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喰み出した野獣、刃乱した除者⑤

 天に許されているのは、ただ授けられた白鞘に納められた刀――“牛”を振るうことだけ。

 そして“天”と“牛”とが揃って初めて、一基目は“天牛”(カミキリムシ)という“神殺し”になる。


 しかし刀の方にも人造霊脊(スピナルコード)を備える関係で、天とは別の魂を込めなければならなかった。それが“牛”と呼ばれる魂だ。

 天は牛を好ましく思っていない。寧ろ、この世で最も厭う存在として認めている。

 牛は好戦的、というよりは殺戮的だ。何しろ斬って斬って斬り尽くし、命を奪うことを善しとする。剰え、その行為を“真なる自由を齎す”と宣うのだ。同じく自由を声高にする天にとっては堪らない。


 天と牛とでは、自由の認識が違う。

 天の掲げる自由とは“他の何にも因らず自らの内より生まれ出でた意思”であるのに対し、牛の認める自由とは“ありとあらゆるを縛らず、ありとあらゆるに縛られないこと”だ。


 その在り方は馬鹿げている――天は思う。

 牛は、きっとこの世のモノでは無い――天は思う。

 しかしそれを振るうことでしか、天は存分に戦えないのだ。刀を振るう傍らで体得した柔術では、通常と言う範囲に収まる存在の攻撃性を無力化することは出来ても、神や天使、天獣と言った通常ならざる存在には到底通用しない。


 己の自由性を守るには、強く在ることが必要だ。そして天にとってその強さとは、刀に込められた殺戮性に他ならない。

 その柄を握る度に躯体の主導権を握ろうとする悪魔めいた存在を、もう何度も天は受け入れ、その瞬間に追い出して来た。天の通常時の攻撃が全て“居合”なのは、剣閃を繰り出す時間を最小限にする必要があるからだ。出来るだけ、柄を握る時間は短くなくてはならない。

 そうでなければ天は、いつしか牛に取って代わられてしまうだろう――しかも最悪なのが、先の食肉の楽園(ミートピア)にて行使した【神斬武士】(カミキリムシ)という憑依魔術。

 あれを行使してからと言うもの、牛は天をより容易く乗っ取れるようになった気がしていた。


 牛が自らを支配してしまっては、自らが掲げる自由は何処にも無くなってしまう――天はそれが怖ろしかった。意思があるというのにそれを何一つ行使できない、思うままにならない事実は彼が最も忌避する事象だった。


「――貴様には、頼らない」


 だから天は、この場では柔術のみで全てを片付けることを決意した。刀に頼らなければ渡り合えない自分を、強く押し上げることで牛の支配から逃れようとしたのだ。

 刀を握らなければ牛は来ないのだから、つまり刀を握らなければ自由を守れる。


 音も無く鋭角の跳躍を見せた天の躯体は、昨晩の山犬のように襲撃者の眼前にて着地した。やはり音の無いその機動に襲撃者が反応できるわけも無く、両頬に添えられた天の両手は互い違いにスライドして襲撃者の首を実に静かに圧し折った。

 在り得ない急速度と急角度で首を傾げた襲撃者は事切れ、霊銀信号検知器(ミスリルディテクタ)の反応を追って天はさらに追撃する。


 しかしやはり、天の選択は正しいとは言えなかった。

 山犬に出来たことは天にも出来る、とは言えないのだ。簡単な話、両者は性能が違う。

 膂力も瞬発力も一撃が必殺となるまでの時間も。

 こと“格闘”という戦闘法においては、天の柔術が山犬の肉弾に勝るものは何一つとして無い。

 天は、最初から刀を抜けば良かったのだ。抜き放ち、瞬間に伸縮する斬撃である【神薙】(カンナギ)で、一気に斬り払えば良かったのだ。


 白兵距離での接近戦、および中距離での遠隔攻撃こそ、天という“神殺し”の真骨頂。柔術を用いた格闘戦は、決して彼の土俵では無い。


 岩から岩へと飛び移りながら擦れ違いざまにまたも首を圧し折った天へと、襲撃者の一人である爪と尾族(ティグリシアン)の男が両手に装着した鉤爪をギラリと光らせて突進した。


「らぁっ!」


 振るわれた右の鉤爪が描く四本の軌跡をふわりと跳び上がって躱した天は、そのまま宙をくるりと舞って男の背後に降り立つと、落下の際で五指を添わせた頸部にゴキリという響きを立てた。やはりそれは、首を圧し折る音だった。


 踵を返し、内側に残るもう一人の方向へと振り向いた天は、しかし目を見開いた。

 最後の一人の姿が見えない――霊銀信号検知器(ミスリルディテクタ)にはまだ反応がある。しかし遮蔽となる大きな岩の後ろへと跳んでも、その姿は見えはしないのだ。


 困ったことに、天に備わる霊銀信号検知器(ミスリルディテクタ)は対象のおおまかな位置をしか捕捉できない。細かく座標を割り出すことは出来ず、また高低の区別は付かないのだ。

