喰み出した野獣、刃乱した除者⑥
「ノヱル君もね、本当は“神殺し”なんてどうだっていいんだよ」
「どう……だって、いい……?」
アスタシャは目を泳がせながらまたも問うた。その言葉は本来【禁書】では禁句であり、それを吐いて許されるのはイェセロ支部においてはエーデルワイスくらいのものだった。
運転手を務めるライモンドも、助手席で案内役を務めるエディも。後部座席の二人の会話――というよりも山犬が何を言うのか――に耳を欹てた。
「うん、どうだっていいの。でもね、ノヱル君はとっても優しくて……そしてとっても悲しいから」
「悲しい?」
「うん。悲しいの、ノヱル君――――ずっとずっと、あの子たちの影を追ってる」
追憶のように遠く虚空を見詰める山犬の目は薄っすらと潤んでいたように見えた。その表情が劇的で、俯くのも忘れてアスタシャは見入ってしまった。
「ノヱル君の躯体には、かつて生前の山犬ちゃんたちが守りたかった、十人の孤児たちの魂が宿ってる。それを媒介にしたのが“銃の見做し児”って魔術だから。でも魂が宿ってるもんだから、ノヱル君はふとした時にその子たちの記憶をね、思い出してしまうんだよ。変だよね、自分の記憶じゃないのに思い出しちゃうなんて」
ごくり。アスタシャが堪らず唾を飲み込んだ。気にせず山犬は語り続ける。
「生前のノヱル君はね、狩人だったから全然孤児院には帰って来なかったの。帰ってくるのは決まって、鹿とか、そういうご馳走を狩って来れた時だけ。だからね、あの子たちはノヱル君のことがとっても好きだった。だって、ノヱル君が帰って来る時ってのは美味しいものが沢山食べられる時だから」
「……はい」
「でもね、あの子たちの“好き”は食べ物だけじゃ無かったの。ノヱル君はぶっきらぼうだったけど、あの子たちのお話はいつもちゃんと聴いてたし、読み聞かせして―とかってお願いごとにも付き合ってたし、山犬ちゃんよりも教えるのが上手だったりしたんだよ」
「教える、ですか?」
「うん。例えばね、動物や植物の見分け方だったり、物の手っ取り早い数え方だったり、読み書きは山犬ちゃんの方が上手に教えられたけど、でもあの子たちはノヱル君から何かを教わってる時が一番キラキラしてたかもしんない」
「はぁ……」
「そんなことは一切口にしなかったし、そんな素振りも一切見せなかったけど――ノヱル君はきっと、あの子たちのこと、段々と好きになって行ったんだと思う。だからね」
「だから?」
「うん。だから、――神の軍勢に奪われた悲しみを、生まれ変わった今もずっとずっと引き摺ってるの」
「……はい」
それはよく聞く話だった。【禁書】の構成員の殆どが、神の軍勢に何かを奪われた者たちだ。
ある者は祖国を奪われ、ある者は家族を奪われ、或いは友人や恋人を奪われた。
神の軍勢による“粛聖”はひどく期間が長い。それはずっと行われ続けているのではなく、どういうわけかは知らないが断続的に、ひとつの国が終われば長らく行われなかったりするのだ。
一番最初にそれが訪れたフリュドリィス女王国から数えると、すでに五十年以上が経過しているのだ。そしてそれはまだ終わっていない。大陸のまだ東半分は、奪われないまま存続し、“粛聖”が来ないことをただただ願っている。
「本当はどうだっていいんだよ、神殺しなんて。でもあの子たちを喪った悲しみを、どうすればいいのか分からないから、与えられた命題に従うふりしてるの。本当に赦せなくてどうしても自分の手で神を殺したいって願うんだったらさ、おんなじ目標掲げる組織になんか手貸さないでしょ?」
「え、そうですか?」
「そうだよぉ。だって、獲物横取りされたら復讐出来なくなっちゃうぢゃん」
「あ……」
そこで漸くアスタシャは納得した。前方にいる二人も同じだった。
ノヱルにとって“神殺しなどどうだっていい”ということと“神殺しという命題に従う”とは両立する。それは、“神を殺せるのなら誰がそれをやってもいい”ということなのだ。
しかしそれは同時に、ひどく合理的で、ひどく無感情な命題のように思えた。流石機械だと、ライモンドは心の中で独り言ちた。流石に口には出せなかった。
「だからね、……ノヱル君は優しくて、悲しいの。神殺しの命題が終わるまで、楽しいこと全部封印しちゃってるくらいなんだから」
「そう、なんですか?」
「え? でもアイツ、よく笑って無いか?」
