喰み出した野獣、刃乱した除者⑪
「マジかよ……俺、泳ぎ苦手なんだよなぁ……」
ライモンドがうへぇ、という顔で嘆息した。
一同はこれから、面通しのためにキユラスの待つ集会所へと案内されるのだ。
「さっさと行くぞ」
神の軍勢、とりわけ天使や上位の天獣には“神の眼”という、知覚を共有できる能力が備わっている。
廃都ノルドにて能天使・神の咀嚼と幾多もの天獣を屠ったことは既に知れている。次なる襲来が来る前に、一同は身を隠す必要があった。
「一点、よろしいですか?」
「何?」
出発前、天が小声でアスタシャに訊ねる。視線を寄越さないところを見ると、どうやら他の者には聞かれたくない話らしいと察したアスタシャもまた、隣を見ないままで会話する。
「この地の沈む人族の集落の位置は、貴女にしか分からない、でよろしいですか?」
「……正直に言うと、私にも分からないんです。だから、あなたが彼女たちと話をつけてくれて、とても助かっています」
「成程……ありがとうございます」
そして一同は戦士たちに導かれ、水路に埋もれた入り口からその集会所へと入った。
傷の手当をしながら、一同は沈む人族を交えて今後の流れについてを話し合う。
そこで飛び出てきたのが天の離脱だ。当然一同は目を見開いて絶句した。
「そういう契約なのですから、仕方がありませんよ」
唯一山犬だけは、興味無さそうに建物の内観に視線を巡らせていた。
「なので、女王国での任を終えましたらお別れですね」
「そんな……いくら何でも急すぎない?」
いつも後部座席で一緒だったミリアムが狼狽する。天は頭を振る。
「別れなんて急なものですよ。しかし今生の別れでは無いのですから、寂しがることはありません」
「うん……」
「でも、“神殺し”はどうするんだ? お前の命題なんじゃ無かったのか?」
サリードが沈む人族の一人に肩に包帯を巻かれながら言及した。白いガーゼのものではなく、薬効のある海藻の繊維を縒り合わせて作られたもので、やや固く厚みはあるが肌触りが心地よい代物だった。
「そうですね……貴方方に託しますよ」
その言葉を聞き入れ、エディはふと隣の山犬を盗み見た。つまらなさそうに欠伸を一つして眦を濡らした少女は今にも寝入ってしまいそうだ。
(この人達にとって“神殺し”は命題でも、最優先事項じゃない……)
何とも不思議な話だった。自律しているとは言え、ヒトガタは機械であり道具だ。道具とは、与えられた役割・命題を全うするものであり、そのために洗練された形状と性質を持つものだ。
それに引き換え、ヒトガタはあまりに自由すぎる。エディは他のヒトガタを知らない。それを生産していた女王国は六十年も前に滅びてしまっているからだ。
他の国に輸出されたものが今も生き残っている可能性はあるとは言え、新たに他所の国で創られている、という話も聞いたことが無い。
役割を全うする道具にしては、余りにも自我が強すぎるのだ。自らの役割を他者に託す道具など聞いたことが無いし、在ってはならない筈だ。例えるなら鋏が定規に向かって、「お前明日から俺の代わりに紙とか切ってくれ」と言うようなものだ。在り得る筈が無い。
山犬は言った。ノヱルは神殺しなんてどうでもいいと思っている、と。ただ、神の意思によって可愛い十人の孤児たちを喪ってしまったから、その悲しみに浸り、そこから沸き起こる遣る瀬無い気持ちをぶつける先が分からなくて、だから神殺しに従っている振りをしているんだと。
それは何て、滑稽で、愚かなんだろう。そうエディは思い、そして思ったことに気付いて慌てて心の中で頭を振った。
ノヱルは強い。自分では到底無理だろうと思われた上位の天使にも打ち勝ったし、またシュヴァインがシシを庇った際に、誰よりも早く彼を犠牲にするという選択をした。
誰も、そんな選択などしたくなかった筈だ。けれど見捨てずにあの場を切り抜ける方法もまた無かった。