 だから先ずは天は夜空を見上げた。広がるのは濃紺のみであり、星明かりが実に煌めいている。


「――っ!」


 異音は腹部から上がった。視線を落とすと、赤い組織液の付着し形が顕わになった直剣が臍辺りから突き出ている。

 掴もうと手を伸ばすが遅く、剣が引き戻されて出来た穴から組織液が溢れて散った。


 振り返る。襲撃者の姿はやはり見えないが、しかし直剣の刀身なら視認できた。

 そこにいる。姿を隠した敵が、そこにいる――だと言うのに、この期に及んで天は牛を頼らなかった。


 天は、頑固なのだ。


 直剣を手放したことで、襲撃者は再び消えてしまった。


()()に、光学的迷彩ですか……)


 隠匿のための二重の保険。座標を指定し休息を取ったところで待機場所から転移し襲撃する。そしてうち一人は、光学的迷彩を施すことでその姿を隠匿する――実に練られた襲撃だ、とても部外者のみの凶行とは言えない。


 これが山犬だったのなら、類まれなる五感で漏れ出る殺気を感知して打破したのだろう。しかし天にそんな機能は無い。霊銀信号検知器(ミスリルディテクタ)が関の山だ。

 しかし打開策が無いわけでは無い。そしてそれはとても速い。

 刀を抜き、検知器の反応を元に不可視とも言える一閃を投じればいい。【神薙】(カンナギ)ならば広範囲を一度に叩くことが出来るから、おおまかな座標であっても直ぐにその身を両断できる筈だ。


 そしてそんなことは天も分かり切っている。しかし天の意思は今、“刀を抜かない”であり、“牛には頼らない”だ。自らの柔術を以てしかこの場を切り抜けたくはないと、固く決めてしまったのだ。


 天は、頑固なのだ。そしてそれは、悪癖としか言えない。


 結局外側の四人とともに透明な一人も消え失せ、天は“取り逃がす”という失態を演じた。

 車両や一団自体には被害が無かったためエディは彼を労ったし、天もまたそれに感謝の辞を丁寧に述べたのだが、内面では強く歯軋りを繰り返していた。


(何てザマだ……)


 平常を装って改めて車体の傍で周囲を警戒する天を、山犬はただじぃっと見詰めていた。



   ◆



「天さん、大丈夫でしょうか」


 助手席に座るエディが、後部座席を振り向いて山犬に問い掛けた。

 仄かな微睡みの中にいた山犬は覚醒し、目をぱちくりと(しばた)かせた後でエディに愛らしい笑みを向ける。


「何が?」

「その……昨晩、意気消沈しているように見えましたし」


 意外にもこの少年、人の心の機微には(さと)い――様々な思想・主義が交錯する【禁書】(アポクリファ)で育った彼は、本能的に人の内面を察する能力を培ってきたのだ。そうでもしなければ、思惑に飲まれただの捨て駒となり果てていただろう。

 エディ・ブルミッツという若干16歳の少年が天使を討つまでの戦士に育ち、そして調査団の取りまとめ役と言う大任を仰せつかったのも、その能力を如何なく発揮してきたからだった。


「んー、大丈夫じゃないかなぁ? 天ちゃんそう言うの、そんなに引き摺らないタイプだと思うよー?」

「そうだといいんですが」


 再びエディは前を向き、山犬は窓の外の景色に目を向ける。望む景色に海岸線が見え始めた。いよいよスティヴァリが近い。


「……山犬ちゃんは、どうして私たちに協力してくれるの?」


 海面が朝日をキラキラと照り返す金色を見詰めていた山犬は真反対を振り返った。

 調査団唯一の亜人、沈む人族(フィーディアン)の娘アスタシャだ。常にやや俯きがちな少女は、猫のように背を丸めて上目遣いで山犬へと問いを投げかけていた。


「どうしてって……ノヱル君が手伝うって言ってるからかなぁ?」

「ノヱルさんって……あの、ピンク色の髪の?」


 【禁書】(アポクリファ)の“神殺し”という命題にいの一番に迎合したのはノヱルだったが、そんな彼のことを構成員たちはこぞって“ピンク色の髪の男”と呼ぶ。

 それは彼が、天や山犬に比べて一見地味だからだ。強いには強いが、二人のような突出し過ぎた強さを持たない、理の範疇内の英雄レベル。ちなみに天や山犬は“神を殺せる器”などと呼ばれており、天は婦女子に、山犬は野郎たちに絶大な人気を誇っている。


「どうして? ノヱルさんのこと、好きなの?」

「えー、好きだよぉ?」


 両頬に手を添えながら乙女の顔で告げた山犬を、アスタシャは驚愕の目で見詰めた。


「え、だって……その、ノヱルさんって……山犬ちゃんより、……」

「うん、弱いよぉ?」


 再びアスタシャの目が見開かれた。灰褐色の虹彩が戸惑いに揺れる。


「でもね、ノヱル君は、弱く無いんだ」

「え?」


 恋する乙女の表情は変わらない。ほんのりと染まった頬の真上で、山犬の大きく円らな目がキラキラと輝いている。


「ノヱル君()ね、本当は“神殺し”なんてどうだっていいんだよ」

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