ついライモンドが応じてしまった。告げて直ぐに『しまった』と気付いたがもう遅い。隣のエディにも、盗み聞きしていたのがバレたような後ろめたさが湧き上がる――決して盗み聞いていたのではなく、声量の関係で丸聞こえだったわけだが。
「うん、昔と違ってね、よく笑ったり怒ったりするようになったんだよ。でもね、それは周りの皆に気を使ってるんだぁ」
「気を使ってる? 何で?」
咎められなかったことにほっとしたライモンドが続けて質問する。聞かれていたことを全く意に介さない様子の山犬は溌溂と答える。
「いつも顰めっ面だと、協力できないでしょ?」
「ああー、社交的に振舞ってんのか……」
「……健気なんですね、ノヱルさん。確かに初めて会った時は粗雑で、ぶっきらぼうな人でしたっけ」
エディは食肉の楽園にてノヱルと邂逅を果たした際のことを思い出した。あの頃は互いに互いのことを知らず、今思えば随分と失礼な口を利いたものだと自らを叱責した。
「そっか、エディ君は気ぃ使ってないノヱル君に会ってるもんね?」
「そうですね……俺も割と、失礼な言葉遣いをしていましたけど」
思い出せば、牢から出して同行した直後に現れた天使の一団を相手にした際に、ノヱルに対して『そこまでじゃないか?』なんて嘲りを吐いたエディだ。その認識はその後上位の天使と相対した際に覆され、ノヱルたちは確かに“神殺し”だと再認した。
そう言えば、あの時の言葉の無礼を、まだちゃんと謝れていないな――そんなことをエディがふと考えた時。
ライモンドが思い切りブレーキペダルを押し込み、慣性が四人の身体を前方へと急速に倒した。
後部につくもう一台も、その急ブレーキを視認すると同時にハンドルを切りながら急停止を試みた。
どうにか大した事故にはならずに済み停まった二台。
その前方には、湧き上がるように出現した巨大な魔獣が、道を塞ぐように立っていた。
飛び出るや否や、二台の前へと踊り出て独特の構えを見せたのは天だ。
もはや刀に頼らないなどとは言ってられない。あれは一時の気の迷い、戯事だと頭を振った。
白鞘に添えた左手から“悪意”が染み込む様な気配があったが、蒼い髪が半ば隠す双眸で魔獣を睨み付けることで無視した。
「わぁ、大っきいねぇ!」
隣に立ち並んだ山犬がその巨体を仰いで円い目を輝かせた。大きいというのは、彼女にとって沢山と同義だ。あとは味の良し悪し――べろりと唇を舐めずる舌は実に肉肉しい質感と照り返す湿潤を纏っていた。
六人も車両から出で、アスタシャとミリアムの魔術士組は腕輪型の術具を輝かせて魔術展開の準備をする。
ライモンドとバネットは車中にいる時も肌身離さず身に着けていた小さな鞘から短剣をすらりと抜く。
エディとサリードは車両後部へと回り、収納部からそれぞれの得物を取り出しては確りと握る――エディは直剣、サリードは弩だ。
「――反応多数!」
躯体内の霊銀信号検知器に増えた反応をそのまま声に出した天は、調査団を挟撃するように左右に展開された増援の右舷に対し、覚悟を決めて抜き放った白刃による【神薙】を繰り出す。
瞬間、延長された刀身は目にも映らぬ速度で八人の襲撃者の身体を上下に分けた。
目を見開いて驚愕した調査団だったが、山犬だけは眼前の巨獣へと駆け寄っている。
「山犬ちゃんパンチ!」
ただ拳を握り固めて振り出しただけの一撃は、鼻の代わりに無数の伸びる触手を生やしたような象の形をした巨獣の右前足を粉砕した。絶叫の直後にびゅるびゅると伸びてきた触手は山犬の小さな身体を捉えたが、次々に山犬はそれを引き千切った。
「うえ、美味しくなーい」
苦い顔をしながらも、千切った触手の欠片を口に入れ続ける山犬。
「ぼさっとしてんな!」
サリードが矢を放ち、エディたち調査団も加勢する。
襲撃者の数は16人。魔獣の数は1体。しかし倒しても倒しても次が現れ、結局合計で襲撃者は54人、魔獣は違う種のものが3体にまで膨れていた。
息を切らしながら調査団はその場に座り込み、傷ついた者は手当を始める。
流石に数の多すぎる餌に山犬は【神殺す獣】の形態へと移ろい、黙々とバクバクと57個の命を嚥下した。
(やはり……これは……事前に用意された罠)
右舷および左舷、そして魔獣が現れた場所を丁寧に調べていた天は、その地面に微かな霊銀の焦げた残滓を確認した。
それは、何らかの魔術がそこで発動した形跡を表す証拠に他ならなかった。




