、如何せん人数が多すぎた為、ランゼルとゾーイ、そしてサリード、バネット、ミリアムの五人が残ることになった。
ランゼルには無線通信機器の片方を渡してある。いざと言う時には出張ってもらう必要がある為、原理主義者チームの三人はその護衛役だ。
「時間が微妙だな……改造は後回しか」
アスタシャを含む沈む人族チームは地下水路にて待機。輸送車で全員を運べない以上、逃げるとなれば地下水路を引っ張ってもらった方が良いからだ。その際は輸送車で地下水路の入口まで乗り付け、そこからは舟でスティヴァリまで逆戻り、という経路となる。
だから結局、王城へと向かうのはノヱルと山犬、そしてレヲンとエディ。
ノヱルを想う二人が両隣に並ぶが、当然ノヱルはそのようなことは知る由が無いし、きっと知っていたとしても「だからどうした」と言い放っただろう、右の側頭部を掻きながら。
一人取り残されたエディが後ろを着いて行くが、彼にとってノヱルはすでに憧れるべき英雄だ。少しでも役に立とうと周囲を警戒しノヱルの両隣の二人の様子には気付かない。
「っつーか、水中を潜行してくる天使とか卑怯じゃないか? あいつら、炎で出来てる筈だろ?」
向かう最中でノヱルは愚痴を零す。
炎で出来ている以上、水に弱いというのは【禁書】でも共通認識だった。神の軍勢がスティヴァリをそこまで攻め立てなかったのも、そこが水上都市だったからであり、迂闊に降り立って海に落ちてしまえば無様に命を散らすからだ。
それが、イェセロを強襲した神の沈鬱、そして三体の智天使の一角である神の洪水という、水を操る新種が現れた。
「恐らく……神の軍勢が“火”を取り戻したんだと思います」
「“火”?」
火――それは人間が文明を得るに至った、神から賜った概念的財産。ノヱルも山犬も、その物語をこの世界の“創世神話”としてその知識を記録保持機構に蓄えている。
エディは語る。その知識を、レヲンが持っていなかったからだ。
◆
遙か太古の時代。
まだ人間は真なる人族しかおらず、故にその名すら持ち得なかった遠い昔の物語。
およそ文明、文化を持たず、漸く言葉という概念を作り上げ意思疎通による最初の繁栄が人間に兆し、それを機として神は人間に“火”を与えた。
それは虹色の輝きを煌々と放つものであり、揺らめく輝きを空へと立ち昇らせる姿からそう呼ばれていた。
また、そのままにしておくと勢いを失い始め、何かを燃べ続けなければ存続しないという特性もその名の由来の一つとなった。
火は人間を温めただけでなく、闇を照らし、食物を焼き、やがて人間は知恵を得た。
故に彼らは火を焚いては供物を燃べ、“祈り”という行為を生み、そして“信仰”が広がった。
社会を創り上げた人間は寄り添い合ったが、やがて彼らの中に“身分”が生まれ、寄り添い合って暮らしていた彼らの一部は他者に寄りかかって生きるようになる。
それを善しとしない強欲者、傲慢者たちが互いに離れた土地に自らを頂点とする都市を築き、しかし増えゆくばかりだった人間のその行為は世界の拡張へと繋がるように見えたため、神は喜んで彼らを見守った。
もはや人間は火が無くては生きていけず、都市は火を奪い合い、やがて樫の木の枝に灯して火はそれぞれの都市に“種火”として分かたれた。
それぞれの火種はそれぞれに異なる知恵と文明を人間に授けた。
それは冶金であり、蒸気であり、電気であり、科学であり、そして魔術であった。
しかし人間に火を渡してしまった神は、どんどんと増え続ける人間の数にやがて頭を抱え出す。
人間には一人につき一体ずつの守護天使がいた。
しかし彼ら天使は火から創られる。潤沢にいた筈の天使たちも、人間の繁殖力の前にとえとう数に不足が見え始めた。
このままでは人間はいつか過ちを犯し、世界を滅ぼしてしまう――そう危惧した神は、人間に火を返すよう声を投げた。
しかし人間は火を神に返さなかった。
神の説得は続いたが、人間は一向に火を返そうとしない。
人間たちは恐れていたのだ――火を手放してしまえば、ここまで築き上げてきた文明が崩れ去ってしまうと。
そして業を煮やした神は、遂に人間から火を取り返すことを決断する。
“神の門を開き、今いる天使たちを投入し、それぞれの都市へと攻め入った。
しかしこれを予見していた英雄たちは武器を取って立ち上がり、火から得た知恵で創り上げた様々な文明の利器も持ち出して応戦した。
そして都市の民たちは息を合わせ都市の水門を開く。
何せ相手は火から創られた存在だ。鉄砲水に飲み込まれれば、ひとたまりもない筈だ――もはや自分たちもどうなるかさえ見えていない狂気の沙汰が、都市諸共天使たちを飲み込んだ。
洪水に飲み込まれた人間だったが、一握りの存在がその難を逃れていた。
彼らはいつかこうなることを予見し、秘密裏に方舟を造り上げていたのだった。
そして新たに降り立った大地で再び人間は繁栄の兆しを見せ始める。
火の大半が失われてしまったが、生き延びた人間はごくごく小さな“種火”を持ち出していたのだ。
そしてその小さな篝火の下に、これまで現れなかった新たな人類が集い始める。
神がその後どうしたのかについての記述は無い――火を失った絶望から病に臥してしまったと記されている文献もあるが、定かでは無い。
確実なのは、もう人類を守護する天使はおらず、そして人間は神の庇護を離れ、自らだけの足で立たなくてはいけなくなった。
――――それが、この世界の創世神話だ。