そしてシシに対し自らを憎むように仕向け、どうにか生き永らえる道筋を構築した。
瞬間の判断力が迅速で適確だ。そんなノヱルにいつしか「こんな風になりたい」とエディもまた憧れを抱いていた。
天も、山犬も。
エディにとってはこれ以上無い強さを誇る、究極の英雄像として彼らは映っている。
事実、この旅に於いてエディは大任に抜擢されたが、あの二人を引き連れることを請願したのは彼だ。より身近に居続けることで、シシがノヱルやエーデルワイスに鍛えられている間、自らもより高みに上っていきたいと考えたのだ。
しかしこの旅で思い知ったのは、理想とはかけ離れた二人の性質だ。
山犬は本当に、食べることとノヱルのことくらいにしか興味が無い。つまらないと感じた時は眠っているし、その精神性は殆どお子様だ。
彼女の強さは精神性から来るものじゃなく、ただ単純に組み込まれた機能の違い・組み上げられた躯体の性能差だ。とても、エディには真似できない、できる筈が無い。
そして天は、良くも悪くも自己中心的過ぎた。
何度かその戦いを目にしている内に、どうにか彼の腕が刀を振るう姿を視認できるほどに動体視力は向上し、彼の放つ【神薙】が周囲の霊銀を急速に取り込み瞬間的に刀身を延長させているのだと知れるほどにはなった。
しかしやはり、人間とヒトガタは違い過ぎる。エディが思い知らされたのは、自らは彼らの様にはなれない、という事実だった。
そんな彼らの一人が今、神殺しから離れると口にしている――それはともすれば神を殺せなくなってしまうかもしれないという懸念に繋がる。
だからエディは結んだ口の奥で、彼を引き戻す言葉を探していた。見つかりそうには無かったが、しかし彼は探し続けた。
神は殺さなければならない――だから、天は引き戻さなければならない――そう考えて、ふと、思ってしまった。
どうして、神を殺さなければならないんだろう。
神は殺すものだと叩き込まれて育った少年は、その理由を何となくでしか考えていなかった。
人間をいずれ滅ぼすから。でもじゃあ何故、神はそうしようとしているのか。その理由さえ無くなってしまえば、別に殺さなくてもいいのかもしれない――
それに気付いてしまった彼は、天を引き戻す言葉をもう探していない自分に気付き、ぎょっとして天を見詰め、そして隣の山犬を見詰めた。
山犬は、とてもとてもつまらなさそうな顔で、とてもとても嘘くさい笑みを浮かべて構成員たちと話している天を、細めた目で眺めていた。
◆
「今夜は、先約がありますから」
その夜はスティヴァリの沈む人族による宴が齎された。
神の軍勢を見事退けた勇士たちに労いを、とのことで、天との交渉を終えた直後にキユラスが主導で準備を進めていたものだった。
猟師たちにより集められた近海の魚をメインとした新鮮な魚介料理が並び、ここまで缶詰をメインとした軍用携行食をしか摂れなかった調査団一行は全員が顔を綻ばせた。
料理に舌鼓を打つ一同。快く迎え入れてくれる沈む人族の女性たちも温かく労いの言葉をかけ、その宴は実に楽しく時を忘れさせた。
しかし山犬はどういうわけか彼女らしくない態度を続けていた。彼女をよく知る者ならはしゃぎ、喰い尽くす勢いで貪る彼女を想像するだろう。しかし彼女は全ての皿の料理を一口ずつ食べるとそれだけで食事を終え、先に席を立った天を探して建物内を歩き回った。
そして彼を見つけ、話をしようと声をかけた折に断られた言葉がそれだ。
「先約って何?」
「これからのことについて、キユラスさんとお話をしないといけないので」
「別にでも朝までかかるわけじゃ無いでしょ」
「それが、朝までかかるんですよね」
やけに含みを持たせた言い方だ。山犬は可愛らしい顔貌のままで睨み付けると、「もういい」と踵を返して戻っていく。
そして宴の会場に立ち戻った彼女は、言わずもがな、その場にあった全ての料理を腹が立つ勢いのままに食べ尽くした。